5-2、湖畔の街

 冽花が二人をともない訪れたのは、港湾地区こうわんちくにほど近いとある路地裏ろじうらであった。


 先ほどの表通りとは打って変わり、染み入るような静寂せいじゃくが場を包みこんでいる。


 物珍しげに辺りを見回す明鈴は、やはり賤竜の腕に抱かれていた。


 なにせ、この辺りはいわゆる水夫たちのいこいの場だ。


 軒を連ねるのは、雨戸の閉めきられた酒吧さかば理髪さんぱつやから、はては置屋に桑拿サウナの店、夜総会キャバクラや按摩の店だとか、とかく子どもを歩かせるには刺激が強いからだった。


 冽花が足を止めたのは、一軒の食堂のまえだ。足を止めざるを得なかったというか。


 ふと冽花と賤竜は一緒に扉を見つめて、ほぼ同時に後ろに飛び退った。


 扉が内側から開かれるや、宙を飛んで吐きだされてくる男の姿がある。もののみごとに土まみれになりつつ転がり、路面をはしまで転げていく。


 意外にも男はすぐさまとび起きるなり、調子っぱずれたダミ声でがなりたてた。


「こンのクソ力の暴力虎女が! ちょっとぐれぇいいじゃねえかよぉ、おんなし食みだしモンのよしみでよ!!」


 その声に応える形で、店内から大股おおまたで歩みでてくる者の姿があった。


 一見して、その者の印象は“雄々おおしい”ただ一言に尽きる。


 骨太の身にたもとをしばる上衣と前掛まえかけを身に着け、男のように無雑作にズボン穿き。


 払っていた両手を腰にあてがえば、山の尾根のごとく双肩そうけんが盛り上がる。張りだした腰の後ろでは、かま首もたげた大蛇よろしく、白と黒の縞模様しまもようの尾が左右におおきく打ち振られていた。


 一見して攻撃姿勢なのを見て、冽花は急いで明鈴の耳を覆ってやった。


 雌虎めすとら咆哮ほうこうが響きわたる。


「そう言ってなんべんタダ飯喰らってんだい、ろくでなしの甲斐性かいしょうなしが!! いい加減、耳ぃ揃えて溜めてきたツケを払いな! それまで塩ひと欠片かけらだってまけらんないよ、おとといおいで!」


 男の倍は威勢いせいもよく舌のまわりも完璧だ。


 小気味よい喝破かっぱに、遅れて、どっと彼女の後ろから笑いの波が押し寄せてくる。


 忌々いまいましげに舌を鳴らし、「覚えてろよ!」と捨て台詞をはいて、男はこけつまろびつその場を走りだしていく。


 完全に置いてけぼりを喰らった三人は、やれやれと溜息をつく女性に、一拍おくれて認められたのであった。


「あらっ、あんた達は? って……」


 鼻をひくつかせて、ぴんと耳を跳ねさせる女性に、冽花は围巾ストールを解いた。


「あたしよ、ムーねえさん。ただいま!」


 その姿をひと目見るなり、女性は太い腕をひろげて冽花をきつく抱き締めていた。


「冽花! 冽花じゃないか!! よく帰ってきたねえ、あんた!」


「うん。なんとか」


「福峰でもしらせが出てたんだよ! 茶家の一件で生き残った蟲人こじんは――って、ここじゃあなんだ、なか入んな」


 ちゃきちゃきと早口にまくし立てて一気に扉に向かおうとする女性だが、ここで冽花の横に立つ賤竜らに気がついた。


「おやっ。おやおや」


「ああ、こいつとこの子は――」


「冽花~、あんたも隅におけないねえ。こんないい男捕まえてきちゃって」


「なッ、ちが!」


 あんまりにも予想外な言葉におもわず赤面する冽花だが、お構いなしに女性は、すぐに明鈴へと腰を屈めている。


「おまけにこんな可愛い子まで連れてきちゃって。積もる話があるみたいだね」


 女性の微笑みに、賤竜にくっ付いていた明鈴はおずおずと体を離す。そんな彼女の頭をひと撫でして、今度こそ女性は店の奥へと引っこんでいった。賤竜をうながし、冽花らも後を続いていく。


 通りとは打って変わり、大衆食堂とくゆうの熱気と賑わいに迎え入れられた。


 客は蟲人から普通の人間まで、雑多に入り乱れては席を囲んでいる。


 冽花の顔馴染かおなじみも何人かいて、手を振ったり、にこやかに「久しぶりだなあ!」と呼びかけてくる。そのつどに冽花は「おー」と片手をあげて、どこかほっとしたように笑みを浮かべるのだった。


 女性が手招きをして、さらに厨房へと足を踏み入れていく。


 調理場で忙しく立ち働くのも蟲人の娘であり、目だけで会釈えしゃくをかえしてくる。


かせぎ時に悪いな」


「いいってこと。あとで他の奴らにも召集しょうしゅうかけるからさ」


 片目をつぶりつつ女性が薄っぺらい絨毯じゅうたんをまくる。床下収納の仕切りが姿を現した。


 明鈴がそれを見て、ぎゅっときつく抱きついてきたため、賤竜は背中を擦ってやった。が、女性が仕切り板を開けると、明鈴の目は吸い寄せられる。


 板の向こう側に、地下へとつながる階段かいだんが続いていたからだ。


 女性が棚から燭台をとる一方で、再び先をうながすべく冽花が振り向いた。そうして、賤竜にぴったりとくっ付いた明鈴に気がついた。


 冽花は仕切りと彼女を見比べた上で、ふと歩み寄るなり、ぽんぽんと頭をでてやる。微笑みまじりに続けた。


「大丈夫。この下にある部屋で、姐姐ねえちゃんたちは仲間……んーと、友達と会うんだ」


「ともだち?」


「そう、姐姐の友達。明鈴も仲よくしてやってほしいな」


 姐姐のおともだち、ともう一度復唱ふくしょうし、俄然がぜんやる気が出たにちがいない。ふんむっ、と両手を握って鼻息を荒くする姿に、冽花は微笑みを深め、女性に頷きかえした。


 女性は微笑ましげに見守っていた。頷いて先に立って降りはじめる。


 しっかりと固められた土の階段は、相応の強度をもち一同を迎え入れた。真っ直ぐ十段ほど降りた後に横穴へつながっている。


 はめ込まれた扉を開けると、そこは広々とした会議場だった。


 床には柔らかい絨毯じゅうたんが敷き詰められ、大きな卓や椅子が整然せいぜんと並べられている。

 隅には書架もいくつか置かれて、龍盤の地理や紀行文の書、蟲人について取り扱ったとおぼしき剪報スクラップの竹簡が整頓され詰めこまれている。


 ここで作戦が立案されているのは間違いない。


 上階の家と遜色そんしょくない様子もさることながら、よく見れば、土壁は石と柱で上手く補強されている。ほうぼう見回していた賤竜が呟いた。


窰洞ヤオトン洞窟住居どうくつじゅうきょ)か』


「お、よく知ってるねえ。旦那だんなが草原生まれでね。こういったものを作るのは得意だったんだ」


「……っ」


 何気ない女性の返答だが、ぴくりと冽花の肩が跳ねる。


 賤竜は瞳をむける。女性が卓の蝋燭ろうそくへと火を灯すなかで、冽花は打って変わって揺れる瞳を逸らしていた。その耳は伏せられ、尾は落ち着かなげに揺れている。


 そうして、女性が明かりをつけ終えて振り返る。冽花は勢いよく、そんな彼女を振り向いたものの、口を開け閉めするのみで何も言えなかった。


 女性は目をまたたかせた後に小さく笑い、てのひらをもちあげてみせる。


「待った、冽花。その前に、あんたの男朋友ボーイフレンドと可愛い小姐おじょうちゃんの紹介をしておくれよ」


「……ぁっ、悪い。……こいつは賤竜。例の作戦で、連れてこれたやつだよ」


「あれ、まあ」


「で、こっちは明鈴。話すと長くなるんだけど……華川村かせんむらの子だ。ここで引き取ってもらえたらと思って連れてきたんだ」


 早口で本当に必要最低限を告げる冽花に、女性は目をまん丸くして口に手を当てる。が、にっこり笑ってその後も待つ素振そぶりをとるので、慌てて冽花は賤竜にも振り返った。


「で、賤竜。この人は慕嫽怙ムー・リャオフー。ここ“虎浪軒ころうけん”で長いこと女将おかみをやってる……あたしらの協力者だよ」


「協力者だなんて水臭いことはお言いでないよ。あたしも白墨党はくぼくとうの一員だからね」


「っ、だって、それは――」


「旦那が嫌がってもね、こればっかりはゆずれないよ。今でもね」


 ぴしゃりと言ってのけるムーに、冽花はより猫耳を伏せた。そんな彼女の頭に慕の大きな掌が載る。苦笑まじりにかき混ぜながら言い募る。


「そんな顔すんじゃないよ。……あんたのせいじゃないよ、冽花。いつかはこうなるんじゃないか、って覚悟はしてたんだ」


 ここまで見聞きした賤竜は、おおよその見当がついた。


 炭焼き小屋で冽花は告げていた。

『力をもった存在の……手がかりになるから、って。それで、あたし“ら”は盗みに入ったんだ』と。彼女は本来、複数名で動いていたのだ。


 それが、たった一人で賤竜と出会った。そのことが意味するものは。


 冽花は語りだす。とつとつと。

 その声が震えるのに幾ばくもかからなかった。


老鬼ラオグイってやつと、その手下に全員やられた……みたい。……行け、って言われたんだ。何度も行け、って。あたし、振り返らなかった、から……最期さいごの顔も……」


「冽花……」


 うつむいて肩を震わせて唇を噛みしめる。そんな冽花を慕は抱き締める。その肩に顔を埋めながら、冽花は無言で大粒の涙をこぼした。


「辛かったんだね。ずっとずっと、よく頑張ったよ」


「っ、ぅ……」


 そんなことを言われては堪らなかった。何度も口を開け閉めして、ごめん、とも違う、とも言えなかった。言えなかった言葉は“ごめんなさい”だ。


 生きていてごめんなさい。自分だけが生き残ってごめんなさい。


 もう言えぬ仲間へむけて告げるかわりに、冽花は目をとじて。


「ぅぅぅ……ぅああああ!」


 生まれたての赤ん坊のように泣きじゃくったのだった。


 慕にきつくすがりついて、人目もはばからずに泣きだしてしまう。


 そんな彼女を瞬く明鈴が見つめたが、その頭を撫でて賤竜も目を細めるのだった。

 そうして、ふいと視線を下ろす先に、冽花を抱く慕の――腹部がある。


 冽花が落ち着くまで、だいぶとかかった。なにせ、ここまで来るのに七日余りである。長い、実に長い旅路たびじであった。


 涙も出尽くした頃に、ようやく冽花は顔を上げる。その顔は真っ赤に泣きらしており、苦笑した慕がすぐさま手拭てぬぐいを用意――しようとして、賤竜に止められた。


 代わりに賤竜が上へとあがってゆくのを、首を傾げて見送った後に、慕は冽花へと向き直った。


「落ち着いたかい?」


「……っ、なんとかね」


「無理しすぎなんだよ。昔っからあんたは焼き栗みたくぜやすいのに、肝心なところは我慢がまんするんだもの。小出しにしないとさ」


「……これでも出してはいるほうなんだよ?」


 鼻をすすって瞳を逸らす冽花を、慕は苦笑して「まだまだだね」と言って、再び頭をかき混ぜてやる。


「やめろよ。子ども扱いすんな」


「あたしから見たら、まだまだあんたは幼稚鬼がきんちょだよ。おしめが取れてからいっちょまえの物言いをしな」


 口では慕に敵わないため、むくれて冽花はそっぽを向く。が、成されるがままに撫でられているので、慕は笑って毛並みを整えてやるのだった。


 明鈴も賤竜が連れていったため、この場には女二人しかいない。


 となると落ち着きだした冽花に、つとめて慕が明るい話題を提供するのは、至極当然の流れであった。それは少々、下世話げせわなものではあったのだが。


 頭から手を離すなり、慕は階段につづく扉を見やる。ひと際明るい声でざっくばらんに口火を切るのだった。


「しっかし、なんだねえ。こんな時にあたしとあんたを二人にするなんざ、あの男もどうして気が利いてるじゃないか」


「……賤竜のこと?」


「そうそう。僵尸きょうしだっけ? でも、そういう風には見えないね。どちらかといえば普通の男に見える」


「……まあ」


 冽花も同意できるところはあったため、曖昧あいまいに頷くと、慕はここぞとばかりに体を前に押しだしてきた。


「で、どうなんだい?」


「どうって?」


「決まってるじゃないか。どこまで進んだか、ってこと」


「は。…………はああ!?」


 冽花が面食らって目を見開くと、からからと慕は笑って続ける。


「そんなに驚くこたないじゃないか。なにも最初から子ども連れじゃあなかったんだろ? ってことは、女一人に男一人だ。何もないはずはないだろうよ」


「な、何もない、って、どういうことよ?」


「言わせるのかい?」


「っ、むがっ!!」


 みずから墓穴ぼけつを掘って冽花は別の意味でであげられる。その様をみて口笛を吹くと、慕は一気に畳みかけてきた。


「なに、その様子だと……もしかして、接吻せっぷんの一つでもした?」


「ぐっ……ぐぁああ!!」


「したのかい! 奥手のあんたがねえ! やるじゃないか!」


 頭をかき乱して、おのずと思い浮かんだ映像を散らさんとする冽花に、慕は笑いに笑う。そんな場面に当の賤竜が降りてくるものだから、混沌こんとんは一気に加速するのだった。


『何をしているんだ』


「うげっ、賤竜」


『うげっ、とはなんだ、冽花』


「ぷっ、あはははははっ! 息ぴったりじゃないか! 仲いいんだねえ、あんたたち!」


 お腹をかかえて笑う慕と、嵐にでも遭ったかのような冽花を、賤竜は訝しげに見やる。手の手拭をひとまず冽花へと差し出しながら、体を慕へと向けた。


 涙をうかべてすらいる様子をみて、軽く片眉を上げる。


『何をしていたかは知らぬが、そちらもその辺にしておけ。すでに自分一人の体ではないのだからな』


「ひぃひぃ。おっかし……ん?」


「は?」


 同時に女性二人が顔を上げた。


 賤竜は真面目くさった面で慕の腹を見つめていた。


『気付いておらぬだろうから言うが、陰陽の気の凝固ぎょうこが見られる。比較的初期のものだ。ゆえ、大事をとるのが肝要かんようだ』


「ちょ、待って。なにそれ。つまりどういうこと?」


『赤子ができているのに相違そういない』


「えっ……ええ―――――!?」


 今の羞恥しゅうちもさきの涙も吹き飛んだ冽花は、おもわずじっと慕を見つめたために「お前も見ようと思えば見られる」と告げられる。


 おもわず陰気を瞳に凝らし、網の想起イメージひろげていくと――確かに在った。


 慕の腹部でくるくると白黒が入れ替わる点が。ひどくちっぽけで弱々しいながらも息づいている。


 ごくりと生唾を飲むなり、冽花は言い募った。


「ね、姐さん。在る……いや、いるよ。生きてる」


「そんなこと……いや、まさか……」


風水僵尸ふうすいきょうしの名において保証する。その陰陽は確かに、ここに存在するものだ』


 自分のお腹をおさえて背を丸める慕に、冽花は寄りう。再び目の前がにじんできてたまらなかった。手拭は慕に使ってもらうことになりそうだ。


 そんな二人を前にし、明鈴が首をかしげて告げた。


「姐姐たち、泣き虫さん?」


『今はな。女の涙は武器だと言うが、時には、思いを通わせるがゆえに自然と出るものもあるのだと……記録にはある』


「ふぅん?」


 二人は泣きながら抱き合い、笑いあっていた。


 そんな二人の中心で、まるではしゃぐように光の点もくるくると入れ替わっていた。


 賤竜だけがそれを見ていて、そっと目を細めたのだった。

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