第5話 過去に寄せる歌
王子は盛大に落ち込んでしまっていた。
「僕は、エカチェリーナさんの協力が無ければ、また音に怯える生活をしなければならなくて……それは僕の我儘なのは承知していますが……」
この世の終わりのような顔をされても……
ほんの少しだけ心苦しく思って、ヴェロニカさんに視線を向けると、私にニコッと笑いかけてきた。
「ミハイル。エカチェリーナをここに留めるのではなくて、任せたら大丈夫よ。レナート王子の事は」
その言葉に大きな不安を感じたのは、私の方だった。
ヴェロニカさんは何を考えているのか。
何を企んでいるのか。
「それは、どういう意味かな?」
王太子が、私とヴェロニカさんを交互に見ながら聞き返す。
「王子様がうちに来るかって意味かな」
全部を答える気は無いヴェロニカさんに代わって、私がそれを言ったけど、言葉にしてみたところで乗り気ではなかった。
「無の森に王子殿下を連れて行く気か!?」
「私は普通に暮らしていますけど?」
部屋の隅に控えていたお偉い地位の男性が口を挟んできた。
「ヴェロニカがそう言うのなら……」
王太子も戸惑いを見せたけど、ヴェロニカさんの提案に従うようだ。
断ってくれていいのに。
「殿下……いや、だが、しかし、貴様がここに残ればいい話だ」
決まりかかったところで、おじさん達はまだ食い下がってきた。
私よりも王子と王太子を説得すればいいのに。
「嫌です」
「王家からの願いを無視するつもりか!」
「無理矢理ここに留めようとするなら、全力で暴れます」
ヴェロニカさんは眉間にシワを寄せてとても不機嫌そうな顔になったけど、それに気付いていない騎士は私を拘束しようと動いて、
「ま、待って。彼女に無理強いはしないで」
弱々しい声ながらも、最後に王子がそれを止めていた。
「迷惑をかけるとは思いますが、僕を連れて行ってはくれませんか?」
私に向き直った王子は、真摯に見つめてきた。
まんまとヴェロニカさんの思惑に乗せられて……
これからの事に、私は責任を持てない。
持つつもりもない。
私の家にまでついてくると決めたのは王子なのだから。
「自分のことを自分でするのならいいよ。私、王子様の世話なんかしないよ。あと、学院を一年休学する許可をもらえるなら」
私の不躾な言葉におじさんや騎士はざわっと殺気立つ。
王子達の方が気にしていないのに。
「一年休学?」
王子が私に問いかけてきた。
「あなたがいては数日後に控えている入学式には出られないし、学院にもいけない。一年経てば、あなたも入学する年だ。それまでに、どうにか対策を考えよう」
正直、入学式に出なくて済むからこれ幸いだと思っていた。
「あの、僕は、少しのことなら自分でできます。今まで、そうしていました。貴女が学院にも通えないのは心苦しいですが……」
「うん。じゃあ、これで決定でいいでしょうか?王太子様」
「わかった。私が責任を負う。どうかレナートの事を頼む」
王太子が頷いたのを確認して、やっと帰れるのかと安堵した。
「では、ヴェロニカさん。私は王子様を連れて家に帰るので、また何か変わった事があればいつでも寄ってね」
何を考えているのか、ヴェロニカさんは私を見てまた、ニコニコしている。
ほんの少しだけ心配にはなったけど、子供の私が何か言えるわけではない。
私が立ち上がると、同じように隣に並んだ王子は、ほんの少しだけ私よりも背が低かった。
ゾロゾロと見送りのためについてくる人達を引き連れて城の外に出る。
国王達は姿を見せなかったけど、国王夫妻など見たくもないから出てこないのならその方が良い。
箒に跨ると、王子を後ろに乗せてさっさと夜空に飛び立った。
もう外はすっかり暗くなっていたのだ。
夕方になると、陽が沈むまでは早い。
「うわぁ……」
高度を上げると、腰にしっかりとしがみついている王子は感嘆の声をあげた。
月に照らされた街並みを見たからだと思う。
「綺麗だと思う?」
「はい。とても!」
明るい声の王子は、私とは真逆の感想を抱いている。
私は、月を見ると悲しくなる。
月を見ながら歌っていた人の事を思い出すから。
それは幼い頃の、鮮明に覚えている記憶だ。
“あなたは遠く離れた場所から光を送り”
“移ろいながらもあの人を見つめていられる”
“どうかしばらくそこにいて”
“教えて……愛しい人はどこ……”
“伝えて……愛しい人に……”
「何の歌ですか?綺麗ですね」
思わず口ずさんだものが聞こえたみたいだ。
さすが、耳聡い。
「知らない?歌劇だけど、引きこもってたから知っているはずないか」
「はい……勉強不足でごめんなさい。僕は、これからたくさん努力して、今まで怠けていた分を取り戻します」
後ろから聞こえてきた王子の声は随分と気落ちしたものだ。
「あなたは別に、怠けていたわけじゃない。未熟だっただけ。幼かったから大きな力を制御する能力を会得できていなかった。まぁ、努力しなければならないのは同じだね」
「頑張ります!」
励ましたつもりではなかったけど、王子の声の調子は元気を取り戻したものだった。
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