第3話 荒れた室内で手を差し伸べた
一歩中に入って、まず、室内の様子に目を向ける。
中途半端に開けられたカーテンの隙間から外の光がわずかに入り込んでいたから、それで中の様子を知ることができた。
完全に締め切っていたら、真っ暗だったとは思う。
ずっと窓を開けていないのかな。
廊下よりもさらに埃っぽい空気だ。
それから、散乱した本。
床に落ちて割れた花瓶。
インク瓶も転がっており、黒いシミが絨毯に広がっている。
よく見れば窓もヒビだらけだ。
破れたカーテンの隙間からそれが見えた。
とにかく、荒れた室内が目についた。
ここの住人がやらかしてしまった後始末ができずにそのままなのだ。
それらを確認したところで後ろ手に扉を閉めると、遠慮なくさらに中程へと入らせてもらった。
その途端、
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」
耐えかねた様に悲鳴とも咆哮ともつかない声があがった。
と同時に、足元が大きく揺れて、窓ガラスがビリビリと震えている。
閉め切った室内に“声”は反響し、それらに重なるように新たな叫び声が響く。
とうとう窓ガラスは割れて一部が床に落ちていた。
その声の持ち主がいると思われるベッドに近づこうとすると、拒絶するかのように咆哮は増した。
構わず、スタスタと足を進める。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
その声こそ地鳴りのように響く。
変声期前の、少し高めのこの声の持ち主は魔法使いなんだと思う。
声に魔力が混ざり、だからこんな風に周囲に影響を与えている。
何一つコントロールできない魔力は凶器であり、狂気だ。
私でなかったら、許容を超えた頭痛を引き起こして失神しているところだ。
だからこの部屋の前には、護衛すらいなかったのか。
で、うるさいと言われている事だ。
そうか。
うるさいのか。
また、数歩ベッドに近付くと、人影を確認できた。
シーツを頭からかぶった、私と同じくらいの男の子の姿を。
顔は涙で濡れており、目の周りは黒く見えた。
怯えたような視線が私に向けられている。
痩せ細っていて、明らかに不健康そうだ。
とても王子だとは思えない。
孤児院の子供達の方がよほど元気だ。
このまま放っておくと、精神が壊れていずれ命を落とす事は目に見えていた。
そんな姿を認めると、球体の中に包み込んであげるイメージで、彼の周りの音を完全に遮断してあげた。
その途端に、彼の表情の変化は顕著だった。
ポカンとした顔で私を見つめている。
何か、口が微かに動いたけど、彼の周りの音を遮断しているから、彼からの声も聞こえない。
しばらく、私と王子は見つめ合っていた。
私は、混乱状態にあるであろう王子が落ち着くのを待っていた。
正体不明の者が自分の私室に侵入してさぞかし驚いていることでしょう。
待っている間に、王子の魔力を少しだけ封印した。
コントロールできずに再び暴走するのを防ぐためだ。
王子が保有している魔力量は、膨大なものだった。
国随一、私やヴェロニカさんに並ぶほどだ。
潜在能力だけなら王太子のミハイル以上だけど、それも私が特に気にする事ではない。
それで、王子が落ち着きを取り戻すのは意外にも早かった。
“あなたは 魔法使いですか?”
私を真っ直ぐに見つめた王子の口がそんな風に動いたから、コクンと頷いた。
王子のそばにゆっくりと近付いた。
王子は、近付いてくる私を見ている。
疲労を濃く滲ませた視線が私に向けられているけど、それはもう、狂人のものではなかった。
そっと両手を伸ばして、王子の両耳に手を添えた。
ビクッと一瞬体を強ばらせていたけど、耳に軽く触れられただけなのがわかると、体の力を抜いてくれた。
「これなら、どう?私の声、うるさくないと思うけど」
「あ……はい……普通に聞こえます」
王子の口調は、とても穏やかなものだった。
これが、本来の彼なのだ。
「貴方の兄王子が心配して外で待ってるよ。とりあえず、一緒に部屋の外まで出てくれる?しばらく余計な音は聞こえないと思うから」
「はい……」
王子の痩せた手を引いてあげると、ゆっくりとした動きでベッドから下りて、裸足で床の感触を確かめていた。
「歩けそう?」
「はい」
私と並んで歩く様子を見ても、足取りは悪くない。
床に散乱した物に注意しながら部屋の入り口まで連れて行って扉を開けると、その向こうに、驚いた様子の王太子の姿があった。
「レナート!」
すぐ様駆け寄ってきた兄王子に引き渡すべく、私は王子の手を離して廊下の隅っこに移動した。
「ミハイル兄さん……ですか?」
王太子は、心底安堵した様子で王子を抱きしめて労っていた。
「今はどんな具合だ?もう、体調は良くなったのか?」
王太子は視線を上下に動かして王子の状態をチェックしている。
感動の兄弟の再会といったところだ。
「魔法使いさんが、僕に魔法をかけてくれて、それで、楽になれました」
王太子は、今度は私に視線を向けた。
「ありがとう。君はレナートの恩人だ。ヴェロニカが来てくれるまで、レナートは呪いを受けているのではないかと思っていたんだ」
単純な話だ。
彼は人よりも、だいぶ聴こえが良いのだ。
良いと言ってはいけないかな。
些細な音でも大きく聴こえて日常生活が困難なほどにまでなっていたのだ。
「この症状のきっかけはわからないけど、ヴェロニカさんには治す手立てがなかったのでしょう。呪いのせいではないし、病気が原因でもない。彼自身の制御できない魔法によるものが大きいから」
それと、心的要因がかなり大きいのかもしれないけど、細かな事情はわからないし、興味も無い。
私が軽く説明を終えると、王子はすぐに使用人達に連れて行かれていた。
この後、医師からの診察を受けた上で、身の回りの世話をアレコレしてもらうのだと思われる。
さて、私の役目は終わりだからもう帰るかと思っていたけど、そういうわけにはいかないようで、応接間へと連れて行かれていた。
ヴェロニカさんは相変わらずニコニコしていて、もう少し付き合わなければならないのかと、諦めるしかないようだった。
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