5-1、湖畔の街
あらたに明鈴をくわえて冽花一行は進む。
「わあー!!」
水を切って進む船のなかから幼子の歓声が響きわたった。
朝陽に
「
「違うよ、あれは湖だよ。川のまわりの土におっきな穴っぽこが開いて、そこに水が溜まったり……ええとー、あとはー……賤竜?」
『長い年月をかけて曲がりくねるよう川筋をかえた川が、大水の折に形を変える時などに生じるな』
「……えーっと……たっくさんの水がいっぺんにでて、川の形が変わる時なんかにできるんだってさ!」
「なるほどなー」
全員が
行き交う船の数も増え、子どもの目はあっちこっち忙しなく移ろう。
やがて湖に浮かぶように存在する街が見えだすと、幼子の興奮は最高潮に達した。
湖に
「姐姐、みて! おうちがあんなに近くにある!!」
「おー。ここは水路……水の道が街中にはしるところだからな」
「水の道!? じゃあ、お船でどこでも行けるの!?」
期待に輝く瞳が渡し守にむく。渡し守は面食らったものの、とっさに「行けるさあ」と返してやれば、満面にかがやく笑顔を見ることができた。
微笑ましくなった渡し守がついつい話しかけると、幼子は大きく首を振って頷いてくる。
「
「うん!
「そいつはいいなあ。福峰はいい街だぜ。飯は美味いし眺めはいいし、なにより領主の
顔の横で指を
水路をとおって街のなかへと入っていくにつれて、その活気と権勢ぶりも明らかになり始める。目を引いたのだろうか。ふいと今度は、先ほど答えた男の側が、横手を指さしながら女に話しかけた。
男が指さした先には、八角型の全体を青く染め抜かれた建物が聳え立っていた。
『冽花、あの塔はなんだ?』
「あー? ああ、あれは……青いから右翼楼だな。お偉いさんが建てたもんだよ。ほら、もっと回りこんでくと……ちらっとだけ見えるだろ? 黒いあっちは左翼楼。もっと行くと連理楼なんて建物もあるんだぜ」
『……比翼の鳥に、連理樹か』
「あン?」
『なんでもない。随分と高く、色鮮やかで目を引く建物が多いと思っただけだ。それだけ潤っているのだな、この街は』
それきり会話も途絶えて、そのまま間もなく船は船着き場へと到着した。
船着き場から、一行はこぞって目抜き通りにむけて歩きだす。
『これからどうする?』
「支部に顔出さなきゃだけど、その前にまず飯かな~」
「ごはん! おなかペコペコ!」
「
「んっとねー……」
周りを見渡し、くんくんと明鈴は空気の匂いをかぐ。通りには様々な屋台が軒を連ねていた。
なかでも明鈴がお気に召したのは、店頭で鍋を振って
「あれがいい!」
「
『飲むのか』
「あったりまえだろ。油爆河蝦を前にして飲まずにやってられっかってんだ」
冽花がにやつく口元でくいっと
店の前で屋台の卓へと伸び上がろうとするので、賤竜が抱えてやり、調理風景を見物しつつ待つことになった。
華麗な鍋とお
明鈴は目を輝かせて見入り、器が渡された時など、店主を「すごいすごい!」と手放しに褒めそやした。鼻をこすって照れ笑いの店主が蝦をもう一匹おまけしてくれる。
そうして続けて
「ん。この苔条黄魚、衣がサックサクだ。
『ふむ』
「えびもおいしいよ! しょっぱくってカリカリ。んー。ふあーっとえびの味がするの!」
『ほう』
二人が口々に感嘆を述べつつ食べるところを、興味深げに賤竜は見守っている。
そんな彼の手元には一服の茶があるのみだった。食わないまでもなんか持っとけよ、と言われて、茶を選んだのである。福峰は茶の産地でもあるため、時おり傾ける振りをし、香りを喫する賤竜も心なしか楽しげであった。
すっかり買ったものを空にし、器を戻してきた後には、ちょっとした観光である。
人通りも多いなか、抱かれた明鈴の気のむくまま、あっちの店を見物したり、こちらの露店を物色したり。
なかでも明鈴が興味をもったのは、ぴかぴか光る動物の像や金属製の風鈴、六つに束ねた銅銭などを売る、不思議な雰囲気をもつ店であった。
看板には『開運風水・満龍』という文字が掲げられている。
『ほう。風水道具を扱う店か』
「おっ、ならお前の十八番じゃん」
店の前で足を止めると、明鈴お得意の「あれなあに?」「これなあに?」が始まる。
「ねえねえ、
まず最初に目についたぴかぴか光る角の生えた獣の像を指さす。
『これは
「じゃあ、これは?」
ついで指さすのは六つに束ねられた銅銭だ。
『これは
「ふぅん。じゃあ、これはなあに?」
小さい石塔を指さすので、賤竜は明鈴をより傍に寄せてやりながら告げる。
『これは
ここで視線を感じたので賤竜は振り返る。口をぽかんと開けた間抜け面で、冽花が二人を見つめていた。
『なんだ、その顔は?』
「お、お前が風水僵尸してる……」
『此は元から風水僵尸だ。……ん』
そのまま方向転換し、棚にずらりと並べられている八角型の鏡の群れに近づいていく。
その中でも隅に置かれた籠のなかから、掌に載るほどの鏡のついた首飾りを取り上げ、冽花へと差し出してきた。
『これは
「へえ。……って、何その手。買えってこと?」
『うむ。お前の危難の遭いぶりには目を瞠るものがあるでな』
「大きなお世話だよ!! つか、凸ってことは
『……あるにはある。これだ』
今度は手に取らずに掌で示すのみに済ませて、賤竜は一歩さがる。かわって冽花はまじまじと鏡を覗きこんだ。
「へえ、なんか逆さまに映ってるぜ?」
『転じて凶事をひっくり返すという意味で、家の内外の凶方位にかけられる代物だ。また陰気を収束して封じ、陽気を集めて運気を上げる……太陽の象徴たる道具でもある』
「へえ。……って、なんでそんな遠ざかるわけ?」
『……陰気を収束して封じ、陽気を集めるとも言ったはずだ。此らにとっては脅威となる道具でもあるのだよ』
「へええ。お前でも苦手なものってあるんだ?」
『当然だ。通常の僵尸とは異なり、生米でも鶏の生血でも臆しはしないがな。太陽だけは苦手だ。ゆえ、昼間の長期間の運用はできるかぎり避けてほしいのが本音ではある』
「明鈴寝ちゃうだろ。我慢しとけ」
結局、賤竜の言う通り、自分でも最近は災難続きな自覚はあったために、首飾りを購入して店の外へと出る。
出たところでにわかに通りがざわめきだしたため、冽花と賤竜は顔を見合わせた。
見れば、役人と思しき一団が人払いを始めている。とっさに冽花と賤竜は店の
ざわめく人々の声を聞くに、口々に「
「抱水だって?」
冽花が首を突きだす矢先に、それは堂々たる足取りで姿を現した。
七名の大所帯を形作るのは、四名の武装した兵士と二名の従者たち。それから、従者の一人に日傘を差させて歩く、顔色の悪い痩せぎすの男である。
明らかに最上位とおぼしき痩せぎすの男は、この春の陽気も
胸には文官の印の一つである“
「……あいっかわらず暑苦しい男だぜ」
げんなりとしながら冽花がぼやくと、横から賤竜も首を突きだしてくる。
腕のなかの明鈴が「うわ~、りっ――」とまた歓声をあげかけたので、そっとその口を覆いつつも、賤竜は呟いた。
『
「あ、やっぱ分かるのか」
『気で分かる。なるほど、水の都とくれば奴の
頷く冽花が視線で指すさきで、抱水らの一団が止まる。
それはとある
揉み手をしながら用件を伺うに、どうやら、違法薬物の取り扱いが露見したとのことだ。
「何かの間違いでしょう」
『いいや。お前の店の下男が吐いたぞ。また、被害をうけた家からも
つんと顎を突き上げて両腕を組む。けんもほろろに突きかえす
店主は肩ごしに店の奥を見やるなり、顎でしゃくる素振りをした。
すると、薄暗い店内から数名の
周囲がどよめいて、より距離をとるなか、兵士にかばわれながら抱水が口を開いた。
『何の真似だ?』
「どの道言い逃れできぬというのなら、次の
悠然と火種を受け取り、銃口をむける店主は
「動かないでください。この距離だ。いかな僵尸のあなただとて、ただでは済まぬでしょうな。無論、兵士の方々も……おっと、照準がずれて民草に当たるやもしれない」
目の前の兵士の体がわずかに緊張する。それを見て抱水は鼻を鳴らすなり、兵士の肩に手をおいて前へと進みでた。
「ほう、
『勘違いするな』
その手が
『できると思うか? 単なる人と獣の分際で』
「……っ、やれっ、お前たち!」
もはや辛抱たまらぬといった様子で店主が叫ぶ。それに応ずる形で、蟲人らがこぞって抱水へと迫る。その
それにたいし、抱水がしたことといえば。
一瞬遅れて、扇に宿った陽気が宙に舞ってきらきらと輝く。
蟲人の一人の顔にその
次の瞬間、
太さが大人の
水蛇は
次々と店主の周りに当たり、背後の店の壁へ穴が
震えあがった店主は、慌てて抱水へむけ引き金をひいた――が、弾が出ない。
水蛇は
店主は
扇を再び口元に寄せて、抱水は
『連れて行け』
その場に
次の瞬間、周囲から割れんばかりの歓声が湧き起こったのだった。
やんややんやのお祭り騒ぎである。見事に決めてくれた。我らが
ずぶ濡れで倒れ伏した蟲人らも引き立てられていく。それを見ていい気味だと、先ほど脅かされた者のなかで
そうして、終始それを
彼はただいま、片手に明鈴を抱いて、片手で冽花を
『ふむ。相も変わらずの技の
「言ってる場合か! ふぎぎぎぎ……!」
『あの水技をどうにか
「分かった……分かった、っ、から、はーなーせー!」
その顔に先までの
ふうっと溜息をついて
冽花が見やったのは、蟲人らが連れられて行った方向だった。
賤竜は思い起こした。
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