第12話 2022年9月30日
実家で、キャリーケースに衣服を詰め込みます。
あれは持ったかい? これはいらないのかい? 母は部屋を往ったり来たりで、使い捨ての歯ブラシやら、タオルやら、別に、わざわざ持っていかなくとも、宿泊予定のホテルに準備されていそうな何かを手に持っては、スーツ姿の私の前に忙しなく現れます。
その姿が母方のお婆ちゃんに似ていて、この人も歳を取ったな、と思いました。
父はいつもと変わらない様子でテレビを観ていましたが、家を出ていく私に、
「じゃあな」
と、柄にも無く、どすの利いた声で、別れの言葉を伝えてきました。
「ちょっと、それだけですか」
母はパタパタと動かしていた足を止め、溜息をついて、言いました。
父の方を見るのが、何だかとても恥ずかしくて、私は、聞こえるか聞こえないかの微妙な声量で、
「世話なりました」
と呟き、それから間もなく家を出て、先に母の車に乗りました。
十八歳の3月末。
私は、故郷の北海道を去り、東京へ行きます。
この頃、ずっと職を転々としていた父ですが、ようやくいい会社に巡り合えた様子で、夫婦共働きではありましたが、妹たちの誕生日に衣服を与えられる程度には、家計は落ち着いておりました。
更に、私が巣立つことで負担は少なくなる。
最初で最後の親孝行を果たし、新千歳空港の保安検査場に並びます。
振り返ると、母と、妹たちと、友人が三人。(毎年、年末年始に集まるほどの仲といった四人の友人の内、ひとりは、既に北海道の遠方に、同じく就職のために行っていたため、この時は三人でした)
その他に、高校の友人も四名ほど、遠くにいて、私に向かって手を振っていました。
いずれも、私が人間を演じなければ、人間を完成させなければ、友人になることはなかったであろう人たち。
いったい彼ら彼女らは、本当は誰に手を振っているのだろう、と思いながらも、遠くの窓の奥でちょうど飛び立った飛行機を見ると、陸の続いていない東京へ発つことを実感させられ、何故だか、彼ら彼女らにはもう二度と会えないのではないか、と、そう思わされて、ひどく悲しい思いが湧き立ち、自分の目頭が熱くなっていくのが分かりました。私にも情はあるようです。
私はこの先、そんな彼ら彼女らの寂しげな表情と、父の柄にも無い言葉(恐らく言葉にしたくなくて仕方なかったと思います)の全てを、無下にします。
十八歳の今まで、散々と人間に絶望し、または絶望させられ、私も人間になってやる、と、復讐の誓いを立てて、長い時間をかけて人間の皮を完成させたのに、社会に出て、また散々と、私は、人間に絶望をすることになるわけです。
しょせん、皮。
私の根っこ、本当の自分が、人間を拒絶し続けていることに、この時はまだ、気が付いていなかったのです。
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