Chapter3 貯まる汚れ
13 見え方
第七重要工業プラントは、かなり重要な役割を担っていた施設であった。あそこで製造されるロボットが、民間輸送機に導入されたり、街中の道路下に張り巡らされた電磁誘導レールの整備を行ったり、生活の要となっていた。
そこがあの有様では、これから先、どうなっていくか。
カイは自身のタブレット端末に送られてきた被害データを見ながら、少しだけ表情を歪めた。
司令室には、アルベルトから一時的に引き取ってあるセトとルルワがくっついて座り、お菓子とジュースを嗜んでいる。
「えっと……あの……カイ……さん」
「なんですか、セト」
しどろもどろな彼女に対し、優しい笑みでそう返した。完全に初対面であるし、何より彼は“普通の”人間だ。そうなるのも無理はない。
「アベルの……お兄さんなんですよね?」
「アベル……? あぁ。アルベルトの事ですか」
馴染みの無い言葉に首を傾げたが、すぐに理解して話を続ける。
「貴方の事で、アベルがいじめられてて……その……」
カイはタブレットを置き、座ったまま少し後ろへ下がり、組んだ脚の膝に置いた指を波打たせた。
「ごっ……ごめんなさい……忘れてください……」
「私は恨みを買いやすい役職ですからね。その矛先が、彼女へ向いてしまったのでしょう」
「悪いことをした、とアルベルトに伝えておいてはくれませんか?」
彼女がこくり、と頷いたのを確認すると、スマホを耳に当て、誰かへ電話をかけた。
「トシミツさんですか? 少し頼みたい事がありまして」
「部隊の皆さんを連れて、地下研究施設の捜索に当たってほしいのです――。えぇ、だいたい示しは付いていますから、座標は送ります――」
総司令としての責務をきちんと果たしている彼を、ルルワはじっ、と見つめていた。
じとっ、とした目つきで。ずっと。
◇
食事を終えたアルベルトは、トイレを終えて部屋へ向かう最中、不運にも、機嫌の悪いラファと肩がぶつかってしまった。
青ざめる彼女をラファは血走った眼で見下ろす。
「おいお前……どこ見て歩いてんだ」
「ご、ごめん……なさい」
みるみる内に壁際へ追い込まれた彼女は、身動きを封じられ、身体が竦んで指一本動かせなくなってしまう。
「お前よ……自分は“大丈夫”とでも思ってんのか?」
「なに……が……」
彼女の小さな頬が、巨大な指に挟まれてシワが畳まれる。あまりの力強さに、アルベルトは目を閉じる。
「お前は、あのクソ司令の血を引く女だ。気をつけてねぇと、いつか“化けの皮”が剥がれるぞ?」
「だから……何のこと……」
彼が手を上げようとした瞬間、その腕は華奢な白い指に抑制される。
「やめてあげて、嫌がってる」
その指はスルトの物であり、普段からは想像もつかない真剣な目つきで彼を睨みつけていた。
止められた彼は舌打ちしながらアルベルトを解放し、スルトの横を通り抜けていく。
「……最初の被害者はお前かもな」
横を通り抜ける最中、彼は確かにそう呟いた。
「大丈夫?」
「平気」
「だめだよ、やられっぱなしじゃ」
スルトは脱力する彼女を抱き寄せて、優しい声音でそう言い掛けた。できるものならやっている。
「……ねぇ、ノアが美味しいパンケーキを焼いてくれたの。部屋で一緒に食べない?」
アルベルトの裾を引っ張って、可愛らしい笑顔で誘ってくる。彼がそんな物を作るなんて意外だ、なんて思いながらも、彼女の誘いに深く頷いた。
◇
ひんやりしたアイスクリーム、チョコソースとラズベリーがトッピングされた一枚のパンケーキ。これを彼が作ったと言われても、説得力が無かった。
フォークで切り取って口へ運んでみると、ふわっとした生地の熱さを、口でとろけるアイスの冷たさが相殺し、絶妙な食感が口いっぱいに広がった。
「んー……ノアってほんと天才。そう思わない?」
アルベルトは大して聞かずに、咀嚼を続けていた。想像以上の美味しさに感極まっているのだ。
「スルト、ここ」
「えっ?」
「チョコ、付いてる」
口端に付いていたチョコレートソースを指摘してやったが、いつまで経っても取れる気配がないため、アルベルトは机から腕を伸ばし、人差し指でそれを取ってやった。
指に付いたソースをぺろりと舐めると、スルトは顔を真っ赤にして「アベル?! 何考えてるの?!」と騒がしくなる。
ただチョコが勿体無かっただけなのだが。
◇
セトとルルワを引き取りに、本部に足を運んだアルベルト。周りの冷たい視線を雨のように浴びながら、司令室を訪れる。
扉を開けると、ルルワが一目散に飛び出してきて、彼女の脚に抱きついてくる。思わず、情けない声を上げてしまった。
「うーん……あまり懐いてはくれないようですね」
珍しく、柔らかい表情を浮かべているカイ。彼と遊ぼうとして、嫌われてしまった様子が容易に想像できた。
「アルベルト、よく来ましたね。少しお話がありまして」
ルルワをくっつけたまま、彼が手を差し出した方にある椅子へ腰を掛ける。座ってからも、ルルワは彼女の後ろに隠れてしまった。相当嫌われたようである。
「……セトとルルワには、これと言った以上は見られませんでした。ただ……一つだけ気になるのは、やはり頬の紋章ですね」
彼女は後ろに隠れたルルワの頬へ目をやった。本物のひび割れのように、線が入り乱れ、あるべき形を保っていない、異端者の紋章。確かにそれは、他の〈
「彼女らに入り込んだ〈
釘を刺すような言葉と共に、机の上に置かれたのは、三つの真っ白い金属ボックス。表面には機械的なフォントで“Re-α”という文字が刻まれている。
中には十二個の金属瓶が丁寧に入れられている。それも、合金製で中の物を漏らさんという硬い意志が感じられる作りだった。
「どうぞ。あなた達の一年分の保護薬です」
「ありがとう……」
瓶の中には、宇宙由来の成分から作った、〈
これが無ければ、アルベルトはこうして、兄と会話する事も無かっただろう。
「……ねぇ」
ふと、優しい彼の笑みを見て、ラファの言っていたあの言葉が脳裏に蘇った。――クソ司令。こんなにも優しくて、頼りになる兄がそのように呼ばれる理由など、この世界の何処を探したってあるはずがない。
「兄さん、〈
アルベルトが尋ねると、カイは笑い飛ばすように答える。
「私は随分、大きな足場に立っていますから。凄まじい注目を浴びて、憎悪を買ってしまうことだってあります。そして、周りから見れば、私が悪人に見えてしまう事だって少なくないでしょう。私を悪と見るか善と見るか、それは人次第なのですよ」
心を覆っていた靄が、突風でも吹き荒れたかのようにぱぁっと晴れた。今の今まで忘れていたが、彼は治安維持組織総司令官という、多くの民衆の目に当たる役割なのだ。
その行いを善と見るか悪と見るかは、当然大きく意見が分かれる。ネクロムの皆は偶然、悪と見た人たちだったのだ。
「ごめんなさい兄さん……私、周りに流されて、兄さんの事、酷い人だと思ってしまったわ……」
「私を良い人か酷い人かと思うかは、アルベルト次第です」
――そうだ、兄は良い人だ。
自分に強く言い聞かせた。
周りに流されて、すぐに溶け込んでしまうのが、悪い癖であった。
何にも成長していない。
それが原因で、優しい兄の理想図すらも、壊してしまいそうになったのだ。
こんなにも愚かな事は、ありはしないだろう。
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