第26話 聖女の処刑

 歌劇を観に行くための準備をしていた。


 ドレスコードが必要な劇場だから、それは借りることにして、慣れない準備をしていた時に、その異変は突然私を襲った。


 胸が、痛い。


 当然のことに、胸を押さえて体を折り曲げる。


 一度体験した、それは死を意味するような激痛が胸を襲った。


 続いて、冷たいものが一気に体の中に入り込んできたかのような感覚に陥ると、急激な脱力感に襲われて、意識を失っていた。


「エカチェリーナさん!?」


 物音を聞きつけた王子が駆けつけたのはわかったけど、何かの意思を伝えることは叶わなかった。


 私が意識を取り戻してこの原因を知ったのは、それから三日後で、何もかもが終わってしまった後の、取り返しがつかなくなってからのことだった。


 そのことを、王子の口から聞くことになった。


 ベッドの上で目が覚めた私は、傍らに座っている王子を見上げていた。


 泣きそうになっている王子の顔を。


 ゆっくりと体を起こす。


 私を支えるように王子が手を伸ばしてきたから、それを制して尋ねていた。


「何日寝てた?」


「三日です。具合はどうですか?エカチェリーナさんの体がずっと冷たくて、いくら温めても体温が上がらなくて」


「私のことはいい。大丈夫だから。それよりも、何か、変わったことが起きなかった?」


 私がベッドの端に足を下ろして座るのを確認すると、王子は言葉を選ぶように、それを話し出した。


「昨日のことです。エカチェリーナさんが意識を失っている間に皇子殿下に呼び出されて、ルニース王国内で、王太子の手によって、聖女ヴェロニカが……処刑されたということを聞きました。発端は、ヴェロニカさんが、父親が誰かわからない子供を生んだからだそうです」


 王子は感情を隠し、淡々と私に報告していた。


 それを聞いて、ああ、そうなんだと思っていた。


 発端はと言うけど、ヴェロニカさんの計画はもっと前から始まっていたのだろう。


 自分の計画を邪魔されたくないから、ヴェロニカさんは、もう一人の復讐者となり得る王子を私に助けさせたのだから。


 万が一にも、力を持っている王子が、王太子を殺さないように。


 子供が生まれるのは、まだ先のはずだったのに……


「それから、ミハイル王太子はヴェロニカさんと関係をもっていた国王を殺害し、そして、聖女の処刑を行ったそうです。神官長も首を括られた状態で発見されて、おそらくそれも、兄上の指示だったのかと……」


 王子の顔が悲しげに歪んだ。


「どうして……ミハイル兄さんが……そんなことを……」


 漏れ出た吐露は、思わずといった様子で呟いた王子だったけど、またすぐに表情を引き締めて私に報告を続けた。


「それと、皇子殿下から尋ねられました。ユーリアさんに原因不明の不調が現れて、聖女が彼女に何かをしたのではないかと」


 それを聞かれても、私までもが意識を失っていたから、ヴェロニカさんが私に何かをするはずがないと、王子は返答に困ったそうだ。


 今はユーリアなど、どうでもいい。


「君はバカだ。どうしてすぐにミハイルの元へ行かなかったんだ」


「ミハイル兄さんの元へは行きました。でも、会ってはもらえずに、誰にも会おうとはしなくて、大臣達には指示を残してきましたが、意識の無いエカチェリーナさんをいつまでも一人残しておけなくて」


「…………」


 私が倒れた理由は、ユーリアの不調とはまた別のものだ。


 目覚めた時からずっと、魔力を吸い取られていく感覚があった。


「帰らないと……」


「エカチェリーナさん」


「家に、帰らなければ……私は急いで家に戻るから、君も早く城に戻って」


 ミハイルだけは道連れにしてはいけなかったのに、よりにもよって、ヴェロニカさんの復讐は、ミハイルの手によって完遂されなければならなかった。


 ヴェロニカさん……


 悲しいはずなのに涙を一つもこぼさない私は、やはりどこかおかしいのかもしれない。


 ヴェロニカさんの死で、ある一つの呪いが発動した。


 それが、彼女が最期に願った事だ。


 処刑台にいたヴェロニカさんは、ずっと歌を口ずさんでいたそうだ。


 消えいるようなか細い声なのに、その場にいる誰の耳にも届いていた。


 下手したら、国中に届いている。


 これが、聖女の呪いだ。


 罪悪感を植え込み、少しずつ人々を蝕む呪い。


 ヴェロニカさんは、復讐のために聖なる力を反転させて、闇に堕ちた。


 物語に出てくる悪しき魔女のように。


 ヴェロニカさんの最期の様子も、王子はちゃんと私に話して聞かせた。


 彼女はその首が床板に落とされる直前に、幸せそうに微笑んでいたと。


 物体と化して転がるヴェロニカさんの首。


 赤く燃え盛るような不気味な夕陽が差し込む中、その首を掴んで掲げ、泣きながら笑っていたミハイルを見て、集まった者達は恐れ慄いていたという。


 そこまで聞いたところで、王子を急いでミハイルの元に向かわせて、私も帝国に来た時の半分の時間で森の家に戻った。


 扉を開けて、たった数日留守にしただけの無人の室内を見渡すと、予想通りにテーブルの上に手紙が置かれていた。


 焦る気持ちを落ち着かせて、もはや動揺を隠せない震える指先が手紙を開いた。


 その内容は、ヴェロニカさんの計画が嬉々として書かれているものであった。





『やったわ!


 私達の国民以外、だれも生き残らない!


 だから、エカチェリーナが女王として、国を再建することができるのよ!


 貴女は死なないもの!


 未来永劫、ルファレット王国は続いていく。


 私を愛してくれたミハイルのおかげだわ。


 でもね、エカチェリーナにだけ、私の秘密を教えてあげる。


 本当はね、生まれてきたあの子は私とミハイルの子供なのよ。


 私、ミハイルを裏切ってはいないのよ?


 最後に少し、嘘をついただけ。


 だからね、生まれてきた子供の見た目だけでもルファレット王家のものに変えたの!


 赤い髪に深緑の瞳。


 ジェネヴィーブ様が手伝ってくださったの。


 ジェネヴィーブ様は、とっても上手に復讐ができたって褒めてくださったわ。


 ミハイルはきっと、父親と自分の子供を殺すことになるの。


 残酷でしょ?


 そうするように仕向けたの。


 彼はちゃんと私が連れて行くから心配しないで。


 それで、ルニース王国の血筋は途絶えてしまうの。


 次はエカチェリーナの番よ。


 貴女の手でユーリアを殺さなかったのは意外だったけど、あの娘は大切な家族から引き離されて、親の死に目にも会えないはずだもの。


 初恋の相手も奪ったことだし、十分苦しませたわ。


 本当は森に置き去りにするとか、もっともっと苦しませたかったけど、ひとまず彼女への復讐は果たせたのかしら?


 あとは呪いの影響で勝手に死んでくれるわね。


 最後は必ず、銀の短剣で残ったルニース王家の者を刈り取るのよ。


 私はちゃんと、愛した人を欺けたわ!


 自分が愛したミハイルを裏切って、復讐をやり遂げたの。


 だから、貴女もできるわよ!


 必ず、呪いでは死なない、竜の加護を持つレナートを殺してね! 』


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