4-2、獣撃戦で目覚める力
※注意 主人公の獣との無理やりシーンがあります。主人公は無事です!!ですが、苦手な方はご注意ください。
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ぎゅっと子どもを抱く腕に力をこめ、いつでも動きだせるように
賤竜が戸口に近づいて、そっと脇の壁に身をひそめて伺う。
その時だった。低く喉が鳴らされる音があがり、ついで
背に歪んだまだら羽をもつ犬であった。
獣は冽花らを見るなり、けたたましく吠えたてて、すぐさま飛びかからんとした。が、飛びこむと同時に賤竜の棍が振り下ろされる。あやまたず、その
賤竜の存在には気付いていなかったのだろうか?
疑問が泡のように浮かんだが、冽花は
『今すぐここを脱出する。今のは
「分かった。他の家は……もう、たぶん
回りきれていない数軒を見やるも、腕のなかの子を見て頷く。
足早に家をでて、賤竜がしんがりを負う形で、村の入口を目指し走りだした。が、ほどなく二人を追う一団が迫いすがってきた。
二十匹はくだらない蟲獣らの群れである。
「来た!」
『先に行け。入口をでて川を下るんだ。水辺は匂いを追いにくい』
「分かった! なるべく早く来てくれよ!!」
そう言って離れていく賤竜を、ふと子どもが首をふりむけて見つめた。振り返った瞳は不安げに揺れている。冽花は再び背を叩いてやり、ニッと歯をのぞかせて笑った。
「心配ないって。あの
言っている傍から獣らと接敵し、飛びかかってきた二体を、ひと振りでまとめて吹っ飛ばしていた。
「な?」
「…………うん」
再び肩に
折しも、空は白んで本格的に陽が輝きだす時間である。太陽が苦手と言っていた賤竜も動きづらいに違いない。早いとこ抜けださないと――気ばかり急くままに広場をぬけて、井戸端を通りすぎ、入口が見えてきた。
その時だった。
ふと、冽花の鼻が濃厚な血の香りを
首を傾げた折だ。ふと影の内に四つの瞳が輝いた。薄暗がりに溶けていた巨大な質量が浮かびあがってくる。
虎だ! 遠目でも分かるその赤黒さは、浴びた
「うわっ、うわああああ!?」
冽花は泡を食って驚き、慌てて来た道を戻った。が、四つ足で駆ける虎はぐんぐんと距離を詰めてくる。あわやその前足にかかり、打ち倒されるかという寸前。
子がぎゅっと反対に腕の力を強め、耳元で強く叫んだ。
「
その声に我に返った。冽花はとっさに陰気を足元に
あの巨体だ。いくら木登りも得手とする虎でも、容易と追ってはこれぬとの
ぎくりと冽花は体を強ばらせた。あまりに
男の面がにやつき、虎の顔が
《ェっ、ェッエッエ。ぃきのい~ィおんなだナ》
(こいつ、
冽花は賤竜との会話を思い出した。
「……お前か! 外の何人かを殺したあげく骸を弄んだのは!」
《ぁン? ェッ、エッエッェ。ぉンなこともしたっけなァァァ》
だが、ついで人面が告げた言葉に頭が白くなるのを覚えた。まっ白くなるほどの怒りを感じた。虎は冽花らを顎でしゃくる。そうして告げてきたのだ。
《その血のにおい、ィおい、おぼえテルぜ。ふたつ。さいショに裂いたやつのにオいと、さいごに裂いたやつの二おいだ。さいしょのやつはニゲた、にげた。ナカマをすててニゲタが……あの傷だぁ、いまごろカラスのメシだろうナ!》
「最初に、裂いたやつ……」
冽花の
顔色が変わるさまが面白いのか、人面はなおも続けてくる。
《さいごに裂いたヤツもおもしロかったっけなァァァ。ェッエッエッ。裂いても噛んでも動こうとしやしネエ。裂いタ。裂いてやっタ。声がなくなるまで裂いてやっタ!!》
「…………
子どもの震え声が耳元で聞こえた。再びその身が
「てめえ……とんだ
《ェッエッエッェ。こんな姿にウマレルんだァァ。マトモな神経じゃア、やっていけねえだ、ロ。――ハナシは終いだ》
人面虎が動きだし、家の玄関に近づいていく。何をするのかと思えば、家のなかに入り――ほどなく、冽花らの足元から
「なっ……!」
《ェッエッエッ。いつまでモつかなァァァ!?》
おそらく、家の要に位置する柱を殴りつけているに違いない。
(どうする!)
冽花は周りを見回した。
頼みの
そうこうしている間に家が斜めに傾きだした。
「……ッ!」
《ほれほれほれ! ェッエッエッ。もう少しだァ……もう少しで折れるぞォォ》
(いちかばちか降りるしかない! そして……)
自分の掌を見る。
「あんた、名前は?」
「……ぅ?」
「名前。
「っ……
「そっか、明鈴。いい名前だ。今から下に降りるから、お守り代わりにこれを持ちな」
冽花は
すると子どもは目をまぁるくして、小さな手で受け取るなり
「きれい」
「うん。凄く綺麗な笛だろ? ここが大変なことになってるってことを、あたしらに教えてくれた
冽花は笑って、子の頭を
「降りたら真っ直ぐに走るんだ。村を出て、川にそって水が流れるほうにむかって走るんだぞ」
「うん」
「振り返っちゃ駄目だからな。真っ直ぐに走るんだ」
「分かった」
ここでついに虎の《折れる、おれるゾ》という声が聞こえてきた。
「跳ぶよ……!」
「うん……!」
冽花は子をしっかり抱きしめ、子もまた力いっぱいに冽花を抱きしめ返した。
崩れゆく屋根を走り、冽花は地面へと降り立っていく。そうして子を下ろした、次の瞬間だった。
「行きな!」
「っえ、
「いいから! まっすぐ走って、行っちまいな!!」
子はようやく、言っていた意味を理解した模様だった。首を振って動こうとしないが、それに舌を打って冽花は人面虎に挑みかかった。走るさなかに
「行けぇぇぇぇ!!」
そのやり取りに怯えたものか否か、小さな足音が遠ざかりだすのに安堵し、冽花は拳を握って構え直した。
人面虎は首を振るって、冽花に向き直ってくる。
《……ぅルル。ほんとにイきのいィおんな、だ。にがすため二
「うるせえ。女にゃ退けぬ時があるんだよ」
握りしめる拳にも陰気を纏わせる。
さすがは人の面をもつ虎か、二度目を見れば、その黒もやに秘密があるのだと見抜いたのだろう。虎部分が低い唸りをあげたが、ひと吼えするや体を沈めて飛びかかってきた。
速い! さすがは
が、浅い。その張りつめた筋肉は、反対に冽花の手に衝撃を与えた。痛みに顔を歪めて飛び退ろうとすると、振り向いた虎が
とっさに以前、
「
《ェッエッエッ。バカぢからとイえば、おまえもそうだ。その力、どこでテにいれた?》
「答える義理はないね」
《キづいているか?》
「あン?」
《ぉレが爪をつかっていナイことに。裂いてナイことに》
ふと言われて気づく。先のやり取り。虎の爪が出ていた場合は動くどころの話ではなく、腕は血まみれのぼろ
疑問に思い、人面をみると、
《おまェ、ぉレのおんなにならないカ?》
「…………は?」
《ぉレのおんなになレ、おまェ。おれとお前なら強い子がウミだせるはずだ。テシタたちなんぞ比にならんぐらい強力な子が生まれるはず、ダ》
手下――あの犬型の蟲獣たちだろうか。それにしても、蟲獣も蟲人らと同じく、誕生は確定したものではなかったはずだが。
「あんた、まさか……」
《ェッエッエッ。まえのはァ、とっくの昔にツブレタから、なァァ》
信じられない。冽花は再び怒りで頭が白くなる思いがした。女を、人を――生き物を、なんだと思っているのか。こうして
「最っっ低だな」
《ェッエッエッ。ほメ言葉ととらせてもらうゼ、
「やめろ、
冽花が首を振るうと人面の笑いが薄まる。
《だったら、無理ヤリにでもおんなにしてやろう。イきのいィおんなはキライじゃあねェからなァァ》
「やってみろよ、
拳を強くつよく握りしめて、冽花はひた走った。虎もまたひと吼えして挑みかかる。
体を低くし走る冽花は、うねるように
――
ならば、こちらの手はこれだ。
虎部分の
靴ごしとはいえ、鮮明にひしゃげる肉の感触が伝わる。
「うへえ」と顔を歪めながらも、反動でひいた足を地につけて、もう反転。だめ押しの回し蹴りを虎の横っ面に叩きこんだ。連動する顔だ、これで確実に脳を揺らせるはずだ。
案の定、苦鳴をあげてふらつく虎のまえで、両足をたたみ跳躍。足をひらき、虎の背を支えにその身を飛び越えた。
虎の背後に立ち、冽花は振り返った。先の言葉通りに、その汚い一物ごと下半身を蹴りあげてやろうとしたのだ。傷ついた獣の恐ろしさを忘れていた。
とっさに陰気を足元に集めて飛び退るも、距離が足りなかった。
「ぐ、ぁ……ッ!?」
冽花の腹部に巨体の
ふらつきながらも虎が歩み寄ってくるなか、ようやく目を開くものの、全身が
《ェッエッエッ。やってくれた、なァァ》
「……
《ちょうどよく
「……ん、なわけねえ、だ、ろ……。汚ねぇもん――」
背から尻にかけて一息に衣服を引き裂かれて、
心臓が
《うごくンじゃねえぞ。そうしたら……よくしてやルからよォ》
「じょ、だん……じゃ……っ」
血の気がひいて、冽花は必死に動く首を振った。
不思議に思っていた彼女は、あとで育て親にその理由を聞いて――。
冽花は知っていた。猫のあれは、
「や、め、ろ……っ」
《ェッエッエッ。もうおそイ。ほれ、ほーれィ……》
「や……ッ」
その時であった。ふいとどこかから、甲高い笛の音が聞こえてきたのである。
虎の動きが止まった。それと同時に冽花は何かが風切る音を聞いた。虎の影が不自然に
《ぐ、がァァァァ!!》
虎の頭が血を吐きだし
ふらつく虎がその場を
「
『待たせたな』
「本当に遅いわ、
傍らに立った賤竜は、自身の被っていた
じゅう、とその身から赤黒い煙が
『
「あんた、それ大丈夫なの!? てか、本当ぎりぎりだったから!! でも、さっき――」
「
ふとあがる
そう、そうだ。先ほど虎が動きをとめた折に聞こえた笛の音。
「
その手にしっかりと笛が握られているのを見て、冽花は事と
「あんた、逃げてなかったの!?」
「姐姐、ごめんなさい。でも、でも……」
「…………助かったよ、あんたのおかげで」
なんとか
二人が再会を分かち合う一方で、賤竜は
『契約者にずいぶんな真似をしてくれたらしいな』
《おま、エは……なんダ!? 臭いが、しんでいル……》
『
手元に棍を戻した賤竜は、棍をひと振るいするなり挑みかかった。虎と賤竜が打ち合う音が辺りに響きわたる。
冽花は明鈴を抱きかかえたまま、ぼうっとその様を眺めていた。自分の成すべきことはとうに果たしたという
が、明鈴のほうは食い入るように賤竜を見つめていた。賤竜は虎と打ち合うつど、
虎がついにその前足を折った頃には、賤竜もまた肩を揺らしていた。ふいと振り返ってくるなり冽花を呼ぶ。
『冽花』
「ぁン?」
『とどめはお前が
「なんで?」
『
なんの練習台だ? と冽花が首をかしげると、賤竜は
『お前も此の力を
冽花の腕のなかを見下ろす。冽花がならって明鈴を見下ろすと、彼女は瞬きもせずに賤竜を――否、賤竜の目の前にいる虎を見つめていた。
冽花は気付いた。この子にとって人面虎は親の
せめて
冽花は明鈴を放し、ふらつきながら立ち上がった。
「姐姐……?」
「っ……見てな、明鈴。きっちりと姐姐がカタぁつけてやるから」
賤竜の隣にならび、冽花は見よう見まねで拳を握りしめてみる。
「どうやってやるんだ?」
『要領は体内の気を用いるのと同じだ。感覚を外へ広げていき、地気の
「簡単に言ってくれるぜ。体のほうのヤツだって早々
冽花は目をつぶってみる。感覚を外に、感覚を外に――と考えてみたが、なかなかその感覚じたいが掴めなかった。
「よく分かんねえ」
『
「そんなものがあちこちにあんのか。網、ってことは……この周り、とか足元ぜんぶも?」
『その通りだ』
「ふぅん」
冽花は網……網……と今度は脳裏に思い描いた。ふと、賤竜が手を伸ばしてくる。ぽんぽんと肩を叩いて『肩に力が入っている。落ち着け』と告げてくるので、冽花は深く息を吸って吐きだした。
すると、ずいぶん周りの音が聞こえるようになった。
もちろん、一番大きいのは人面虎がもらす
風が流れていた。
(龍脈……風に散って、水に乗って止まる
そう思った途端に、冽花は
網、網だ。足元に
――冽花の脳裏に、黒い光と白い光で編まれた網が広がりだした。それは彼女を中心に、隣の賤竜を、人面虎を、後ろで
理解した。この力の強さ、恐ろしさが。これらの糸を自由にできるのなら、自分はどれほど
賤竜がどんな世界を視ているのかを、理解した。
冽花は目を開く。脳裏に描かれた地図は今でもくっきりと
状況に動きがあったと見て、人面虎が前足をばたつかせた。迫りくる死の
《やめ、ロ……やめて、く――》
「そう言ってきた奴らを、たぶんお前は何人も裂いたんだろ? あたしも、それに明鈴の両親も」
冽花は静かな眼差しで告げた。腰をかがめて、とん、と地面を拳で突く。
「今度はあんたの番だ」
冽花の拳を
その身が地面に沈んで、突出した地面の切っ先が人面虎の
それが最期だった。あっけない幕切れであった。
※※※
世をみそなわす
二人ともその手を土だらけにして、ちょうど折しも作業が終了したところであった。
「よし、これで最後だな」
『うむ』
ふうっと息つき汗をぬぐうと、鈍い痛みが腹に生じ、「あててっ」と冽花はうめいた。
それに
『
「……って言ってもなあ。着替えも
冽花は自身を見下ろした後に周りを見渡す。ここはこの村で言うところの墓地(ぼち)であった。よって、幾つにもおよぶ土饅頭がずらりと並んでいた。
「うん。これ以上はここの人たちに悪い」
『……死人に口なしと言うではないか』
「口のある死人がなに言ってんだか」
肩をすくめると賤竜は黙りこくった。装備を解いた
『さきの戦闘にくわえ、引き続いての墓の
「ああ……言ってたし、だろうな。で?」
『よって
「……けっ――」
冽花は
「な、なななななに言ってんだ、お前は」
『
要するに。自分の腹が減ったから、養分となる冽花に休んでもらいたいのだった。
冽花はなんだかムッとした。拳を作ると
『この行為の意味はなんだ、冽花』
「べっつにー」
唇を尖(とが)らせていると、遠くからぱたぱたと駆けてくる小柄な影を見つけた。
「
「明鈴! どうしたんだ?」
「おとなりのとなりの……えっと、となりのおうち、きれいだったよ~」
『よくやった、明鈴』
「……子どもに何やらせてんだ、お前は!」
どうしても腹が減っているようであった。そんな賤竜の
村人らが眠りについた村で、結局冽花たちは一夜の宿を借りることになった。
夜になると、冽花は明鈴を抱きしめて眠った。だが、その腕の中でもすすり泣きがあがったため、より一層強く深く抱きこんで、ともに眠りに落ちたのだった。
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