Chapter2 ウェルカム・イン・ネクロム
7 目覚めようよ
「お母さん、私ね。将来、ギタリストになりたい!」
視界は、まだ正常だ。一切の揺るぎのない、ブレない視界。
「どう? 上手でしょう? ――えぇ。これが私の趣味よ」
微かな揺れが起こる。微弱な地震よりも、遥かに弱い揺れ。
「勉強? 私にそんなの必要ないわ。それよりギターの練習をしないと」
揺れが間髪入れず続く。例えるなら、積み木を積み重ねていき、段々とバランスを保つのが難しくなってくるような。
「仕事と趣味は別……? 何それ、私に、私にギターの夢を諦めろって言うの?!」
揺れが強まる。鉄塔の先端に立っているような、不安定な視界だ。吐き気が込み上げてくる程の、激しめの揺れだ。
「兄さん! 兄さんは……わたしの夢、応援してくれるでしょ?」
揺れが更に強まる。これぞ、立っていられなくなるほどの、強い揺れと言ったところか。
「もう知らない! どうして……どうして誰もわたしの事を分かってくれないの!!」
「あ……やめ……て……殺さないでください……」
「何? このヒビ……」
―――――――
揺れが最高潮に達した時、目が覚める。
真っ先に見えたのは天井。まだ視界は左右に揺れている。
苦しくなるくらいに息が荒い。最悪の目覚めだった。
ふと横を見ると、じとっとした目でひたすらこちらの身体を揺さぶるルルワの姿が目に入る。
セトは床で丸まって寝ている。安らかな寝顔だった。
(そうだった……この子たち……うちに泊めたんだった)
セトとルルワに居場所はない。かといって、あの研究所へ置き去りにできる程人は捨てきれてなかった。
渋々、彼女らを家に泊めた事をすっかり忘れていた。
「揺らしてたの、あなただったのね。ルルワ」
ルルワは首を傾げる。ジト目だからが、絶妙に可愛げがない、生意気な小僧に見えてくる。
子供が大人を起こす理由と言えば、お腹が空いた、くらいしか思いつかない。
「待っててね。朝ごはんすぐ用意するから」
おおっ、と目がキラキラ輝いたルルワ。言葉を発さない分、感情表現豊かで、見ていて面白い。
普段は自分の為に作り、自分で食べている朝食も、対象が増えると何だかやる気が出てきた。
広げられたテーブルに並ぶ料理を見て、ルルワは顔を顰めた。
スクランブルエッグらしき、黄色いグチャグチャの塊。乱雑に盛り付けられた粉々のサラダには申し訳程度に丁寧にトマトが乗せされている。トーストは焦げ焦げで、唯一まともなのはココアぐらいであった。
「ルルワ。こんな食べ物、久しぶりでしょ。感謝して食べないと」
だいぶ言葉に抑揚が付いてきたセトは、何一つ嫌な顔せず、料理を頬張ってくれている。おかしな事ではあるのだが。
ルルワも渋々食べ始めたが、依然として不機嫌そうな顔に変わりはなかった。
「えぇと。まだお名前、聞いてなかったよね。お姉さん」
「……そうだったね」
あまり気が乗らないが、アルベルトは口を開いた。
「私、アル……ベルト。アルベルト・エヴィプティって言うの」
セトはんー、と喉を唸らせながら首を傾げ、彼女の言葉を反復しようとした。
「アベルベルト……?」
アルベルトは、思わず吹き出した。大声で笑いたくなるのを堪えながら、しばらく悶絶する。
「違った?」
「そう。でもいいよ。気軽に“アベル”って呼んで」
「アベル……よろしくね、アベル」
彼女は無邪気な笑みを浮かべてから、トーストを齧った。
どことなしか、誰かさんに似ている感じがするのは、気のせいだろうか。
◇
「うん……うん。そう。あの研究所では、そういう事があったの」
人混みから離れた路地裏で、薄っぺらいスマホを耳に当て、通話をしていた。こうもコソコソする必要性は無いが、一応内密にしなければ、いつ情報が漏洩するか分からない。
『なるほど。後は捜査班の人間に任せましょうか。お疲れ様でしたね、アルベルト』
「……ありがとう」
彼女から笑みが綻ぶ。心の底から嬉しそうな、そんな笑顔であった。
『施設で拾った子供は……あなたが保護するのですか?』
「そのつもり」
『一人でやっとなのでしょう? 子供を二人も、養えますか?』
「……」
喉元がピリつく。生温い唾液が喉を垂れ流れていくのを感じた。
人間の子供を保護する、というのは、ペットを買うのとは訳が違う。犬や猫よりも遥かに手が掛かる事だ。
「……どうにか方法は考える」
『ふふ……そうですよね。あなたはもう、“自分の力で何でも乗り越える”のでしたよね』
電話越しでカイがほくそ笑んだのを感じると、通話が切られた。
セトとルルワは〈
――でも、それでは駄目だった。途方に暮れていた自分を拾い、居場所と最低限の生活をくれたカイのような行動こそが〈
間髪入れず、電話が掛かってきた。スルトからだ。通知ウィンドウを見てみれば、さっきから何件も不在着信が溜まっている。
「もしもし?」
『あーやっと出たー。他の女と通話してたんでしょ? そうよねぇ、アベルはカワイイもんねぇ』
「いや……ごめんなさい。仕事の話をしてて」
電話越しの彼女は鳩尾を突かれたような声を上げて、しゃがれた声音で謝ってきた。
『アベル。折り入って相談があるんだけど』
「うん?」
『あなたさ、今あの子達をうちに泊めてるでしょ?』
「そうだよ。私の仕事で見つけたんだから、私が責任取らないと」
双方、顔は見えないが真剣な顔つきだろう。子供二人の、小さな運命に関わる話だ。
『うちに来なよ』
「……うん?」
アルベルトは聞き直す。
『“ネクロム”においでよ。そうすれば、アベル一人であの子達を養う必要なくなるわ』
「……でも、これは私の責任で……」
『アベル。そういう“責任”なんてつまらないもので自分を追い詰めないの。真面目なのがあなたのいいところだけど、真面目過ぎる人は淘汰される社会になってるのよ』
いきなり壮大な話を突っ込んでくる。まさに会話の進め方が、話の長い教師にそっくりであった。
『それにね、リーダーにあなたの話をしたら、「是非うちに欲しい!」って躍起になってたのよ。顔見せるだけでもしてくれない?』
「……まぁ、それくらいなら」
若干無理矢理ではあったが、しばらく仕事の予定も無いため、仕方なく承諾した。他の傭兵と関わる事など滅多にないから、貴重な経験ではある。
『ほんとう?! やったぁ! じゃあ明日来てね! 拠点の場所は送るから! 私の部屋に入れてあげるわ!』
数秒前の真剣な声色が、嘘のように甲高くなった。
想像していた、電話越しでの彼女の表情が、一気に崩れ去っていった。
◇
翌朝。早くからスルトがくれた住所を頼りに、傭兵部隊『ネクロム』が活動拠点としている建物を訪れた。
結構街中にあり、家の最寄り駅からモノレールで数十分ほどで到着。相変わらず、一般市民からの目は冷ややかであった。
見た目は至って普通の二階建ての建物……で、あってほしかったが、でかでかと立てかけられた看板に『NECROM』と最高にださいフォントで書かれてあった。
「アベル。ここ?」
「……だろうね」
着いてきたセトとルルワは人々の視線に怖がりっぱなしだった。
二人へ配慮し、そそくさと建物へ入る。
「アベル! いらっしゃい!」
入口を潜るや否や、飛び出してくるスルトに抱きつかれた。身体中まさぐられ、散々匂いを嗅がれた。
「赤いお姉さん。お久しぶり」
「あらセト。元気そうね」
「紹介し忘れてたね。この人はスルトよ」
「スルト・ノースジア。二十一歳、彼女はなしでーす!」
余計な事を、この子たちに吹き込まないでほしい。
「ささ、ネクロムの拠点紹介ツアーと行きましょう!」
スルトに腕を引かれて、小汚い通路を歩かされる。
まず初めに案内されたのは、どう見たって空き部屋である、蜘蛛の巣が張ったドアの前だ。
「ここ、アベルの部屋」
「は?」
「だーから! まだ掃除してないけどアベルの部屋よ」
「……馬鹿なこと言ってないで、他のところ」
「うぇーん! アベルが馬鹿って言ってきたぁ! ……ちょっと嬉しい」
呆れたため息を吐き散らしながら、スルトに連れられて一際大きな部屋に訪れた。
その部屋には鉄のキッチンとテーブル、六人分の椅子に、ボロボロのソファと本棚が置かれた質素だが充実している空間であった。
「スルト、そいつは?」
キッチンから出てきた青年が、スルトにそう尋ねた。
深緑の髪に真紅の瞳。きりっとした顔つきで、身に纏っているシャツとスキニーパンツは真っ黒。白いエプロンを付けて、何やら料理中だったらしい。
「この子が例の」
「あぁ、ミカが言ってた――。アルロベルト、だったよな。俺はノア・シップだ」
「よろしく。アルベルトです」
差し出された手を彼女は握り返す。見た目は華奢なのに、ノアの手はしっかり男らしく、少しドキドキした。
後ろから何者かに肩を掴まれ、思わず声を出してしまった。
「はぁーい。初めまして、スルトの彼女さん」
デマを平気で本気にしているのは、金髪ポニーテールで黄緑の瞳の女性。腹丸出しの白い服に片方だけ短いズボンという、かなり際どい格好だ。
「ガ、ガブさん! まだそういうんじゃないから!」
「よろしくアルテルトちゃん。私はガブリール・ウィンプライよ。気軽に“ガブ”って呼んでね」
差し出された手を、アルベルトは握り返した。こちらは柔らかくて、もちもちした女性らしい手だった。
「よろしくお願いします。アルベルトです」
二人とも、頬には〈
ノアは生い茂る草木を、ガブは彼女のように荒れ狂う獣を模したものだった。
「よーしアベル! 次に行こう! 二階はちょーっと危ないから、お子様はここに置いていこうか」
「……だって。ごめんね」
セトとルルワの頭を撫でてやり、和やかな表情を浮かべるアルベルト。
傍から見れば、二児を持つお母さんであった。
「……でさ、なんで二階は危ないの?」
「あーと……ちょっーと癖の強い人がいてさ」
「え」
アルベルトの顔が、一気に青ざめた。
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