8 屍部隊
その“癖の強い人”とやらが存在している二階へと、アルベルトは鉄階段を一歩一歩力強く踏みしめながら近づいた。
緊張しなくて大丈夫だって、とスルトは宥めてきたが、彼女の一言が原因でこうなっている事を分かっていないのだろう。
二階はさらに荒れていて、そこら中に蜘蛛の巣が張っている。何度か綺麗にされた形跡はあるが、蜘蛛の巣作りする気力の方がそれより勝っていた。
「アベルさ、ギアの調子はどう?」
「んんと……一応、何があるか分からないから持ってきたんだけど、特に問題はないかな」
「うちの隊にそういう系統に詳しい人がいるの。ついでに見てもらいなよ。何かあったら遅いから」
スルトの心配症が炸裂している。
フォービデンギアは、物質を粒子状にして保管可能な超常装置“コズミコア”と高性能AI“エイト”を組み合わせ実現した兵器。常人には到底理解できない仕組みだ。
それを、見ただけで不具合が分かる人間など、傭兵部隊にいるのだろうか。アルベルトは疑問でしかなかった。
とある部屋の前に来ると、鉄の臭いが鼻の中に侵入してきて、身体を巡る血液に順応する。扉越しからここまで臭うと、中は一体どうなのだろう、と好奇心と不安を促進させた。
「ここは兵器開発室よ」
「兵器を……? ここで作っているの?」
「そう。とは言っても、本部に連絡しても承諾してくれないから、非正規品ばかりだけどね」
「……それ平気?」
「平気平気」
スルトが扉を開けた。もわっ、と流れ込んでくる鉄の臭いが、アルベルトの頬をねっとりと撫でた。
中は他の部屋と違い、金属製の壁や床で構成されており、木の家具などは一切無い。代わりに見ただけでは使い道も分からない機械や工具が至る所に置かれている。
カン、カン、と鳴り響いていた音が彼女らが入ってきたのを境にピタリと止まった。
金槌片手に椅子へ座る男が、顰めっ面をこちらに向けてくる。
「ウリさん。この子だよ、例の」
「うむ。分かっている」
立ち上がった男を見上げると、頭がピカン、と輝いた。禿頭にサングラス、この季節には不似合いな黒いコートで身を包み込んだ男。頬にはスルトと同じ、人間を模したヒビ割れがある。
「よろしく頼む。私はウリジェ・ルウィンドだ。気軽にウリと呼んでくれ。君は、アルハルトだったかな」
「お願いします。アルベルトです」
彼が身につけている黒い手袋の感触が伝わってくる。服といい手袋といい、彼は肌を見せたくないのだろうか。その割には、頭が無防備であるが。
「ウリさんが……ここで兵器を作っているのですか?」
デスクの上に並ぶ、手榴弾や小型のガジェットに目をやりながら、彼女は尋ねた。
「いやいや、私のような不器用には無理だ」
そう言いながら、ウリは視線をやや右斜め下辺りへ動かした。
彼女もそこへ視線を向けると、思わず声を上げてしまうくらいに、負のオーラが強く、影の薄い人間がそこに座っている。
ぬるり、とこちらを向く顔。少し長めの銀髪にくっきりと隈がある銀目。口元が隠れそうなダウンジャケットに紺色のジーンズ、腰のベルトから赤い錠前の付いた一本の鎖を垂らしていた。
「あ……どうも。こんにちは」
「はい、こんにちは。話は聞いてるよ。アルベルトだね」
男は優しい笑みを浮かべ、柔らかい声音でそう返してくれた。見た目に反した反応に、アルベルトは呆気にとられていた。
「僕はラファ・エンド。よろしくね」
「よろしくお願いしま――」
アルベルトが一歩、二歩と近づき、床に落ちていた電子基盤を踏もうとした瞬間、ラファの目が殺意に染まる。
「ゴラァァ!! クソガキが!! 何軽々しく踏もうとしてんだ!! 俺がどれだけ寝る間を惜しんで作ったと思ってやがる!!」
全身が風船みたいに萎み、身動きができなくなる程の怒声を一気に浴びせられ、アルベルトは泣く気力も湧いてこなかった。
ラファは、人が変わったかのように喚き続けていた。
「大体なァ!! お前みたいなヒョロヒョロが何の役に立つんだよ!! お前みたいなのは身体売ってりゃそれでいいんだよ!! うちにゃいらねぇんだよ!!」
怒鳴りが度を超えた時、ウリが抑制し、スルトが彼女を部屋から引っ張り出した。
部屋を出てから、アルベルトはしばらく放心状態。扉越しから怒り狂った彼の声が聞こえてくる。
スルトが必死に何かを言ってるが、彼女の耳には一切届かなかった。
◇
「そうかそうかぁ……そりゃ、あいつが悪い事したな」
隣の部屋に案内されたアルベルトは、とある男性と向き合って話していた。といっても、向こうが一方的に、であるが。
短く整えられた茶髪に、燃える真紅の瞳。黒い半袖シャツと純白のズボン。首に鎖と白銀の錠前で作られたファンキー過ぎるネックレスを付けている。そして頬に入るヒビ割れは、草木を模した物であった。
「――おっと、名乗り忘れてた。俺はミカロ・エンジェハート。このネクロム隊を仕切る、リーダーってとこだ」
「よろしくお願いします……ミカロさん」
「あぁ!! ミカロって呼ぶな。頼むからミカって呼んでくれ、な?」
彼女が彼の名前を口にした瞬間、ミカはそう被せてくる。ウリやガブは、短く呼ぶのを強制しては来なかったし、そうさせる理由も何とかなしに分かった。ただ彼に関しては、強制的であるし、特に長い名でもない。
「……なぜ?」
「なーんかな。嫌なんだよ。ほら、“ロ”のとこが余計だと思わねぇか?」
アルベルトは頷きながら、出されているオレンジジュースを流し込む。甘い。子供扱いされているようだった。
「そんな事より、アベル。お前の事は色々聞いたぜ」
頼んでもないのに、既にあだ名で呼ばれている。その方が有り難くはあったが。
ミカは手に持った一枚の紙を見ながら口を開く。
「使用ギアは“アーサーブラスト”か。一回見せて貰いたいな」
「任務外ではあまり使いたくないので……すいません」
「……あー、悪い。調子に乗りすぎたな」
甘ったるいジュースを達者な口に流し込み、ミカは喉を鳴らした。
「ミカさんは――」
「あぁ!! “さん”はいらない」
「……ミカはどうしてこの部隊を?」
アルベルトがそう質問すると、二人きりのその部屋を静寂が満たした。
ミカの吐いた鼻息により、それは破られる。
「そうだな。確かに、“傭兵部隊”なんてのは所詮は正式な兵士でない傭兵が集まった非正規の部隊だ。少なくとも
聞きながら、オレンジジュースを流し込む。甘い。やっぱり甘い。芳醇なオレンジの味が広がった。
「でも、〈
「だから、どうせなら同じ除け者同士で過ごして、死ぬ時は皆一緒……ってしたほうが……幸せじゃねぇか?」
アルベルトの飲む手が止まる。
そんな事は、考えた事も無かった。
死ぬ時――人を完全に辞める時は総じて、一人で迎えるものだとばかり思っていた。
自分の考えは正しくて、正義で、誰にも迷惑を掛けない方法とばかり思い込んでいたが、聞いたこともない意見を前にして、声すら出せない状況にあった。
舌に少し触れた甘いオレンジジュースが、今初めて、美味しい、と感じられた。同時に、それが堪らなく悔しくて、涙がじわじわせり上がってきた。
「何だ、びっくらこいたか?」
そう言って浮かび上がるミカの子供みたいなニヤケ顔は、彼には不釣り合いな物だった。
◇
家に帰ると、どっ、と疲れが襲ってくる。この疲れの八割は、ラファのせい。残りの二割はスルトによる物だ。
ベッドに寝転がるアルベルトを、セトとルルワは心配そうに見つめていた。
「ルルワ、寝かせてあげよう。また今朝みたいに揺さぶっては駄目だよ」
彼女にそう言い聞かされ、大人しくなるルルワの姿が埋めた顔とベッドの隙間から僅かに見えた。
あそこの人たちは、自分達とは考え方も違うのだろう。まだ面と向かって話をした訳ではないが、リーダーがあれだと想像が容易だ。
(あそこでやって行けるかな)
心の奥のもやもやが、明らかな重りとなって伸し掛かった。
元々は一人で戦って、一人で死ぬつもりだった。スルトと出会ったのも、単なる偶然である。
でも、ミカの意見を聞いてから、一人で死ぬのがどれだけ辛いのか考えるようになってしまった。あれだけ大人らしいミカでも怖がる事なのだから、まだ未熟な彼女が耐えられる物ではない筈だ。
けれど、今まで望んでいた事を、軽々諦めるのは“大人”の選択なのだろうか。
もしも、何かの拍子に怪物化し、誰かの手を煩わせる事になったら――それが嫌で、一人を望んでいた。
子供らしくあるのは嫌だという傲慢さと、大人らしく生きるのが怖いという恐怖が、ひたすらに心の中で渦巻いていた。
電話が鳴る。無視しようとしたが、ルルワがスマホを取って勝手に着信を承諾してこちらに手渡してくる。物凄く顔がニヤけていて、腹が立った。
「もしもし……」
『アベル? 疲れてる所ごめんね。あなたの答えを聞きたくて』
告白した後のような神妙な声色でそう聞いてくるスルト。
アルベルトはしばらく、口を閉ざして待っていた。
『……大丈夫?』
「えぇ、平気よ。まだ、迷ってて」
『そう……急いで決めて貰わなくていいわ。時間はあるもの』
唇を軽く噛む。これから出す答えに、底知れない躊躇があるのを、嫌でも実感させられる。
「ねぇ、スルト。あなたの意見を聞いてもいい? ……あなたは、何でそこにいるの」
『……そうね。アベルは傭兵なんて一人でやれる、って思ってるでしょ。実際その通りなんだけど』
スルトは軽く笑いながら続けた。
『笑わないでよ。私……一人が怖いのよ』
『誰にも迷惑かけないように、一人で生きようとしたけど、それが怖くって。ネクロムの話を聞いた途端、すぐさま入隊を希望したわ』
少し照れた声が途切れた瞬間、笑いが込み上げてきて、疲れているのにも関わらず大声で笑ってしまった。
『ちょっと、笑わないでってば』
気が済むまで笑い、アルベルトはベッドから降りて言い放った。
「分かった。私、ネクロムに入る。あなた達と一緒に戦うわ」
鏡に写る自分を見て、アルベルトはそう言い放つのだった。
――電話を切った彼女は、すぐさま鏡から目を逸し、颯爽とベッドにダイブした。
鼓動が荒く、息も乱れている。先程の激しい動きだけが原因ではない。
枕から視線を這わせ、セトとルルワの方へそれを向けた。
「子供の面倒は、大人が見ないといけないものね」
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