第32話 レナート


「そっちに行ってはいけないよ」



 先の見えない暗がりへと向かう僕に、誰かが言った。


 人よりもほんの少しだけ永く生きて、天寿を全うした僕は、エカチェリーナさんに会いたくて、彼女を探すための長い旅に出るつもりでいた。


 会って……僕はどうするつもりなのか。


 そもそも、本当に会えるのかもわからない。


 エカチェリーナさんは、僕を恨むことも罵ることもしないだろう。


 僕の存在なんか忘れてしまっているかもしれない。


 それならそれで、構わなかった。


 でも、もし、エカチェリーナさんが今も何かに苦しめられているのなら、今度こそ僕は何を捨てても彼女を救いたい。


 生身の体から切り離された今は、どこにでも行ける。


 そんな、実体のない僕に誰かが声をかけた。


 本能的な恐れと予感からの警告も無視して、エカチェリーナさんがいると思われる方へと向かおうとしていた僕に。


 その声は、大人の男の人のものなのに、子供のようにも思える不思議な雰囲気の人だった。


「ごめんね」


 何故かその男性は僕に謝ってきた。


「間に合わなかった。君達を助けてあげられなかった」


 やはり、謝られる理由がわからなかった。


 この男性には関係ないはず。


「私はね、ジェネヴィーブを追って、世界を渡っている」


「ジェネヴィーブ……エカチェリーナさんのお師匠様……」


「うん。彼女は、いろんな世界で少女をおもちゃにしているんだ。その中の一人が、君の大切な人なんだ」


 僕がエカチェリーナさんのことを大切だと、口にする資格はない。


「エカチェリーナさんを殺めたのは、僕自身です。彼女のことが大切だと口にしながら、その命を天秤にかけて……あの判断が正しかったとは、今でも思っていません」


「うん。でも、それがその子の望みだった」


「僕のエゴであっても、彼女の本当の願いであると思いたくない。僕は、エカチェリーナさんに、生きることを諦めてもらいたくないと、言ったばかりだったのに。僕が無知で無力だったせいで、最も犠牲の少ない道を選択して、結果、彼女を切り捨てて」


「君の葛藤は伝わってくるよ。人を殺める行為は、どんな理由があっても肯定はできないよね」


 何を言っても、言い訳だ。


 あの時、エカチェリーナさんが言っていたことを、今にならなければわからなかった。


 エカチェリーナさんの代わりなんかいない。


 どこにもいない。


 親しい人がいなくなって、自分だけがずっと生きていなければならないことがどれだけ辛いか。


 エカチェリーナさんの孤独を、僕はちゃんと理解してあげられていなかった。


 僕は、助けてもらってばかりで、口先だけで。


「君は、私の弟子になってみるかい?そのままでは、魔女に抵抗できずに、また大切な女の子を連れて行かれてしまうよ」


「申し訳ありません。それがわかっていても、僕は貴方の弟子にはなれません」


 僕の師匠はエカチェリーナさんで、僕はエカチェリーナさんの弟子なのだから。


「そうなんだね。でも、声をかけて引き留めた縁があるから、じゃあ、こうしよう。私は君の先導者になれるように努力するよ。その子は、君に殺されたことによって、魔女の呪縛からは解放されている。でも、興味を持たれて、その手の中に未だに握られているようだね」


「どこにいるか、わかるのですか?」


「うん。その子の転生を追いかけるのに代償は必要だけど、君は頑張れる?」


「なんでもします」


 不思議と、男性の言葉に、信用できるできないといった疑念は抱かなかった。


 今の僕は実体が無いからこそ相手の心の底が透けて見えて、それはとても心地の良いものだと感じられていた。


 この時になって初めて、霧が晴れるように男性の姿が見えてきた。


 目の前に立つ姿は、穏やかな微笑を浮かべている黒い髪に金色の瞳の成人男性で、声の通りにどこか子供のような表情にも見えていた。


 見た目は30代後半のような容姿をしていたけど、それなのに、それなりに年月を重ねて生きた僕よりも遥かに年上にも感じるから、本当に不思議な人だった。


「貴方は、神と呼ばれている存在なのでしょうか?」


「そんな、大層なものじゃないよ。私はただの魔法使い。本来なら、別の世界で生きている者だ。ただ、ジェネヴィーブとは少なからず因縁があってね。私は、君達の助けになりたい。そして、少女達を解放してあげたい」


 その中には、エカチェリーナさんも含まれているようだ。


「こっちだよ」


 男性が指差し、そして歩き出した方向を見た。


 今は何も見えなくても、この先にエカチェリーナさんがいる。


 そう思うだけで、希望で胸がいっぱいになる。


「姿形も変わって、記憶も薄れてしまうだろうけど、君ならきっと大丈夫。彼女のことも、きっとわかると思うよ」


 優しい声が、僕を包み込んだ。


 何もかもが変わってしまっても、変わらないものはあるから。


「まだ、名乗っていなかったね。私の名前は───」


 前を向いた男性の背中を追って、僕もその先へと、歩き出していた。











──────────────

これで完結となります。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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聖女は歌う 復讐の歌を 奏千歌 @omoteneko999

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