第15話 2022年10月7日
「そんなに常識を守らねえ奴らが嫌いだっつっといて、俺に付きまとってちゃあ、それこそ、坊主、筋の通らねえ話じゃねえか?」
ヨウヘイさんとの出会いからふたつき経ち、私は、大変に居心地の良い環境に生きていました。この世に生を授かってから、ほとんど初めてのことです。
「前にも言ったじゃないっすか。ヨウヘイさんはたしかに良い仕事をしていないかもしれませんけど、前提として、そもそも常識を守ろうとしていないんですから、いいんです。自分のことを悪い人間だと自覚されていますから、いいんです」
この日も、場所は川崎のキャバクラでした。
しつこい残暑に昼は汗ばみ、しかし夜は肌寒い。秋の月は、どうしてあんなに綺麗か。
あのバーで、初めてこの人に会って、泥酔し、水を飲み、体は冷めて、酔いも醒め、その後は、ヨウヘイさんの行きつけの店に何件も何件も連れまわされました。
何も、奢ってもらったから、などという不純な理由で、彼に付きまとい始めたわけではありません。
この人は、まるで汚れていないのです。
そんな美しさに、惹かれたのです。
いや、良い仕事をしていないとは言いました。
しかし、そういうことじゃない。
「えー? なにー? ようちゃんって悪い人なのー?」
ひとりのキャバ嬢が、さも興味津々であるかのように、ヨウヘイさんに上目遣いをして言いました。
「んん? あぁ、そうだよ。俺ぁ悪もんだ」
悪さ自慢をする愚か者のように見せながら、ただふざけた回答をしたようにも見えて、尚且つ、嘘はつかない。
落ち着きのある野太い声と、への字の末端の笑みに、私は、安心するのです。
良い仕事をしていないとは、つまり、言葉の通りではあるのですが、正直、私も最後まで直接は訊かなかったので、正確なところは知りません。
ただ、金を貸しているところを見たことがありました。
おもむろに店から出ていくことがあるのですが、こっそりついていった時に、電話越しで人を脅している姿を見たことがありました。
ペンで書いたかのような目尻の深い皴や、毎日石でも殴っているのかと思わされるゴツゴツした手の甲に、スーツ姿です。
安直な感想をもって言えば、とても真っ当な金貸しには見えません。
はたまた、今時でいうところの「半グレ」とか、それこそ、暴力団?
分かりませんが、私にとってはどうでもいいことでした。
しかし、それでいて「汚れていない」とは、どういうことかと言いますと、先のヨウヘイさんの質問に対する私の回答の通りです。
この人もまた、常識に対して、偏屈な思想を持っているのです。
ある日に言われたことです。
「いいか? 坊主。俺はな、頭の悪い奴らからいろんなもんを奪ってんだ。いったいどうして、こんな見てくれのおっさんから金を借りる? あり得ねえだろ? でもな、いるんだよ。だいたいはギャンブル、女、男、だな。どうしようもねえもんにハマって、どうしようもねえ奴から金を借りるんだ」
私は、最低だな、と思いました。
しかし、
「世の中ってのは、そうやって回ってんだ。耳当たりのいい言葉? って、お前、よく言ってたな。その通りかもしれねえ。考えてみろ。必死に働かされて、社長に金を献上するんだぞ。その上、お国に献上だ。労働、納税、国民の義務を果たして立派。有名な企業で働いて立派。弱小企業だとしても、とにかく働いて立派。たしかに、そう言われれば、そうかもしれねえ。でも、見方を変えれば、社長も国も、俺とやってることは変わらねえんだ。体裁を整えているだけだ」
なんだか、少し、納得してしまいました。
「もう一度言うぞ? こんな見てくれのおっさんから、誰が金を借りる? ギャンブルや女や男。そんなことのために金を借りちゃあ、絶対に返せねえってのに、だ。借りる奴は、とんでもねえ馬鹿だ。そう思うだろ?」
「まぁ、馬鹿か馬鹿じゃないかでいえば、馬鹿かもしれませんね」
「そうだ。だから俺ぁ、人には裁かれねえ」
「どういうことっすか」
「あ? なんで坊主が分かんねんだよ。そういう客は馬鹿。自業自得。それが人の総意だとしたら、俺は人には裁かれない。裁かれるとしたら、『かわいそうだ』って、芯から客に同情する神のような奴か、法だけだな」
類は友を呼ぶ。
こんな会話を経て、私はヨウヘイさんに付きまとうようになったわけです。
汚れていない。
まだ、皆さんには伝わっていないことでしょう。
要するに、逃げも隠れもしないスタイル、です。
低脳を利用し、搾取する。
誰だってやっていることですが、ヨウヘイさんの場合は、それを認めているのです。
正義面をしない。常識人面をしない。
つまり潔白、ということです。
会社も同じことでした。
新入社員の品定め。
成瀬、沢田、加藤。三人で他の同期を迫害した理由は、単に人を見下したいという人間の本能だけには、なかったのです。
低脳を利用し、自らの立場を上げるためにやったのです。
虐めも、そうかもしれない。
低脳を利用し、対象の人生と精神を搾取して、共通の敵をつくる。加害者みんなに、チームワークを付与。
陽が当たるから影がある。
弱者いるから強者いる。
貧乏いるから富豪いる。
利用をしているつもりはないという神のような奴がいるならば、利用しささっていることには変わりないわけですから、今すぐ感謝の意を込めて、手助けをしてあげた方がいいかもしれません。
常識の真実に、少しだけ、辿り着いた気になりました。
場面戻して、秋のキャバクラ。
ヨウヘイさんは、とにかく豪快に遊ぶ人でした。
酒に女に食い物。
まさに酒池肉林。
稼ぐ能力に秀でた人間の特権です。
ヨウヘイさんが言うところの「馬鹿な客」から、いや、私にとっても、世間にとってもそうでしょう、搾取された金で、私は、一緒になって酒と女を浴びました。
「坊主、お前は一生サラリーマンをやるつもりか」
またいつの間にか扇子を仰いでいました。秋の夜は肌寒く、店内は暖房が効いていました。
「そうっすね。やめるつもりはないです。父にも母にも心配かけますから」
ヨウヘイさんは深く腰掛けていた上半身を前にもってきて、肩ひじをテーブルに掛けました。
「お前は人間が嫌いなんだろ。だったら、向いてねえよ。サラリーマン」
私は言葉に詰まりました。
不良になるべきかもしれない。
不良は美しい。
保身しながら悪事をしない。
堂々と悪事をする。
だけど……、どうしよう。
私はソファに座ったまま、しばらく顔を上げられなくなりました。
断崖絶壁の際に立たされた気分でした。
崖の奥はもちろん荒波の海で、空は、まるで今から雲が裂けて、神様が降りてくるのではないかと思わされるような、太陽光が神々しく降り注いだ感じでした。
ここを飛び降りたら、私は堕ちるのだろうか。
それとも、不意に宙に浮いて、天に召されるのだろうか。
などと考えていたら、
「ま、お前の人生はお前の人生だ。とりあえずはやりてえように生きな」
と言われ、正気に戻りました。
腰を深く座り直したヨウヘイさんの体が皮のソファに擦れて、ぐぐぐ、と、音が鳴り響きました。
「え? ようちゃん、今、お腹鳴った? 何か出前とる?」
「あいや、これはソファの腹の音だ。嬢ちゃんのケツに飢えたんだろう。かわいそうにな」
「もお、それはようちゃんの心の声じゃなーい?」
「おぉ、バレちったか。あれだな、歳をとっても性欲は消えねえもんだ。結婚なんて、あれは馬鹿のすることだね。誰だって男ならわけえ女とヤリ続けてえんだ。世間体、子供、一時の愛。以上。嘘つき。ゴクロウサン」
ヨウヘイさんは私の方を見て、笑いながら言いました。
人生の酸いも甘いもを切り刻んだ皴が、とても絵になっていました。
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