23 始動

 セトはベッドから降り、外の様子を伺っていた。

 先程から、耳を劈くようなけたたましい音が何回も鳴り響いていて、気が気でなかった。


 赤い双眸がギラギラと、不安と恐怖によって揺れている。

 アルベルトの帰りを待とうにも、彼女はいつも暗くなってから帰ってくる。

 あまりに異常な事態だからか、外へ行って彼女を探そうにしても、街の構造はさっぱり分からないし、何より彼女がいないと歩道を堂々と歩く事すらままならない。


 窓の前で左右に揺れるしかできない彼女の後ろで、何度も咳き込むルルワ。

 顔は真っ青で、瞳も虚ろだった。綺麗な銀色の髪は、いつの間にかボサボサに乱れてしまっている。


「ルルワ……大丈夫? 私はだいぶ良くなったけど……」


 ルルワは彼女に話しかけられると何度も咳き込んだ。セトに背中を擦られながら、喘ぐように咳く。


 咳が止んだ時、水を取ってきてやろうと、セトは部屋を出ようとした。



「セ……ト」



 セトは耳を疑った。


 今、部屋にいるのは自分と、声の出せないルルワだけだ。


 なのに、掠れた声が確かに聞こえたのだ。


 不審に思い、振り返ってみると、苦しそうに息をしながら、ルルワがこちらをじっと見つめていた。


「セ……ト」


 ――確かに、今。ルルワが口を開き、声を発した。


「ルルワ……?」


 彼はゆっくり近寄ってきて、セトの肩に痩せ細った掌を力無く置いた。


「セト……逃げるぞ」


 こちらに向けて、今度ははっきりと発せられた。見た目通りの、かつて想像した声質であった。


「逃げるって……アベルがまだ……」

「“あいつ”が来る……! 忘れたのか……? セト……!」


 ルルワに腕を引かれ、訳の分からないまま建物を飛び出た。


 久々の外は、悪い夢のような景色であった。

 焦げ臭い臭いが充満し、レールの上には、人や車がぴくりとも動かず横たわっている。


「セト……何も考えなくていい。走るんだ」


 彼に手を引かれて、ひたすら走るセト。朝の不調からか、足元がふらついていた。



 ビルの窓を突き破り、煌めく破片と共に降ってくる蜈蚣の怪物が、彼女らを取り囲んだ。


「ル、ルルワ……」


 万事休す――かと思われたが、ルルワに手を力強く握られる。


「平気だ。じっとしていろ」


 蜈蚣の外怪物アウトワルドは、彼女らの匂いを嗅ぐように身体を捩らせてから、何事も無かったかのように散り散りに去っていった。


「……え」

「僕達はアレに襲われない。だから、何も考えず走ってくれ、セト」


 ルルワは振り返り、幼くも、勇ましさが感じられる表情でそう言った。


 再び彼に手を引かれて、セトは走る。


 道中、蜈蚣の外怪物アウトワルドに何回も出くわしたが、総じて襲いかかってはこなかった。


「ルルワ……何処に向かっているの?」

「アベルでも……リーダーでもいい。とにかく、守ってもらえる人のところだ」



 すると、激しい衝突音が耳を劈き、ルルワの身体が視線の外へ勢いよく吹っ飛んでいった。


「ルルワ!!」


 何が何だか分からないまま、反射的に声が出た。


 視線を右へ移すと、そこに立っていたのは異様な人物。

 アベルのパーカーと似たような色の服に身を包んだ女性。頭には真っ黒な仮面を被り、今にも蹴りを繰り出してきそうな姿勢で立っていた。


 セトは身体が竦み、動けなくなってしまう。


 そうしている内に、女の蹴りがセトの脇腹に直撃する。

 経験の無いような痛みが、稲妻のように全身に走る。


 電磁誘導レールの土台へ激突したセトは、激しく咳き込んだ。


 女が、ロボットのように、淡々と彼女へと近づいてくる。


「やめろ!!」


 ルルワが女にタックルを喰らわし、追撃を阻止した。

 女と共に歩道へ倒れ、その反動で、彼女の腰にあった拳銃が転がった。


 捨て身の攻撃を放った彼は、女の手中に収まってしまう。

 藻掻くも、それはただの虚しい抵抗となり、何処かへ連れて行かれようとするルルワを見て、セトは自身の鼓動が経験したことも無いくらいに高まった事を感じた。



 ――ルルワがいなくなる。



 そう考えた瞬間、ふと、地下施設で暮らしていた頃の記憶が、突然脳裏に蘇った。




 いつも、いつも、仮面の男に実験される日々だった。

 ある時は腕を斬り落とされ、ある時は腹を裂かれ……痛くも何とも無かったが、とにかく、何度も同じことの繰り返しで、嫌気が差していた。


 ルルワは喋れこそしなかったが、自分の良い話し相手になってくれた。

 暇つぶしの方法を一緒に考えたり、二人でかくれんぼをして遊んだりもした。



 「ルルワは、私のこと好き?」ある日そう尋ねたことがある。

 すると彼は、照れ隠しをするように苦く笑いながら、こくり、と頷いてくれたのを覚えている。




 気づけば、落ちていた拳銃を拾い上げて、銃口を女に向けていた。


 そして――訳も分からぬまま引き金を引き、身体が大きく仰け反り、弾丸が発射される。


 弾は女の仮面を安々と貫き、赤い飛沫を大量に散らした。


 女は力無く倒れ、ルルワは拘束からようやく解放される。

 倒れた女の頭を中心に、赤い円が着々と広がっていき、綺麗な水溜りが完成した。


「ルルワ……! 平気?」

「……セト……」


「こ、この人。怪我、すぐ治って、また立って歩けるようになるよね?」


 ルルワはしばらく黙った後、深く頷いた。


「だったら早く逃げないと。また酷いことされるよ」

「……そう……だね」


 ルルワはセトの手をぎゅっ、と握る。


「アベルのところに、行こう」




 ◇




 アルベルトはラファとの話を終えた後、トシミツに連れられて、この区内に存在する地下施設へと向かっていた。


「あの地下施設……貴様らなら何か知っているんじゃないかと思ってな」

「私達も知りません。ただ……あそこには、ポッドに入れられて、〈異端者ヘレティクト〉や〈外怪物アウトワルド〉が保管されていました」

「……なに?」


 トシミツは歩きながらスルトを睨む。

 続けてアルベルトが口を開いた。


「……あそこは、ヤハウェという男が作った大規模な研究施設だ」

「ヤハウェ? 誰だそれは?」

「アベル……いつそれを?」


 突然の出来事に、その場にいた誰もが困惑を隠せない様子であった。

 アルベルトは全てを話した。仮面の男の事、〈Eヘレティクト〉のこと“黒き地母神”とやらの事――。



「つまり……俺達が見てきた研究施設は、全部そのヤハウェとかいう男が、“ニグゴート”っていう存在を蘇らせる為に作った……その計画の為にセト達は邪魔……って事だな」


 ラファの要約に、アルベルトは頷く。


「なんで、ずっと黙ってたの……? 言ってくれてれば私――」

「怖かったの!! あの子達が……酷い目に遭うかもしれないって思うと……」


 手を握ってくるスルトを振り払い、アルベルトは声を荒らげた。彼女の髪が、血飛沫のように舞い上がる。


「アベル……お願い。何でも一人で抱え込まないでよ……! 約束して……!」


 泣きそうになりながら縋ってくるスルト。


 トシミツとラファは、その光景を一歩退きながら眺めていた。


「……ごめん。約束する」


 二人の間に割って入るトシミツが口を開く。


「そんな事は今するべき事じゃあない。真相が分かったのなら、次はそれを阻止するべく動くまでだ」

「でも……そもそも“ニグゴート”ってのは何だ……? あの黒山羊の事を言っているのか?」

「そこまでは分からない。でも、奴の言い分からして、まだ計画は途中段階だと思う」

「ふん……今が阻止する絶好の機会という訳だな」


 トシミツは腰に挿した剣のグリップを、硬く握りしめた。


「〈外怪物アウトワルド〉め……私の国だけでなく、今度は私自身まで窮地に追い込むとは、何処までも憎き存在だ……」




 ◇




「おっ、ウリガブ発見」

「よぉミカノア! 元気ぃ?」


 高所にある電磁誘導レールの上で、ミカとノア、ウリとガブが鉢合い、ノリの良い二人がハイタッチを交わした。


「ウリ、アベルと連絡はついたか?」

「いや……ミカからの通信が入ったからと言って、何処かに行ったっきりだ」

「ん……? いつアベルに通信なんてしたっけな?」


 二つの組の間で矛盾が生じる。

 この四人は、アルベルトが“騙された”なんて事をこれっぽっちも知らない。


「まだ仕事終わんないのぉ? 早く帰りたいよぉ」

「……この街で何か良くない事が起こってる。暫くは働き詰めだろう」


 ウリの禿頭を、ガブがぺちんと叩く。


「ぷー、残業代はきっかり貰わないとね」

「禿だけにか?」

「いやどこがやねん!」


 大声で笑う二人。

 ノアは冷たい視線を二人に送っていた。


(もう限界か……情けないな)


 少し後ろに下がり、誘導レールの壁に腰掛け、ずるずると滑るように座り込んだ。


 大きな溜息をついてから、ふと、下を見下ろすと、ある異常に気がついた。


「みんな武器を構えろ!!」



 笑い声はピタリと止み、刹那の静寂かわ訪れた。



「〈外怪物アウトワルド〉が来る!」



 電磁誘導レールの傾斜の遥か下。


 狂ったようにレールを登ってくる大量の黒山羊の姿が、そこにはあった。

 



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