17 写鏡
アルベルトが拠点に帰還し、暫くしてから、ネクロムの皆が続々と拠点へ帰還してくる。
おかえり、と言ってもガブやウリには無視され、ラファには暴言を吐かれた。反応の仕方は違えど、まともなのはスルトとノアとミカだけだった。
「アベル、今から出れる?」
スルトにそう尋ねられ、顔を顰める。
「え……任務に?」
「ううん、本部に皆で行こう、って話になったの。理由は……追々話すね」
一瞬だけその赤い双眸が目蓋で半分隠される。何か言いたい事があり、気が気でない様子だった。
「アベル。ミカが呼んでいる」
緑の髪を掻き上げながら、ノアがそう言ってきたため、ミカのいる部屋へ向かった。
部屋に来て、ミカと向かい合うように黒いイスへ腰掛け、彼の顔を見やる。一見穏やかだが、その瞳の奥には色々な物が渦巻いているように感じた。
「アベル。お前に一つ聞きたいことがある」
「……何?」
「お前はここに来る前、地下研究施設に行ったことがあって、そこで、あのチビ共を拾った……間違いないな?」
「うん」
アルベルトは、深く頷く。
すると、彼の顔に、真意がよく分からない、複雑な笑顔が浮かび上がる。
「そうか……まぁ、分かった。とりあえず車に乗れ」
彼の顎が扉を示した為、アルベルトは部屋から出る。呼び出された意味とは、何だったのだろうか。
出た先の廊下に、ウリとガブがおり、彼女を目に入れるとぴくり、としてから硬直した。
また自分を偏見の目で見ているのか、と彼らへ一瞥し、装甲車の元へ急いだ。
全員が車に乗り込むと、車体は浮遊してレールから引き離される。物凄いスピードで発車し、目的地へと急行する。
「アベル、あのね。私達、前に行ったような地下施設の調査に行ったの」
隣に座ったスルトが、無音の空間でぽつりと言葉を紡ぐ。耳元で囁かれたからか、彼女の吐息が少しくすぐったかった。けれど、そんな物すらも、今の自分には恐ろしい。
「色々な研究をした跡があったんだけど、そこにね……〈
「……え?」
耳を疑い、黙って聞いているつもりだったのに、思わず声を漏らした。
その方法や現状の前に、何故そんな事をする必要があるのかを知りたくて仕方がなかった。
〈
誰が一体何のために?
数々の疑問が湧き上がる中で、あの仮面の男の顔が執拗に思考へ入り込んでくる。
〈Eヘレティクト〉、研究、目的――。奴の言葉と今告げられた事実を結びつければ、何かが紐解けそうであった。
だが、アルベルトは口に出せずにいた。
もしも、セトとルルワが、怪物の支配を克服した新たな存在として研究対象にでもなったりしたら――
自分の一言が原因で、彼女達が酷い目に遭う姿を想像すると、胃液がせり上がってくる。
彼女達は、自分の光だった。
自分の事を信じてくれた、だから、胸の中で泣いてくれた。
そんな子達を見捨てるような真似をするのは、心の底から嫌であった。
「アベル……?」
「――あ。いや、何でもないよ」
見透かされたような気がして、軽く受け流す。彼女とは、会ってない期間は長いがもう五年の仲だ。スルトの目には、何でもお見通しだろう。
「……前にも言ったでしょ。辛かったり、しんどかったりしたら、私やノアでもいい、誰でも頼ってよ」
「五年前から――ずっとそうしたかったよ」
唇から零れ落ちた言葉が、波紋のように何度も響く。
スルトは満ちる哀愁をひたすらに隠すような、複雑な表情をしながら正面を向いた。
黙り込む彼女の背中へ、そっと手を回した。
どこまでも優しくて、温かい背中。
五年前、この布の先にある白い肌を、何度見てきたか。
恋しいようで、哀しいような。
◇
あっという間に本部へ到着した装甲車から降り、周りからの冷たい視線を浴びながら入口へ歩いていく。
視線にビクビク震えていたのはアルベルトだけで、他の誰もが、一般市民から浴びせられる視線を諸共していなかった。
エントランスに足を踏み入れた時、ネクロムの前へ立ちはだかる、一人の男の姿が目に止まった。
頬に紋章は無く、黒と紫を基調とした正式なMTの制服に身を包んだ強靭な身体。黒髪と赤目の東洋人らしい顔つきのその男は、じっとこちらを眺めていた。
「……おや、誰かと思えば。前の作戦でヘマこいてた隊長殿では無いですか」
ミカがそう言うと、形相を変え、近づいた瞬間に彼の胸ぐらを勢いよく掴んだ。
「貴様……この国の要の一部を破壊しておいて、よくのうのうと此処へ足を運んだな?」
「おや、汚れるのではないですか? 〈
男――トシミツは即座に手を離し、彼を突き飛ばす。
ミカの巨体はラファに激突し、何とか受け止められた。
トシミツ・イシヅカ。都市防衛隊隊長にして、特級技術者の資格を持つ者だ。不思議な名前は、この国が戦争で手中に収めた祖国の名残りらしい。“ニッポン”といったか。知識が中学で止まってるアルベルトには、詳しい説明が不可能であった。
「貴様のやった行いは、決して許されない。なのに、罪に問われるどころか、司令はお前を英雄扱いしていた……!」
「貴様ら〈
静かなエントランスに、身体震える程の怒声が木霊する。通り過ぎていく人々は、まるでその光景が当然かのように、見向きもしない。
「俺たちは何も、正義の味方として戦ってる訳じゃありませんよ。金の為、生きる為です。ま、そんな事しなくても生きられますが、俺たちは“人間”として生活したいんですよ」
湧き上がる憤りを噛み締めるトシミツの横を通り過ぎる際に、ミカは不敵な笑みを浮かべながらそう呟いた。
彼の後を追い、一同はエレベーターに乗り込む。人が多いため、半分に分かれ左右のエレベーターにそれぞれ乗る。
スルト、ウリ、ガブと一緒になり、肩身が狭い。口を繕って黙り込んでいると、段々、視界が揺れてきている事に気がついた。
エレベーターに乗っているから当然――否、高性能制御システムを搭載した現代のエレベーターに限って、揺れるなどという事はあり得ない。
そうこうしている内に、視界の揺れは頭痛を引き起こし、視界を霞ませると同時に、強烈な吐き気までも催させる。
掌で口を覆うと、スルトが真っ先に異変に気づいたのか、彼女の背中を擦った。
「大丈夫? どうしたの?」
「気持ち悪い……頭、くらくらして」
そういえば――帰ってきてから、薬を打つことをすっかり忘れていた。最早、眼中にすら無かった。
スルトの手が背中に触れても、全く落ち着く兆候が無い。やはり、人間は怪物の侵食に耐えられる程強くは無いのだ。
エレベーターは三階に到着し、スルトに連れられて、アルベルトは降車する。二人を差し置いて、近くの空き部屋へ連れ込まれた。埃被った金属製の箱の上に座らされても、症状は依然として治らない。
「アベル……! 薬、打ったの?」
そう聞かれ、アルベルトは首を横に振る。
「バカ……」と消えかかった声で呟くスルトは、今にも泣き出しそうだった。
華奢な白い指が、空色の髪を掻き分けてアルベルトの頬に触れてくる。切ない感覚に囚われ、束の間だったが、嘔吐感が消え失せた。
「どうして……あなたはいつも……」
〈
薄れゆく意識の中、一人悶絶していると、扉が開いて、置いてきた筈のガブが部屋に入ってくる。
彼女の腕を強引に掴んで袖を捲り、注射用ガジェットを取り出し、その針を手首に刺す。
刹那の痛みが走って、血管内に冷たい液体が入り込んでくるのを実感した。それが全身に行き渡っていき、次第に症状は収まった。
薬の投与が完了すると、冷や汗と大きな息が漏れた。内心、人で無くなる事を恐れていた証拠だ。
「ガブ……いいの?」
「勿論、一月分返してもらうよ。でも……ほっとけなくてさ」
ガブが目の前に立ち、アルベルトを無理矢理立ち上がらせる。
金髪から香る大人な匂いが、疲弊した鼻腔の中を瞬く間に目覚めさせた。
「この子は、スルトはね。あなたの事心配してるのよ。悲しませるような真似しないの」
「……ごめん……なさい」
「……うん。ちゃんと謝れた。よし! 私もう、あなたと事疑うのやーめた」
両肩を強めに叩き、ガブはそう言い放った。
空色の眼が、ぱちくりと瞬きを繰り返している。
「私、君のこと怖かったの。総司令の妹だから……って理由で。でも、それも今日でおしまいにする」
「だって、司令は私達に謝った事ないんだもの」
ガブは声を張ってそう言い切る。今更言われずとも、気づいてはいたが。
この際だから聞いてみよう、とアルベルトは勇気を出して、質問をぶつけた。
「兄が……ガブ達に何かした?」
そういうと、ガブだけなく、スルトも黙り込んだ。この発言は地雷だったか、とすぐ取り消そうとしたところで、彼女の口が動いた。
「知らないほうがいいよ。特に、アベルはね」
彼女の顔に、何か色々な物を抱え込んだ、複雑な表情が浮かぶ。短期間で同じような表情を見たが、硝子の前に立つと自身の姿が反射するのと同じように、違和感は感じなかった。
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