第27話 夜空が赤く染まった日

 今は無の森と呼ばれている場所に、ルファレットとドラバールという二つの国があった。


 ルニースの隣にあったルファレット王国が、私が生まれた国で、六歳まで両親と幸せに暮らしていた。


 国二つが消滅した大厄災から十年。


 この世界に、そのことによる混乱はもう無いように見える。


 誰も、あの国の者達の顔も名前も思い出せないのだから。


 そのように記憶の一部も消滅してしまった。


 同盟を結んでいた国々に寝首をかかれたのは、ルファレットのみに聖女が生まれていたことが原因だった。


 私達の国は代々、王家と聖女を中心として封印を守っていたのに。


 でも今はあの国があった場所に、封印されていたものは悪しきものとして溢れている。


 何故、愚かで悲劇的なことが起きてしまったのか。


 元凶は、帝国の領土を侵したドラバールで、逆に侵略の憂き目に遭っていたからだ。


 期日までに提示された多額の賠償を払えなければ、国土の三分の一を失いかけていて、だから、力を欲して、竜を従わせることができるという間違った認識から、竜玉を奪おうとした。


 竜玉は、私そのものなのに。


 あの日、ドラバールからの急襲を受けて避難のために城を出る時、すでに夜空が炎に照らされて赤々と染められているのを見た。


 私を抱き上げたアリスタルフ叔父様にしがみついて、その夜空を見上げていた。


 お父様とお母様はお城に残ってて、不安でいっぱいだったのを覚えている。


 ドラバールは、足を踏み入れた端から建物を壊し、火を放っていった。


 手段を選ばずに蹂躙するつもりだったのだ。


 そんな時にルニースの騎士が訪れ、せめて私達だけでも亡命させるべきだと言った。


 でも本当は、聖女だけを連れ帰ろうとした。


 ヴェロニカさんを、ミハイルの妻にすると言っていたのを聞いた。


 私は一度、ルニースの神殿騎士に殺されている。


 殺される直前のあの時の事はよく覚えている。


 成人したばかりの、そして騎士になったばかりだったアリスタルフ叔父様が、私とヴェロニカさんを逃してくれていた。


 ルニース王国は、ドラバールの侵攻に便乗してルファレットに悪意を持って入り込んできた。


 だから、ルニースの騎士が私達の前に現れると、口先だけのことを言ってアリスタルフ叔父様を殺すと、私とヴェロニカさんを連れ去った。


 アリスタルフ叔父様は、あの時確かに命を落としていた。


 婚約者だったヴェロニカさんの目の前で殺されて……


 ヴェロニカさんが王都で連れていた護衛騎士は、アリスタルフ叔父様を模した泥人形のようなものだ。


 結果的に彼女はお人形遊びをしていただけで、だから、ヴェロニカさんが処刑されたと同時に、その泥人形も消え去った。


 ヴェロニカさんの協力者は、まだ、別にいる。


 おそらく、御師匠様が連れてきた人ではないか。


 それなら、最後まで姿を見ることはできないのかもしれない。


 私もヴェロニカさんも叔父様のことが大好きだった。


 その叔父様が殺されて、混乱の最中に連れ去られた幼い私達は、ライネ領の防護壁を通り抜ける直前に引き離されていた。


 ヴェロニカさんは泣きながら私に手を伸ばして、私はとても怖くて、何が起きるのかと、ただただ震えていた。


 剣を持った大人達に取り囲まれて、その中の一人はアリスタルフ叔父様を殺した人で、守ってくれる人は誰もいない。


 知っている人はヴェロニカさんしかいない。


 神殿騎士に剣を向けられたところで、ヴェロニカさんに近付く人影があった。


 それが、ミハイルだった。


 ミハイルは、ヴェロニカさんの耳元で何かを囁くと目を覆って、直後に激しい光が瞬いて、私は咄嗟に目を閉じたのにしばらく何も見えなくなっていた。


『こっちだ』


『エカチェリーナ、ついてきて』


 私の手を握ったのがヴェロニカさんだとわかり、見えないながらも足を動かして走った。


 たくさん走った。


 どれだけ走ったか、目が見えるようになった頃、そこは森の中だった。


 ルファレット側の森の中に、私とミハイルとヴェロニカさんはいた。


『あなたは誰?』


 ヴェロニカさんは、私を抱きしめながら、警戒する視線をミハイルに向けていた。


『私はミハイル。弟が、婚約者の王女殿下のことを心配していた。君達のことを助けたい。私の父親は、手段を選ばずに己の欲しいものを手に入れようとする。だから、君達は隠れて。この先に、隠れられる場所を見つけてあるんだ。少しだけど食料も運んである』


『どうして……』


『私は、君達を助けたい。そして、弟を悲しませるような事はしたくない』


 ヴェロニカさんはミハイルを信用して、彼の案内について行くと、後方からガサガサと音が聞こえた。


『殿下!』


 女の子の声。


 ミハイルが驚いた様子で振り向いた。


『ユーリア、どうして』


 私達の前に姿を見せたのは、後を追ってきたライネ辺境伯爵家のユーリアだった。


『殿下がこちらに走って行くのが見えて、追いかけてきました。お戻り下さい。この先は危険です』


『駄目だ。彼女達の命が危ないんだ。助けないと』


『殿下が助ける必要はありません!』


『それは君が決める事じゃない。彼女達を助けなければ、私は、弟に対する罪を償うことができない。だから、ユーリア。君は屋敷に戻っておいた方がいい』


『この子達は誰なのですか』


『君には関係の無いことだ。これ以上は関わらないでくれ。君も罪に問われるかもしれないから、家に戻るんだ』


『こんな子達こそ、殿下には関係ないではありませんか!私、聞きました。国王陛下が誰かを連れてきて殿下と結婚させると。それは、この子のことではないのですか?こんな子達、殿下には相応しくはないのに』


『大きな声を出さないで、ユーリア。そんな事よりも、私は彼女達を守らなければならない。それは、自分の命よりも大切なことなんだ』


 ユーリアは自分の主張が通らず、思う通りにならないのが納得いかないのか、唇を噛み締めると、


『殿下はここにいます!!誰か来て!!逃げている子達も一緒です!!』


 大声で叫び、ミハイルが止めるのも聞かずに同じことを繰り返し、叫び続けていた。


 それだけ騒げば、すぐに再び、騎士達に囲まれていた。


『離れてください、殿下。危険です』


 騎士に告げられても、ミハイルは私を抱きしめていた。


 おそらく、より危険があるのは私の方だと理解していたのだろう。


 ヴェロニカさんが騎士に引き摺られるように離されても、ミハイルは私を守ろうとしていた。


『ミハイル、何故貴様がここにいる!屋敷で待っていろと言ったはずだ!!いったい、何をしたのかわかっているのか!!』


 国王までもが追ってきていた。


『駄目だ!!この子は、殺させない!!レナートが泣いていたんだ!!お姫様が大人達に殺されるから助けてほしいって!!父上!!何故このような残酷な行いができるのですか!!』


 ミハイルは、私を抱きしめる力を緩めなかった。


『下がれ、ミハイル!!』


 ミハイルの心臓が、緊張でドクドクと激しく鳴っていたのが聞こえていた。


 私の手を引いて逃げようとしてくれて、でも、それを遮ったのはユーリアだった。


 両手を精一杯に広げて、行く手を遮って。


『殿下!!行かせません!!そんな子よりも御身を大切にしてください!!唯一無二の貴方の代わりなどいないのですから!!』


 ユーリアが私の足を小さな銀のナイフで刺す凶行を犯してから騎士の前に突き飛ばし、ミハイルの手を無理矢理引いた。


 二人は反動で地面に倒れ込み、ユーリアは泣きながら私に言った。


『ミハイル様を巻き込まないで!!あなたの命なんかと比べ物にならないくらい大切なお方なんだから!!ずっとずっと大切なお方なんだから!!』


 カトラリーのナイフでも、私を傷付けるには十分で、足の激痛に立つことができなくて、その言葉を地面に座ったまま聞いていた。


 その直後のことだ。


 ルニース国王が言った。


『目の前で同胞が殺されれば、大人しくなって従うだろう。構わず、ヤれ』


 ちょうど竜玉がある位置を剣で貫かれて、血の泡を吐き、体は痙攣を繰り返し、簡単に打ち砕かれた竜玉から、強烈な光が放たれて、私の後方に瘴気が噴出した。


 その軌道にほんの少しだけかすっていたミハイルが直撃を免れたのは、ユーリアがミハイルを拘束するように抱きしめていたからだ。


 竜が眠っていた場所を中心に、そこに住む人々と共に国二つが消し飛んだ瞬間だった。


 悪いものは、ちょうど国二つ分を呑み込み、そこには私の両親も含まれていた。


 私の周辺では、何人か直撃を受けた騎士は即死していた。


 それが、あの時に起きたことの顛末だ。


 でも、私にとっての最悪は、これで終わりではなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る