第6話 2022年9月6日
さなぎ。
それは、実に適切な表現です。
中学生になった私は、その三年間、それこそ、異常者と呼ばれても何ら差し支えないほどの、特殊な生活を送りました。
一言も、喋らなかったのです。
三年間、一言も、です。
先生たちを含め、出会う大人たち、ほぼすべての人から将来の心配をされましたし、同級生や先輩たちからは、極度の恥ずかしがり屋、頭のおかしい奴と評価されました。
頭のおかしい奴というのは的を射ていますが、当然、真意は違います。
人間との接し方が、分からなくなっていたのです。
生涯の疑問。
人間の自分勝手な怒りと、優しさによる損。
これが、募りに募った結果でした。
小学生の頃の、例のジャージ事件については既に語りましたが、それだけではありません。
例えば、幾度となく発生する校内イベントのひとつ、生徒間の喧嘩です。
コイツが、こんなことをして、殴ってきて、物を
しょせん、子供の喧嘩ですが、当時の私にとっては同い年の人間です。
目の前で繰り広げられる、それらの、何もかもが、分かりませんでした。
どうして、どういった理由で、そのような、人が傷つく行為を、とるのだろう。
どうして、許せないのだろう。
(こうして当時の心境を書いていると、私はひどく達観した子供であったことが分かります。)
人間は私の目の前で感情をぶつけ合い続けます。
喜怒哀楽を持つのが人間ですから、感情を抱くのは当然ですが、何故、人にぶつけるのでしょうか。何故、抱くだけで済まないのでしょうか。
トラブルの、その事の真実を知らない可能性があるのに、それを無視して、あるいは、さも全部分かった気になって、抱いたままに、怒りを表現し、人に罪悪を押し付ける。
理解に苦しみます。
しょせん子供の喧嘩と言いましたが、存外、当時の私の疑問は、大人の世界に入っても尚、消えませんでした。
会社にいれば、誰かが誰かを怒りますし、飲み会では陰口を言いますし、言い争いも起こります。
仕事でいっては、いい加減怒らないと分からない阿呆もいますから、仕方のないケースもありますが、そうでもないようでした。
普通に、ちょっと気に食わないことがあっただけで怒っている大人は、たくさんいました。
口の利き方がなっていない、とか、全然(酒を)飲まないじゃないか、とか。
大の大人が(しかも、たしか役職のある人だったと思います)、新入社員に、そのようなことを言っていました。
たしか日本酒が好きな人で、お
やはり、人間は、罪悪に対する耐性を持って生まれ、常備している、いや、もはや無敵なのでしょうか。だからこそ、罪悪という概念がないからこそ、抱いた感情を、平気で、ぶつけられるのでしょうか。
ぶつけた相手も人間であるから、罪悪など感じないだろう……、的な感じでしょうか。
いや、逆に、分かっていながら、ぶつけているのでしょうか。
喰らえ! 罪悪感を感じろ! 的な感じなのでしょうか。
俺の、私の欲求を満足させろ! やーやー! 的な感じなのでしょうか。
それとも、毎度、反省はしているのでしょうか。
あぁ、また怒ってしまった。怒りすぎてしまった。
一応は罪悪を感じ、一時は反省して、そして、人生百年、感情が高ぶっては、また、怒るのでしょうか。
だとしたら、言わせてください。
阿呆です。
そんな稚拙な人間は、誰に、何も、言う資格はありません。
この私の意見に対してすら、怒る資格はありません。
諭す、や、冷静に対処する、といった大人の対応を、知らないのでしょうか。
人間だから、しょうがない。
そんな理由で、自分の悪事を正当化する人間が、嫌いです。
人間の当たり前に疑問をいだいてしまう私が、嫌いです。
……脱線したので、話を中学生の頃に戻します。
とにかく、人間。
彼らの身勝手さに怯え、また、続いていた虐めから自閉的になっていたこともあり、私は、口を、閉ざしました。
三年間、振り返っても、ほとんど思い出せることがありません。
人と喋らなかったのです。交友がないのです。学校にいき、授業を聞いて、部活動にいき、帰ります。そして、同級生から暴力を奮われます。骨を折られたこともありました。
記憶になど、何も残りません。
おそらく本能的に、記憶から消した方が、自分のためだったのでしょう。
ただ、ひとつだけ、絶対的に覚えているものがあります。
さなぎが孵化をするきっかけになったことです。
いい加減、虐めが鬱陶しく思い始めた頃、中学二年生の初夏の季節だったでしょうか。
私を虐めていた同級生は3,4人いた記憶ですが、特に、そのうちの一人、田中という男。彼といつものように部活動を終え、家路についているときです。
その日の彼は特に機嫌が悪く、そういう日は決まって、私にあたってきました。
人の通りも、車の通りも少ない、住宅街の、裏道。
いきなり腹を殴られます。
私はいつものように、怒る、でもなく、逃げだしたい、でもなく、もう死んでしまいたい、でもなく、
(なんでそんなことができるんだろう)
と、考えを巡らせながら、痛みを感じていました。
田中はクラスで、そこそこの人気者でした。
私もひどく達観した少年でしたが、彼もまた、変に賢いというか、
私と田中、二人で私の母に会うときや、彼の母に会うとき、校内の人目があるところにいるときはもちろん、いきなり肩を組んだりして、私と仲がいいアピールをします。
私は、内心、笑っていました。
その態度の変わりようが、面白かったのです。
あの日、腹を殴られ、痛みを感じながら、また殴られ……、延々と螺旋する、なんでそんなことができるんだろう、という疑問に、ビカッと、稲妻でも堕ちるが如く、ひとつの答えが導き出されます。
人間世界の実態に、気が付きました。
彼が人気者である
また、虐めの事実が認知されていないこともありますが、そもそも認知されたところで、私はクラスの異常者です。知られたところで、彼の人気を揺るがす事態になるには、薄い特ダネです。
寡黙な異常者にストレスをぶつける彼は、やはり賢いのです。
虐めの事実を知らない人間は、彼のユーモアにだけ賛辞を送り、または、共に笑い、一緒に青春を謳歌していいのです。
虐めの事実を知らないのだから、当たり前です。知ったことじゃないのです。
そして、その、青春を謳歌する人たちは、延々と、私をただの異常者とみなします。何なら、あえてクラスの悪者はどちらかと区分けすると、私です。
——ここまで読んで心を痛めた方はいますか。
いたとしたら、今更、痛める資格はないですよ。
だってあなただって、裏も知らずに、クラスの人気者に、ある種、人気者だから、という浅はかな理由で恋心を芽生えさせたことは、ないですか。
クラスの弱者を見下したことは、ないですか。
気持ちが悪いと判断した人間の、その人が気持ち悪い人間になるに至った原因を、知りたいと思ったことはありますか。
それでいて、あの頃は、こんなことがあって、楽しくて、と、自分の思い出に花を咲かせます。
人間は、自分だけが好きなのです——。
知らなければ何をやったっていい。
迫害は当たり前。
世の中、弱者は見下してもいい。
ナルシストは嫌いなくせに、内心、自分のことだけが愛おしくてたまらない。
愛おしくてたまらないけど、常識という、異常者と判断されないために守る必要があるルールがあるから、自慢話は語らない。ナルシストにはならない。
弱者は守らないといけないという常識があるから、守る素振りは見せるけど、その行動原理は、常識を犯すことで異常者というレッテルを張られたくないから。いってしまえば、常識というルールで守ろうとした弱者に、自分自身が、なりたくないから。
心の中核に堕ちた稲妻は、私を不思議な感覚に陥れました。
引き続き、腹を殴られます。
髪を引っ張られ、頭がグイっと、後ろに下がりました。
首がポキポキ鳴って、気持ちが良かったです。
痛みを感じません。
本当かよ、と思われそうですが、本当に、その時だけは、痛覚がなくなりました。
そして、思いました。
——なんだ。利口も優しさも、何っっっっっっっのメリットもない。
人間は、好き放題生きるんだ。
ましてや、その生き方が、楽しいと、心の底から言うんだ。
暴力の
時折、もっとやったらいつもみたいに怯えるだろう、という考えが透けて見える追い打ちを喰らい、中々、笑いそうになりました。
私は相変わらず言葉を発しませんから、ただ辿り着いたひとつの答えを胸中に、今後の生き方を考えています。
田中の困惑と、追い打ちを、完全に無視して、ただ、前に進みます。
家の近くの団地群に着きました。
四方八方、背の高いアパートに囲まれた交差点で、別れます。
そのころには、田中の手は、完全に止まってました。
たしか、最後にちょっと、謝っていました。
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