第21話 2022年10月27日

 さぁ、この物語は、あるいは私の人生は、佳境です。

 佳とは、優れていることを意味し、境とは、場所を意味します。


 そう書いて、佳境です。



 彼女との出会いは、年末年始の帰省から東京に戻ってすぐのこと、新橋の居酒屋で行われた合コン会場でした。

 人間の皮を剥いだ私でしたが、仕事には変わらず熱心に取り組んでいて、その姿勢が評価されてか、各取引先相手の、特に歳の離れたおじさん達からはよくしてもらうことが多く、独身の私のためにと、しょっちゅう若い女を紹介されていたのです。


 ヨウヘイさんとの関わりもあって、私は特段、女に飢えているわけではなかったのですが(こっちはこっちでよく女をあてがられました)、いや、むしろ、腐った恋歴からは、女にせいせいしているところもあり、いつもノリ気にはなれず、この日も、断れなかったから行っただけ、でした。


 会社の後輩ふたりを引き連れ、店に向かいます。

 一月の初旬は、服装を間違えがちです。

 たった一週間、北海道にいただけで、寒さに対する至上最も効率良いの特訓となり、しかし、たった一週間で修得したものとは、たった数日で失うようで、しかもそれが、夜に出歩いている時、ろうそくに息を吹きかけた時みたいに、ふっといきなり消えますから、たちが悪いです。


 冷たい北風に当てられて、私も火を消されて、両腕を擦りながら店に入りました。

 

 女たちは、三人、先に席に着いていました。

 テーブル席でした。


 ひとりは、本当に、雑誌のモデルでもやっているのではないかと思わされるほどに、目鼻がくっきりした美貌の女で、もうひとりは、着衣からでも、いや、だからこそ強調されるのか、豊満な胸に目をもっていかれる、エロい女でした。

 そして、最後。私たちから見て一番右の、壁側にいる女。


 これが、のちの嫁です。


 顔は、誰がどう見ても「普通」と評価することでしょう。目も、鼻も、口も、顎も、これといった特徴はなく、強いて云うのであれば……いずれも小さい。

 黒い長髪が、すっと、艶やかに、胸元くらいまでまっすぐ垂れていて、日本人形、と例えるのが最も良さそうではあるのですが、私たち三人の登場に対して見せた奥ゆかしい笑顔からは、その日本人形が有する独特の怖さ、みたいなものはなく、つまり、やっぱり、「普通」の女子大生、と評価するのが精いっぱいな感じです。


 名前は、ユイといいました。


 第一印象は、ただそんな感じで、特別惹かれたわけでもないのですが、このやる気のない合コン、時間が過ぎていくうちに、私の恋心は、揺れていきました。


 ユイは、私のいっさいを受け入れたのです。


 私は合コンに対して熱意がありませんし、更には人間の皮をも破棄している状況ですから、沈黙がこないように会話を回そうとか、不意に面白おかしいつっこみを入れて陽気な部分をみせつけようとか、そんな空気を読むことはせず、ひたすらに、素の、寡黙で偏屈な自分を押し付けます。


「じゃあさ、みんなはどこからが浮気だと思う?」


 美貌の女が言いました。


「えー、やっぱり体の関係をもったらじゃない?」


 エロい女が答えました。


 後輩たちも、そうだよね、とか、じゃあ二人で出掛けるのは? とか、ノリノリの様子です。


 して、黙って聞いていると、


「加藤さんはどう思いますか」


 後輩のどちらかが私に振りました。


 またしても、約束された敗北に後悔する自分の姿を脳裏に捉えながらも、私は本心を曝け出します。曝け出さなければいけないのです。


「俺は、そもそも、分からないかな」


 シンとして、女たちはしきりに目を合わせ始めました。嫌な居酒屋の、沈黙です。


「ひとりの異性を完全に自分だけのものだと考えるなんて、強欲じゃないかな。だいいち、本当に一生浮つかない男女なんて、この世にいるとは思えない」


 またシンとして、今度は目をぱちくりです。


「えー? じゃあ加藤君は彼女が浮気してもいいってこと? 嫌じゃないの?」


 美貌の女の方が、雰囲気を壊さぬようにか、笑みを交えて明るく言いました。少しだけ口が引きつっていました。


 そう言われて、私は考えます。


 嫌じゃないの?


 分からない。


 結局、この女にとっての浮気の罪状とは、あるいは世間にとってもそう、裏切りによって、「今」の自分が傷つけれられた行為を咎めるものなのだろうか。


 人間は皆、特にこういった男女が集う会においては、浮気の話題を持ち出しがちです。


 して、前提として、ほとんど必ず、浮気は悪いことという共通認識をもっています。


 私は今までの人生、既に、何十人もの人妻、彼氏持ちの女を抱いてきました。

 ひかり、愛知のスナックの女、それ以外にも、川崎の安いキャバクラの女、ヨウヘイさんとよくいくバーに同窓会で来ていた三十路の女、あとは有楽町で飲み歩いている時に、相手も相当酔っていたのもありましたが、向こうから声を掛けてきた女までいました。


 行為を終えると、皆、一様に、さみしかったから、と口にします。


 浮気、最低。


 人間がみせる正義の鉄槌に疑問が湧いて、統計を調べたこともありました。

 出典によって差はありますが、おおよそ半数近くです。男に至っては七割を超える統計まであります。


 しかし、やっぱりです。

 この合コンにいるメンバーは、私を叩きます。


「先輩、それはないっすよー。自分は絶対浮気だけはしないっす! それだけが取り柄なんで!」


「えー? 吉田君(後輩の名)めっちゃ優男じゃーん。加藤君には悪いけど、やっぱり私は浮気しない人がいいなー。無理無理」


 理解できません。


 その根拠の無い自信は、どこからくるのでしょうか。


 この人たちは今、嘘をついているのです。


 被害者になれば、怒り、哀しみ、そして、ゆくゆくは、だいたいの人間が、加害者になるのです。(統計なんて、それこそまた嘘をつく人もいるでしょうし、見てくれのいい美貌の女と男に限って調査をすれば、更に比率はあがることでしょう)


 終いには、さみしかったから、です。


 浮気云々いう前に、そもそも、愛も恋も、無い気がしてなりません。


 その時その時の、「今」の自分が傷つかない最善の相手を、常に求めているだけな気がしてなりません。


 人間には愛も恋も、ないのです。


 もし、この世のどこかに、私のような聖人がいるのなら、問いたい。


 一生の愛を誓う、とは、嘘であって、いいのでしょうか。


 思考巡らせ、格段に寡黙さが増していたようで、ふと気が付いた時にはすっかり皆の話題は変わっていました。


 ユイだけが、私の方を、見ていました。


 店内も、同じテーブルにいる皆も、喧噪に唾を飛ばしているのに、私とユイだけが目を合わせて、沈黙しています。


 心地の良い居酒屋の沈黙。


 見つけました。


「変わった人なんですね。あれ、お仕事は何をされているんでしたっけ」


 ユイは、至って「普通」の女。

 しかし、私という聖人、いや、異常者に、興味を示してくれるのでした。


 周りの皆、ユイと私の雰囲気に空気を読んでか、私たちを二人きりにしました。


 帰り道、ふたりで駅までいって、エスカレータに乗る時、ユイにそっと手を差し出しました。

 ユイは驚いた表情を浮かべながらも、咄嗟に私の手に手を添えて、言います。


「優しいんだね」


 昇るエスカレータ。


 空に浮かんだ小さい満月が、庇の影に消えていきました。

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