第二章
0、骸に恋をする
灰角児(フイ・ジャオアル)はその日、恋をした。初めての恋だった。
相手は――硝子製(がらすせい)の棺(ひつぎ)に入った骸(むくろ)である。その時は骸だなんて、ちっとも思わなかった。
ひと目惚(ぼ)れだったからだ。
夢のように可憐(かれん)な少女であった。
真っ赤な血のような液体に浸かっていても、だからこそ際立つ、白い乳(ミルク)色の肌をもち。目鼻立ちのくっきりした顔つきは、さながら牡丹(ぼたん)の花のように艶(あで)やかだった。
頭の横に結った丸子髪(おだんごがみ)も、あどけない寝顔にはよく似合っている。
そして、その身の華奢(きゃしゃ)なこと! 今年で十二を迎えつつ、痩(や)せっぽちな角児(ジャオアル)の腕でも、すっぽり包んでしまえそうだ。たとえ、黄色い軽鎧(けいよろい)を身に着けていても――いや、だからこその不均衡(アンバランスさ)に角児は惹(ひ)かれた。
おもわず、ぼうっと見惚れてしまう。
だから、ふとその少女が薄く片目を開けたのにも気付かなかった。片目をつむり直し、お澄(す)まししたことも。けれど、段々と片目を開ける回数は増えていき、物言いたげに蕾(つぼみ)のような唇(くちびる)がもにょつくも、やはり気付きはしなかった。
角児が我に返ったのは、乳白(にゅうはく)の手が硝子に押しつけられた折だ。
(え。……って、よく見たら、こいつ―― !)
角児は視た。少女の体にうっすらと纏(まと)わりつく黒い影を。
夢から醒(さ)めたような思いがした。
“そいつ”はいつも角児の生活をおびやかす、“嫌なモノ”で。
今いる部屋に放り込まれる前にも、似たような“化け物”に出遭ったのだった。
言い得ぬ寒気が体中を襲い、彼は後ずさる。が、後を追うように硝子(がらす)が軋(きし)む音がひびく。
(っ、出てくるつもりか……!?)
角児は辺りを見回す。何か――上に載せるものはないか。重石(おもし)にできるものはないか。だが、砕(くだ)けた竜王像を思い出したところで刻限(タイムアウト)となった。
勢いよく硝子がぶち破られる。小さい手がにぎにぎと空を掴むなり、両手で紙のように隙間(すきま)をこじ開けた。
角児は生きた心地もしない。おもわず腰を抜かし尻もちをついて、ほどなく、目の前に軽やかに降り立つ、二本の足を見ることとなった。
ゆっくりと瞳を上へと持ち上げていく。
両手を腰に当てて立つ、あの少女の姿がそこにはあった。……ちょっぴりむくれている。びしりとその白い指が角児を指さした。
『おっそーい!! いつまで待たせる気アルか!? ――って、およっ?』
だが、少女が一喝したのもつかの間だった。ふいとその場に鼓膜を掻き毟る異音(ブザー音)が響きわたった。
謎の声が《警告。凍結対象α‐2の逃避行動(とうひこうどう)を確認――》云々かんぬんと伝えだす。
怒涛(どとう)の展開の連続に、角児の頭と情緒(じょうちょ)はもうしっちゃかめっちゃかになった。
おもわず、頭を抱えて叫んだのだった。
「もうっ、勘弁してくれぇ――!!」
これは一人の少年と一体の僵尸(きょうし)の物語である。
骸に恋した少年と、恋を知らない少女の物語。
彼らは未だ自身らに巻き起こる冒険を知らない。今はただひたすらに嘆き、首をかしげては。
『うわ。なんか出てきたヨ、契約者……候補、これ何?』
「え。……うわぁ――ッ、なんだこれっ!? なんだこいつ!? ニョロニョロしてる……気色わりぃー!!」
棺からどんどん溢(あふ)れ出てくる赤い管に仰天(ぎょうてん)し。
その声を聞きつけた救いの主が来るまで、逃げだすはめになるのであった。
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