第2話 2022年8月31日

 あらゆる物事(あるいは目標)とは、序盤こそ、気合に満ちるもので、本日、2022年8月31日、第1話の投稿からすぐ、私の指はまた動きました。


 これから、私による、人間に対する罵詈雑言の数々が続くかと思いますが、ふたつ、先に宣言しておくべきことがあります。どちらも重要なことです。


 ひとつ、私は人生を終わらせたいと言いましたが、何も、本当に死ぬわけではありません。

 従って、これは遺書の類ではありません。

 死にたいという気持ちに偽りはないのですが、死ぬほどの勇気は持ち合わせていないのです。


 私は団地育ちで、ちょうど今、地元に帰って来ていることも相まって、自殺というものをリアルに想像してみた時、それこそ、その団地群、14階建ての、ひびだらけのアパートが思い浮かびますが、もし、あんなところから身を投げるとなると……。

 屋上の端に立つ自分の足元が、何故だか、アパート自体の映像よりも鮮明に浮かばれて、すると、手足の指先が液体窒素にでも浸かったかのような、血管がキュッと引き締まるのが分かり、いくら人間を嫌い、悟りを開いたかのような気になっていても、私はしょせん、死を恐れる動物であることを分からされます。


 つまり、死ねません。


 ひとつ、私は人間が嫌いで、これから罵詈雑言の数々を書くと言いましたが、私が間違っていることは重々に理解しています。

 あくまで私が異常者なのです。

 私が、私自身の思想を、正しいと信じて疑わなければ、私はこれほどまでに悩んでいないでしょう。

 異常者の立場から人間に牙を向くのです。我ながら恐ろしい動物です。

 私が、私を、恐ろしいと思えるということは、私はまだまだ人間?

 いやいや、ないない。


 ともかく、人間の皆々様がたは、異常者の立場から普通の人間たちに罵詈雑言を浴びせる、そんなお門違いな動物の日記を、人間らしく、ただ読んで、病んだ人間は怖いな程度に、安直な感想を抱いてくれればいいです。 






 では、始めます。






 もちろん、書き出しは決まっています。






 ——恥の多い生涯を、送って来ました。


 私は最近になって、自分が異常者であることを知りました。振り返ってみると、幼少の頃から、その片鱗へんりんを見せていたことは、今となっては分かるのですが、自分は、何ならまともな部類の人間であると、そう勘違いをしていた期間が長かった分、恥に恥を重ねる形になっていたようです。


 または、私に、恥に対する耐性がなかったことも、その「恥の多い生涯」を送るに至った理由と云えるのでしょう。


 というのも、そもそも普通の人間は、恥を恥と思わないみたいなのです。


 例えとして、恋愛に関する私のエピソードを書きます。

 ひとつめの、私の、恥です。

 しかし、これが普通の人間にとっては恥ではない、ということです。


 私は人並みか、ややそれ以上に、女性に好意を抱かれる方でした。(これを、ただの気持ちの悪い自慢だ、という人がいれば、今は本題から外れるので、ただ謝ります。ごめんなさい。追って反論はします。)

 学生時代は様々なことがあって(これも恋愛とは別の問題のため後述します)、いわゆる甘酸っぱい青春を謳歌した、とまではいきませんが、主に高校を卒業し、就職のため、故郷の北海道から上京して以降、性の乱れが、顕著となりました。


 入社から2年か3年が経った春のことです。

 私は長期の出張で、愛知県の田舎町に来ていました。

 すっかり東京でのきらびやかな暮らしに慣れていた私にとって、人通りの少ない、閑静な住宅街は、ひどく、もの寂しい景色でした。飲みに出ても二件目なんてありません。


 愛知の職場には同期入社の男がいて、本社での教育研修ぶりの再会となった私たちは、ある日の、飲み足りない夜(互いに二十歳ごろです)、そんなことをうれいながら、もの寂しい夜道を歩いてました。


「加藤君は、いいよなぁ。彼女がいるんだから。僕は行きたいの。女の子のお店!」


 紹介が遅れましたが、私は加藤といいます。同期の男は、沢田です。

 一次会は、住宅街の中にひっそりと佇む個人経営の居酒屋でした。割烹着かっぽうぎを着た六十歳くらいの老夫婦が切り盛りしており、久々に若者がきたのが嬉しかったのか、これでもか、と、日本酒を薦められ、特に沢田の酔いは、既に最高潮でした。


「彼女? あぁ、それならとっくに別れたよ」

「えぇ? そうだったの?」


 沢田は、酔うと、常に口角が上がるのが特徴でした。そして、私が女と別れたことを告げると、不意に真面目な顔をとる、純粋な、少年のような男でした。


 彼女と別れた、といっても、私は傷心中でもありません。いつも、付き合っては別れ、付き合っては別れ、を繰り返し、同じ女性との関係をひと月以上継続したことは数えるほどしかなかったのです。慣れたことでした。


 飽き性なんです。

 クズなんです。


「だったら、尚更行こうよ。今日は朝までだー!」

 

 夜道を走る少年の後を、親の気持ちで追いました。

 クズでも親の気持ちになれるのか、と思いました。


 どうせ、女の店なんてない。

 そう思っていたのですが、ありました。

 二十歳の男が「女の店」と呼ぶには、いささか無理があるようにも思えますが、普通の、田舎の、スナックでした。


 入口は重厚な雰囲気を感じるもくの扉で、それを照らすのは、若干、黄色の混じった蛍光照明。たくさんのが群がっていました。


 店に入ると、やはり熟年を思わせられるママがいて、見慣れない若者ふたりに驚くこともなく、カタカナの「コ」の字になっているカウンター席に案内されました。


 熟年。そうはいっても、スナックのママとは、どうしてか、小奇麗なものです。もちろん、化粧があって、仕事用の衣服があって、妖艶ようえんな店の雰囲気もあって、かもしれませんが、それ以外の何かが絶対にある、いつも、そう思わされます。


 先客は2,3名いました。沢田は、その人たちと一緒にカラオケをしていました。


 私は、陽気な姿を人に見せるのが、どうにも恥ずかしいたちで、しかしながら、せっかく人と飲みに来ているのに、寡黙かもくな姿を見せ続けるのも申し訳なく思うところがあり、いつも「一所懸命に酔っぱらう」ということを、やってました。(内臓の弱った今でこそ、缶チューハイ1,2本で饒舌じょうぜつになれますが)


 黒霧くろきりを水割りからロックに変えた頃、ひとりのキャストが私の前につきました。


「どうしてこんなお店に来たの?」


 名前は思い出せませんが、四十歳の人妻であったことは覚えています。歳の割には相当綺麗で、腰のあたりまで伸びた茶髪が印象的な女でした。


 沢田の若さによってヒートアップする店内の、その影に隠れるように、まさしくしっぽりと、ふたりで酒を飲みました。


 酔いが回るほど、私は、彼女を抱きたいと思い始めました。

 酔っ払って性欲が湧いたから。そんなありきたりな理由は三割ほどです。

 彼女もそれを求めているのが分かったから。これが一番です。

「一生懸命に酔っぱらう」

 それと同じことなのです。

 私の行動原理は全て、人の欲求を満足させることなのです。


 例えば、女が別れたいといえば、別れます。そこに、自分を引き留めてほしいという駆け引きが含まれているケースもありますが、その場合は、そもそも面倒であり、私は面倒な女が嫌いなので、やはり別れます。

 あくまで言われたことは、別れたい、の一言なのですから、面倒な駆け引きはごめんなのです。

 言ってくれないと分からないよ。

 よく、女に言われたのを思い出しますが、こちらのセリフでもあるのです。


 こんなんだから私は、のちの嫁となる人物とも別れるわけですが。


 店の女こそ、好意は顕著に分かるものです。

 どこか寂しげな雰囲気を出し、目を潤わせ、私の心の奥を見るかのような遠い目で、みつめてくる。


 そして、


「何?」


 と問うと、決まって、


「なんでもない」


 と微笑みます。


 あの時の彼女も、そうでした。

 男側がもの寂しいオーラを欲するような態度をとった場合、彼女らは(これは、女の強みと云ってもいい)、上手く察し、先にいった態度を演じてくる場合もありますが、彼女にはそれもありませんでした。


 結局、閉店時間まで彼女としっぽり飲み明かし、尚且つ、沢田が盛り上がる曲をかければ、いよいよ泥酔した私も一緒になって踊り、はたから見れば二重人格者の様相で、クールな私を望む彼女と、同期の友情を望む沢田のふたりを、上手く、相手にしました。

 クールな男が友達の類とのノリに付き合う姿が(本当に若干だけ、演技であることを悟らせる必要がある)、女に気に入られることも、私は知っていました。


 そして、私の恥と、罪悪感と、人間への嫌悪が始まります。


 店から出て、先客のおじさん方(もはや恰好も覚えていません)と沢田、彼女、私。5,6人でカラオケに入りました。まだ歌い足りないようです。


 恐らく午前三時頃だったか。

 ようやく解散となり、カラオケからも出ました。外はまだ暗かったです。


 タクシーに乗り込もうとするおじさん方と、家に向かって歩き出す沢田が、一歩も動かない彼女と私に気が付き、沢田の方が私の名を呼びます。


 今思えば、お互い帰るフリをして、後に合流する形を取ればよかったのですが、泥酔状態の私に、正常な判断は取れませんでした。


「もうちょいカラオケしてくるわ」


 沢田は早々に悟った様子で、複雑な笑みを浮かべ、帰りました。

 

 おじさん達は何も言いませんが、怒りの表情を浮かべてました。


 ふたりきりになった私たちはタクシーでホテルにいき、セックスをしました。


 まず、恥。

 私は、既婚者の女を、抱きました。

 彼女の家庭を崩壊する危険を犯したのです。

 性欲のままに。あるいは、彼女の欲求を満たすために。


 罪悪感。

 言わずもがな。

 過ちを犯した身分で、罪悪感、なんて言葉、使ってはいけないでしょうか。

 いや、あるものは、あるのです。

 やってしまってから後悔。誰にでもあることでしょう。

 少なくとも反省しろ? 続きを読んで欲しい。


 人間への嫌悪。

 彼女の、私を(あるいは若い体を)求める、激しい性交である。

 おじさん方の、怒りの顔である。

 沢田から話を聞いた、職場の人間の感想である。


 しかし、恥。

 私は恥の多い生涯を送って来ました。今回の件も、よく、人に責められます。

 責められるのですが、責めてくるのは、人間です。

 恥を恥としない人間に、何故か、責められるのです。


 難しくなってきたので整理すると、つまり、私の行いは、世間に叩かれます。

 ただの不倫ですから、それはもう、叩かれます。

 勧善懲悪かんぜんちょうあく。不倫は悪!


 しかし、世間はそうして叩きますが、いざ、自分の廻りを見渡せば、どうでしょう。


 おじさん方の、怒りの顔。そこに、嫉妬の感情は、絶対に、ないのでしょうか。

 沢田から事の成り行きを聞いた、職場の人間の感想。


「すげえな」

「よくやった!」


 面白おかしい気持ちはわかりますが、しょせん、その程度なわけです。

 沢田に至っては、その純粋な顔で、心底羨ましそうにしてきます。


 恥……?


 となるわけです。


 そもそも、この世界には、どれだけの不倫経験者がいるのでしょうか。

 あるいは、不倫に関わらず、どれだけの離婚経験者がいるのでしょうか。

 経験こそしていなくても「若い女とヤリたいな」「もうこんな夫に愛はない」と考えている人間は、どれだけいるのでしょうか。

 行動こそ起こしていなければ、それは正義であり、人を叩ける立場にいれる?


 断じて違う。


 欲求が湧いた時点で、裏切りである。


 欲求が湧いた時点で、裏切りという、本来、恥じるべきことである。


 人を叩ける立場にいることは、間違いない。


 ただ、それは、我慢をしているからではないだろうか。内なる欲求があるからではないだろうか。


 本来、人の不倫話なんて、どうでもいいことではないのか。


 自分は我慢しているのに……。


 そんな妬みが、叩くという行動になるのではないだろうか。


「若い女とヤリたいな」

「もうこんな夫に愛はない」


 一生の愛を誓った身で、そんな欲求を抱きつつも、我慢しているから、正義です。

 

 これを恥と云わず、なんというのか。私にはわかりません。


 恥を恥と考えもせず、自分を正義と疑わない人間が、嫌いです。


 正義の鉄槌をくだす行為自体に、同様の恥があることを認識しない人間が、嫌いです。


 でも、大丈夫です。


 揺るぎないのは、私が悪ということだけですから。


 恥と罪悪感を抱えながら、結局は、この先も、幾人もの女の欲求に応え続け、背負いきれなくなって、私は病みます。

 病まないために、恥を恥と思わないのが、いいのかもしれないとも思いましたが、人間を嫌う私としては、ずっと、それが出来ないのでした。


 以降、彼女と会うことはありませんでした。


 もう一度だけ会いたい、と、一度だけ、決まり文句の連絡がありましたが、罪悪感に怯える私は、そっと、スマートフォンをポケットにしまいました。



 眠くなったので、一旦やめます。


 もちろん、推敲もなければ、相変わらず構成も考えていません。

 誤字はご愛敬。


 

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