9 出陣
「お引越し……ですか。何か近所でトラブルでもありましたか?」
総司令官という大層な身分の兄を連れ、近くのカフェに行ける人間は中々いないだろう。周りの視線は極寒だったが、二人とも慣れている様子だ。
一枚の紙にサインをしてもらう。その紙は、簡単に言えば“保証書”だ。
〈
「ううん。少し、気に入った立地があったから」
「そうですか……いいですね。気に入った場所に住む、人間の大切な営みですね」
カイを通さなければ、特殊な身分である彼女は何もできなかった。何かをするときには、大抵彼を通じなければならないのが、申し訳なかった。
「アルベルト、一つ質問なのですが。あの施設で拾った子供というのは……?」
「あぁ……ここにいるよ」
アルベルトは自分の影に隠れる二人の子供をカイに見せた。
ビクビク震えているが、一応見せておかなければ。この子達二人に、どんな仕打ちが待ち受けているか分からない。
「……不思議なワルドインフレスですね」
「うん。よく分からなくって……ルルワに至っては声も出せないし」
カイはううむと唸り、しばらく怯える二人を見つめた。そして、屈託のない笑みで歯を見せながらこう提案する。
「時折でいいのですが、その子達を見せに来てくれませんか?」
「分かった。兄さんが言うなら」
カイは頷いて立ち上がり、アルベルトの側に寄った。
「いい子ですね。アルベルト」
彼の口先が、白い頬へ僅かに触れた。
◇
ネクロム拠点へ、トラックで来た。ある程度の家具だけでも、トランクへ移すのはかなり大変な作業だった。引っ越しロボットが優秀でなければ、今頃くたくたになっている。
あの汚らしい部屋は既に扉が開かれていた。どうせスルトが開けたのだろうと思い中へ入ると、そこに居たのは予想外の人物であった。
「……あぁ、アベルか。邪魔してるぞ」
白い三角巾とエプロンとマスクを身に着け、せっせと部屋を掃除しているノアの姿がそこにはあった。
頼んでないのにアベルと呼ばれた。真っ先に真剣なのかよくわからない、スルトの顔が頭に浮かぶ。
「今終わった所だ。蜘蛛の巣、埃だらけでむず痒くてな」
言動からしてお節介ではなく、潔癖症なのだろう。その証拠に汚れ対策は見た感じバッチリである。
「……お前は“獣”か」
ノアが部屋を出ていく途中、彼女の頬を凝視しながらそう呟いた。
「俺は“自然”だ」
彼女らの頬に刻まれたヒビ割れのような紋章。それは、異端者の印たらん“ワルドインフレス”。〈
彼女ような獣系ワルドの印である“ビースト”、ノアのような自然系ワルドの印である“ネイチャー”。さらにスルトのような人系ワルドの印“ヒューマン”。様々な種類があるが、どれも形は歪だ。
「まぁ……互いに強く生きよう」
それだけ言い残して、彼は去っていった。
ホコリ一つ残っていない部屋は、窓から差し込んでくる陽の光に照らされ、燦々と輝いているように見えた。
「ここが新しいお部屋?」
「えぇ……そうよ。ごめんなさいね。何度も場所を移しちゃって」
「ううん。私とっても楽しいよ。ありがとう、アベル」
首を傾げたまま、にこっと笑うセト。
途端に愛おしくなり、その歪な頬に触れ、唇を近づけようとした。
けれど、やめた。
自分がそんな身分では無い事を自覚したのもあるが、どことなくその無邪気な顔が誰かに似ていて、気が引けたからだ。
◇
「司令、第八重要工業プラントの件について話があります」
温かなコーヒーの香りが仄かに漂う、マインド・トゥルフの総司令室。
紫と黒を基調としたMTの制服に身を包み、赤い眼光を輝かせる大柄の東洋人が、カイに詰め寄っていた。
「あぁ……その件ならば、優秀な異端者傭兵部隊に依頼を出しました」
今朝のカフェで購入したコーヒーを啜りながら、カイは悠々と言葉を連ねる。それは、男にとっては激昂の火種となるものであった。
「またですか……!! 我々特殊防衛部隊は、一体何の為に存在しているのですか……!!」
「熱くならないでください。冷静さを保つことは、人間の大切な営みの一つですよ、トシミツさん」
唇を真っ赤になるまで噛み締めて喉から声を捻り出すトシミツを、カイは冷静さを保ったまま抑制する。
「そもそも……この組織は元々“〈
「納得なりません……! 異端者が闘うなど……!」
「彼女らは闘うことが唯一の“仕事”なのです。それを奪われてしまっては、虐げられ、拒絶されるのみなのですよ。ですが、それに比べて貴方には他にやるべき仕事がある」
トシミツは唇を噛み締めたまま引き下がった。苦悶と葛藤する、しわだらけの表情を浮かべ、怒りを堪えながら。
「戦いは辛く苦しい物です。何も、わざわざ進んで赴きにいく必要はありません」
「私は……! 戦わねばならないのです……! 仕事とかは問題ではありません!!」
熱き声が、温かいだけであった室内の温度を一気に上昇させた。
カイは前髪を流しながら立ち上がり、窓の外を見据えた。
「あなたの国は……ずっと東にありましたね。先の戦争で滅んでしまいましたが」
「いいでしょう。そこまで言うのであれば行きなさい。今回ばかりは、傭兵だけでは厳しい所もあるかもしれませんから」
カイにそう言い渡されたトシミツの表情は、僅かに和らぎ、前を向いたまま後退していく。
「戦果を上げてみせます。そして、あなたに近づいてみせる」
「できるものなら」
彼の言い放った熱い一言に対し、カイは不気味に笑いながら答えた。
◇
居間に足を運べば、そこにはまるでこちらを出迎えているかのように全員勢揃いで屯していた。ラファの姿は見えなかったが。
「アベル、来たな! ようこそネクロムへ!」
「嬉しいわぁ。また女の子が増えるだなんて」
ソファへ踏ん反り返るミカに、その隣に曝け出した右脚を見せつけるようにして座るガブが早速一言浴びせてくる。
「……賑やかになるな」
「子供もいる。料理の味付けは、お前好みじゃなくなるかもな、ウリ」
「……困る」
立ったまま会話するウリとノア。あまりに淡々とした会話と、騒がしい二人組の会話との温度差で風邪を引いてしまいそうだ。
「やったぁ!! アベルがこんなに近くにいる!!」
甲高い声と共に、細くて白い腕がアルベルトの首をがっしりと固定した。スルトのこれが毎日続くとなると、少し億劫にはなる。でも、彼女の腕はいつだって温かい。
「まぁ座れアベル。早速で悪いが、仕事が入ってきたんだ」
ミカは立ち上がり、彼女用に一つ椅子を引いてポンポンと叩く。
冷たい金属の椅子に尻を下ろし、話を聞く体勢を取った。スルトは当然のように、隣の椅子へ腰掛ける。
「よーし。じゃあ作戦会議を始めるとしよう」
懐から取り出した小型ホログラム投影装置を掌に乗せ、彼の顔を覆うくらいの映像を虚空へ映し出す。
虚空に刻まれたホログラムには、膨大な情報があり、それが頭へ一気に入り込んできて目眩がしそうだった。
「数週間前から、第八重要工業プラントで〈
ホログラムの地図は、工業プラントの物のようだ。道理で入り組んでて、分かりにくい地図な訳だ。
「どんな奴だ?」
ノアが腕を組んだまま質問すると、ホログラムが直様切り替えられ、一体の〈
人……のようでありながら、異形な存在。全身が白いブヨブヨとした皮膚で覆われ、本来横であるべき口は縦に開いており、その容姿に不釣り合いなつぶらな瞳を四つ持っている。
「ヒューマンか。特に苦戦はしなさそうだな」
「いいやノア。そうとも限らない。他の傭兵が視察に行ったらしいが、全員返り討ちにあっている」
異端者傭兵が返り討ちに遭う、という話は中々聞かない。死なないのだから、痛みに負けず押し通せば大抵勝てるだろうに。そうしても勝てない理由があるというのか。
「詳しい事は判らないんだが……なんにも視察に行った奴の話を聞く限りでは“何も見えなかった”らしい」
「……どういう意味だ、それは?」
「さぁな。兎にも角にも、現地に行って、実際に相まみえてから判断するしかないだろ」
ミカはそう言ってホログラム投影を止めた。任務に赴くのに、これと言った作戦はなかった。不安が募るが、今回は仲間が多い。何とかなるだろう、という安心感も、同時に湧き上がってくる。
「さぁお前ら。ギアを入れろ。朝には出発するぞ。解散!」
その一声で、ネクロムの傭兵達は散り散りになった。
アルベルトだけが取り残され、気まずい思いが込み上げてくる。
集団に放り込まれると、いつも抱き続けている感覚は更に促進される。どんどんと自分の心を蝕んでくるのを、ひしひしと感じた。
決して失くしてはいけない。
そう考える程に、自分を認めてしまった時が堪らなく恐ろしくなる。
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