第30話 死が別つ
「王子……まだ終わりじゃないんだ。自分が愛した人に殺される事によって発動する呪いがある。お師匠様が考えそうなこと。国全体を覆う呪いは、それくらいの代償が必要なんだ」
「この、ジェネヴィーブという人が……」
王子は、両手で持った手紙の文字を視線で追っている。
私は、あの人の名前を口にしたくないし、文字で認識することすら嫌だ。
それくらい嫌悪を示す相手が、
「私のお師匠様だよ。お師匠様に言わせたら、私は期待外れの出来損ないらしい。でも、最後はどうやら貴方と、お師匠様が望む展開を演じなければならないようだ」
ヴェロニカさんが私に王子を助けさせた、最後の答え合わせが今なのだ。
「どうする?王子」
手紙から私に顔を向けた王子は、問いかけられて不安そうにしていた。
「私を殺さなければ、国は滅びる。私は、呪われた魔女。私が生きている限り、私の魔力を利用して呪いは国を覆い続ける。時間が無いよ。呪いが解けて国が助かったとしても、ユーリアの命が失われたら、あの皇子から何をされるかわからない」
王子のためには、それを気にしなければならないから億劫だ。
あの皇子のことは、森に侵入してきた時に見殺しにしておけばよかったのかな。
存在が癪に触るところがお似合いの二人なのだから笑える。
「それは……でも、だけど、魔女は死なないってエカチェリーナさんが……どうして僕に選ばせようとしているのですか?」
「…………」
王子の中で、不安はさらに大きくなったようだ。
魔女は死なない。
死ねない。
心臓が別の場所にあるからだ。
でも、もし愛した人に心臓を刺されたら……
それは、私のお師匠様が定めた条件。
愛した人に殺される時、それは幸福を感じる時なのか、絶望する時なのか、知りたいと言っていた。
本当に……狂っているとしか思えない人だ……
「私は、悠久を生きる魔女から血を分け与えられた。今は、制約に縛られている状態で、この体の時間が終われば、お師匠様からは解放される」
嘘は言ってはいない。
保証がないだけで。
「私はこのままだと、親しい人がいなくなっても、自分だけはいつまでも生きていなければならない。ヴェロニカさんがいなくなった今、私には何の未練もないんだよ。むしろ、早く」
「まだ!まだ、村には子供達が残っています!あの子達にはエカチェリーナさんが必要です。それに、僕がいます。僕がエカチェリーナさんと共にいます。僕じゃダメなのですか?」
言葉を途中で遮ってきた王子は、その勢いのまま私に近付いて、引き留めるように手首を掴んだ。
「だからだよ。王子」
村の子供達のことを、王子に託せるくらいには信頼している。
「選んで、王子。これが私の復讐だ。国の滅亡を止められるのは、あなただけだ」
私の腕を掴んでいる所からも、王子の緊張は伝わってくる。
「だけど、それならば、僕を殺せば。ヴェロニカさんの言う通りに銀の短剣で心臓を突き刺せば」
「矛盾しているね。つい今しがた、一緒にいると言ったばかりなのに」
「それは……」
「あなたを殺したところで、呪いは解けない。ルニースの王族を真っ先に根絶やしにしたいだけなのだから」
「必ず、何か方法があるはずです。僕は、貴女に生きることを諦めてもらいたくない」
「私はもう、一度死んでいる身だよ」
「僕の目の前に、貴女はまだいます」
ソファーに座る私の前で膝をついた王子は、存在を確かめるように手を握ってきた。
私のよりも大きくて硬い手で両手が包み込まれる。
王子は、どうしても私を諦めきれないようだ。
私に向ける好意が本物なのはもう理解しているけど、それだけではないのだろう。
二人とも本当に優しい王子だった。
あのクズから、どうしてミハイルのような子供が生まれてきたのか。
レナートも善良に育って。
王族としては息苦しいだろうに……
この人達が、当時の王であったならと思う。
背後から騙し討ちなどはしなかったはずだ。
幼い子供を拐うなど、しなかったはずだ。
ルニースはあの時、逃げる人達の退路までもを断った。
難民が自国になだれ込むのを防ぐために。
川や井戸に毒まで投げ込んで……
それでどれだけの人が苦しみながら死んでいったか。
今さら言っても仕方がない。
悠久の歴史の中で、たら、れば、を繰り返すのは無意味だ。
でも、これだけは言える。
「あなたは、善き王になれるよ」
離したくないと言うように私の手を握ったままの王子に、それを告げた。
「エカチェリーナさんは、残酷です。僕には、死を与えてはくれないのですか?貴女と共に自ら選ぶ死を」
私を見上げて懇願する様子は、まるで駄々をこねる子供のようだ。
「ダメ。これは、あなたへの復讐なのだから」
言葉を一度区切る。
「レナート」
自分なりの愛情を込めて、名前を呼んだ。
言葉には、時として魔力が込められた魔法のような効果が生まれることがある。
私の言の葉が影響を与えたのかはわからないけど、少なくともレナートは、魅了魔法をかけられたように熱を帯びた視線を私に向けている。
頬を染めて、何かを言いかけて口をぱくぱくとさせている。
「あなたが私の存在を覚えててくれて、嬉しかった。私、初めて会えた時はレナートのことを何とも思ってなかったよ。ほんの少しだけ懐かしく思えたものはあったけど、助けたのはヴェロニカさんから頼まれたからだった。あの絵葉書を大切に持っていてくれてありがとう。今は、レナートを助けてあげられてよかったと思っているよ」
「貴女は、本当に酷い人です……こんな時に……僕の名前を初めて呼ぶだなんて……」
今度は、泣く寸前のように、くしゃりと顔を歪めてみせた。
正直な感情を見せてくれる、変に背伸びしないこんなところを愛おしいと思える。
「あなたが私のせいで苦しむ必要はない。あなたにおまじないをかけてあげる。あなたが苦しくて、私を忘れたいと願った時、綺麗さっぱり私のことを忘れるおまじないを。忘れてしまえば、罪悪感もない」
「必要ありません」
キッパリと否定してきたけど、覚悟を決めてほしい。
「保険だよ。人の気持ちは簡単に移ろう。今のあなたの気持ちが本物であっても、時が経てば変わるものだ」
レナートの手を離すと、頬を両手で包み込んで、額にそっと口付けをした。
これが、忘却のおまじないだ。
望めばすぐに発動する。
立っていたら、きっと背伸びをしても届かなかったかもしれない。
出会った頃よりも随分と背が伸びて、たくさん努力して心も成長した。
それでもこれから、さらに大急ぎで大人になることを迫られる。
心で謝罪しながらも、私は覚悟を決めた。
「レナートが私を殺しやすいようにしてあげる」
不意打ちを受けて驚いた表情になっていた目の前の人を、ドンっと床に突き飛ばして立ち上がると、右手に大鎌を握った。
鎌は、私の呼びかけに応じて現れ、無数の蔓が巻きついて私の腕と一体化する。
「エカチェリーナさん!!」
振り切るようにレナートを置いて、家から飛び出す。
空を駆けて、目指すは王都。
ヴェロニカさんが多くの時間を過ごした場所。
聖女誘拐を目論んだ元凶の場所。
目的地に到着すると、鎌を振るって、まず神殿を破壊した。
人々が逃げ惑う様子が、上空からはよく見えた。
神殿には救いを求めて、まだ動ける多くの者が祈りに訪れていたのだ。
馬鹿馬鹿しい。
虚像に縋って、何になる。
世界を守っていた本物は、もう、どこにもいないのに。
ルニース国民が蠢く様は、蟻が死骸に群がるようで気持ち悪い。
燃やし尽くしてやりたくなる。
炭にしてやるつもりで、地面に向かって炎を噴射したのに、それは人々に到達する前にすぐに消し去られていた。
「エカチェリーナさん!!やめてください!!」
飛竜に乗って、レナートが追いかけてきた。
身を守る術として教えた魔法を、国民を守るために使ったようだ。
レナートの呼びかけは無視して、次の獲物を探した。
鎌を振るい、目の前の物を壊すたびに仄暗い感情が芽生えてくる。
本当は、こうしたかったのだと。
両親を、故郷を奪ったこの国を、同じように滅茶苦茶にしたかったのだと。
視界に、一人の男が映し出された。
それは、両親を殺した男だ。
騎士から、聖職者になっている。
最後までヴェロニカさんが残していた者。
命令だから仕方なくなどではなく、殺すことを楽しめる男だった。
ちょうどいいとばかりに、鎌を横に薙ぎ払って、その首を撥ね飛ばした。
頭部が転がり落ちて、断面から血が噴き出す様を見ても、気持ち悪いだけで心は何も晴れない。
神殿の者など、いくら殺したっていい。
ルファレットの人達のことを異端者と呼び、人間とは思っていなかったのだから。
「エカチェリーナさん!」
レナートが剣で私の鎌を受け止めたけど、
「邪魔」
片手であしらい、弾き飛ばす。
そうしている間に、地上ではバタバタと人が倒れていった。
呪いによって悪夢に引き摺り込まれていく。
あの人達は、あのまま目覚めることはないかもしれない。
この光景を、レナートも見ている。
国の人口は簡単に半減し、明日の朝日を見るものはもうほとんどいなくなる。
私が手を下さなくても、勝手に死んでいく。
でも、次に狙いをつけたのは、地面に蹲っている女の子だった。
殺されたあの時の私と同じくらいの子。
何の感情も抱かずに鎌を振り上げると、女の子を守るために母親らしき女性がとびだしてきて、そして抱きしめている光景を見た。
いいなぁって、思っていた。
守ってくれるお母さんがいて。
守ってくれる大人がいて。
その母親ごと、無垢な存在の小さな頭蓋骨を打ち砕くつもりだったのに、私は最後まで鎌を振り下ろす事は出来なかった。
背中からトンっと押されるような衝撃を感じたかと思えば、自分の胸から突き出している剣先が見えた。
背後からは、嗚咽が聞こえる。
急激に力が失われてぐらりと体が傾くと、レナートに抱きしめられ、さらに竜の背中がそれを受け止めてくれていた。
考えてみれば、私には、自分の手を汚してでも止めてくれる人がいてくれた。
やっぱり、私がヴェロニカさんの復讐を止めてあげなければいけなかったのかな。
私は、ヴェロニカさんをどうやって止めてあげればいいか、わからなかった。
覚悟もなかったのかもしれない。
自分が一人になりたくないから、でも結局、一人残していかれて。
目眩しをするように竜が光のブレスを放つと、私を抱きしめたまま、レナートは王都のはずれに移動していた。
地面にそっと降り立つと、私を自分の膝の上に寝かせて、レナートが見下ろしてくる。
涙がポタポタと降ってきていた。
「泣きながら街を壊す貴女を、僕は、こうする事でしか……」
「泣いているのは……あなたの方だ……ごめんね……レナート…………」
私を抱きしめて、縋るように顔を埋めてくる。
あの時、お母様達と一緒に逝けてたら、こんな苦しい思いをさせなくてすんだのに……
私は、お父様とお母様と一緒に死にたかった。
魔女と契約してまで生きたくはなかった。
魔女との契約は終わりはしても、きっとジェネヴィーブは私を解放してはくれない。
死んでからも囚われたままの運命が続く。
次は誰かに迷惑をかけずに死ぬことができるのか。
誰かの手を汚さなければならないのなら、もう新たな生を授かりたくはない。
「ごめん……貴方を利用して、ごめんね…………レナート」
こんな私は早く忘れて、君は健やかに生きていったらいいから。
レナートの泣く声を最後まで聞きながら、私の意識はプツリと途切れて、そこで今度こそ終わりを迎えていた。
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