第22話 2022年10月28日
偏屈な思想をもつ私を軽蔑することなき「普通」の女、ユイ。
合コン以降も、彼女から贈られる私への興味は、顕著なものでした。
ユイはもうすっかり、私の家にも出入りするようになっていて、会う頻度は少なくとも週1、泊っていくことも多かったです。
特に1回目、2回目といった序盤のころは、毎度、私の家を出ていった後に、律儀に、また会いたい、という旨の連絡をよこします。
いやしかし、そんなことは今までの女からも多々ありました。
今までの女らとユイとの違い、それは明白で、不倫や浮気ではないことです。つまり得意の罪悪を発動することがないのです。
ただ、何も、私は生涯において不倫や浮気だけの恋をしてきたかというと、もちろんそうでもなくて、普通の恋もあったわけですが、その女らとも比較するのであれば、連絡のひとつもってしても、また明白です。
世間一般に云う愛や恋。そのような、「今」だけの強欲な独占欲(私にとってはです)を、彼女は、露わにしないのです。
ある日のメール。
「今日はありがとうございました。また次の週末は会えますか。昨日加藤君が食べたいと言っていた唐揚げ、作っていこうと思います。」
「ごめん。次の週末は飲み会があるんだ。帰りは遅くなるし、再来週なら大丈夫だよ。」
「分かりました。飲み会、楽しんでください。たくさん飲んで、日ごろのストレスを発散しちゃいましょう(笑顔の絵文字)」
私はこれまで、ユイとの初見の時も含めて、不倫や浮気について抱いている偏屈な思想を、散々と彼女に伝えてきていました。
「誰だって恋をしたところで、十年も二十年も経てば、まぁ、よくいえば愛に変わるといおうか、情に変わるといおうか、とにかくそうなるんだから、不倫なんて、仕方のないことだね」
こんなことを言った覚えもあります。
その上で、ユイは、私をいつも、飲み会に送り出してくれるわけです。
彼女の心の、本当のところには、心配もあったかも分かりません。
あるいは、偏屈なことをのたまいながらも、根の優しさを見せ続ける私に対して、絶対的な信頼を寄せていたのかも、分かりません。(ユイの癖。不意にメールで、私への愛を赤裸々に送って来ます。エスカレータを乗る時に手を沿えてくれるとか、ふたりでいく飯屋ではいつもいつの間にか会計を終わらせているとか、大学の卒業試験とかで自分が悩んでいる時には何を言わずとも、すぐに「大丈夫か?」と察してくれるとか、とにかく大人びて優しいところが好きです、と、何度も、何度も、伝えられました)
いずれにせよ、ユイは、私のいっさいを受け入れるわけです。
都合の良い女、と卑下されるでしょうか。
そんな悪口、言わないでほしいです。
勝手に自分と、世間一般的な女と、比べないでほしいです。
ユイに対して、勝手に苛立ちに近い感情を、覚えないでほしいです。
彼女はひたすらに器が大きかったのです。如何なる理由があれど、私という個人を心から愛してくれていたのです。
ただそれだけなのです。
私はユイに、紛れもない、運命を感じました。
こんな偏屈な妖怪を受け入れてくれる人間は他にいない。
本気で、そう考えました。
彼女を幸せにする。
偏屈な男だからこそ、私は筋というものを知っている。
本当の愛とは、どうあるべきかを、いつだって考えてきた。
私は何も、完全に不倫や浮気を肯定しているわけではない。(この私の気持ちを分かっていない読者はいないことを信じます)
自分の将来の姿も想像せずに、根拠のない自信をもって不倫や浮気を否定しながらも、ゆくゆくは被害者ぶって過ちを犯す人間に疑問を呈しているだけだ。
それなら最初から嘘をつかず、不倫や浮気を肯定しろよ、という話だけなのだ。
もう一度言う。私は、完全に肯定しているわけではないのだ。
私だけは、美しく、生きるのだ。
不良として生きたい。しかし、両親への罪悪を拭えない。そんな中途半端な私の前に現れた救いの神。初めて、本来の私を受け入れた女。
彼女と会うたびに、私の心は、浄化されていきました。
つまりは、嗚咽なく、煙草を味わえるようになりました。
また、この頃、といっても、ユイとの出会いから半年は経った初夏のころ、父が腎不全で倒れたと連絡が入り、私はユイと共に再び北海道へもどりました。
なんてことはない、私たちが着いたころには症状は落ち着いていて、痛々しく鼻に管を刺されていた父でしたが、病室に入ってきた私たちの姿を見るや否や、ニヤと、安堵を感じさせる笑みを浮かべました。
後に、父はこう言っていたと、母が教えてくれました。
「これであいつも、もうなんにも心配ないな」
そして、あぁ、とにかく、こっち。
母方の婆ちゃん。こんなクズな私を自慢の孫と言ってくれる婆ちゃん!
充分に有給休暇をとって北海道に戻りましたから、父の見舞いのあと、時間を持て余し、ユイの紹介がてら、母と共に婆ちゃんの家を尋ねました。
飲み過ぎで体を壊した父を茶化すかのように、親族集まって宴会を開きます。
母からはよく、私の恋の行方を尋ねられていて、私は正直に風俗の女やら人妻の女のことを話していましたから、その話が婆ちゃんにまで伝わっていて、いつも、皺だらけの顔をより一層皺くちゃにして、早くいい娘を見つけてくれればいいんだけど、と、頭を抱えさせてしまっていたのですが、ユイという上品な、普通の女を見たときの、あの顔!
「いやぁ、こんな可愛らしい娘を連れてくるなんて、婆ちゃん安心したよぉ。あらら、ちょっと婆ちゃんダメね。なんか涙出てきちゃった(笑)」
瞳を潤わせて、血管の浮き出たよぼよぼの指で、目頭を押さえます。
更に、
「もうあんたは大丈夫だねぇ。東京での仕事もずっと辞めずに続けて、もぉほんとぉに、婆ちゃんの自慢の孫だわぁ」
私の腕に優しく手を乗せます。
握っているのかも分からない程に握力はなく、弱々しい力で。
私まで、泣きそうになってしまったものです。
「俺、絶対婆ちゃんにひ孫を見せるよ。それが俺の夢だ」
珍しく感情に流されて約束を交わしてしまいましたが、たしかな信念をもって、そう伝えました。
もう、全部、なしだ。
私は、この人たちのために、ユイのために、美しく生きる。
それで、いいじゃないか。
それだけで、いいじゃないか。
愛とは、恋とは、迫害とは、筋とは、……。
人間とは。
何もかも、これ以上考えるのは、なしだ。
こんな私を愛してくれる人が、こんなにもいるのだ!
——人間、修復です。
川崎に戻り、まず、私は、本当に、指をも切断する覚悟を抱いて、ヨウヘイさんに会いに行きました。
初めてあの人に会った、バー。
階段の手すりが修理されていたことに気が付いたのは店に入ってからで、そういえば、と思い、後ろを振り返ったことを覚えています。
ヨウヘイさんは既に席に着いていて、富士山が描かれた扇子を優雅に仰いでいました。
「坊主、随分時間かかったな」
「はい、すみません」
ヨウヘイさんの隣の席に着くと、すぐに麦のロックが置かれました。
マスターに目を向けると、彼は、ヨウヘイさんから事情を聞いていたのか、何も言わずに奥のスタッフルームに消えます。
バタン、と、扉の閉まる音。
そして、沈黙。
店内にBGMはなく、耳鳴りのような音だけが聴こえています。
私は座ったばかりの席から立ち、恐らく生まれて初めて、90°以上、頭を下げました。
「殴ってください」
そう言いました。
キザなセリフに、我ながら羞恥し、逃げ出したい思いが湧き起こってか、フローリングに付いていたちっちゃいシミなんかに妙に意識がいって、黙って待ちます。
コトと、グラスを置く音が聴こえて、いよいよ目を瞑り、歯を食いしばりました。
して、バシィンと、耳元で大きな音が鳴り響きました。
私は、頬の感覚に違和感を覚え、訳が分からなくなり、ただただテンパりました。
これっぽっちも痛くないじゃないですか。
いや、どうでしょう、話を盛ったかもしれません、痛いことは痛いのですが、なんだか、音量に対する物理的衝撃が、ひどく軽い気がして、実際、私の顔は殴られる前と後で、少しも位置が変わっていませんでした。
「坊主、顔、あげろ」
「……はい」
目の前に立つはヨウヘイさん。口をへの字にして、笑い、恐らく私の頬に触れたであろう茶色い封筒を片手で差し出していて、それをひらひらと、なびかせていました。
中は、札束でした。
「坊主とは今日が最後の夜遊びだ。残念だ。惜しい。むかつく。ただ、お前の人生はお前の人生だ。決めたってのなら、やり通せ」
この上なき感傷。
しかし、涙もまた、これっぽっちも出ませんでした。
札束で人を叩く。
そんなゲスな行いが、ここまで格好いいものだから、ついおかしくて、私の口、への字に曲がって、随分とブサイクな顔になっていたかと思います。
それっきり、ヨウヘイさんと会うことはなくなりました。
あれだけ奢ってもらって、可愛がってもらって、何も礼を返していないのですから、ある意味、私は、本当の不良になれたのかもしれません。
……が、しかし、あるいは、その天罰なのでしょうか。
これから私、ユイとの同棲を始め、のちにはめでたく結婚し、個人としての幸せを掴み取って……、そして……、ようやく……、さようなら。
——人間を、失格します。
何の設定も考えずに小説を書くとどうなるだろう。それは小説と云えるのだろうか。まぁ思いついたことをそのまま書く。掲載サイトに載せるなら長いタイトルが流行りらしいから、ほら、こんなんでどうでしょう。 林堂 悠 @rindo-haruka
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