1、盗まれた勾玉

 かたことかたこと、牛車が進む。犛牛(ヤク)(毛足の長い黒牛)に引かせてのんびりと黄色い地平を進みゆく。見渡すかぎりの広大な油菜花(なのはな)畑のなかをいく。


 空は青く晴れ渡り、雲は掴(つか)めそうなほど近くを飛ぶ。


 穏やかな高原の昼下がり。荷台で揺られる冽花(リーホア)もすっかり寛(くつろ)いでは、背を荷物に預けていた。上向くと、降りそそぐ陽光にむけて黒と白の勾玉を翳(かざ)す。


 しばらくその体勢でいたが、ちょいと唇をとがらせるなり唸った。


「うーん……うんともすんとも言わねえや。やっぱこのやり方じゃ駄目なのかなー」


 おもむろに勾玉を下ろすと、ふいと思い立って二つを左方向へと移動させる。


「なあ。見てみろよ、ほら。あれが名高い“天杭(てんこう)”だぜ!」


 勾玉が突きだされた先には、峨々(がが)たる山脈を引き連れた、巨大な柱が聳(そび)え立っていた。


 中央より黒白二色に染め分けられたそれは、頂きは雲を衝(つ)いて見えず、下は中ほどから先細りし始めて、細った先端で大地を深々と穿(うが)っている。


 ともすれば穿たれた折に、隆起した大地が、あの山脈群とも捉えることができるだろう。


 天を衝(つ)いて大地を穿(うが)つ杭。略して、天杭(てんこう)。


「この世を支える大龍を刺し止めてるって話だけど……本当なんかねー」


 言いつつ勾玉の様子を伺う彼女に、傍(かたわ)らから低い声がかけられた。


『此(これ)も深く眠りに落ちていたゆえ。その状態では恐らく聞こえぬぞ』


 黙して見守っていた賤竜(ジェンロン)だ。冽花同様に目深に围巾(ストール)を被り、昼の今はなるべく大人しくしている。そんな彼の言葉に、冽花は目をまるめて勾玉をさげた。


「真的嗎(マジで)? これも駄目かー。……んー、やっぱり誰か陽気を使える人探さなきゃ駄目か。……老鬼(ラオグイ)以外で」


『うむ、老鬼以外でな』


「ぜったい余計なことしかしねえもん。今度こそ横取りされるかもだし」


 大事に勾玉を皮袋にしまい、懐に仕舞い直す。ひょいと肩ごしに御者台(ぎょしゃだい)を見るなり、冽花は声を投げた。


「大叔(おっちゃん)、あとどれくらいで着く?」


「あと半刻(一時間)ほどで油菜花(なのはな)畑を抜ける。そうすりゃすぐさ」


「そっか、謝謝(ありがとう)。やーっと春海(チュンハイ)に着けるよ。かれこれもう二月とか……っ、んー!!」


 腕を頭上にうんと伸ばし、凝り固まった身をほぐす。と、ここで、見上げた先の視界の上部がうす暗くなるのに気づき、冽花は目を瞬かせた。


 さらに上へと首を上向かせると、巨大な入道雲がゆっくり頭上に差しかかりつつある。


 大きな龍鬚糖(ロンシュータン)(繭状の飴。胡麻やピーナッツ等を包む)みたいな姿に、おもわず和み、冽花は相棒の肩をつついた。


「見ろよ、賤竜。すげえでけえ雲だ」


『む。積層状の雲か……ならば一雨くるぞ。一過性の激しいものがな』


「っぇ……やっべえじゃん! 大叔(おっちゃん)、全力で逃げて!」


 慌てて御者台を振り向く冽花だったが、犛牛(ヤク)を操る男性は気持ちよさげに笑うばかりである。自身の目の前の犛牛(ヤク)を顎でしゃくってみせる。


「はっはっは、無理だなあ」


 がったごっとがったごっと。まさしく牛歩の歩みで進む牛車に、冽花は頭をかかえた。


「あ~~~~!!」


 まもなく、天の底に穴があいたような雨が降りしきったのであった。



 ※※※



 半刻後。濡れ鼠(ねずみ)ならぬ濡れ猫と化した冽花一行は、無事に春海(チュンハイ)入りを果たした。


 春海(チュンハイ)はおおよそ五百年以上前――かつての五麟(ごりん)時代において、高原防衛の要地とされた都市である。そのため、堅固(けんご)な城壁にかこまれた城塞都市と言うことができる。


 古(いにしえ)の歴史をきざむ石畳に、冽花の裾(すそ)から滴り落ちる滴が染みを作る。


 古都の趣(おもむき)に目を傾けるよりも前に、今は着替えと温かい食べ物が欲しい冽花であった。


「あ~~、えっらい目に遭(あ)った。ぅぅ~、さぶっ。……っ……へっくし!」


『着替えをどこぞで見繕(みつくろ)う必要があるだろう』


「ぅん。……お前はいいよな、気に戻してから作り直せば終わりだ」


『それとて時と場を選ばねばできまい。とにかく衣類を見繕い、当面の宿を探そう。情報収集はそれからでもよかろう』


「おー」


 もそもそとその場を移動していく。街の其処(そこ)ここには綺麗に手入れされた花が咲き誇り、大量の油菜花(なのはな)を積んだ荷台を至る所に見ることができる。


 かつては防衛の前線であった都市も、今はすっかり花と緑に囲まれた避暑地(ひしょち)と化しつつある。


 いい匂いがしたので見渡せば、羊腸面(ヤンチャンミェン)(羊肉ソーセージの中華そば)の立ち食い処や、深鍋からたっぷりの羊杂碎汤(ヤンザースイタン)(羊肉のホルモンスープ)を碗に注ぐ店。烤肉(カオロウ)(串焼き肉)を焼く店に、炒面片(チャーミェンピャン)(一口麺の炒め物)を炒めている店など。


 高原料理の数々をだす屋台が軒をつらね、空きっ腹をかかえた冽花の胃を刺激した。


「あ、あの湯(スープ)、あったまりそうだ。烤肉(カオロウ)(串焼き肉)も……うわあ、小茴香(クミン)に花椒(かしょう)に……匂い嗅いだだけで美味そう。酒に合いそう~」


『昼間から飲むのではないぞ』


「わーかってるって。服屋服屋……あ、あそこかな?」


 目についた服屋に立ち寄るや、適当に見繕ったものを手にする。店の者は、冽花たちの姿をみて驚いたのだろう。衝立(ついたて)をたてて物陰を作ってくれ、ここで早々に着替えることができた。


 ほっと人心地(ひとごこち)ついた冽花は、濡れた服を纏(まと)めてもらい、追加で幾つか着替えも購入する。ついでにお勧めの宿も聞いてはその場を後にした。


 二人は徐々に人気の薄れた界隈へと入りこんでいく。


「安いところだと、やっぱ治安もアレだけどさ。あたしとお前なら大丈夫だろ」


『値が張っても、心から安んじられる場が一番だと思うのだがな』


「姐さんから貰(もら)った金、無駄遣(むだづか)いできないだろ。セツヤクできるとこはしておかないと――っと!」


「ごめんよ!」


 ふいと二人の間に割り込むように、脇道から走りでてくる影があった。


 汚らしい襤褸(ぼろ)を目深にかぶった、小柄な人影だ。


 冽花は言葉を切るなり、するりと躱(かわ)し、賤竜も体を傾けて躱す。が、冽花は眉間に皺(しわ)を寄せる。


 小柄な人物はそのまま真っ直ぐ駆け去ろうとするが――その首根っこをいち早く冽花は摘み上げた。


「待ちな!」


「っぐえ!」


「ったく、油断も隙(すき)もない。……賤竜、スられてるよ」


『む』


 言われて賤竜が腰帯を探ると、そこに彼が唯一入れていた皮袋がなくなっていた。その皮袋は今、小柄な人物が握りしめている。


 骨の浮いた拳を振るって暴れるので、冽花は荷物を落とし、彼を後ろ手に捕まえざるを得なかった。


「放せよ! 放せ!!」


「あんたこそ、盗(と)ったもの放しな。ロクなものじゃないよ、それ」


「うるせー! ロクなもんじゃないかそうじゃないかはオレが決める! 放せよ! いいじゃん、べつに! いっぱい持ってんだろ、金!」


「聞いてたのか。……会話にも気を付けないとだな」


 おもわずとしょっぱい顔をする冽花に、賤竜が声をかけてくる。


『冽花。話し合いでは平行線だ。ひとまず此が放させよう』


「ん。おう」


 小柄な人物のまえに来るや、その手へ手を伸ばそうとする。が、寸でで皮袋が落ちた。


 ちょうど腰を屈めた賤竜が小柄な人物を見つめると、その顔は驚愕(きょうがく)に凍っている。


 遅れて、その面(つら)が振られて、無我夢中(むがむちゅう)で身を前傾させて、捕らえた腕をもこじらせだすため、冽花もおもわず驚いた。


「放せ! 放せぇぇ!!」


「ちょ、いきなり何なんだよ!? どうし――」


「化け物がいるじゃんか!! なんで……なんでこんな真昼間(まっぴるま)にいるんだよ! 来るな……いやだ、来るなぁぁ!!」


「ばけ、もの……?」


 半狂乱になって叫ぶ人物は、後ろの冽花に体を打ち当てる。前方にいる人物から遠ざからんとしている故である。前方にいる――目を瞬かせている賤竜から。


 そのことに気付いた冽花は、さっと眦(まなじり)をつり上げた。


「あんた……ッ、人の相棒を化け物呼ばわりとか……っ」


「化け物は化け物だろ! なんだよ、その濃い黒い影! 見たことねえよ、気持ち悪ぃ! っ……放せ……放せぇぇ!!」


『濃い黒い影。ぬ』


「……っ、いって!」


 ついになりふり構わずに振るわれた腕が冽花の腕を叩いた。たたらを踏んだ後足もまた、彼女のつま先を踏む。おもわず拘束(こうそく)する手が緩むと、すぐさま振り解いて駆け去る。


 それでも、その言葉通りに、怖かったのだろう。


 肩ごしに一度だけ振り向いてきた。その折、目深に被った襤褸(ぼろ)がずり下がる。


 足を押さえてしゃがんでいた冽花は、顰(しか)めた面をちょうどもたげたところだった。そのまま瞠目する。


 襤褸の下から現れた顔は――齢十余りの少年。そうして、その額には灰色の角が生えていたのだった。


 紛れもない、夢のなかの賤竜(あにさま)が額に生やすものに似た。


「あ……」


 独角(どっかく)の少年は前をむくと、わき目もふらずに駆け去っていく。瞬く間にその身は路地の奥へと消えていき、足音も遠ざかっていった。


 呆けて固まる冽花のもとに、賤竜が歩み寄ってくる。片手を差し出してくるので、我にかえり、その手をつかんで冽花は立ち上がった。


『大丈夫か? 冽花』


「……あんなひょろガリの拳なんて痛くも痒(かゆ)くもないさ。それよりも見たか? あの面」


『刹那(せつな)のみならな。齢十余りの少年……健康状態はやや痩せ型の不良気味。陰陽の均衡(きんこう)はやや陰気が優勢――』


「そうじゃなくて。角が生えてただろ!」


『ああ』


「昔のお前も生やしてたのにそっくりだった。色は灰色だけどさ。……なんか、お前たちについて知ってるかもしれない!」


 荷物を拾い集めて冽花は鼻息も荒く息巻く。


「追いかけるのか?」


「あたぼうよ。お前を化け物呼ばわりしたことも謝らせなきゃだし」


『此は別によいが。僵尸も怪力乱神(かいりきらんしん)には違いあるまい』


「あたしが許せないの! ――っと、その前に、財布の確認しとかないと。盗られちゃあ堪んない」


 冽花は手早く懐を確かめる。


 首から下げていた慕(ムー)より貰った路銀は無論のこと、凸面八卦鏡(とつめんはっけきょう)も無事であった。最後に、大事に仕舞いこんでいた勾玉の皮袋を検めようとし――冽花はふと表情を強張らせる。


 懐(ふところ)を漁りに漁り、軽く上から叩いては、袂(たもと)まで漁り始めた。


 そんな冽花の挙動不審(きょどうふしん)を、賤竜はじょじょに身を乗りだしつつ見守っていた。


『冽花』


「…………うん」


『冽花、よもや』


「うん…………ない」


 冽花は眉尻をさげて、乾いた笑いを浮かべたのであった。笑うしかない面であった。


「勾玉入れた袋がない!!」


『やはりな。盗られたのか……』


「信じられないよ! このあたしから盗ろうなんざさ! あいつぅ……!」


 冽花は少年が駆け去った方向をみて、拳を握りしめる。


「賤竜、気で追えない? まだそんな遠くに行ってないと思う」


『む、しばし待て。…………ふむ。探知圏内(たんちけんない)にはいるな。現在は止まっている状態だ』


「ちょっと逃げて安心したのかな。いや、体力なさそうだし」


 冽花は少年が駆け込んだ路地をのぞく。薄暗い路地は幾つにも横道を伸ばし入り組んでおり、土地勘のない者を阻む仕様であった。


 が、冽花はちょいと上を見上げる。路地を構成する家屋を見やり、賤竜へと振り返った。


「あたしは上から行く、お前は下から行きな。上からなら、どこ入られようと関係ないし。挟(はさ)み撃(う)ちにできるはずだよ」


『了解した』


 屋根に冽花がよじ登ると、賤竜もまた路地へと飛びこんでいく。その迷いなき足取りを追って、冽花も軽やかに屋根伝いを走りだした。


 空をいく冽花と地を進む賤竜。足並み揃えて進むこと幾ばく。人並み外れた体力をもつ蟲人(こじん)と疲れ知らずの僵尸(きょうし)は、みるみる薄暗い路地の深みへ足を踏み入れていく。


 途中、痩せこけた犬の死骸(しがい)や、骨と皮のみになって座りこむ人を幾人も見かけた。


 表通りはあんなに賑わっていたのに。ここにも貧困(ひんこん)、そして荒廃(こうはい)はあるのかと、冽花は眉を顰(ひそ)めざるを得なかった。


 ふと見やった先で賤竜が見上げてきている。


「そろそろ?」


『うむ、近くまで来ている。む?』


「……るな! なんだっ……今日は……!!」


「あの幼稚鬼(ガキ)の声じゃん」


 壁に阻まれて聞こえづらいが、紛(まぎ)れもなくあの盗人の少年だ。ひと足先に、冽花は声の聞こえる方へ飛び移って、屋根を駆けわたり路地を見下ろした。


 袋小路になっている場所で、少年は何もないところで腕を振り回している。


 まるで迫りくる何かを警戒し、威嚇(いかく)するかのように。


「来るんじゃない! 来るな! ――……っあ」


 見開かれたその目には深い恐怖の色が伺える。冽花は怪訝(けげん)に眉をひそめて――ふと思い立って瞼を下ろす。網の想起(イメージ)――この場を走る地気の情報を手繰り寄せていく。


 その場に在るものは皆、黒と白の点、陰気と陽気で構成された図となり、冽花の脳裏に地図が広げられていく。ハッと冽花は目を見開かせた。


「あんた、なんてものに襲われてんの!」


 少年に纏(まと)わりついているものは、黒い点が多数。陰気だ。それも、虫のようにたかり、自立稼働している陰気である。自分で動く陰気といえば、心当たりがあった。


 賤竜。――いいや、彼のもっと根幹を成すもの。“魄(はく)”……“幽鬼(ゆうき)”である。


 冽花のその言葉に、少年は涙まじりの顔をもちあげた。が、より一層、その面が凍る。なにせ、盗みを働いた被害者が追いかけてきたのである。それも屋根の上から。


 ただでは済まぬだろう状況と、得体の知れなさに、少年は恐慌状態(きょうこうじょうたい)に陥った。


 あまつさえ、ここに賤竜が到着したのがまずかった。


『む。少年――』


 賤竜も少年の状態に気付いたのだろう。大方、幽鬼を散らしてやろうとしたのだろうが。一歩を踏む、その所作が引き金となった。


「うわああああ!」


 少年は半狂乱になって腕を振り回した。何度も何度も、夢中で首を振っては、たたらを踏んでよろけてしまう。


 が、それでも幽鬼は散らぬのだろう。少年の目には“恐ろしいもの”が大写しになっているに違いない。灰色の目からは涙がこぼれ、ついには頭を覆いしゃがんだ。


「来るな、来るな……ッ、みんな来るなぁぁ!!」


 彼が叫ぶのと同時だった。その身から灰色のもやが滲み出てきたのは。


 そうして、冽花の尾の毛がぞくりと逆立った。


「まさか……!」


 少年の懐(ふところ)から、あの皮袋が転がりでてきた。一人でに袋が落ち――浮かびあがる勾玉が二つ、円をえがいて浮遊。



《アクセスキー:『陰気』、『陽気』。両者ともに照合完了。ただいまより凍結空間(とうけつくうかん)へのアクセスを開始します》



 あの、いつかも聞いた無機質な声がその場を震わせた。


 冽花は我に返り、「賤竜!」と鋭く相棒を呼ばう。自身もまた路地へと降りるなり、急いで少年のもとへと駆けつけようとした。


 が。茫然(ぼうぜん)とした少年のまえに、回転する黒白二色の勾玉は石窟(せっくつ)をひろげていく。


 ぼ、ぼ、と人の手もないのに青白い明かりが灯されゆく、神秘的で不思議な石窟である。


 少年にとっては、迫りくる怖い影も、盗みの被害者も、化け物もいない新天地であった。


「待て、幼稚鬼(ガキんちょ)、やめろぉ――ッ!!」


 冽花は迫る。その必死極まりない面に、声に、かぶせる形で、朗々たる声音は告げた。



《アクセス完了。入場者の提示をお願い致します》



「にゅうじょうしゃの、ていじ」



《入場者の提示をお願い致します。アクセス可能時間、残り十秒、九秒……》



「!! ……灰角児(フイ・ジャオアル)!」


「ああっ!」



《入場者、灰角児。承認しました。転送を開始します》



 少年の体へむけて、黒白二対の勾玉から赤い光が照射される。やっと追いついた冽花は、少年の体を取り巻きだす光の輪に拳を叩きつけた。


 目の前にこれから消えゆく姿があるのである。その恐怖を知るからこそ、以前に自分が歯が立たなかったことなど、まるで忘れてしまい、拳を打ちつけるのであった。


「笨蛋(バカ)! 笨蛋(バカヤロウ)!! 人の話、ぜんぜん聞きやしねえ!」


「う、うるせえ! さっきからなんなんだよ、お前は!」


「なんなんだ、じゃねえ! あんた、自分が何したか分かってんの!? そん中であんた、消えるんだよ! それから、冷たくて怖いところに行くんだ!」


「え……あ……うわあああ!?」


 冽花に言われて、少年は自分の指先が光の粒子(りゅうし)と化し、霧散しているのに気付く。かぶりを振って、ふらついたが、後ろの見えない壁に遮られた。


 これまた自分と同じ行動をしていることに、冽花は歯噛みする。


「ど、どうしたらいい?」


「どうにもならねえよ! ……行った先に僵尸(きょうし)がいるはずだ。風水僵尸(ふうすいきょうし)がな。どっかの部屋に棺(ひつぎ)があるはずだ。棺から黄色い符(ふ)を外せ。そうすりゃあ、力になってくれるはずだ」


「棺……黄色い、符? ……っ、ぁ、あ」


 腕が消え、くるぶしが消える。少年の体が落下を始めるまで、幾ばくもない。


「忘れんなよ、符を外すんだ! そうしなけりゃ封は解けないし、あんたもあの石窟から出られないままだ!」


「っ……いやだ、いやだぁぁ!! 出せ! 出せよぉぉ! 出して……ここから出し――」


 冽花は震える息をはいた。少年の胸が消えて、その声が聞こえなくなる。涙がひとかけ零れ落ち――その涙が落ちきる頃には、彼の姿は跡形もなく消え失せていた。


『冽花』


「……っん。あ」


 事の顛末(てんまつ)を観察していた賤竜が、低い声で呼ばい促(うなが)す。石窟のなかに先の赤い光の輪があらわれては、光の粒子が収束し、少年が現れたのである。


 彼はぽかんとしてその場に座りこんだ。辺りを見回して――冽花たちのいる方を見遣(みや)る。も、どうやら、彼からはこちらが見えぬらしい。瞳は素通(すどお)りして、ふと思い出したように立ち上がったのだった。恐る恐る通路のむこうへと向かう。


「……嗎的(クソッ)、見てることしかできないのかよ」


 冽花が恨めしげにぼやいた、その時だった。再びあの声が響いたのは。



《転送完了。ひき続き、アクセスを継続致します。入場者の提示をお願い致します。アクセス可能時間、残り八秒、七秒……》



「……! まだ行けるじゃん」


 冽花は希望の光を瞳にともし、賤竜を見やる。賤竜もまた頷きかえし、二人は勾玉へと向き合った。


「冒冽花(マオ・リーホア)!」


『賤竜』



《入場者、冒冽花、賤竜。承認しました。転送を開始します》



 先のように、二人に勾玉から赤い光の輪が照射される。周囲を取り巻く光の輪を見て、以前のことを思い出した冽花は渋い顔つきをした。


「……賤竜、向こうであたしが気絶してたら受け止めてくれよ」


『了解した』


 少しずつ、端から体が光の粒と化して霧散していく。


 感覚がないのが救いなのかどうなのか。指先から腕、つま先から足へ、尻尾も、围巾(ストール)の下の猫耳まで消え失せていく。


 冽花と賤竜もまた、その場から失せた。開かれた石窟側に再び光の輪が現れる。


 案の定、気絶した冽花は賤竜に抱き留められて、介抱される運びとなったのであった。



 ※※※



 そこの石窟もまた冷えていた。


 そこの石窟もまた、青白い明かりが灯るなかで、壁の其処(そこ)ここに、冽花らには読めない文字が刻まれて点滅していた。


『冽花、冽花』


 賤竜が腕のなかの冽花を揺すっている。彼女の告げた通り、自分も冽花も欠けの一つもありはしない。そのことに安堵(あんど)した上で、賤竜は彼女の目覚めを待っていた。


『冽花』


「うう、ん……妹妹(メイメイ)ぃ……なんか、声かなり低くなってない?」


『此は妹妹ではない』


 おもわずクソ真面目に答えた声に、ぱっと冽花の目が開かれた。そうして、おもわずと彼女は賤竜の胸を突き押していた。


「うおっ」


 息がかかるほどの距離にその整った顔があったからだ。膝に横抱きに抱えられる姿勢であった。おもわず熱の溜まる面を逸らしつつ、冽花はその場を見回した。


「つ、着いたみたいだな、無事に」


『そのようだ。まだ先だって聞いた凍結対応の音声も聞こえてはこない』


「下手打ってはいないってことだな、あの幼稚鬼(ガキ)。よし、早く追いつこうぜ――……っと。賤竜、謝謝(サンキュー)」


 跳ねるように起きあがるなり、眼前の道へと一歩を踏む。が、思い出したように冽花は振り返った。未だやや熱を帯びた頬を掻(か)き、照れ臭げに唇を緩めるのだった。


 その言葉に同じく立ち上がっていた賤竜は瞬くなり、そっと目を細める。


『どういたしまして、冽花』


 つるむようになり二月余り。頑(かたく)なに『道具に礼は要らぬ』と固辞(こじ)しつづける賤竜をなんとか説き伏せて、できるようになったやり取りであった。


 ますます人間味を帯び、ますます居心地がよくなったと感じる冽花である。


 ほっこりした空間がその場に形成される。――が、そんな温かい感慨(かんがい)が吹き飛ばされるのも、間もなくのことだった。


 ふいと鼓膜を掻(か)き毟(むし)って腹に響く、あの異音(ブザー音)が響きだしたのである。


 お馴染みの無機質音声が頭上から響きわたりだす。



《警告。凍結対象α‐2の逃避行動(とうひこうどう)を確認。速やかに拘束(こうそく)、再凍結処理(さいとうけつしょり)に移ります。該当エリアで作業中の者は速やかに退避を推奨します。繰り返します――》



 冽花は口端を引き攣(つ)らせた。


「あの幼稚鬼(ガキ)……やらなくてもいいことやりやがったな?」


『案外と誰かが勢い出てしまった可能性もあるがな。此とは違い、活動的な者らもいる』


「それはそれで困んだけど。後先考えないってことじゃんかー!」


 仕方なくびりびりと鳴動する空気のなか、目の前に伸びる通路を走りだしたのである。


 この石窟もまた基本、一本道。以前踏破(とうは)したものと寸分たがわぬ造りをしていることに、遅れて気がついた。


 と、いうことはだ。先発組も同じような行動に出るということである。


 ややもせぬうちに、対面から叫び声が聞こえてきた。


「ああぁぁぁ!! もう嫌だぁぁぁぁ!!」


「叫ぶ元気はあるみたいだな……って、ちょっと!」


 対面からあの少年が走ってくる。それはいいのだが、問題は、その背中に小柄な少女を背負い、後から赤い管で構成された大蜥蜴(おおとかげ)を連れている点だ。


 例によって通路を埋めるほどの巨体ぶりを誇る管蜥蜴(くだとかげ)は、おもむろに口を開ける。太く蛇腹折(じゃばらおり)にした管の集合体を見せた。


 何をする気なのか、ひと目で理解した冽花は賤竜を振り返る。


「賤竜、足止め!」


『了解した』


 冽花が先に立って、両足に陰気をまとわせ駆けだす一方で、賤竜も左拳に陰気を纏う。横ざまに傍らの壁を殴りつける。


 大人半身ほどの陥没(かんぼつ)を生んで――壁のなかをはしる気の流れへ干渉し、断ち切った。


 その様は、あたかも蜘蛛(くも)の巣の、弾性(だんせい)に富(と)んだ糸の一本を切るがごとく。ちぎれた糸が勢い張られていた方向に飛んでいくのにも似て、切られた気は、周囲の構造物を巻きこみつつ元来た道を戻りだした。


 賤竜が殴りつけた陥没の横に、内側から弾けて石材の飛びだす爆発が生じる。


 陥没と爆発は連鎖して起き、先に立って走る冽花を追いかけだす。冽花は体を低くし、対面で駆け続ける少年の肩ごしに管蜥蜴を見やった。


 その折だ。管蜥蜴の舌が勢いよく打ちだされ、背の少女ごと少年を貫かんと狙う。


 が、寸でで冽花が両足に力を溜めて飛びつく。二人を抱きすくめて覆い被さるようにし、軌道上から逃がした。


 ゆっくりと落ちゆく視界。頭上を突きだす石材が掠(かす)める。石材の一つが管の突貫(とっかん)を食い止め、ついで轟音(ごうおん)とどうじに陥没が、目の前で管蜥蜴が爆発に呑(の)まれる。


 床へと転がる三人の脇を、やはり陰気を纏う足が横切った。


 身に濃緑の鎧具足よろいぐそくをまとった賤竜だ。すでに黒き棍を手にし、管蜥蜴と対峙する。


『退(ひ)け、冽花。あとは此が食い止める』


「っく……頼む。おら、あんたも起きな! 逃げるよ!!」


 冽花と少女に下敷きにされる形で倒れ伏した少年を、冽花は容赦(ようしゃ)なくひっぱたく。涙と鼻水と鼻血にまみれ、額を擦りむいた少年が、泣く泣く顔をあげてきた。


「うぅ……いてぇよぉ、もう嫌だ……」


「痛いのは生きてるって証拠だよ! 賤竜が踏んばってるから、その子を――」


 よこしな、と冽花が言いかけたその時だった。少女が顔を上げた。


 その瞳は虚(うつ)ろで、そのくせ爛々(らんらん)と濡れ輝いている。その表情に覚えがあり、おもわず冽花が息をのんだ。動きを止めてしまった瞬間だった。


 白魚のごとき指が少年の顔へと伸ばされ、頬へと添えられる。ゆっくりと少女の顔が、その面差しに近づいていく。


「や、やめな!!」


 冽花の制止はひと足遅かった。少女の蕾(つぼみ)のごとき唇が確かに少年の血へと触れた。べろりとその赤い舌が鼻筋を這い、頬をも撫ぜ、涙を掬(すく)い取る。


 されるがままに押されていた少年は、遅れて瞬きとともに涙の粒(つぶ)を散らす。ついで何が起きたか理解したのだろう。目を見開くや、顔から火が出る勢いで顔面を紅潮(こうちょう)させた。


「お、おまっ……おまままま、おまッ……!?」


『うぅーん……あんま深みはないアルなぁ。ちゃんと食べなきゃ駄目ネ? 契約者』


 ぺろりと舌なめずりを一つ。瞬いた少女の瞳には理性の光が灯っていた。ついで強気な笑みがその可憐(かれん)な面差しに刷(は)かれる。


 傍らで手を伸ばしたまま唖然と静止していた冽花に、その顔が向けられた。人懐っこく笑みが深まり、少女は少年の背から降りる。


『下がってるがヨロシイ、姐姐(おねえさん)。夭砂(ヤオシャ)とジェンに任せるアルよ!』


 身を翻(ひるがえ)して、少女は賤竜と管蜥蜴が相対する場へと向かう。


 跳ねるように駆けゆく中で両手を虚空(こくう)へとかざすや、陰気を凝り固まらせて、黒き双錘(そうすい)(球状の頭部を柄につけた打撃武器。二本一対)を生みだした。


『ジェン、夭砂もやる~!』


『うむ。然(しか)らば守りを頼む。あとは“足場を沈められる”か?』


『了解した!』


 賤竜とならぶ少女――夭砂は、双錘に陰気を宿すなり、その場で軽やかに跳んだ。


『喰らうがヨロシイ!!』


 勢いよくまぁるい瓜型の先端で石床を叩く。するとだ、叩いた場所から陰気が広がり、石床を伝播(でんぱ)しだす。それは瞬く間に管蜥蜴の足元へと伝わり、次の瞬間、ずぶり、とその前足が泥濘(でいねい)にでも浸かったかのごとく沈んだ。


 均衡(バランス)をくずす管蜥蜴の面に、これまた陰気をのせた賤竜の棍が突きこまれる。鈍い破裂音をあげて、管蜥蜴の顔の右側が弾ける。刺された先端を中心に数か所で苦しげにうねる管の断端(だんたん)が覗(のぞ)いた。


 そこからの攻防は怒涛(どとう)といってもよかった。


 管蜥蜴が射出する管を、夭砂が的確に弾いては、隙をみて賤竜が棍を叩きこむ。弾けて削(そ)げる管が管蜥蜴の体から落ちていく。声なき咆哮(ほうこう)をあげて、管蜥蜴が一斉射出(いっせいしゃしゅつ)を試みたとても、今度は守りに転じた二人がすべてを叩き落としてしまう。


 その連携はまさしく気心知れた同種の成せる業(わざ)である。


 すっかり余裕のできてしまった少年――角児(ジャオアル)は、うっかり見惚(みと)れてしまうぐらいであった。誰あろう、軽やかに跳ねとんでは勇ましく管を打ち返す、夭砂に、である。


 だが、彼はふと傍らの娘――冽花が溜息をつくのを聞く。頭を抱えて呻(うめ)くその言葉が、あまりにも不穏だったために、おもわず振り向くのであった。


「はぁ~……人生(じんせい)万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬、っていうけど。これはどうなんだろうな」


「え?」


「え、じゃないよ。あんた、あの風水僵尸……夭砂と契約したんだよ? もう逃げられなくなったってわけ。まったく、あの風水僵尸どもは。有無を言わさず契約する習(なら)わしでもあんのかっての」


「け、けーやく?」


 逃げられない?


 あまりに重たい、その不穏すぎる言葉の数々に、唖然(あぜん)とするほかない角児である。


 そんな彼を見て、再び冽花は溜息をついて項垂(うなだ)れるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【旧版】守骸伝 ―転生猫娘、風水僵尸と邂逅ス― 犬丸工事 @mame629

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ