5 照らす日が落ちる


 結局、すべての部屋を漁ったが、ろくに見れるデータの残ったコンピュータが置かれてあったのは、さっきの部屋たった一つであった。


 この施設がどういった物で、何をするのか、全く掴めなかった。――いや、少しは掴めたと言っていいが、二人にとってはとても信じ難く、残酷な事実であった。


 彼女らは〈外怪物アウトワルド〉に寄生されているだけであり、科学的に言えば辛うじて人間――と言える存在。


 そんな〈異端者ヘレティクト〉を、まるで実験動物のように扱い、研究に使うなどあっていいはずがない。


 アルベルトの進む足は、自然と早足になっていた。焦りが垣間見える、荒々しい歩幅。絶え間なく響く足音も、それに応じて不規則なものであった。


 延々と伸びる、だだっ広い廊下を歩く。地面を踏みしめるたび、乾いた金属の音が床から壁へ、そして天井へと伝わり空間を僅かに揺るがす。


 アルベルトは喉元が疼き、今すぐにでも掻き毟りたくなるすらいに気持ち悪かった。不安事や危機感を感じると、いつもこうなる。


「……アベル。止まって」


 後ろを歩く彼女に腕を引かれ、アルベルトは戸惑いつつ足を止めた。


「水の音。聞こえない?」


 スルトはそう言うが、アルベルトには全く聞こえなかった。


 耳に神経を集中させ、静けさに満ちる空間の中にある音を探る。


 じゃぶじゃぶ、ちゃぱちゃぱ。


 ――確かに聞こえた。水の音。それも、何かが水の中を動き回っているような音だ。


「ね、聞こえるでしょう?」

「どこ……どこにそんな場所が……」


 アルベルトは壁に手を触れ、再び神経を尖らせる。

 何かが動く音。それがワルドであれ、人間であれ、何らかの進歩になることは間違いない。このだだっ広いだけの空間を、抜け出せられるなら。


「アベルー! どいてー!」

「えっ……?」



 眩い光が走り、振り向いてみると、レーヴァガンを構えるスルトの姿が。


 よく見てみれば、その銃口には、溢れんばかりの蒼きエネルギーが波を打って集まってきていた。


 大慌ててその場から撤退したアルベルト。


 すかさず解き放たれる、溜めに溜め込まれた

エネルギーの凝縮弾が静寂な空気を押しのけて直進し、壁を木っ端微塵に粉砕した。


 激しく舞う砂埃が晴れると同時に、ボロボロになった壁の先から流れ出てくる、薄汚い水。


「あったよ、アベル」

「……ぇ……えぇ……そ、そうね」


 腰が抜けて立てなかった。

 スルトに手を借りて立ち上がると、思わず全身が震える。


「怪我はない?」


 両頬を触って、顔を覗き込んでくる。


 よく、その身分でそう言えたものだ。



「それにしても……臭うね。排水の溜まり場かしら」


 薬品の臭いやら生臭い臭いやらが流れ込んでくる。それが鼻を刺激し、顔をしかめたくなる。


 アルベルトは問答無用で汚水に脚を突っ込み、その先へと進んでいった。

 抵抗があったようなスルトも、彼女が進んだとなれば、迷わず脚を突っ込んだ。


 スルトの言うとおり、そこは排水の貯水湖だった。わざわざこんな場所を作るなど、現代においては理解ができない。ただ下水へ送るため……なんて事だけが目的ではないだろう。


「あの音……かなり遠かった」

「酷い臭いね。人がいそうな音だったけど、ここにいるなんて考えられない」


 暗闇に包まれた汚水の湖を、じわじわと脚で水を掻き分けて進む二人。



 ぷくぷく、ぷくぷく、と泡が吹き出ている箇所を発見した。


 何かある、と確信したアルベルトは少しペースを早めてそこへ近づき、その何かを確認しようとした。


 

 水面へ手を伸ばした瞬間――、彼女の腕が宙を舞っていた。


「……え?」


 鮮血を垂れ流しながら、まるでホームランをかました選手が投げたバットのように飛んでいき、汚水の中へ落ちた。


 汚水を押し上げ、黒い塊が水中から姿を現す。


 アルベルトの身長の倍はある、二足歩行の巨体。その身体は棘のような黒き体毛で覆われ、見るからに強固そうな筋肉がその中には隠されている。

 血が付着している、刃と体言にするに相応しい爪。そして、血に飢えた狼の頭部。


 彼女は眼の前の存在を完全に認知する前に、悲鳴を吐き出す。

 切断部を抑え込みながら跪き、こちらを睨む狼男に頭を垂れた。


「!! アベル!!」



 アルベルトが危機に陥り、反射的にレーヴァガンの標準を奴へ差し向けた。


 しかし、引き金を引けなかった。


 ここで撃てば、彼女アベルにも当たる――


 苦しむ彼女に、さらなる苦痛を与える事になる――



 スルトが躊躇っている最中、アルベルトは死力を尽くして立ち上がり、アーサーブラストを形成。

 利き手でもない片腕でそれを持ち、死物狂いで一振りした。

 

 加速ブラストもしていない斬撃は、強固な狼の皮膚により防がれる。


 あっという間に距離を詰められたアルベルトの胸部が、その鋭爪によって斬り裂かれ、鮮血が空気を汚す。

 さらに、人狼の放った蹴りは彼女の肩を穿ち、その方向へと吹き飛ばす。



 放たれたエネルギー弾が炸裂し、広大な闇を切り裂きながら空間中を反射する。

 バラバラに散りばめられたエネルギー弾は、ほんの一部が人狼の身体を貫いただけで、自然消滅していく。


 歯を食い縛るスルト。コートのポケットから取り出した鉄球を、折り曲げた銃身の断面にある窪みへ装填する。


 憤りにより溢れ出る声とともに、銃口へと集まる蒼きエネルギーが、極太のレーザーとなって解き放たれる。


 暗闇に一瞬、空が生まれ、狼の身体に大きな風穴が空いた。


 呻き声を上げながら、塵となって消えゆく人狼。気づけば、もう、そこにあったのはただの暗闇だった。



「アベルッ!!」


 ギアを封印し、汚水に倒れ込む彼女へ駆け寄る。


 アルベルトは傷口が汚水に浸からぬよう、必死に高めの体勢を保っていたが、その表情はこの上なく苦悶に満ちている。

 右腕の切断面と胸の傷からは、まるで生き物でもいるかのように肉が蠢いており、徐々にそれは広がっていた。


「いたい……いたぃ……いたいよ……」

「アベル……! アベル、大丈夫だから……!」


 苦しむアルベルトの目端からは、汚水より遥かに透き通った水滴が見え隠れしている。


 彼女を抱きかかえ、水に足を取られながらも、必死に汚水の湖を走った。


 なかなか、陸も見えなければ、壁さえも見えない。延々とさえ思える闇の中、アルベルトは内面から湧き上がる、死を妨害しようとする意志に、ひたすら苦しんだ。


「ぐっ……ぁ……ぁぁあッ!!」


 枯れた喉から、喘ぎを捻り出すアルベルト。右腕の切断面から、悍ましい肉の塊が生えてきており、それは着々と、腕の形を形作ってきている。


「アベル……アベルしっかり……!」


 泣き喚きたい。わんわん泣いて、この痛み、この苦しみ、この悲哀を、今すぐにでも忘却したい。


 けれど、そうやっても、またこの時はやってくる。腕を斬られようが、胸を斬られようが、汚水が赤く染まる程の血が流れようが。

 〈異端者ヘレティクト〉は死ねない。


 内に潜む〈外怪物アウトワルド〉の、勝手な都合によって。



 スルトの動きが、ぴたりと止まった。



 捨てられる、かとも思ったが、彼女はじっと暗闇の先を見つめていた。



 アルベルトもそこへ視線を寄せると、そこへ立っていたのは、子供だった。


 病人のような真っ白い衣服を身に纏い、痩せこけた顔で、短い赤色の髪。年は十四かそこら。

 その少女の後ろから、彼女の半分くらいの小さな長い銀髪の男の子が覗いている。


 どちらも、頬に何を模しているのか分からないくらいに、ぐちゃぐちゃになったひび割れがある。〈異端者ヘレティクト〉の証であることは確かだ。



「……つらいの?」


 少女は首を傾げながら、多分、アルベルトにそう尋ねてきた。


 そうすると、彼女は手招きをして


「きて」


 と、若干片言で言ってから、背を向けて歩き始めた。

 銀髪の少年は、身を潜めていた物が無くなり、おどおどしながらも、小走りで少女の裾を掴みにいった。


 スルトはアルベルトを見やる。

 腕の再生が始まり、苦しみの最高潮に達していた彼女は、口を聞く事すらままならなかった。


 何も言わず、スルトは二人の子供の背を追いかけた。




 ◇




 階段が取り付けられた、小さな扉を潜り抜けると、汚水湖を脱出し、管制室らしき場所へと辿り着くことができた。


 壁にもたれるように寝かされ、アルベルトは斬られた箇所を何度も何度も擦った。袖が破かれたようになってしまった。あくまで再生するのは肉や骨や神経であり、服まで元通りにはならない。

 まだ、肉が蠢く、あの気持ち悪さが鮮明に残っている。泣きたくなった。けれど、そんな暇はない。


「アベル……大丈夫?」


 スルトは正面に座り、しきりにこちらの様態を心配してくれた。

 彼女の耳には、いまいち届いていないようだが。


「平気……だから。大丈夫」

「ほんとう? 辛かったら……苦しかったら、無理しちゃ駄目だよ?」



 その言葉を聞き、桜色の唇に、ぎゅっ、としわができた。


 五年間、ずっとそうしてきたよ――。


 今すぐにでも、そう言ってやりたかった――。



「おねえさん達も、連れてこられた、の?」


 片言な言語で、少女はそう尋ねてきた。異国の地に、うっかり迷い込んでしまった気分である。


「連れてこられた? どういう意味?」

「まだ、ほっぺが普通だね」


 会話が全く噛み合わない。アルベルトは何度も質問を投げかけたが、意味の分からない事質問らしき言葉を投げかけてくるばかりであった。


「おなまえ、は?」

「私の質問に答えて。ここは何なの? あなた達は何者なの?」


 子供相手にムキになるのは、少し情けなかった。けれど、ようやく手繰り寄せたこの施設の闇を明かす鍵となりうる存在だ。ヤケになるのも仕方がない。


「私、セト。こっちの子は、ルルワ。よろしくね」


 セト、と名乗る少女は、またしても彼女の質問を無視した。

 ルルワと言われた銀髪の少年が、セトの影から出てきて、アルベルトの裾を引っ張る。


 じとっ、とした目で彼女を見つめた。ぐいぐいと裾を引っ張っている所を見ると、何処かに案内したいようだ。


「ごめんなさい、その子、声が出せなくて。見せたものが、あるみたい」


 セトがそう説明すると、アルベルトは渋々立ち上がり、ルルワに引っ張られて歩いた。



 管制室の扉を開け、また同じようなだだっ広い廊下へと出る。

 そこを若干の駆け足で進んでいく。


「ル、ルルワ……だっけ? どこに行くの?」


 そう尋ねても、ちらりとこちらを見やるだけだった。「黙って着いてこい」と偉そうに言われた気がしたので、もう何も尋ねなかった。


「おねえさんたち、綺麗だね」

「あの子は特に素敵でしょ」


 そんな二人の背後で、セトとスルトが既に世間話を交わしている声が聞こえてくる。彼女の適応力とコミュ力が、心底羨ましい。



 しばらく進んだ所で、ルルワが足を止めた。急に止まったものだから、転けそうになってしまったが、何とか踏ん張る。


 ルルワがじぃっ、と見つめていたのは、彼の背丈の何倍もある、一際巨大な両開きのドアだった。


「ここ?」


 うんうん、と頷く彼。

 

 しかし、それっきり扉の前で立ち尽くしてしまった。


 アルベルトも、同じように立ち尽くす。


「開け方、わからないの。赤いおねえさんなら、できるかな?」

「? ……あぁ。見てたんだね」


 僅かに頬を紅潮させるスルトは、ギアを起動し、全員にドアの前から離れるよう促す。


 球体を銃身へ装填し、高エネルギーを銃口へと溜め込む。



 『Forbidden impact!』



 蒼き弾丸が、鋼鉄のドアを貫き、無慈悲に吹き飛ばす。

 辺りにハリケーンが到来したかのような風が渦巻き、アルベルトの空色髪が面白いくらいに踊り狂った。


「満足かしら」


 ルルワはアルベルトの裾を引き、真っ先にドアの先へとすっ飛んでいった。




「わぁっ、ちょっと……いきなり引っ張らない――――で……」


 ドアの先へ足を踏み入れ、その先の光景を目に写したアルベルトは、息を呑んだ。



 異風を放つその部屋は、他の場所と違い、石で造られた床や壁で囲まれている。神を祀るかのように、床には巨大な魔法陣が描かれ、その中心にて組まれた無数の木の枝からは、延々と焔が揺らめいている。


 その異様な空間からは、冷ややかで、それでいて強大な“恐怖”さえ覚えた。


「これ……は」


 アルベルトが立ち尽くしていた時、その部屋が凄まじい揺れに襲われた。



 天井のレンガが弾け飛び、大きな穴が空いて黒い塊が燃え盛る焔を踏み潰し消却した。



 二足歩行の巨大人狼。四本の腕からは血管が浮き出て、凄まじい筋肉だということを嫌でも伝えてきている。

 大きく裂けた口、気持ちの悪い二枚舌に白目を剥いた恐ろしい眼光。


 明らかに今まで遭遇した〈外怪物アウトワルド〉とは、格が違う。



 人狼が天に向かって吼える。


 鼓膜を切り裂くような咆哮が、空間中に轟いた。




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