4-2、獣撃戦で目覚める力

※注意 主人公の獣との無理やりシーンがあります。主人公は無事です!!ですが、苦手な方はご注意ください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ぎゅっと子どもを抱く腕に力をこめ、いつでも動きだせるように片膝立かたひざだちの足にも力をこめる。


 賤竜が戸口に近づいて、そっと脇の壁に身をひそめて伺う。


 その時だった。低く喉が鳴らされる音があがり、ついで面長おもながな鼻が突きこまれたのは。ひくひくと鼻づらがうごめき、ついでぬぅっとけものの顔が差し入れられた。


 背に歪んだまだら羽をもつ犬であった。いびつな姿はまさしく蟲獣こじゅう相違そういない。


 獣は冽花らを見るなり、けたたましく吠えたてて、すぐさま飛びかからんとした。が、飛びこむと同時に賤竜の棍が振り下ろされる。あやまたず、その背骨せぼね粉砕ふんさいし、獣は床に叩き落とされ息絶いきたえた。


 賤竜の存在には気付いていなかったのだろうか?


 疑問が泡のように浮かんだが、冽花は手招てまねく賤竜に応じ、すぐさま思考を切り替えた。


『今すぐここを脱出する。今のは斥候せっこうだ、恐らくな』


「分かった。他の家は……もう、たぶんのぞうすだもんな」


 回りきれていない数軒を見やるも、腕のなかの子を見て頷く。


 足早に家をでて、賤竜がしんがりを負う形で、村の入口を目指し走りだした。が、ほどなく二人を追う一団が迫いすがってきた。


 二十匹はくだらない蟲獣らの群れである。


「来た!」


『先に行け。入口をでて川を下るんだ。水辺は匂いを追いにくい』


「分かった! なるべく早く来てくれよ!!」


 そう言って離れていく賤竜を、ふと子どもが首をふりむけて見つめた。振り返った瞳は不安げに揺れている。冽花は再び背を叩いてやり、ニッと歯をのぞかせて笑った。


「心配ないって。あの哥哥おにいちゃんは強いからさ。あたしらをちゃあんと守ってくれるよ」


 言っている傍から獣らと接敵し、飛びかかってきた二体を、ひと振りでまとめて吹っ飛ばしていた。


「な?」


「…………うん」


 再び肩にあごのせる子どもをでて、冽花は先を急いだ。


 折しも、空は白んで本格的に陽が輝きだす時間である。太陽が苦手と言っていた賤竜も動きづらいに違いない。早いとこ抜けださないと――気ばかり急くままに広場をぬけて、井戸端を通りすぎ、入口が見えてきた。


 その時だった。


 ふと、冽花の鼻が濃厚な血の香りをぎとった。


 血腥ちなまぐさい村のなかでほぼ鈍っていたものの、さすがに“血の塊“ともいえよう強い臭気には気付いた。臭いをたどって首をむけると、そこは民家の物陰ものかげであった。


 首を傾げた折だ。ふと影の内に四つの瞳が輝いた。薄暗がりに溶けていた巨大な質量が浮かびあがってくる。突如とつじょとしてしなやかな身を躍動やくどうさせ駆けだす巨体きょたいに、ぎょっと目をいたのであった。


 虎だ! 遠目でも分かるその赤黒さは、浴びた血潮ちしおによるものなのか知れん。


「うわっ、うわああああ!?」


 冽花は泡を食って驚き、慌てて来た道を戻った。が、四つ足で駆ける虎はぐんぐんと距離を詰めてくる。あわやその前足にかかり、打ち倒されるかという寸前。


 子がぎゅっと反対に腕の力を強め、耳元で強く叫んだ。


姐姐おねえちゃん!」


 その声に我に返った。冽花はとっさに陰気を足元にまとわせて、辛くも虎の攻撃圏内こうげきけんないから逃れる。走って助走をつけて、最寄りの家屋の屋根へと取りつき飛びあがった。


 あの巨体だ。いくら木登りも得手とする虎でも、容易と追ってはこれぬとの算段さんだんだった。


 あんじょう、虎の疾走しっそうは止まる。家の真下まで来て、ふと顔をあげるなり冽花らを見上げてきた。


 ぎくりと冽花は体を強ばらせた。あまりに醜悪しゅうあくなその姿に寒気が生じてしまった。


 人面虎じんめんことでもいうべき虎であった。頭の一部に唇をめくれあげて笑う、男の顔がけ合っている。肌は汚らしい灰白色かいはくしょくで、うっすら黒い縞模様が頬にうかんでいた。


 男の面がにやつき、虎の顔がえる。次の瞬間、人面はこんなことを告げた。


《ェっ、ェッエッエ。ぃきのい~ィおんなだナ》


(こいつ、しゃべれるんだ……! 喋る知性をもってる!)


 冽花は賤竜との会話を思い出した。もてあそぶように傷をつけたあげく遺骸いがいはずかしめる蟲獣がいると。


「……お前か! 外の何人かを殺したあげく骸を弄んだのは!」


《ぁン? ェッ、エッエッェ。ぉンなこともしたっけなァァァ》


 下卑げびた笑みをうかべて人面がわらう。罪悪感の欠片かけらもないその姿にむかっ腹がたったが、現状降りていく利点もない以上、冽花はえるしかない。


 だが、ついで人面が告げた言葉に頭が白くなるのを覚えた。まっ白くなるほどの怒りを感じた。虎は冽花らを顎でしゃくる。そうして告げてきたのだ。


《その血のにおい、ィおい、おぼえテルぜ。ふたつ。さいショに裂いたやつのにオいと、さいごに裂いたやつの二おいだ。さいしょのやつはニゲた、にげた。ナカマをすててニゲタが……あの傷だぁ、いまごろカラスのメシだろうナ!》


「最初に、裂いたやつ……」


 冽花の脳裏のうりに思い浮かぶ、先に看取みとった男の姿。確かに、彼を抱き上げた折に冽花の服にはその血がついていた。


 顔色が変わるさまが面白いのか、人面はなおも続けてくる。


《さいごに裂いたヤツもおもしロかったっけなァァァ。ェッエッエッ。裂いても噛んでも動こうとしやしネエ。裂いタ。裂いてやっタ。声がなくなるまで裂いてやっタ!!》


「…………妈妈おかあさん


 子どもの震え声が耳元で聞こえた。再びその身が嗚咽おえつをもらすまで、さほどもかかりはしない。


「てめえ……とんだ賎貨ゲスやろうだな」


《ェッエッエッェ。こんな姿にウマレルんだァァ。マトモな神経じゃア、やっていけねえだ、ロ。――ハナシは終いだ》


 人面虎が動きだし、家の玄関に近づいていく。何をするのかと思えば、家のなかに入り――ほどなく、冽花らの足元から轟音ごうおんと揺れが湧き起こりだす。


「なっ……!」


《ェッエッエッ。いつまでモつかなァァァ!?》


 おそらく、家の要に位置する柱を殴りつけているに違いない。猫蟲人ねこじんの冽花でも大人の男をたじろがせるほどの膂力をもつのである。いわんや、男の人面虎の力といえば、そう――家の破壊をおこなうぐらい、わけはないのであろう。


(どうする!)


 冽花は周りを見回した。閑散かんさんとした村だ、家と家の間隔かんかくは離れている。他に飛び移れる木の類も存在しない。かといって、下に降りた時点で虎の餌食えじきとなるのは確実である。


 頼みのつなといえば賤竜だが、まだその姿は見えない。これだけの轟音だ、聞こえていることを祈りたいものだが。


 そうこうしている間に家が斜めに傾きだした。


「……ッ!」


《ほれほれほれ! ェッエッエッ。もう少しだァ……もう少しで折れるぞォォ》


(いちかばちか降りるしかない! そして……)


 自分の掌を見る。まとわりつく陰気を握りしめて、冽花は腕のなかの子どもを見た。


「あんた、名前は?」


「……ぅ?」


「名前。父亲おとうさん母亲おかあさんにつけられた大事な名があるだろ?」


「っ……明鈴ミンリン


「そっか、明鈴。いい名前だ。今から下に降りるから、お守り代わりにこれを持ちな」


 冽花はふところから出した笛を子どもへ差し出す。


 すると子どもは目をまぁるくして、小さな手で受け取るなりめつすがめつした。


「きれい」


「うん。凄く綺麗な笛だろ? ここが大変なことになってるってことを、あたしらに教えてくれた帅哥おにいさんのものだ。覚えていてやってくれ」


 冽花は笑って、子の頭をでた。


「降りたら真っ直ぐに走るんだ。村を出て、川にそって水が流れるほうにむかって走るんだぞ」


「うん」


「振り返っちゃ駄目だからな。真っ直ぐに走るんだ」


「分かった」


 ここでついに虎の《折れる、おれるゾ》という声が聞こえてきた。


「跳ぶよ……!」


「うん……!」


 冽花は子をしっかり抱きしめ、子もまた力いっぱいに冽花を抱きしめ返した。


 崩れゆく屋根を走り、冽花は地面へと降り立っていく。そうして子を下ろした、次の瞬間だった。人面虎じんめんこが駆けだしてくる。その存在を肌で感じて、冽花は振り返った。


「行きな!」


「っえ、おねえちゃ……」


「いいから! まっすぐ走って、行っちまいな!!」


 子はようやく、言っていた意味を理解した模様だった。首を振って動こうとしないが、それに舌を打って冽花は人面虎に挑みかかった。走るさなかに脚部きゃくぶに陰気をまとわせて、一瞬で傍に肉薄にくはくしてゆく。


「行けぇぇぇぇ!!」


 裂帛れっぱくの気合いとどうじに、虎のほほへとりを浴びせた。虎は思わぬ速さと衝撃によって、くぐもったうなり声をあげて飛び退すさる。


 そのやり取りに怯えたものか否か、小さな足音が遠ざかりだすのに安堵し、冽花は拳を握って構え直した。


 人面虎は首を振るって、冽花に向き直ってくる。


《……ぅルル。ほんとにイきのいィおんな、だ。にがすため二犠牲ぎせいになルなんてナ。……バカなのか?》


「うるせえ。女にゃ退けぬ時があるんだよ」


 握りしめる拳にも陰気を纏わせる。


 さすがは人の面をもつ虎か、二度目を見れば、その黒もやに秘密があるのだと見抜いたのだろう。虎部分が低い唸りをあげたが、ひと吼えするや体を沈めて飛びかかってきた。


 速い! さすがは生粋きっすいの獣の体をもつ。視界いっぱいに迫りくるのを見て、冽花は体をひねりかわす。そうして、続けざまにその胴体に拳を打ちこんだ。


 が、浅い。その張りつめた筋肉は、反対に冽花の手に衝撃を与えた。痛みに顔を歪めて飛び退ろうとすると、振り向いた虎が無雑作むぞうさに前足を振るってきた。


 とっさに以前、老鬼ラオグイがしていた腕を交差させて陰気を集中させる方法で耐える。同時に地を蹴って衝撃をいなすものの、しびれるような痛みが腕全体に染みとおった。


馬鹿力ばかぢからが……っ」


《ェッエッエッ。バカぢからとイえば、おまえもそうだ。その力、どこでテにいれた?》


「答える義理はないね」


 脳裏のうりに妹妹の姿がちらついたが振り払った。腕は……なんとか動く。平気。


《キづいているか?》


「あン?」


《ぉレが爪をつかっていナイことに。裂いてナイことに》


 ふと言われて気づく。先のやり取り。虎の爪が出ていた場合は動くどころの話ではなく、腕は血まみれのぼろ雑巾ぞうきんのようになっていただろう。


 疑問に思い、人面をみると、下卑げびた笑いをうかべながら彼は続けてきた。


《おまェ、ぉレのおんなにならないカ?》


「…………は?」


《ぉレのおんなになレ、おまェ。おれとお前なら強い子がウミだせるはずだ。テシタたちなんぞ比にならんぐらい強力な子が生まれるはず、ダ》


 手下――あの犬型の蟲獣たちだろうか。それにしても、蟲獣も蟲人らと同じく、誕生は確定したものではなかったはずだが。


「あんた、まさか……」


《ェッエッエッ。まえのはァ、とっくの昔にツブレタから、なァァ》


 信じられない。冽花は再び怒りで頭が白くなる思いがした。女を、人を――生き物を、なんだと思っているのか。こうして選別せんべつし選び抜いて、あの蟲獣の兵隊たちも出来あがったに違いない。


「最っっ低だな」


《ェッエッエッ。ほメ言葉ととらせてもらうゼ、愛人ダーリン


「やめろ、気色悪きしょくわりぃ。断固だんこお断りだ」


 冽花が首を振るうと人面の笑いが薄まる。


《だったら、無理ヤリにでもおんなにしてやろう。イきのいィおんなはキライじゃあねェからなァァ》


「やってみろよ、糞虎クソトラが。その汚ねえもんごとぶっつぶしてやるわ」


 拳を強くつよく握りしめて、冽花はひた走った。虎もまたひと吼えして挑みかかる。


 体を低くし走る冽花は、うねるように躍動やくどうする虎の動きに集中する。


 ――みついてくることはまずないだろう。認めたくないが、こちらの被害は最小限に留めたいはずだ。だとすると、再び前足での一撃か突進の二択に絞られるに違いない。


 ならば、こちらの手はこれだ。


 虎部分の頑強がんきょうさは理解できたから、狙うは人面ただ一点!


 時機じきを合わせて一、二、三で助走をつけて跳躍ちょうやくやわらかい体をひねらせて――ちょうど間合いに差しかかる虎の面。振り上げられる前足を視界に収めつつも、くるりと反転。後の先をとった綺麗な跳び回し蹴りを人面の頬に叩きこんだ。


 靴ごしとはいえ、鮮明にひしゃげる肉の感触が伝わる。


 「うへえ」と顔を歪めながらも、反動でひいた足を地につけて、もう反転。だめ押しの回し蹴りを虎の横っ面に叩きこんだ。連動する顔だ、これで確実に脳を揺らせるはずだ。


 案の定、苦鳴をあげてふらつく虎のまえで、両足をたたみ跳躍。足をひらき、虎の背を支えにその身を飛び越えた。


 虎の背後に立ち、冽花は振り返った。先の言葉通りに、その汚い一物ごと下半身を蹴りあげてやろうとしたのだ。傷ついた獣の恐ろしさを忘れていた。


 均衡きんこうを危うくはしていたものの、彼我ひがの体格差は健在だ。虎は丸耳をはねさせて反転。怒りにまかせて、片足を振り上げたばかりの冽花に突撃する形となったのである。


 とっさに陰気を足元に集めて飛び退るも、距離が足りなかった。


「ぐ、ぁ……ッ!?」


 冽花の腹部に巨体の突貫とっかん、虎の頭蓋ずがいがまともに食い込む事態となる。吐瀉物としゃぶつをまき散らしながら彼女は吹き飛んだ。何度か横転してす形で止まる。


 ふらつきながらも虎が歩み寄ってくるなか、ようやく目を開くものの、全身がしびれ動けなかった。なんとか砂をつかんでいずることができた頃には、自分の上に巨躯なる影が覆い被さっていた。


《ェッエッエッ。やってくれた、なァァ》


「……嗎的クソッ……っ」


《ちょうどよくしりぃむけてるじゃねェか。そんなにヤられたかったのカ? ぁン?》


「……ん、なわけねえ、だ、ろ……。汚ねぇもん――」


 背から尻にかけて一息に衣服を引き裂かれて、罵倒ばとうも口のなかで消えた。


 心臓が早鐘はやがねのように打つ。首筋くびすじを舐めあげられて、ぞくりと背筋を震わせた。


《うごくンじゃねえぞ。そうしたら……よくしてやルからよォ》


「じょ、だん……じゃ……っ」


 血の気がひいて、冽花は必死に動く首を振った。


 ひろわれっこの彼女は城中村スラムで一時期生活していたこともあった。その折に野良猫が盛る場面など星の数ほど見ていたのだ。時おり雌猫めすねこがぎゃっと悲鳴をあげていたことがあった。


 不思議に思っていた彼女は、あとで育て親にその理由を聞いて――。


 冽花は知っていた。猫のあれは、到底とうてい人の女に用いるべくものではないのだと。


「や、め、ろ……っ」


《ェッエッエッ。もうおそイ。ほれ、ほーれィ……》


「や……ッ」


 その時であった。ふいとどこかから、甲高い笛の音が聞こえてきたのである。


 虎の動きが止まった。それと同時に冽花は何かが風切る音を聞いた。虎の影が不自然に硬直こうちょくして震える。ぱたたっと冽花の背中に生温なまぬるいものがかかり、一瞬ぎょっとして、なんとか振り返ると。


《ぐ、がァァァァ!!》


 虎の頭が血を吐きだしえた。その身体には横ざまにこんが突き刺さっていたのである。


 ふらつく虎がその場を退くとどうじに、冽花の耳を震わせる足音があった。ぴくりと猫耳を跳ねさせるとともに冽花は見やる。


 にじむ視界のなかで一歩一歩、陰気をまとわせた足で着実にせまる濃緑の姿があった。


賤竜ジェンロン……!」


『待たせたな』


「本当に遅いわ、笨蛋バカ!!」


 傍らに立った賤竜は、自身の被っていた背子うわぎを冽花にかけた。


 じゅう、とその身から赤黒い煙がきだすものの、かまう様子はなく人面虎じんめんこに振り返った。


首魁しゅかいはこちらに来ていたか。よく持ちこたえたものだな』


「あんた、それ大丈夫なの!? てか、本当ぎりぎりだったから!! でも、さっき――」


姐姐おねえちゃん!!」


 ふとあがるおさない叫び声に冽花は言葉を切って、そちらを見た。幼子が短い手足を精一杯せいいっぱいふるって、一心に彼女のもとへと駆けてくる。


 そう、そうだ。先ほど虎が動きをとめた折に聞こえた笛の音。


明鈴ミンリン!」


 その手にしっかりと笛が握られているのを見て、冽花は事と次第しだいさとったのであった。


「あんた、逃げてなかったの!?」


「姐姐、ごめんなさい。でも、でも……」


「…………助かったよ、あんたのおかげで」


 なんとかしびれも取れてきた冽花は腹に起きる鈍痛どんつうに耐えながら、起きあがった。賤竜の背子うわぎ羽織はおる形で、明鈴へと両手をひろげる。あやまたずその身をしっかりと抱え、柔らかい髪の毛をでた。


 二人が再会を分かち合う一方で、賤竜はからの手で空を招いた。すると、虎の身を貫いていた棍が失せて、ひび割れた酒甕さかがめのようにその血が噴きだした。


『契約者にずいぶんな真似をしてくれたらしいな』


《おま、エは……なんダ!? 臭いが、しんでいル……》


むくろだからな。ゆえ、他の者とは勝手が違うぞ』


 手元に棍を戻した賤竜は、棍をひと振るいするなり挑みかかった。虎と賤竜が打ち合う音が辺りに響きわたる。


 冽花は明鈴を抱きかかえたまま、ぼうっとその様を眺めていた。自分の成すべきことはとうに果たしたという安堵感あんどかんが、その身から力を抜いていた。


 が、明鈴のほうは食い入るように賤竜を見つめていた。賤竜は虎と打ち合うつど、かわし、いなし、突いて弾くたびに、その身から赤黒い煙を噴きだしたのである。


 虎がついにその前足を折った頃には、賤竜もまた肩を揺らしていた。ふいと振り返ってくるなり冽花を呼ぶ。


『冽花』


「ぁン?」


『とどめはお前がすといい』


「なんで?」


これもそろそろ消耗してきたものでな。それに、練習台にはちょうどよかろう』


 なんの練習台だ? と冽花が首をかしげると、賤竜はこぶしに陰気をまとわせてみせた。その陰気もまた陽の光にあたると、灰色のもやと化し散る。


『お前も此の力をあつかえると言ったはずだ。加えて、双方そうほう思うところもあるのではないか?』


 冽花の腕のなかを見下ろす。冽花がならって明鈴を見下ろすと、彼女は瞬きもせずに賤竜を――否、賤竜の目の前にいる虎を見つめていた。


 冽花は気付いた。この子にとって人面虎は親のかたきにあたるのだと。ここで賤竜にすべて任せてしまえば、明鈴は縁もゆかりも薄い強きモノの影に隠れたと思って、生涯しょうがい苦しむに違いない。


 せめて因縁いんねん深い自身らで決着をつける必要があるだろう。


 冽花は明鈴を放し、ふらつきながら立ち上がった。


「姐姐……?」


「っ……見てな、明鈴。きっちりと姐姐がカタぁつけてやるから」


 賤竜の隣にならび、冽花は見よう見まねで拳を握りしめてみる。


「どうやってやるんだ?」


『要領は体内の気を用いるのと同じだ。感覚を外へ広げていき、地気の情報網じょうほうもうつかまえろ。あとは先だって言った通り、任意の一本を切ってそれで終わりだ』


「簡単に言ってくれるぜ。体のほうのヤツだって早々容易よういじゃなかったってのに」


 冽花は目をつぶってみる。感覚を外に、感覚を外に――と考えてみたが、なかなかその感覚じたいが掴めなかった。


「よく分かんねえ」


想起イメージは網だ。龍脈りゅうみゃくの話をしただろう。万象ばんしょうの源であり、すべてのものへと作用を与えるものだと。龍脈は地気の、より巨大になったものだ。地気によってまれたもの……逆にいえば、龍脈より伸びる支流のようなものだと思えばいい』


「そんなものがあちこちにあんのか。網、ってことは……この周り、とか足元ぜんぶも?」


『その通りだ』


「ふぅん」


 冽花は網……網……と今度は脳裏に思い描いた。ふと、賤竜が手を伸ばしてくる。ぽんぽんと肩を叩いて『肩に力が入っている。落ち着け』と告げてくるので、冽花は深く息を吸って吐きだした。


 すると、ずいぶん周りの音が聞こえるようになった。


 もちろん、一番大きいのは人面虎がもらす喘鳴ぜいめいなのだが。


 風が流れていた。血腥ちなまぐさいその場を吹き流れ、きよめつづけている。同時に冽花は気づいた。ちいさく水の流れる音が聞こえる。付近の川の音に違いない。


(龍脈……風に散って、水に乗って止まる不可視ふかしの物質。龍脈から伸びた支流が、あの川みたいに近くを……ううん、あたしらを巻きこんでこの場所にもあるんだ……)


 そう思った途端に、冽花はつかめた気がした。まずは自分のなかの陰気の流れを感覚し、その流れにのって足元から地面に伝わっていく想起イメージを固めていく。


 網、網だ。足元に緻密ちみつに張られた網。その網のうえに自身らは立ち、またその一部ともなっている。


 ――冽花の脳裏に、黒い光と白い光で編まれた網が広がりだした。それは彼女を中心に、隣の賤竜を、人面虎を、後ろで固唾かたずをのんで見守る明鈴を巻きこみ、周囲を形作るすべてのものへと拡がっていく。


 理解した。この力の強さ、恐ろしさが。これらの糸を自由にできるのなら、自分はどれほど傲慢ごうまんなこととてできるに違いない。


 賤竜がどんな世界を視ているのかを、理解した。


 冽花は目を開く。脳裏に描かれた地図は今でもくっきりと網膜もうまくに焼きついている。その拳に渦巻く濃い陰気が彩られた。


 状況に動きがあったと見て、人面虎が前足をばたつかせた。迫りくる死の恐怖きょうふにあえぎ、地面を引っいて、なんとか逃れようとあがく。


《やめ、ロ……やめて、く――》


「そう言ってきた奴らを、たぶんお前は何人も裂いたんだろ? あたしも、それに明鈴の両親も」


 冽花は静かな眼差しで告げた。腰をかがめて、とん、と地面を拳で突く。


「今度はあんたの番だ」


 冽花の拳を基点きてんに、その周囲に陥没クレーターがあいて隣に地面の突出とっしゅつが生じた。賤竜のそれより、小型で静かなものであった。陥没と突出の連鎖れんさはつづいて、真っ直ぐに人面虎を襲った。


 その身が地面に沈んで、突出した地面の切っ先が人面虎の頭蓋ずがいを貫く。


 それが最期だった。あっけない幕切れであった。



 ※※※



 世をみそなわす大龍だいりゅうも陽の目をかげらせる頃。冽花と賤竜は華川村かせんむらの村はずれにいた。


 二人ともその手を土だらけにして、ちょうど折しも作業が終了したところであった。


「よし、これで最後だな」


『うむ』


 土饅頭どまんじゅうのまえで冽花はてのひらをはらった。その隣で未だに背子うわぎを被ったままの賤竜も頷く。


 ふうっと息つき汗をぬぐうと、鈍い痛みが腹に生じ、「あててっ」と冽花はうめいた。


 それに即座そくざに反応して賤竜は告げてきた。


早急さっきゅうに休息を推奨すいしょうする』


「……って言ってもなあ。着替えも拝借はいしゃくしちゃったし、これ以上は」


 冽花は自身を見下ろした後に周りを見渡す。ここはこの村で言うところの墓地(ぼち)であった。よって、幾つにもおよぶ土饅頭がずらりと並んでいた。


「うん。これ以上はここの人たちに悪い」


『……死人に口なしと言うではないか』


「口のある死人がなに言ってんだか」


 肩をすくめると賤竜は黙りこくった。装備を解いたパオ姿の彼は、幾分不服げに彼女を見つめているように見えた。彼は言い募る。


『さきの戦闘にくわえ、引き続いての墓の埋葬まいそう作業。此は消耗しょうもうしている』


「ああ……言ってたし、だろうな。で?」


『よって血食けっしょくたまわりたい』


「……けっ――」


 冽花はいた。血食と聞いて、思い出したのは最初の出会いの一場面だった。


「な、なななななに言ってんだ、お前は」


正統せいとうなる対価の要求だ。だが、お前もまた消耗が激しい。よって休息を奨励しょうれいする、切に』


 要するに。自分の腹が減ったから、養分となる冽花に休んでもらいたいのだった。


 冽花はなんだかムッとした。拳を作るとあらわとなっている賤竜のほほに食い込ませてやる。


『この行為の意味はなんだ、冽花』


「べっつにー」


 唇を尖(とが)らせていると、遠くからぱたぱたと駆けてくる小柄な影を見つけた。


姐姐おねえちゃん~、帅哥おにいちゃん~」


「明鈴! どうしたんだ?」


「おとなりのとなりの……えっと、となりのおうち、きれいだったよ~」


『よくやった、明鈴』


「……子どもに何やらせてんだ、お前は!」


 どうしても腹が減っているようであった。そんな賤竜のむなぐらをつかんで揺する冽花に、明鈴は首をかしげる。その胸元ではあの笛がひもくくられてさがり、精緻せいちに彫られた模様を夕陽に輝かせて揺れていた。


 村人らが眠りについた村で、結局冽花たちは一夜の宿を借りることになった。


 夜になると、冽花は明鈴を抱きしめて眠った。だが、その腕の中でもすすり泣きがあがったため、より一層強く深く抱きこんで、ともに眠りに落ちたのだった。

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