4-1、獣撃戦で目覚める力

 翌日の明け方に冽花リーホア賤竜ジェンロンは行動を開始した。


 さすがに使いっぱなしは道理どうりにそわぬため、炭焼き小屋には、白墨党はくぼくとうの名と、後で必ず金銭を支払う旨を書いた手紙をのこし。


 向かうはふもとの村、華川村かせんむらだ。


 付近を散策した賤竜の見立てによって、おおよその地理が判明したのだ。その名通り、川沿かわぞいにある村のため、小川にそい山を下りていくべく進んだ。


 その最中であった。冽花らがそれを見つけたのは。


 最初に気付いたのは賤竜だった。


 太陽が苦手だ云々うんぬんと頭からかぶる濃緑の背子うわぎの内から、ふと鼻を鳴らした。ひと言告げたのである。


『血のにおいがする』と。


「……え? 怪我なんてどこもしてないぜ」


『違う。お前以外の血だ』


 びっくりして冽花は立ち止まった。自身でも鼻を鳴らし、その場の空気をかぐと、かすかに硝煙しょうえんの香りが風に含まれているのに気がついた。


「あっちだ。行ってみよう」


 冽花の言葉に無言で頷き、賤竜が続く。早足で茂みをかき分け、丘を登っていくと――そこに血まみれの男が倒れているのを見つけた。


 一見して、もう手遅れであった。その顔色は蒼白そうはくに近く、周囲の草を濡らす黒々とした血溜まりがある。呼吸も今にも途切れそうだった。


 急いで冽花は近づくなり抱き上げた。


「大丈夫か!? しっかりしろ!」


 揺さぶると閉じていた目が開いた。が、落ちくぼんだ目は今にも閉じられそうであり、一層強く冽花は揺さぶった。


「しっかり! どうしたんだ。何があったんだ、お前に!」


「……ぁ、ああ……ぁ、む……」


「む?」


「むら……が、こ、じゅ……に」


「村が蟲獣こじゅうに……蟲獣におそわれた!? この近くだと華川村か!」


 男は目をつむって、うなだれるよう頷いた。


「りょ、に、でていて……ぐうぜん、むれに……」


「華川村に向かう奴らに襲われたんだな? よくここまで逃げてこれたな」


 ひっ、と男の喉が鳴った。喉仏のどぼとけがひくひくと震えだし、続く声もまた震えていた。


「な……な、か、ま、を……ぎせい、に……」


 冽花は絶句した。折しもそれは先だって自分もおこなったことであり、仲間らの決死けっしの顔色が――そうだ、自分は振り返らなかった――思い出すこともできずにいた。


 固まった冽花にかわり、賤竜が腰をまげて男に話しかけた。


『敵の数はどれぐらいだ? 見つけてどれほどの時が流れた』


「ぁ、あ……さ……さん、じゅ、は…………じ、かん、は……」


 ひくつく舌をつき出し、喘ぎ、男は絞りだした。


「に、こくほ、ど……」


『敵の数、三十。二刻(四時間)か、微妙だな』


 じょじょに男の呼吸が浅くなりだしているのを見て、賤竜は冽花の肩に手をおいた。意図いとして手に力をこめ、軽く揺すって回帰かいきを促す。


『冽花、ほうけているひまなどない。時間は有限だ』


「……ぁっ……そう、だな」


 見れば、腕のなかで男は今にも事切こときれそうになっていた。冽花は言葉にきゅうした上で、ぐっと唇を噛みしめてから口を開いた。


「気休めにもならないかもしれないけど。村に、あたしらは行くよ。できるだけのことはするつもり。……お仲間さんにもそう、伝えておいて」


 冽花の言葉に一度だけ男の目が開かれた。そのひとみのおくの冽花は至極しごく苦しげな顔をしていて、そんな彼女に、男は微笑んだのだった。


「……ぁ、……り……」


 そう言って、男の首は垂らされた。


 冽花は身じろぐこともできなかった。まだ温かい男の体を抱えて――ぽん、とまた肩ではずむ手に助けられた。男を寝かせて立ち上がる。その体にはべっとりと男の血が付いてしまった。


「行こう、賤竜。……賤竜?」


『気休めではあるが、獣避けものよけにはなるはずだ』


 男の頭上の樹にむかい、賤竜が片手を振るう。五指ごしの指の跡がくっきりとみきにつくのを見て、猫の爪とぎを思い出した。そうして、意図を察したのだった。


 ぐっと唇を噛んだ後に頷きかえす。ふと思い立って自身も彼の遺骸いがいをさぐると、首から精緻せいち彫刻ちょうこくをほどこした小さい笛が、かけられているのを見つけた。


「これも持っていこう。家族が、まだいるかもしれないから」


 言っていて、それが難しいことであるのは分かっていた。二刻にこくだ。二刻前にこの付近を三十にも及ぶ蟲獣が通過したのである。


 自身がそれに遭遇そうぐうしたのを思い描き、戦慄せんりつする。太陽の光が苦手という賤竜にたいし、なら夜で、と言った彼女へと、かたくなに賤竜が首を縦に振らなかった理由が理解できた。


 それでも、冽花は笛をふところにしまって歩きだす。数歩歩いては駆け足で走りだし、それに賤竜も続いた。


 川を下っていくごとに、血と硝煙しょうえんの香りはますます濃くなり、冽花らの鼻を刺激した。



 ※※※



 それから半刻(一時間)ばかり歩いて、冽花らは村に到着した。


 そこはひどい有様だった。


 打ちくだかれた防護柵ぼうごさくの向こう側に、倒壊とうかいした建物や、人、家畜かちくとわずに打ち捨てられたむくろがごろごろと転がっていた。朝飯あさめしにありついた烏らが死肉をついばんでいる。


 まだ新しい血の香りに加え、戦いの跡であろう硝煙の匂いまじりの風に吹かれ、冽花はえづきそうになるのを懸命に堪えた。


 口元を押さえながら続ける。


「せ、生存者……は」


『一見してぜろだな』


「まだ、中まで見てみないと分かんないだろ」


『有事にそなえて体力の温存はしておけよ』


 暗に、“吐くなよ”と告げる賤竜に、ぎゅっと唇を結んではにらみ返した。「行くぞ」と肩をいからせて踏みこんでいく。


 村の中は静まり返っていた。風の音と、冽花らの足音いがいに響く音は存在しない。


「……蟲獣こじゅうたち、もういなくなったのかな?」


『日がのぼって幾ばくと経つ。ねぐらに戻った可能性もなくはない、が……』


 ふと足を止めて賤竜がしゃがむ。何事かと思い見れば、顔面がなかば食べられた遺骸いがいのそばに膝をついており、「うぇっ」とおもわず冽花は声をあげた。


「何してんだ、賤竜」


『よく見てみろ、この骸を』


「えー、やだ――」


『見ろ』


 ぐっと服のすそを引くため、仕方なく腰を曲げると、賤竜は遺骸を指さしてきた。


『主たる傷は七つ。四肢ししに一つずつの咬傷こうしょう、背部および腹部に裂傷れっしょう、顔面に咬傷。全身にわたり創傷そうしょうが見られ、くわえて顔にかかっているのは恐らく糞便ふんべんだ』


「げ。殺すだけじゃなく汚されたってことかよ」


『そういうことだな。状況からみて、食事をした後に汚損おそんしたと思われる。全身におよぶ規則的な傷害と顔を選んでの汚染。このことから考えるに、この骸を作りだした個体は、相応の知性をもつものであると判じられる』


「遊び感覚で傷つけた後に面子めんつを潰したってことか。――ん? ってことは……!」


 目を見開く冽花に賤竜が頷き返し、ひっくり返した骸の背を指さす。


『人と獣の蟲獣である可能性が高い。しかもこの爪痕つめあとを見ろ、だいぶ大型だ』


「聞くだに最悪じゃねえか……」


 いわゆる知恵ある獣だ。しかも大型獣の力をもつ。数ある蟲獣のなかでも厄介やっかいな部類に入るだろう。


『どうする、探索たんさくを続けるか? まだ村の入口からそう遠くもない』


 賤竜の言葉に、冽花は来た道を振り返った。


 確かに、踏みこんで早々に、こんな遺骸を見つけてしまった。これからはこんな遺骸がもっと転げているに違いない。あるいはそれを作った本人との遭遇そうぐうもあり得るだろう。


 唇を結びうつむいて、ふところに手をる。


「…………もう、ちょっとだけ探してみよう。危なくなったら即撤退そくてったいで」


『心得た』


 訊(たず)ねた割に、よどみなく賤竜は頷いて立ち上がる。そこに否やは存在しない。そのことが逆に、冽花に責任の重さを感じさせた。


「……賤竜は――」


『ん?』


「……なんでもない」


 自分の選択に不満を感じることはないのか、と問おうとしてやめた。


 また道具だなんだと言われるのも気が滅入るし、第一、自分の気持ちを楽にしたいがための言葉だと、彼女自身分かっていたからだ。


 賤竜の視線を感じながら、先を切って歩きだす。


 それからも捜索そうさくは続いた。大きい音や声をあげられぬため、一軒いっけん一軒家をまわり、井戸端いどばたや広場を探すという地道な作業が続いたが、いずれも成果はあげられなかった。


 代わりに汚染された遺骸は幾つも発見され、より襲撃者の存在を、強く認識させられることとなったのであった。


 が、村のなかでも端のほうの、とある一軒の家の軒先のきさきを潜った折だ。


 そこもまた他の例にもれず戸は外側より壊され、入口からでも玄関に一つ、奥に一つと遺骸が見えたため、望み薄かと思われたのだが――小さく、何かを叩くような物音が聞こえたのである。


 冽花と賤竜は顔を見合わせて、足音を忍ばせて奥へと進んでいく。


 音はくぐもっており、弱々しく断続的に響いていた。近づくと、すすり泣きめいたものまで聞こえる。


 伏した遺骸から聞こえてくるようで、冽花が幽鬼ゆうきかと戦慄せんりつした折だった。


 じっと耳を傾けていた賤竜が、おもむろに遺骸に手をかけ横へと転がす。べっとり血の跡がついた板の間を探り、ごくごく小さいくぼみを見つけて板を外した。


 すると、現れた床下収納ゆかしたしゅうのうのなかにつぼや木箱にまじって、小さく丸まって震える子どもの姿があったのである。しかも、その姿は――。


「鳥……! 鳥の蟲人? っ、こんなに血だらけになって……」


 おもわず息を飲んで、冽花は眉尻をさげた。


 右肩から先が白と黒のまだら羽に覆われた子どもは、血でぬれそぼった綿髪わたがみを揺らし、冽花らを見上げてきた。その丸い頬は何度も擦ったであろう血の跡でうす汚れ、ひとみには涙がいっぱいに溜められていた。


 あまりにも痛々しい姿に、おもわず両腕を伸ばした。


「おいで。痛いとことかないか? 怖かったなあ。一人で心細かっただろう」


 その言葉を聞くと同時に、幼子の涙腺るいせん決壊けっかいした。わっと泣きだすなり、両手を広げてくるので、前のめりに抱え上げて抱きすくめてやる。


 その背を擦りながら、冽花は賤竜を見やった。賤竜は退かした遺骸の検分けんぶんに入っていた。


 死因は――一見して、分かりにくいほどにぼろぼろの遺骸であった。服の柄や髪の長さから察するに、女性なのだろうが。


 とくに背面からの傷が多いことに、ぐっと冽花は唇を噛み締めた。


「この子の親……だったのかな」


『その可能性はあるな。隠されたために生き延びたのか』


 やるせなさにもっと唇を山なりに結ぶ冽花である。


 蟲人の生きにくい世の中だ。子どもは捨てられることが多い一方で、我が子だからと、大切に育てられる例も確かに存在はする。その数少ない一例だったに違いない。


「賤竜、この子の傷は……?」


『……陰気、陽気に乱れは存在しない。無傷だな。この血の香りはこの骸のものだ』


「……っ」


 もうたまらなかった。冽花は玄関口で伏す遺骸をも見やる。


 父が先に立って倒れ、母が死ぬまで守り抜いた構図なのだろう。


 家の外からは絶え間なく悲鳴に怒号どごう、獣の唸り声が聞こえ。隠された暗がりのなかでも父母の断末魔だんまつまを聞き。母の血を浴びながら一人ぼっち。どれだけ辛く、恐ろしく、悲しかっただろう。


「もう大丈夫だよ。姐姐ねえちゃんたちと一緒に行こう」


「ぅ、ぅぅー……うゥー」


「うん、いっぱい泣きな。大丈夫。怖いものなんて、なんにも――」


 だが、冽花の目と鼻の先に掌が出されていた。賤竜のものだ。


 その手がひかれて口元に指をたてると、彼は戸口のほうへと向かった。


 後ろ手にひいた右手にこんが形作られ、その腕から順に黒もやがまとわりついて、濃緑の鎧具足よろいぐそくを展開する。冽花はうなじの毛が総毛立そうけだつのを覚えた。

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