第16話 2022年10月8日

 ヨウヘイさんの悪事を目にしながら、その行いのいっさいを咎めず、毎日仕事を終えては川崎の居酒屋に行き、キャバクラに行き、最後は大抵、ソープでした。


 ヨウヘイさんと一緒にいると、様々な人に出会います。


 それこそ、彼から金を借りている、馬鹿な人たち。


 あれは中々不思議なもので、皆、一様に、トカゲのような目をしていました。

 ヨウヘイさんと話をしているときは、首を少し引っ込めて、キョロキョロと逃げ場を探すように、普通に怯えている、といえばいいでしょうか、そんな感じなのですが、私たちが場を離れてから、ふと振り返ると、皆、その場で立ちすくみ、トカゲになっているのです。


 目に、光がないのです。


 そんなトカゲたちを見ていると、私は、よく人間から言われる「死んだような目」

という評価を、思い出されます。

 

「ヨウヘイさん、あの顔、見てくださいよ」


 川崎駅東口の住宅街を歩きながら、言いました。

 私が仕事を終えてからすぐだったので、十九時とかだったと思います。


「あ? なんだ。言い過ぎだっていいてえのか?」


「いや、違くて、なんというか、トカゲみたいじゃないっすか?」


「は? んん、まぁ、言われてみれば……」


 ヨウヘイさんは歩みは止めず、後ろを見ました。


「あのトカゲみたいな、死んだような目と、僕の目は、何が違うんですかね」

 

 と訊くと、顔を私に戻しました。

 太い眉毛が上に引っ張られていました。


「そうだなぁ。あいつは……、ただ絶望しているだけ、だな。坊主のは……なんだろうな」


 こっちは虎のような怖い目で私を睨み続けますが、言葉はすぐに思いついたようです。


「絶望に抗った結果、更に絶望した目、だな。だからトカゲの一個上よ。恐竜恐竜。ほら、爬虫類は恐竜の先祖っていうだろ」


「先祖、なんすか? 仲間とかじゃないっすか?」


「それはどうでもいいんだよ」


「すんません。でも、恐竜ですか。そこまでいかつくないと思いますけど」


「いいや、あいつら、たしかに全体で見たらいかついけどよ、目だけ見たら、大差ねえぞ。トカゲと一緒で、何考えてっか分かんねえ感じだ」


 腑に落ちませんでした。


 恐竜?


 ないない。


 思うに、私と、あのトカゲたちは、一緒なのです。


 何故、あのトカゲたちは借金までして女や男に貢ぐのかと考えると、当然、馬鹿だから、と言ってしまえば、それで終わってしまいますけど、恐らく、人生において大事なものが何もないから、あるいは、なかったから、という理由もあるのではないでしょうか。


 いや、女が男に貢ぐケースは、メンヘラ、などという言葉もありますから、私には理解出来ないことですけど、男が女に貢ぐというのは、女性経験の浅さであったり、好意の勘違いであったりで、とにかく、その女性を手に入れたくて仕方がない、その女性しか目に入らない、という状態になっていることは、想像出来ます。


 私だって、同じなのです。


 本来の私は、根暗で、人に何も言えず、人のために生きたい、人の欲望を叶えてあげたい、叶えてあげられなければ罪悪感、消極的で、得意なことが何もなくて、見下され、虐められる、そんな人間です。


 仮に、人間の皮を纏うことをせず、私が私のまま大人になって、社会に出ていれば、どうなっていたことでしょう。


 陰キャ。


 それはもう、女にモテない生涯を送ったことでしょう。


 そんなことない! きっとあなたを正しく評価してくれる女はいる!


 と、映画の名脇役みたいなことを言ってくれる人も、あるいはいるかもしれませんが、どうでしょう。レアケースではないでしょうか。


 やはり女は格好いい男が好みで、まぁ、たしかに、女は男と違って、外見だけで異性を評価しないという習性も感じられますが、それでも、人と喋れない、仕事の出来ない男となると、ねぇ。


 そんな女性慣れしていない、仮の、本来の私が、綺麗な女に偽りの誘惑をされたとしたら、多大なる勘違いをしても、何もおかしくないと思うのです。


 トカゲをトカゲにするのは、人間。


 そして、自業自得。


 なんだかんだ言っても、トカゲはヨウヘイさんという無法者に搾取され、世間からは馬鹿な奴と言われるだけ。


 そんなダメな爬虫類に良き友が出来るはずもなく、救いの神は、貢ぎ先のクズ女。


 トカゲの目に映る闇の正体が、分かりました。


 大変つらい人生でしょう。

 誰かに、女に、認められたいことでしょう。


 しかし、人間の皮を纏った私も、世間も、彼に同情する資格はありません。


 トカゲは、ただの馬鹿なのです。


 認めるわけ、ないじゃないですか。


 このまま見下していきましょう……、なんて、言わずもがなですね。


「でぇ? 坊主、まだ悩んでんのか? 辞めるか、辞めないか」


 繁華街についた頃、ヨウヘイさんのしつこい勧誘が始まりました。


「まぁ、はい」


 と、いつものように答えます。

 しかし、内心、ほぼ決心しています。


 このままヨウヘイさんと一緒にいたい。


 ヨウヘイさんのために、何かしてあげたい。


 トカゲを生み出しながらも常識人面をするくらいなら、ちゃんと不良になりたい。


「ったく。優柔不断だなぁ。ま、何回も言うけどよ、無理にとは言わねぇ。ただ、ぜってぇサラリーマンは向いてねえ。それは自分でも分かってんだろ」


 決心。しかし、いざ口にしようとすると、なんででしょう、やはり得意の罪悪感でしょうか、父と母の顔が、それはもう鮮明に浮かんできます。父の方なんて、そんな笑顔、見せたことがないだろう、と、思わずツッコミたくなる顔なのです。

 

 私は何も言えなくなって、ただ俯き、歩きます。


 その時、すぐ近くの居酒屋に、五、六人、ぞろぞろとスーツ姿のサラリーマンが入っていく景色を目にして、何故だか、それがとても気になってしょうがなくなり、私は足を止めました。


 ひとり、六十歳近くと思われる、綺麗な白髪のおじさんが中央にいて、よほどのお偉いさんなのか、周囲を取り囲う人たちは、ドウゾドウゾ、などと、片手で入口を指していて、あぁ、もし私があそこにいて、ドウゾドウゾ、とやらなければ、なんでドウゾドウゾってやらねえんだよ、と、迫害されるのか、私のサラリーマンという職は、はたから見れば、あんな感じなのか、と思わされ、無性に自分に腹が立ちました。


 前をいっていたヨウヘイさんが立ち止まっていた私に気が付き、なぁにしてんだぁ、と言いました。


 私は、「あの」とだけ口に出して、すると、父と母の顔が哀しみの表情に変わったので、


「辞める辞めないは、まだ分かんないっすけど、ちょっとだけ手伝わせてくれませんか。ヨウヘイさんの仕事」


 と言いました。


 ヨウヘイさんは少し考え込むようにしてから口をへの字にして、


「おぉ。ま、とりあえず飲もおか。今日はゲテモノが食いてえ」


 と言いましたが、いつもの裏通りの、汚い居酒屋に入りました。

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