第一章
1-1、火事場でみる刹那の夢
石床に放りだされつつ、
今度こそ死ぬと。ここまで
通路いっぱいをふさぐ、赤い管で構成された化け物蛇に追いすがられ。その全身から、雨あられと管の射出を受けたのだから。
無理だ、避けられるはずがない。蜂の巣になる自信ならある。
でも、自分を放り投げた相手は……?
「っ、ジェ――……」
“
冽花は弾かれたように顔を上げた。
先だって目覚めたばかりの
せめて一瞬、ひと目だけでもいい。へたり込んだままながら、全精力を目と耳にそそぐ。
全身血まみれ、土まみれの女――人身、
目前に濃緑の
『怪我はないか? 大事なければ応答せよ、契約者よ』
「……っぁ」
小さく声をあげる。
手元の黒い
『言ったはずだ。お前を守りきってみせると。必ずここは抜かせない。ゆえ――』
棍をひと振るいして、化け物蛇と
『頼んだぞ。契約者、
「……っ、うん!」
冽花は躊躇いなく頷いていた。安堵感が自然と首を縦に振らせていた。
傷ついた体に
二人は出会ったばかりである。が、急速に二人の運命の輪は回り始めていた。
※※※
後に
あの夜のあの出来事は、まさに
苦いにがい苦汁を
あれは
燃えさかる
そして、おもわず立ちすくんだ。
辺り一面が火の海だったからだ。八方より火の手があがり、
まったく気付かない……否、気付けなかった。
取り巻く環境によって、体毛で感じる風はおろか、目も耳も鼻もきかない。
獣の性もつ“
「……ここまでやるかよ」
だが、そんな
「何をやってる! 行けッ! 行けぇぇ! 冽花ッ!!」
「必ず守り抜いてくれ、頼んだぞ!」
それは謎の襲撃者らを食い止める、仲間たちの必死の
冽花は我に返るとともにおもわず振りむきかけるも、ぐっと
「ッ……分かった! 死ぬなよ、お前たちも!! 約束の場で会おう!!」
肩ごしに声を投げるなり、目の前に伸びる
だが、行く手には火の手が立ち
舌打ちをして、壁に飛びつくなり屋根へと飛び乗る。顔をあぶる熱い風に目を
「ひでぇ……こっちはもう無理か」
通路という意味でも、別の意味でもだ。
国でも有数の
「あいつら、好き放題しやがって」
おもわずと先の襲撃者らを思い起こし、歯噛(はが)みする。
蟲人を六名動員したところでこの
とくに、と冽花はなおも思いを
(とくに、あの『
その姿を思い浮かべると、ぶるりと身震いが生じた。無意識に腰帯にはさむ短剣の柄(つか)を探り――ハッと我にかえり、両手で頬をたたく。
危ないあぶない。物思いにふけるのは後回しだ。
今はこの、仲間たちに
自分の胸元を見下ろし、ぎゅっと握りしめた上で再び駆けだす。
が、なおも
地図は頭に叩きこんでいたものの、もはや予備知識はあって無きがごとしだった。
「
目の前でがらがらと崩れゆく家が、巨大な燃えさしと化す。
再び
「……ッ!」
ふいにゾワリと尾の毛が逆立つ感覚をおぼえ、冽花は飛び
「……っな!? ――っあ!!」
目の前に白い光をもつ柱が
それが
柱がすぐさま光の粒となって
巻いていた白布がみる間に赤く染めあげられていく。震える手で押さえこむと、そこに深く
あの男の武器だ。
認識するとどうじに、尾が二倍に膨れ上がった。
ついで確かな
すり足気味の独特な歩調が
黒い長衣の
「
痛みに
「そうか。猫だものな、お前は」
「なに……?」
「尾だ。それほどまでに俺が恐ろしいか」
ハッとして自身を見下ろすと、いつの間にか尾が足のあいだへ丸まっていた。
猫にとって、尾のその状態は
人身、
房毛のある三角耳は、尾と同様に、白と黒の
歯の間からフゥッと音をたてて鋭く息を押しだす。否応なくその
「だったらなんだ。見逃すとでも言うつもりか?」
「まさか。それでは先に
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。だがそれが、残してきた仲間たちの
「ッ、お前……っお前ぇぇぇぇッ!!」
「ああ。じきにお前も同じ道を辿るだろう」
そう応えた老鬼に、反射的に肩の
その足に白く光るもやが
途端に冽花の警戒度は跳ねあげられ、おもわず
「お前……っ、なんだ! なんなんだ、お前は!?」
「さあな。俺も時々自分が分からなくなる」
足から全身へともやを伝播させた男は、爆発的な勢いでもって突貫してきた。
冽花の動体視力は
男の足元に小さい柱が幾つか起ち上がっていることを。足元から突き出し、
男は
冽花は体を低くし避け、腰帯より抜く短剣を
男は退かない。逆に体をひねって前傾させて、肩を突きだしてきた。
「ッあ、ぅ!! ――っぶ、ぐゥ!」
女の体は軽々と
が、もう反転しざまに片手をついた。這いつくばるように起きあがるや、下段回し蹴りを打つ。足場の崩れる男をまえに追撃はせずに飛び退った。
はあはあ、と自分の吐く息がうるさい。重たい痛みが腹部で
冽花は顔をしかめつつ口元をぬぐった。まだ、まだ。
再びの交戦は無言でおこなわれた。
転がったおりに拾っていた石を、袖口(そでぐち)から出し投じる。顔を狙った
対して、やはり男は動かない。石を手で払いのけつつ、右足を
直感的に危険を察知する冽花の前で、鋭い一歩が踏みこまれる。
来るのは再び
冽花は舌打ちして構える。あの力があるかぎり、打って出ることは困難だ。
なんとか一気に距離を詰める方法があれば――真っ向から攻め手を考えること自体、
柱が霧散する。その向こう側に男が――――いない?
「え……?」
だんだんッと鈍い異音が、立て続けに目の前と斜め前より生じた。
知れたのはそれだけだ。気付けば男は目前にまで迫っていた。
意味が分からなかった。
唯一、冽花の
まさか側面の壁を足場に。獣さながらの動きをするなぞと、誰が想像できるだろうか。
横っ面にひどい衝撃がはしるまで、理解を拒んだ。
冽花は
「もう
「っ……だ、れが……っ」
「どの道長くは生きられぬ身だ。
「…………ど、く?」
「ああ。最初の
言われて、まざまざと口のなかに溜まる血の味を自覚した。冽花はおもわずえづいた。喉の奥が苦く、口のなかも生臭くて、目尻に涙がうかんできた。
なんだ、それ。それじゃあ、自分は。最初からこの男の
体が震え続けるのは毒のせいかそれ以外なのか、もう分からなかった。
興奮が冷え、今更ながらに痛みを思い出したのが、またひたすらに酷であった。
肩が燃えるように熱く、痛い。腹が重苦しく痛む。
…………諦める――?
ふっと
それは、彼女の
満開の
『おねがい、冽花』――。
「――――……い……ゃだ」
「なに?」
「あぎ……らめな、いッ……あた、しは……」
約束を。願いを果たすために、ここにいるんだ。
震える拳を握りしめて告げる。
最後までは言えぬ言の葉。だが、決意の固さは感じたのだろう。次に響く言葉は端的であり、ひどく無情であった。
「そうか。なら楽にしてやろう」
がつん、と。彼女の頭へ無雑作に振り下ろされる足。
石畳に打ちつけられ、目のおくで火花が散った。額が割れて一気に力を失くす冽花を、男は見下ろす。退いた足を腹の下にいれてひっくり返し、淡々と
そんな彼の傍で、冽花はほんのつかの間の安息に落ちたのだった。
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