第10話 2022年9月17日

 場面変わらず高校生の頃、加藤家は貧困を極めていましたし、親戚には複雑な事情があり(これは後述します)、手助けは求められず、小遣い稼ぎのため、いくつかアルバイトをしました。


 その時の話をします。


 当時の私は、てんで仕事が出来ませんでした。


 それこそ分かりやすいのが、出来ない新人アルバイトの十八番芸である、大量の皿を割る、とか、やったことがあります。


 単に要領が悪かったのか、やる気や集中力がなかったのか、落ち着きがなかったのか、いずれも当てはまっていたことと思いますが、一番の要因を考ると、やはり人間の皮を被るという行いにあったのだと思います。


 私はずっと人間を演じていましたが、その演技がバレることを、ひどく、恐怖していました。(また人間失格の主人公と同じ気持ちです。あの作品が憎いです)


 何故、恐怖していたのか。


 なんででしょう。


 自分でもイマイチ分かりませんが、利口で優しく、物静か、そんな本来の自分を悟られた時、コイツは本当はつまらない奴だ、と、また馬鹿にされてしまうことを恐れていたのでしょうか。


 私はアルバイト中も、自分を装っていました。

 そんな状況で飲食店のホールに立つと、客の前で、二重に演技をしなければなりません。


 引き続き、客の前とはいえ、明るい自分であり続けても問題はないということは、後になって分かりましたが(例えば、ご注文はお決まりでしょうか? と、必ずしもマニュアル通りに言わなくとも、ご注文は? と、ラフな感じで言えば、多少敬語が崩れても、親近感という別の視点によって受け入れられる)、当時の私は子供です。そんなこと分かりません。


 職場内の人間に対しては陽気な人間の姿を演じなから、客の前にいっては更に、普通の店員を演じなければならない。


 しっちゃかめっちゃかになって、仕事に集中できませんでした。


 だから、とは言い切れませんが、皿を割ります、オーダーを間違えます、中途半端な演技によって不快感を与えたのか、客を怒らせます。


 次第に、コイツは出来ない奴だ、と、職場内でも迫害され、それはもう、とても居心地が悪くなり、職場を転々としました。


 働きたくない。

 演技に演技を重ねるなんて、私には無理だ。

 しかし、働かなくては、金がない。

 金が無くては、今度はクラスメートに迫害される。

 それもまぁ、別に構わないですが、やはり損以外の何物でもない。


 仕方なく、陽気で明るいのに仕事が出来ない奴、という恥をかかせられながら、あるいは勝手にかきながら、職場を転々としました。


 出来ない奴を迫害する人間たちの目。


 読んで字のごとく、見下す。


 黒目が下に寄って、瞼が若干下がり、溜息をかけられます。


 あぁ、思い出すだけでも恐ろしい。


 なんでそんなことが出来るのでしょうか。


 みんな、教育のためにと、私と一緒で演技をしていたのでしょうか。


 そんなわけ、ないですよね。


 悩みに悩み、普段の演技も崩れていきました。


 少し、口数が減りました。


 相変わらず人間の前に立つと、おちゃらけたことを言い、周囲を笑わすことに躍起になっていましたが、不意に、どうせ人間を演じても自分が社会人になれば、そこには人間の見下しが待っているのだ、と、自分の詰んでいる将来が脳裏を過ぎり、急に口が重たくなります。


「おぉwww どうした?www」


 周囲にとってもあからさまなのか、私の態度の急変をいつものネタと勘違いするようで、笑いながらそう言われることが多くなりました。


 流石に、加藤は陽気を演じている、とは捉えられないようなので、私は気にすることなく、定期的に急に無口になるを続けました。


 そんな折、転機が訪れます。


 これは一概に、良いこと、とは言えませんが、それは、女との出会い、でした。


 放課後、よくクラスメートたちと一緒に近所のゲームセンターに行きました。

 

 ハンドルを操作するレースゲームや、パンチングマシーンなど、男同士でプライドをかけた勝負をする様を、私はずっと眺めていました。金が無いからです。


 暇を持て余すと仲間たちから離れ、ひとり歩きます。


 よく行くゲームセンターはデパートと繋がっていて、私はそっちの方にふらふらと歩いていき、二階の百円均一に用もなく入りました。


 間もなく後ろから女の声で、


「吉田君?」


 と呼ばれました。


 人違いでした。


 振り返ると、カールのかかった茶髪の、明らかに年上と思われる女がいました。後に年を訊いて、たしか二十一歳とかだったと思います。


 名前は覚えています。


 ひらがなで、ひかり。


「違いますよ」


 人間の皮の被り方に悩んでいた私は、咄嗟の出来事に、つい、素の物静かな言い草で、ぶっきらぼうに言ってしまいました。


「えぇ? 本当? ごめんね。あまりにも似ていたから」


 普通、こういう時は気まずくなるものかと思うのですが、彼女は私とは違って素で陽気なのか、取り繕わない純粋な笑顔を見せてきました。


「へぇ。どこが似ているんですか」


 彼女の陽気さが私の口を動かしました。いや、初めて接する大人の女性を前に緊張をして訳の分からないことを言った、というのもありますが。


 彼女は何故かニヤッと口角を上げて、


「その死んだような目と、死んだような、猫背」


 と言いました。


 ひどく失礼な物言い。

 しかし不快感はありませんでした。

 ご注文は? と、多少敬語を崩してもいい理由を知ることになった出来事です。


「じゃあ名前はなんていうの?」

「加藤です」

「ふーん」


 自分からものを訊いておいて、心底興味なさそうに相槌を打ちます。

 これは女と接しているとよく目にする光景なのですが、なんなのでしょう。二十七歳になった今でも分かりません。


 そうして十分ほど、彼女は私に付きまとい、最後に連絡先を渡されて、私は仲間の元に戻りました。

 

 定期的に連絡を取り合い、私が自分の歳を明らかにした時は、


「聞かなかったことにする」


 と言っていました。


 最初のデートは早速、彼女の家でした。

 思い返せば、彼女と外を歩いたことはありません。

 理由は今となって明らかですが、私は未成年でしたから、当たり前です。


 彼女の家、1回目の密会で、私は女の体を覚えました。


 叩けばすぐに折れてしまいそうなほど細いのに、触ると案外柔らかく、弱々しさの中に、男の神羅万象を受け入れられる強さがある。本気で、そう思わされます。


 彼女の前では、私はいっさいの陽気を見せませんでした。


 その必要性が感じられなかったからです。


 布団の中、裸で抱き合っていると、


「あの日、初めて会った時ね、本当は人違いなんかじゃなかったの。加藤君のことがどうしても気になっちゃって、ついね」


 と、物憂げな感じで言いました。


「そうなんだ」

「うん。どうしてだと思う?」


 この女の癖も、よく分かりません。

 絶対に分からないことを訊いてきて、仕方なく適当なことを答えてあげると、たまに不機嫌になります。


「さぁ。分からないよ」


 今回は正直に答えました。


 すると、彼女は言います。


「加藤君にはね、なんだろう……。不思議な魅力、があるの」


 私はそれを聞いて、ある日に母が言っていたことを思い出しました。


「あなたはね、まだ一歳の頃、親戚のお葬式にいったとき、お坊さんに、こんなことを言われたのよ。『この子はいつか、大物になりますね』って」


 なんでも、母に抱きかかえられていた私は、その葬式のお経が始まるやいなや、それまで、てんで、石のように静かにしていたのに、急に大声で泣き散らかしたらしいです。

 そして、式が終わって坊さんが私たち親子の元へくると、思い切り睨みつけたそうです。

 そんな赤子を見て言った一言だったらしいです。


 大物。不思議な魅力。


 何が、クソ。


 私はもう自殺を考えるほどに落ちぶれているじゃないですか。


 ひどく、無責任な評価です。


 いや、そもそも私が、人間にすらなれなかったことが原因ではありますが。


 とにかく、そんな評価を彼女から受けて、私は特に返す言葉もなく、黙って続きを聞きます。


「歳を聞いてびっくりしちゃったよ。そんなにクールなのに、まだ十七歳だなんて。私、捕まっちゃうな」

「大丈夫だよ。誰にも言わないから」

「うん。そうだね。加藤君は優しいから、私も大丈夫だと思ってる」


 私は、彼女の前では演技をやめて、極力人間と会話をしたくない物静かな人になっているだけなのに、いつの間にやらクールで優しい、という大人びた印象を与えていたようです。


 クールな自分。


 これもまたいい、と思いました。


 根暗な感じだけを出すのではなく、あくまでクールと評価されるように立ち振る舞えば、それはそれで人間に馴染める。


 どうすれば根暗の枠から外れて、クール側に入ることが出来るか。


 それは、時折、陽気な自分を完全に演技するのではなく、あくまで演技ですよ、と、分からせるようにやれば、いいのではないだろうか。


 何より、そう考えれば、私は二重に演技をすることに抵抗がなくなる。


 陽気な部分は演技ですよ!


 この気づきが、後にも続くアルバイトで、または社会人になってからも、非常に役に立つものになりました。


 彼女の家には男の気配がありました。

 洗面所を借りた時、たくさんの衣服が干してあって、一着だけ男物と思われるTシャツがありましたし、座布団の下敷きになっていたネクタイも見ました。


 人間に絶望していた私は、ひとりの異性を我が物として疑わない所有欲というのが分からず、つまり、恋心というのがイマイチ分からず、彼女に対して怒りなどありませんでした。


 ただ、罪悪感に駆られて、次第に彼女の家にいく足取りが重くなるのが分かり、徐々に疎遠になりました。


 彼女はクズだったのでしょうか。


 男がありながら、未成年の私に抱かれた彼女は、クズだったのでしょうか。


 私には分かりません。


 彼女の人生に何があったのかを、知らないからです。


 しかし、まぁ、私の主観を述べても、それは大いに間違っているでしょうから、人間の目から見れば、クズなのでしょう。


 私にとっては忘れられない、クズな恩人です。


 今は、どこで何をしているのでしょうか。


 もし、これを読んでくれていたら……、少し、久しくない幸せとなります。

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