Chapter1 あまりに異質な邂逅

1 真っ青な朝焼け


 ズキンズキンと、頭が痛む。


 〈異端者ヘレティクト〉特有の、体内に潜む〈外怪物アウトワルド〉が細胞を侵食している証である慢性的な頭痛であった。

 これが来る頃には、幻覚や幻聴が聞こえるからたちが悪い。



 真っ二つに切り裂かれた、獣の〈外怪物アウトワルド〉が、黒き塵になって空気へと溶けていく。


 微かに吐息を漏らしながら、気色の悪い体液が付着した真紅の大剣を持ち上げる女性。



 その髪は、持っている物と対象的な色をした空のように蒼い色であり、僅かに虚ろな瞳は透き通る色の碧眼であった。

 身体は細身で、ブカブカの紫を基調としたパーカーを羽織っているためか、それがより際立つ。

 青いタートルネックシャツと、黒のホットパンツ。黒いハイソックスを腿辺りまで履いている。


 見惚れる程に美しい顔の頬には、獣の牙かのように猛々しい、不気味に紅く光るひび割れのような紋章が刻まれていた。


 彼女――アルベルトは、自分の髪と同じ色の空を見上げた。

 高層ビルに囲まれて、額縁に飾られた絵のようになっている。


 ユーラシア大陸の内陸部に位置する国、アディシーズ帝国。かなり歴史の深い国で、代々、その強大な力で他国を圧倒してきた。

 国際的にも権力を持っており、ソ連や中国などとの交流も深い。

 更にはあらゆる技術が他国より飛躍的に発展しており、仕事の殆どをロボットに任せられているため、国民の大半は優秀な人材である。


 しかしこの国が他国と唯一劣っている点がある。

 

「おい! 〈異端者ヘレティクト〉がこんな所で何をしているんだ!」


 道行くサラリーマンだろうか。スーツ姿で顔を歪めながら、わざわざ路地裏まで入り込んできて怒鳴る。


 彼女の胸ぐらを掴んで、壁に勢いよく叩きつけた。

 怒りを全発散した所で、ようやく気がついた。彼女が背中に鎖で囲われた三匹の生き物のロゴが刻まれたパーカーを身に着けていることに。


「なんだよ……傭兵かよ……ちっ」


 サラリーマンは複雑そうな顔をしながら、その場を去っていった。


「でもな! 傭兵だろうと、〈異端者ヘレティクト〉には変わりないからな! 俺達はお前らを一生恨み続けるぞ!」


 アルベルトは倒れ込んだまま、男の話を聞き流していた。


 この国の民は、〈異端者ヘレティクト〉への差別や偏見が酷い。

 さっきのように“〈外怪物アウトワルド〉が増えるのは〈異端者ヘレティクト〉のせい”と謳う者もいれば、単純に“得体の知れないものだから怖い”、と思う人間もいる。


 〈異端者ヘレティクト〉は人間として見られない。



 帰りにスーパーマーケットに寄った。

 食料を買い込もうと、大量の商品を持ってレジに向かい、ロボットに会計してもらっていた所、後ろから不機嫌そうな声で話しかけられる。


「俺、ここの関係者ね。あのさぁ、他のお客様もおられるわけ」

「……はい」


 アルベルトは俯きながら返事をした。


「いや、はいじゃなくてさ。あなた自分の身分分かってる? 〈異端者ヘレティクト〉だよね? 周りのお客様怖がってるのよ。それでうちの売上落ちたらどうしてくれるの?」

「……ごめんなさい」


 店のオーナーは、ちっ、と舌を鳴らしてから、彼女の髪に唾を吐きかけた。

 どろぉ、と垂れてくる生温い液体が、ぼとりと綺麗な白タイルに零れ落ちる。


 颯爽と花柄のマイバックへ商品を荒々しく詰め込み、アルベルトは店を出た。



 家に帰り、アルベルトは吸い込まれるようにベッドへとダイブした。

 何も変わり無い日常だ。異端者傭兵として〈外怪物アウトワルド〉を駆除し、買い物をし、家に帰って食事を摂る……。

 たったそれだけの生活、当たり前の生活の筈なのに、その間々に入ってくる非日常の数々が、こうも身体の疲れを促進させてくるのだ。



 スマホを棚に置き、タイマーをセットして少しだけ仮眠を取ろうとした直後、バイブレーションが手を伝わって全身に響き渡ったため、彼女はベッドから飛び起きる。


 スマホに目をやると、どうやら着信が入っているようだ。

 その相手を見て、彼女は目を丸くした。


「はい……もしもし」


 着信を承認し、恐る恐るそう呟いた。


 しばらくの沈黙のあとで、電話越しの人物は話し始める。


『あ……久しぶりね、アルベルト』

「……アベルでいいよ」


 スマホ越しから聞こえてくるのは、どこか懐かしい女性の声。

 少し寂しそうな声に対し、アルベルトはそう答えた。


『出てくれると思わなかった。嬉しい』

「どうしたの? また仕事の話?」

『ううん。最近どうかな、って』


 そう聞かれて、アルベルトは唇を繕った。


「ぼちぼち、だよ」

『最後に会ったのいつだっけ?』

「半年前……? 仕事で一回」

『……私達、別れてから結構経つよね』


 嫌な記憶が蘇る。彼女は何も悪くないのに、自分が悪いみたいな口ぶりで話すのだ。


「その話、もうやめてくれる?」

『あ……ごめんなさい。き、嫌いになった?』

「ううん、そんなことない……けれど、もうその話は嫌」

『ごめんね、アベル。急に電話してこんな話して。もう切るね』


「おやすみ」


 通話が切れて、つー、つー、と虚しく音が鳴り響く。

 スマホを棚へ置き、アルベルトはそのままベッドで気を失った。




 ◇




 翌朝、彼女は自分の住む帝都 ドクタロプ中央区にある、治安維持組織の本部を訪れていた。


 赤や青、白を基調としたまるで大昔の城を彷彿とさせるような景観ながら、随所には何重にも重ねられた強化ガラスや重厚感溢れるストロング合金製の壁など近代的な部分も見られる。

 そして外壁の至る所に、彼女のパーカーのロゴと同じ物が描かれた紫の旗が靡いていた。


 この建物こそ、帝国の秩序を保つ為に結成された組織『マインド・トゥルフ』の本部である。


 瞬時に開く自動ドアを潜り抜け、建物内へ入っていく。

 周りの冷たい視線に苛まれつつも、極力気にせず、清楚な雰囲気の白い廊下を歩いていく。


 エレベーターで、一人の男と二人きりになる。当然顔も知らないが、彼からの冷たい視線は絶えなかった。

 「ちっ、〈異端者ヘレティクト〉が……」と、吐き捨てた男は、二階に到着すると速攻で降りていく。


 三階の廊下を歩き渡り、アルベルトが辿り着いたのは、“司令室”と刻まれたプレートが嵌め込まれてある扉の前。

 呼吸を整え、扉をコンコンと叩く。


 優しげな、それでいて冷たい声音の「入りなさい」が聞こえてから、失礼します、と口走りつつ扉を開け部屋に入る。


 外とは違い、壁も床も真っ黒に塗られた部屋。中央にデスクとチェアが置かれた、無機質な部屋だった。


「アルベルト・エヴィプティ、ただいま参りました」


 背筋をピン、と伸ばし彼女はデスクの前に立ち言う。


「良いのですよ。ふたりきりですから、そんなに固くならなくて」


 チェアに座って、優しく微笑んでいるのは彼女と同じような髪と瞳の色をした男性。黒と紫を基調とした制服に包まれたその華奢な身体と髪の長さから、女性ではないかと思ってしまう。

 彼はカイ。現MTの総司令官であり、身分的には本部の人間を除けば一番権力のある者だ。

 そんな彼と、アルベルトは“兄妹”の関係にあった。


「ありがとう……兄さん。おはよう」

「おはようございます。アルベルト」


 立ち上がったカイの大きな掌が、彼女の頭に乗っかる。ほのかな温もりとずっしりとした重さが伝わってきて、少し身体が震えた。


「……あぁ。忘れていました。今日は貴方に依頼をお願いしたいと思っていたのでした」

「依頼なら、電話でも良かったのに」

「いえいえ。ヒトと人同士がその場で会い、言葉を交わして接する事は、人間の大切な営みの一つですから、蔑ろにしてはいけません」


 手を胸元へ当て、彼は微笑む。

 その柔らかな表情を急に尖らせ、デスクの上にある資料をアルベルトへと手渡した。彼女の表情も自然と強張る。


 目を通すと、それは地図であり、彼女でも知らない土地を記したものであった。


「ドクタロプ第二区の一角を記した地図です。近日、そこで謎の研究施設が発見されまして」

「……一体何の?」

「そう、それを調べて頂きたいのです。何があるか分からないため、貴方に是非とも依頼したいのですよ」


 カイは小型のデバイスを掌に乗せ、ホログラムを空中に投影した。


「先週撮られた、現場付近の映像です」


 その映像には作業服を着た男を、漆黒の獣が襲っている姿が映し出されていた。


「〈外怪物アウトワルド〉に関連する事件は、我々マインド・トゥルフが速やかに解決せねばなりません。やってくれますね?」


 アルベルトは一度、その桜の唇を噛み締めてから口を開く。


「分かった……引き受けるよ」

「ありがとう、アルベルト」


 彼の表情がまた柔らかな物へと戻ると、アルベルトの表情も自然と和やかになる。


「兄さん……お願いがあって」

「なんですか?」


 上目遣いになりながら、アルベルトは恥ずかしそうに笑う。

 カイは何を言うか予想ができているのか、微笑んだまま首を傾げている。


「抱きしめて……くれないかな」


 アルベルトがそう言った瞬間、姿勢を屈め、その大きな両腕と身体で、彼女の華奢な身体を優しく包み込んだ。

 彼の掌が、背中を伝うのをひしひしと感じた。少しくすぐったくて、それでいて、その感覚がいとおしかった。


「おかしいですね。“もう子供じゃない”なんて言っていた時期があったのに」


 彼は冗談のつもりで言ったが、アルベルトは何を察知したのか、すかさず彼の手を引き剥がし、その身を後ろへ退けた。


「ご、ごめんなさい……子供っぽい、よね。もう“大人”にならないといけないよね」


 カイはゆっくりと彼女の頭に手を置く。


「何を言いますか。大人だって誰かに甘える時は必要ですよ」


 すりすりと、力強く撫でられて、彼女は身体を強張らせる。


「行ってきます、兄さん」


「えぇ。いってらっしゃい。アルベルト」


 カイは、そう言って笑った。




 

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