2 暗い昼
司令室を出たアルベルト。黒い部屋から、視界が一気に白い部屋へと移ったせいか、目がチカチカと点滅するような感覚に陥った。
強化ガラスでさえも通り抜けて差し込んでくる、眩い陽の光だけが、彼女を出迎えた。
兄と別れた瞬間、アルベルトは毎回、底知れない感情に襲われる。
虚無感、と言うのか、はたまた素直に寂しい、と言えばいいのか。出どころが分からない、底なしの感情。
それに胸を締め付けられては、彼女の心を貪ってくる。
下を向いたまま直立する彼女の前を、人々は、まさに幽霊でも見るような目で見ながら通り過ぎてゆく。
誰もが彼女の頬に刻まれた、あまりに異質な刻印を見て戦慄している。
〈
そもそも、あからさまに頬を隠せば、この大都市ならば疑われること間違い無しであるが。
荒くなる呼吸。こうなると、いつも視界が揺らぐ。
“人では無い自分が人の立つべき場所に存在している”そういう考えが少しでも頭を過ぎれば、気が気ではなくなってくる。自分の心臓をぐちゃぐちゃに捻り潰して、泥水にぶち込みたいくらいに。
そんな事をしても死ねないなんて事は分かっている。
死にたい、なんて大層な事を望まなければ叶うだろうか。
消えたい。この命が尽きずとも、塵になって、あの広い宇宙に――
「アベル、みいつけた」
背後から、何者かに首を腕でロックされ、僅かに重たい何かが背中へと乗っかってくる。
赤い毛の束が、蒼い毛の束と混じり下へと垂れる。
彼女の肩から首を覗かせるのは、ワインみたいに真っ赤な長い髪に、碧眼。頬に人間を模した〈
「…………スルト」
「会えるなんて、思ってなかった」
アルベルトの身体を軸として、くるくると回るように歩きながら、スルトは眩しい笑顔で語りかけてくる。
周りの視線が、もっと冷たく感じてくる。
「ちょっと……人のいないとこ、いこう?」
スルトを引き連れて、人の視線から完全に遮断された、放置された部屋が多い日陰の通路へ場所を移した。
移動しても尚、スルトはアルベルトから離れる気は無かった。重くはないが、動きにくい。
「んー……久々のアベルの匂いだ……」
「スルト……少し、離れてくれる? 鼻息が、ちょっと……」
半ば強引に彼女を引き剥がす。スキンシップがあまりに過多であるから、人目のあるところでは接し辛い。
「……会えて嬉しい。元気そうで良かった」
アルベルトがそういうと、彼女は喜びからか太陽みたいに綺麗な笑みを綻ばせる。
あまりに眩しく、自分が霞んでしまうような輝きだ。
深紅のセーターと黒のミニスカート、タイツを着込み、MTのコートを羽織るその姿は、女であるアルベルトでさえも見惚れてしまう美しさであった。
「アベルはさ、まだ一人で活動してるの?」
「……? 一人で、ってどういう事?」
質問を質問で返すようになったが、聞かざるを得なかった。
「あれ、知らないんだ。フォービデンギアを扱える戦闘員のみが集結した『ネクロム』っていう部隊のこと」
「うん……知らない」
「私、今そこにいるの。アベルも来なよ。すごく楽しいよ」
そう投げかけられて、彼女は葛藤する。
様々な感情が、アルベルトの中を蠢いた。
――きっと、自分が本格的に“組織”へ属すれば――。
「私はいい……一人で戦うよ」
「……そう。強制はしないけど……」
スルトは唇を尖らせ、髪を指でくるくると巻く。
言葉ではああ言ったが、その裏に潜む想いは『あなたといつでも一緒がいい』だろう。
◇
この街のモノレールには、不満があった。
いちいちビルの隙間を通り過ぎるからか、その高さに圧倒され、不思議と恐怖が込み上げてくる事である。
大きめのアタッシュケースを持ち、席に座るアルベルトの半径二メートルくらいには、不自然極まりない謎の空間が出来上がっていた。
「なんで〈
「MTの狗だよ。捨てちまえばいいものを」
「恐ろしい……叩き落してやりたいね」
聞こえる会話は、全て聞き流した。
どうせ、手を出したくても異端者特別法がそれを邪魔するのだ。
カイに指示された場所は、この広い帝都のほんの一区画に位置する、廃棄された研究施設と思わしき場所。そこの調査を言い渡された。
アルベルトやスルトのように、治安維持組織『マインド・トゥルフ』に雇われた〈
〈
この国は愚か、どこの国でも法律でそう決められている。他の国に比べれば、この国はまだ易しい。
窓の外の景色を眺めても、見えるのはビルばかり。
でも、よーく目を凝らして見れば、窓の内側にいる人々の様子がほんの一瞬だが見える。
それが絶え間なく入れ替わるから、飽きが来ない。
窓の縁に肘を置き、頬杖をつく。
モノレールは揺れる事が無いから、車両側が上下し、反動で舌を噛む事もない。
彼女からしたら、この上なくありがたかった。
◇
モノレール駅の階段を駆け降りて、地上に降り立つ。
都市部からは少し離れた郊外に近い場所であるにしても、怖いくらいに人通りが少なかった。
というか、人がいない。
妙な静けさが張り詰める朝方の、まだ日が立っていない少しだけ薄暗い街並み。
人がいるのかいないのか分からない、汚れたビルが立ち並ぶ中、不自然に空けられた四角形の空間。
何かの建設予定地かとさえ思えるそこに建物は無く、地面に取り付けられた、鉄製の小さな扉のみが存在していた。
地図とこの場所を照らし合わせ、研究施設が此処にあることを確かに確認した。
(地下にあるのか……)
随分と狭い入口だった。アルベルトは余裕で入れるが、問題はこのアタッシュケースがきちんと通ってくれるかだった。
扉を開くと、異様に冷たい空気が、彼女の頬を撫でる。
真っ暗闇の先に一本の鉄梯子が伸びており、降りるには多少の勇気が必要であった。
アタッシュケースを抱きかかえ、梯子に足を掛けた。
ゆっくり、ゆっくりと、暗闇の中へ身体を浸透させてゆく。降りれば降りる程に、張り詰める空気は、氷のように冷たい物へと変貌していった。
あまりに暗いからか、下が全く見えない。
周りが何でできているか、何があるのか、それすらも確認できない、永久の闇がほんの僅かな筒状の空間を満たしていた。
ガコン、と嫌な音が響き渡り、足元の梯子が折れて、体勢を崩した彼女は、そのまま落下していった。
下まで落ちた彼女は、激しく地面に打ち付けられる。
そして、上から降ってきた尖った鉄棒が、不運にも、アルベルトの肩へ突き刺さる。
「ッ――!! あぁぁァァッ!!」
肉を裂く音と悲痛の叫びが響き渡った。
冷たい合金製の白い床を、みるみるうちに紅が染め上げていく。
全身痛かったアルベルトは、やっとの思いで肩に刺さる棒を引き抜く。
噴水みたいに血が吹き出てきて、紅い水溜りにおびただしい数の波紋を作り出す。
「……ぐ……ぁ」
眉をひそめ、痛みに悶える為歯を食い縛る。
血に塗れる手で抑えている、ぽっかりと空いた傷穴。
真っ赤な光が傷口を覆い、それに異変が起こった。
それはやがて、まるで内側から押し出されるように肉が蠢いて、次第に元の形へと戻っていき、皮を形成していった。
傷が跡形もなくなくなった事を確認し、彼女は立ち上がる。
所々、僅かに照明が付いてある部分が見られ、先程の場所よりはマシであった。
ぴちゃり、と自分の血溜まりを踏んだ。
彼女のような人間――否、生物を人は皆口を揃えてこう言う。
〈
宇宙生命体〈
頬に刻まれたひび割れが、それを示している。
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