幕間2、僵尸は思考する
時はまた少し
床に伏した彼女にたいし、賤竜はこまごまとその世話を焼いていた。野山に入って食べ物を採りにいくのもその一環である。
その日の明け方――捕らえた獣や野草、食べられる木の実の入った
周囲の萌えいでる若葉や飛び交う鳥の種類からみるに、季節は春のようだ。深い山あいだけあって、獲物も食べられる野草もふんだんに採れるのが幸いだった。
出る前に戸口に挟んでおいた
戸口を開けて耳をすませると、ごく微かに
……熱が上がる以前の光景がそこに広がっていた。
ひとまず救出にむかう。その身を抱えると、途端にほっと顔が安らぐあたり、よほど苦しかったに違いなかった。
触れた体はやはり熱く、頬など茹でられたかのようだ。
賤竜の目には、彼女の体を巡る大量の
陰気の側がより劣勢とみるに、過剰分を
『起きたか』
「……んー。おかえり、賤竜」
にへらと力なく笑うのに頷いて、その身を牀に戻した。
『また熱が上がったようだな。新たに薬湯を煮出す』
「んー、
『水を飲むか? それとも、沢で冷やした野苺の実があるぞ』
「いちごがいい」
『了解した』
頷きかえし、きびすを返そうとする賤竜の袖が引かれる。振り返ると、冽花が
「なー、賤竜。そろそろいいんじゃないか?」
『……駄目だ』
「そういわずに。しんどいんだよ~」
『何度も言っているが、その熱は傷と疲労より生じているものだ。強いて下げれば、後に障りをきたすゆえ。自然治癒に任せるのが肝要だ』
にべもなく切り捨てると、ぶう、とその頬が膨れる。
冽花が言っているのは、陰気をよこせということであった。以前の瞬時に下がった経験から味をしめたらしい。が、その折は
原理が異なるのだから同じことをしても意味がない。そう言って聞かせているのだが、どうも気について
「けち」
『けちではない。それが道理だ』
「あーあー。賤竜は、けーやくしゃがくるしんでても、いんだなー。なんてはくじょーなきょーしなんだろう」
そして、どうもこの女、熱があると普段の険や
頬を膨らめるのをやめて、今度は拳で枕元を叩いてくる。その尾とても、びたんびたん跳ねまわっているではないか。『子ども』という単語を、賤竜の頭脳が弾きだす。
『何度言っても、その命は聞き受けられん』
「あたしのいうこときくーとか、いってたくせにぃ」
『それはそれ、これはこれだ』
きっぱりと退ける賤竜に再び冽花がむくれた。かと思えば、自分の服の胸元に手をかけてはためかせだす。
「あせかいた。きもちわりぃ」
『体を拭くか。しばし待て、水を用意してくるゆえ』
ようやく解放された賤竜は一時その場を辞し、土間へとむかった。
扉を開けると、ちょうど冽花が前をくつろげている姿と鉢合わせた。
賤竜は一瞬静止した。が、何事もなくこちらをむいて「おかえり~」なぞとしまりなく笑う姿に挙動を再開した。
おそらく、思考じたい緩んでいるに違いない。仕えてまだ二日というところだが、先だって
賤竜は淡々と思考しながら、彼女が体を拭くのを手伝う。
そうしないと「おっと」とか言いながら手拭を落とし、「あれ、どこいった? ……れ、あたまがゆれる……」とか言いながら再び床と仲よくなりかけるのだから仕方がない。
本当に、熱があるとこの女は
またあまりに
『陰気はやれぬが……ツボ押し程度ならしても構わないぞ』
「
与えぬとは言ったが、過剰な陽気を多少和らげるほど増やす分には構わなかろう。
賤竜は密かに親指に黒もやを
「賤竜の手、つめてえ」
『
「そっかあ。あー、でもきもちいいなあ」
枕に顔を埋めながら足と尾をぱたつかせる冽花に、おもわずその後ろ頭を撫でた。
撫でた後で掌を見る。なぜだろう。時おりこうして意図不明な行動に出るきらいが、今の自分にはあった。冽花はその様子に気付かずに無邪気にくふくふ笑い、「賤竜、手ぇとまってる~」なぞとのたまっているのだが。
気が滞っているところを解し、陰気の流れをよくしてやると、その表情もまたより幾ばくか和いだように見えた。
終いに、自身の
冽花が起きると、こうしたすったもんだが毎度展開される。その度に振り回される賤竜は――密かに以前の契約者たちとくらべて、異質さを実感するのであった。
以前はこうではなかった。
自分は
冽花はそんなことは命じない。賤竜という名を知ってはいたが。否、まだそうと判ずるのは早計か。風水僵尸それ自体の知識に乏しいからなのかもしれない。
なぜだろう。冽花は人が人におこなうように、自身に働きかけてくる。
あるいはそれは生前の自身に関係があるのかもしれない。自分が、彼女の前世にあたる仔猫に、どうやら『
淡々と思考している間に、いつしか冽花の瞼が重たげに落ちかけていた。
『眠気があるのなら寝るといい。まだまだお前の体は休息を欲している』
「んー……そうする。
『うむ』
盥と碗とを片付けに下がろうとして、再び裾がひかれる感触に止まった。
「なあ、賤竜。手……かしてくれないか」
『手を?』
「さっきつめたくてきもちいかったからさー。ちょっとだけ。いいだろ?」
枕に顔を埋めたまま、歯をみせて笑ってくる。その様子に『甘えた』だと、賤竜の脳裏が弾きだして、そうしながら彼は傍らの椅子に腰をおろした。
右手を差し出してやると、冽花は両手で
「あー。こんなかんじ、だったのかなあ。
『なに?』
「妹妹もなー。こうしておまえの手をかかえてたんだ。そしたら、おまえは“温かいな、お前は”って、そういったんだ」
『夢の話か』
「ゆめ……うん。ゆめでみる、ほんとにあったはなし」
冽花は頬をすり寄せる。その頬は燃えるように熱く、とても“温かい”どころの話ではないと、賤竜は思考する。が、ふいとその唇が動いていた。
『温かいな……お前は』
「………ん?」
『いや』
うつらうつらしかけていたのだろう。間をおいて、冽花は片目を上げる。賤竜が首を振ると、聞き間違いとでも考えたのだろう。再び冽花は目をつむった。
『寝ろ。そして早く快調しろ、冽花。聞きたいことが幾つもあるのだから』
「んんー、りょうかい」
そうして彼女は、眠りに落ちていく。賤竜の手を抱えたまま。
先の言葉といい何かの
賤竜は思考する。思考しつつ、じっとしばらく動きを止めていた。彼女の眠りが深くなるまで、その寝顔を見守り、傍らにいた。
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