5-2、湖畔の街
冽花が二人をともない訪れたのは、
先ほどの表通りとは打って変わり、染み入るような
物珍しげに辺りを見回す明鈴は、やはり賤竜の腕に抱かれていた。
なにせ、この辺りはいわゆる水夫たちの
軒を連ねるのは、雨戸の閉めきられた
冽花が足を止めたのは、一軒の食堂のまえだ。足を止めざるを得なかったというか。
ふと冽花と賤竜は一緒に扉を見つめて、ほぼ同時に後ろに飛び退った。
扉が内側から開かれるや、宙を飛んで吐きだされてくる男の姿がある。もののみごとに土まみれになりつつ転がり、路面をはしまで転げていく。
意外にも男はすぐさまとび起きるなり、調子っぱずれたダミ声でがなりたてた。
「こンのクソ力の暴力虎女が! ちょっとぐれぇいいじゃねえかよぉ、おんなし食みだしモンのよしみでよ!!」
その声に応える形で、店内から
一見して、その者の印象は“
骨太の身に
払っていた両手を腰にあてがえば、山の尾根のごとく
一見して攻撃姿勢なのを見て、冽花は急いで明鈴の耳を覆ってやった。
「そう言ってなんべんタダ飯喰らってんだい、ろくでなしの
男の倍は
小気味よい
完全に置いてけぼりを喰らった三人は、やれやれと溜息をつく女性に、一拍おくれて認められたのであった。
「あらっ、あんた達は? って……」
鼻をひくつかせて、ぴんと耳を跳ねさせる女性に、冽花は
「あたしよ、
その姿をひと目見るなり、女性は太い腕をひろげて冽花をきつく抱き締めていた。
「冽花! 冽花じゃないか!! よく帰ってきたねえ、あんた!」
「うん。なんとか」
「福峰でも
ちゃきちゃきと早口にまくし立てて一気に扉に向かおうとする女性だが、ここで冽花の横に立つ賤竜らに気がついた。
「おやっ。おやおや」
「ああ、こいつとこの子は――」
「冽花~、あんたも隅におけないねえ。こんないい男捕まえてきちゃって」
「なッ、ちが!」
あんまりにも予想外な言葉におもわず赤面する冽花だが、お構いなしに女性は、すぐに明鈴へと腰を屈めている。
「おまけにこんな可愛い子まで連れてきちゃって。積もる話があるみたいだね」
女性の微笑みに、賤竜にくっ付いていた明鈴はおずおずと体を離す。そんな彼女の頭をひと撫でして、今度こそ女性は店の奥へと引っこんでいった。賤竜をうながし、冽花らも後を続いていく。
通りとは打って変わり、大衆食堂とくゆうの熱気と賑わいに迎え入れられた。
客は蟲人から普通の人間まで、雑多に入り乱れては席を囲んでいる。
冽花の
女性が手招きをして、さらに厨房へと足を踏み入れていく。
調理場で忙しく立ち働くのも蟲人の娘であり、目だけで
「
「いいってこと。あとで他の奴らにも
片目をつぶりつつ女性が薄っぺらい
明鈴がそれを見て、ぎゅっときつく抱きついてきたため、賤竜は背中を擦ってやった。が、女性が仕切り板を開けると、明鈴の目は吸い寄せられる。
板の向こう側に、地下へとつながる
女性が棚から燭台をとる一方で、再び先をうながすべく冽花が振り向いた。そうして、賤竜にぴったりとくっ付いた明鈴に気がついた。
冽花は仕切りと彼女を見比べた上で、ふと歩み寄るなり、ぽんぽんと頭を
「大丈夫。この下にある部屋で、
「ともだち?」
「そう、姐姐の友達。明鈴も仲よくしてやってほしいな」
姐姐のおともだち、ともう
女性は微笑ましげに見守っていた。頷いて先に立って降りはじめる。
しっかりと固められた土の階段は、相応の強度をもち一同を迎え入れた。真っ直ぐ十段ほど降りた後に横穴へ
はめ込まれた扉を開けると、そこは広々とした会議場だった。
床には柔らかい
隅には書架もいくつか置かれて、龍盤の地理や紀行文の書、蟲人について取り扱ったとおぼしき
ここで作戦が立案されているのは間違いない。
上階の家と
『
「お、よく知ってるねえ。
「……っ」
何気ない女性の返答だが、ぴくりと冽花の肩が跳ねる。
賤竜は瞳をむける。女性が卓の
そうして、女性が明かりをつけ終えて振り返る。冽花は勢いよく、そんな彼女を振り向いたものの、口を開け閉めするのみで何も言えなかった。
女性は目を
「待った、冽花。その前に、あんたの
「……ぁっ、悪い。……こいつは賤竜。例の作戦で、連れてこれたやつだよ」
「あれ、まあ」
「で、こっちは明鈴。話すと長くなるんだけど……
早口で本当に必要最低限を告げる冽花に、女性は目をまん丸くして口に手を当てる。が、にっこり笑ってその後も待つ
「で、賤竜。この人は
「協力者だなんて水臭いことはお言いでないよ。あたしも
「っ、だって、それは――」
「旦那が嫌がってもね、こればっかりは
ぴしゃりと言ってのける
「そんな顔すんじゃないよ。……あんたのせいじゃないよ、冽花。いつかはこうなるんじゃないか、って覚悟はしてたんだ」
ここまで見聞きした賤竜は、おおよその見当がついた。
炭焼き小屋で冽花は告げていた。
『力をもった存在の……手がかりになるから、って。それで、あたし“ら”は盗みに入ったんだ』と。彼女は本来、複数名で動いていたのだ。
それが、たった一人で賤竜と出会った。そのことが意味するものは。
冽花は語りだす。とつとつと。
その声が震えるのに幾ばくもかからなかった。
「
「冽花……」
うつむいて肩を震わせて唇を噛みしめる。そんな冽花を慕は抱き締める。その肩に顔を埋めながら、冽花は無言で大粒の涙をこぼした。
「辛かったんだね。ずっとずっと、よく頑張ったよ」
「っ、ぅ……」
そんなことを言われては堪らなかった。何度も口を開け閉めして、ごめん、とも違う、とも言えなかった。言えなかった言葉は“ごめんなさい”だ。
生きていてごめんなさい。自分だけが生き残ってごめんなさい。
もう言えぬ仲間へむけて告げるかわりに、冽花は目をとじて。
「ぅぅぅ……ぅああああ!」
生まれたての赤ん坊のように泣きじゃくったのだった。
慕にきつく
そんな彼女を瞬く明鈴が見つめたが、その頭を撫でて賤竜も目を細めるのだった。
そうして、ふいと視線を下ろす先に、冽花を抱く慕の――腹部がある。
冽花が落ち着くまで、だいぶとかかった。なにせ、ここまで来るのに七日余りである。長い、実に長い
涙も出尽くした頃に、ようやく冽花は顔を上げる。その顔は真っ赤に泣き
代わりに賤竜が上へとあがってゆくのを、首を傾げて見送った後に、慕は冽花へと向き直った。
「落ち着いたかい?」
「……っ、なんとかね」
「無理しすぎなんだよ。昔っからあんたは焼き栗みたく
「……これでも出してはいるほうなんだよ?」
鼻をすすって瞳を逸らす冽花を、慕は苦笑して「まだまだだね」と言って、再び頭をかき混ぜてやる。
「やめろよ。子ども扱いすんな」
「あたしから見たら、まだまだあんたは
口では慕に敵わないため、むくれて冽花はそっぽを向く。が、成されるがままに撫でられているので、慕は笑って毛並みを整えてやるのだった。
明鈴も賤竜が連れていったため、この場には女二人しかいない。
となると落ち着きだした冽花に、つとめて慕が明るい話題を提供するのは、至極当然の流れであった。それは少々、
頭から手を離すなり、慕は階段につづく扉を見やる。ひと際明るい声でざっくばらんに口火を切るのだった。
「しっかし、なんだねえ。こんな時にあたしとあんたを二人にするなんざ、あの男もどうして気が利いてるじゃないか」
「……賤竜のこと?」
「そうそう。
「……まあ」
冽花も同意できるところはあったため、
「で、どうなんだい?」
「どうって?」
「決まってるじゃないか。どこまで進んだか、ってこと」
「は。…………はああ!?」
冽花が面食らって目を見開くと、からからと慕は笑って続ける。
「そんなに驚くこたないじゃないか。なにも最初から子ども連れじゃあなかったんだろ? ってことは、女一人に男一人だ。何もないはずはないだろうよ」
「な、何もない、って、どういうことよ?」
「言わせるのかい?」
「っ、むがっ!!」
みずから
「なに、その様子だと……もしかして、
「ぐっ……ぐぁああ!!」
「したのかい! 奥手のあんたがねえ! やるじゃないか!」
頭をかき乱して、おのずと思い浮かんだ映像を散らさんとする冽花に、慕は笑いに笑う。そんな場面に当の賤竜が降りてくるものだから、
『何をしているんだ』
「うげっ、賤竜」
『うげっ、とはなんだ、冽花』
「ぷっ、あはははははっ! 息ぴったりじゃないか! 仲いいんだねえ、あんたたち!」
お腹をかかえて笑う慕と、嵐にでも遭ったかのような冽花を、賤竜は訝しげに見やる。手の手拭をひとまず冽花へと差し出しながら、体を慕へと向けた。
涙をうかべてすらいる様子をみて、軽く片眉を上げる。
『何をしていたかは知らぬが、そちらもその辺にしておけ。すでに自分一人の体ではないのだからな』
「ひぃひぃ。おっかし……ん?」
「は?」
同時に女性二人が顔を上げた。
賤竜は真面目くさった面で慕の腹を見つめていた。
『気付いておらぬだろうから言うが、陰陽の気の
「ちょ、待って。なにそれ。つまりどういうこと?」
『赤子ができているのに
「えっ……ええ―――――!?」
今の
おもわず陰気を瞳に凝らし、網の
慕の腹部でくるくると白黒が入れ替わる点が。ひどくちっぽけで弱々しいながらも息づいている。
ごくりと生唾を飲むなり、冽花は言い募った。
「ね、姐さん。在る……いや、いるよ。生きてる」
「そんなこと……いや、まさか……」
『
自分のお腹をおさえて背を丸める慕に、冽花は寄り
そんな二人を前にし、明鈴が首をかしげて告げた。
「姐姐たち、泣き虫さん?」
『今はな。女の涙は武器だと言うが、時には、思いを通わせるがゆえに自然と出るものもあるのだと……記録にはある』
「ふぅん?」
二人は泣きながら抱き合い、笑いあっていた。
そんな二人の中心で、まるではしゃぐように光の点もくるくると入れ替わっていた。
賤竜だけがそれを見ていて、そっと目を細めたのだった。
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