幕間2、僵尸は思考する

 時はまた少しさかのぼり、これは冽花が倒れて二日後の話だ。


 床に伏した彼女にたいし、賤竜はこまごまとその世話を焼いていた。野山に入って食べ物を採りにいくのもその一環である。


 その日の明け方――捕らえた獣や野草、食べられる木の実の入ったかごをさげて、賤竜は帰還した。その身からは濃い緑の香りが漂い、より深山に分け入ったことが伺えた。


 周囲の萌えいでる若葉や飛び交う鳥の種類からみるに、季節は春のようだ。深い山あいだけあって、獲物も食べられる野草もふんだんに採れるのが幸いだった。


 出る前に戸口に挟んでおいた紙縒こよりを確認する。出立する以前と変わらぬ状態にあるのをみて、一つ頷いて立ち上がった。


 戸口を開けて耳をすませると、ごく微かにうなり声が聞こえる。また熱が上がったのかもしれない。とるものもとりあえずかごを置いて、賤竜は奥の部屋へとむかった。


 ……熱が上がる以前の光景がそこに広がっていた。


 傷病人しょうびょうにんにもかかわらず、豪快な寝相でも披露ひろうしたのか。はたまた水でも取ろうとして、均衡バランスを崩したのかもしれない。


 ベッドからでんぐり返しに落ちて、唸り声をあげる冽花の姿がそこにはあった。


 ひとまず救出にむかう。その身を抱えると、途端にほっと顔が安らぐあたり、よほど苦しかったに違いなかった。


 触れた体はやはり熱く、頬など茹でられたかのようだ。


 賤竜の目には、彼女の体を巡る大量の白光ようき黒光いんきの衝突が視えていた。


 陰気の側がより劣勢とみるに、過剰分をしゃす――すなわち、消炎作用のある薬湯を煮出すべきか――なぞと思考していると、ふと冽花の目が開いているのに気付いた。


『起きたか』


「……んー。おかえり、賤竜」


 にへらと力なく笑うのに頷いて、その身を牀に戻した。


『また熱が上がったようだな。新たに薬湯を煮出す』


「んー、多謝サンキュ。でもそれより、のどかわいたなあ」


『水を飲むか? それとも、沢で冷やした野苺の実があるぞ』


「いちごがいい」


『了解した』


 頷きかえし、きびすを返そうとする賤竜の袖が引かれる。振り返ると、冽花が掛布団かけぶとんの下から手を伸ばしていた。何かまだ言いたいことがあるのかと向き直って、身を屈めると、冽花は熱でうるんだ瞳を細めてなおも袖を引いてきた。


「なー、賤竜。そろそろいいんじゃないか?」


『……駄目だ』


「そういわずに。しんどいんだよ~」


『何度も言っているが、その熱は傷と疲労より生じているものだ。強いて下げれば、後に障りをきたすゆえ。自然治癒に任せるのが肝要だ』


 にべもなく切り捨てると、ぶう、とその頬が膨れる。


 冽花が言っているのは、陰気をよこせということであった。以前の瞬時に下がった経験から味をしめたらしい。が、その折は老鬼ラオグイとやらとの戦い後であり、なおかつ体に陽型の貴竜グイロンの気が滞留たいりゅうしていたため、陰気が枯渇こかつして生じたものだ。


 原理が異なるのだから同じことをしても意味がない。そう言って聞かせているのだが、どうも気について過剰かじょうに期待している節があるようだった。


「けち」


『けちではない。それが道理だ』


「あーあー。賤竜は、けーやくしゃがくるしんでても、いんだなー。なんてはくじょーなきょーしなんだろう」


 そして、どうもこの女、熱があると普段の険や気風きっぷが削がれるきらいがあるようだった。


 頬を膨らめるのをやめて、今度は拳で枕元を叩いてくる。その尾とても、びたんびたん跳ねまわっているではないか。『子ども』という単語を、賤竜の頭脳が弾きだす。


『何度言っても、その命は聞き受けられん』


「あたしのいうこときくーとか、いってたくせにぃ」


『それはそれ、これはこれだ』


 きっぱりと退ける賤竜に再び冽花がむくれた。かと思えば、自分の服の胸元に手をかけてはためかせだす。


「あせかいた。きもちわりぃ」


『体を拭くか。しばし待て、水を用意してくるゆえ』


 ようやく解放された賤竜は一時その場を辞し、土間へとむかった。かめから水を汲んで、たらいに水と手拭てぬぐいをいれて戻る。ついでに野苺もわんにいれて持ってきたのだが――。


 扉を開けると、ちょうど冽花が前をくつろげている姿と鉢合わせた。


 賤竜は一瞬静止した。が、何事もなくこちらをむいて「おかえり~」なぞとしまりなく笑う姿に挙動を再開した。


 おそらく、思考じたい緩んでいるに違いない。仕えてまだ二日というところだが、先だって血食けっしょくを賜った折の様子をみるに、恥の概念は人相応にある模様であった。


 賤竜は淡々と思考しながら、彼女が体を拭くのを手伝う。


 そうしないと「おっと」とか言いながら手拭を落とし、「あれ、どこいった? ……れ、あたまがゆれる……」とか言いながら再び床と仲よくなりかけるのだから仕方がない。


 本当に、熱があるとこの女は凡骨ぽんこつ――否、気が抜けるのだな、と思考し記録する賤竜であった。


 またあまりに頭重感ずじゅうかんを訴えるので、ついつい口をはさんでしまった。


『陰気はやれぬが……ツボ押し程度ならしても構わないぞ』


真的嗎マジで? やった」


 躊躇ためらいなく白い背をみせて転がる冽花に、重みをかけぬよう留意しながら乗り上げる。


 与えぬとは言ったが、過剰な陽気を多少和らげるほど増やす分には構わなかろう。


 賤竜は密かに親指に黒もやをまといつかせると、冽花の背に触れた。「うひっ」とか奇声があがり、ぴくりと肩甲骨が浮かびあがった。


「賤竜の手、つめてえ」


むくろだからな。冷たくて当然だ』


「そっかあ。あー、でもきもちいいなあ」


 枕に顔を埋めながら足と尾をぱたつかせる冽花に、おもわずその後ろ頭を撫でた。


 撫でた後で掌を見る。なぜだろう。時おりこうして意図不明な行動に出るきらいが、今の自分にはあった。冽花はその様子に気付かずに無邪気にくふくふ笑い、「賤竜、手ぇとまってる~」なぞとのたまっているのだが。


 気が滞っているところを解し、陰気の流れをよくしてやると、その表情もまたより幾ばくか和いだように見えた。


 終いに、自身の背子うわぎを気で編んでやり渡すと、「ぶかぶかだ」などと言いつつ冽花は袖をまくった。その上で野苺を渡せば、やっぱり締まりなく笑って口にするのだから……まったく少しも放っておけないと、賤竜は結論づけるのだった。


 冽花が起きると、こうしたすったもんだが毎度展開される。その度に振り回される賤竜は――密かに以前の契約者たちとくらべて、異質さを実感するのであった。


 以前はこうではなかった。


 自分はを貼りつけられて、符ごしに契約者の命を聞いた。命じられた場所を沈ませて、貴竜グイロンが起こし、“人が思う通りの”起伏に富んだ山々を、幾つも生みだしていた。そうして龍脈を走らせ、曲げて、彼らの生活を富ませていたのである。


 冽花はそんなことは命じない。賤竜という名を知ってはいたが。否、まだそうと判ずるのは早計か。風水僵尸それ自体の知識に乏しいからなのかもしれない。


 なぜだろう。冽花は人が人におこなうように、自身に働きかけてくる。


 あるいはそれは生前の自身に関係があるのかもしれない。自分が、彼女の前世にあたる仔猫に、どうやら『哥哥あにさま』と呼ばれていたことに起因しているのかもしれないと。


 淡々と思考している間に、いつしか冽花の瞼が重たげに落ちかけていた。


『眠気があるのなら寝るといい。まだまだお前の体は休息を欲している』


「んー……そうする。晩安おやすみ、賤竜」


『うむ』


 盥と碗とを片付けに下がろうとして、再び裾がひかれる感触に止まった。


「なあ、賤竜。手……かしてくれないか」


『手を?』


「さっきつめたくてきもちいかったからさー。ちょっとだけ。いいだろ?」


 枕に顔を埋めたまま、歯をみせて笑ってくる。その様子に『甘えた』だと、賤竜の脳裏が弾きだして、そうしながら彼は傍らの椅子に腰をおろした。


 右手を差し出してやると、冽花は両手ですくうようにし頬へと持っていく。締まりのない笑みがうかんで、その目が閉じられた。


「あー。こんなかんじ、だったのかなあ。妹妹メイメイも」


『なに?』


「妹妹もなー。こうしておまえの手をかかえてたんだ。そしたら、おまえは“温かいな、お前は”って、そういったんだ」


『夢の話か』


「ゆめ……うん。ゆめでみる、ほんとにあったはなし」


 冽花は頬をすり寄せる。その頬は燃えるように熱く、とても“温かい”どころの話ではないと、賤竜は思考する。が、ふいとその唇が動いていた。


『温かいな……お前は』


「………ん?」


『いや』


 うつらうつらしかけていたのだろう。間をおいて、冽花は片目を上げる。賤竜が首を振ると、聞き間違いとでも考えたのだろう。再び冽花は目をつむった。


『寝ろ。そして早く快調しろ、冽花。聞きたいことが幾つもあるのだから』


「んんー、りょうかい」


 そうして彼女は、眠りに落ちていく。賤竜の手を抱えたまま。


 先の言葉といい何かの障害エラーなのだろうかと、賤竜は思考する。長らく休眠していたため、基幹システム部分になんらかの問題が生じているのかもしれない。調整する技術者がいぬ以上、これは自分で解決する必要がある。


 賤竜は思考する。思考しつつ、じっとしばらく動きを止めていた。彼女の眠りが深くなるまで、その寝顔を見守り、傍らにいた。

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