第7話 2022年9月8日

 

——人間になります。



 例の稲妻が堕ちて以降、虐めは収まりました。


 始めこそ、人間との接し方が分からないという理由で口を閉ざしていた私ですが、好き勝手に生き、怒り、人を傷つけるのが人間であると理解した以上、自分もそうなるべきだと考えましたから、普通に、人間と、喋ろうと考えます。

 しかし、今まで寡黙を貫き通してきた私が(恐らく病気の類とすら思っていたクラスメートも多かったでしょう)、ある日、急に、「おはよう!」と満面の笑顔を浮かべて教室に入っては、それこそ、……恐怖。

 いくら嫌いな人間といっても(何度も言いますが、私はに対して文句を述べています。生活の中で接するに強い恨みを持つことはありません。あの田中にすらです)、それは申し訳ないと思い、中学時代は、そのまま、「喋れないキャラ」を演じました。


 この頃、家庭にも変化が起こります。


 いつも帰りの遅かった父です。いつものように、午後の九時を回った頃、ガチャガチャと鍵を開ける音が聴こえ、その足音がリビングに侵入するやいなや、突然の発表をしました。


「仕事……辞めてきた」


 私たち兄弟は子供部屋に集まっていましたから、どんな景色だったかは知りません。

 リビングで父を迎えていた母の放った動揺の一声が、ただ、家中を、黙らせます。


「……え?」


 私は、普段から金に対して悩みを抱える母の姿を見ては、あらゆる欲を押し殺し、極端にいうと、生きているだけで罪悪を感じていましたから、早々に未来を察し、いよいよ、もう、本当に、何も望むことは出来ない、何なら、自分の将来すらもやろう、と、静まり返った子供部屋で、ひとつの決心をしました。


 父が酒を飲まない夜を見たのは、ほとんど初めてのことでした。


 私は、飲んでほしかったです。


 これもまた、久しく見ない、本気の夫婦喧嘩が始まりましたが、寡黙で、不器用、男らしさの塊である父は、あまり、言い返しません。


 飲んでほしかったです。


 血は、争えない。

 彼もまた、酒を飲まなければ、女々しく泣き叫べないことを、酒を知らない当時の私でも、なんとなく、知っていたのです。


 ——父が仕事を辞めた理由は、結局、今でも知りません。

 最近のことです。

 帰らぬ人となりました。

 死因は色々とあるのですが、大雑把にいうと、酒の飲みすぎでした——。


 そんなこんなで、突如として貧困を極めることになった加藤家。

 人間の皮を纏うことを決めた、次男。

 自分の将来すらやろう、という決意。


 私は、人と接することをやめていたことで、ひとつだけ、見返りを授かっていました。

 勉強が得意だったのです。

 雑念なく、黙って授業を聞いていますから、誰よりも効率よく学習が出来たのでしょう。クラスでもトップの成績を取ることが、しばしばありました。


 この才を、なげうちます。


 進路調査の面談にて、市内で最も偏差値の高い進学校も合格圏内であることを知らされましたが、加藤家にはとても、大学の学費なんてものは、ありません。

 ですから、高校を卒業と同時に就職をする決意をした、ということです。

 

 担任の先生と私。椅子で向かい合って、中央の机に、幾多の学校名が羅列されたリストが広げられます。喋れない私の扱いにすっかり慣れている先生は、諸々の説明をした後に、

「さ、どこにする。指させ」

 と、言いました。


 私は、迷わず、市内の、普通の、レベルの低い、といえば反感を買いますが、まぁ、そう例えても仕方のない工業高校を指さします。卒業後の就職率が最も高かったからです。


「はぁ?」


 心底、驚いた顔でした。

 私には私の、家庭の、事情があるのです。


 何も、恨みはありません。

 ちょうどよかったのです。

 これから人間の皮を纏い、人間を、青春を、身勝手を、謳歌するつもりの私でしたから、中学を卒業後、引き続き勉強を頑張るかと問われれば、別に、頑張る理由はなく、得意なだけで、好きではない。


 本気で、親孝行のつもりでした。

 

 実際、私が生涯において出来た親孝行は何かと考えた時、これ以外ないのではないかと、本気で思います。


 特に具体的な将来の夢があるわけでもないし(就職する、という大雑把な夢だけです)、勉学に対しても、そう。であれば、何のために進学校に入るのでしょうか。何のために大学にいくのでしょうか。


 見栄? なんとなく? 遊びたい?

 そんな理由は、あり得ません。

 だから、ちょうどよかったのです。



 中学三年生の冬。

 道路はブラックアイスバーン。

 難なく受験を終えました。


 何なら、試験は、一位で通過しました。

 

 そして高校一年生の四月。

 桜は、例年通り、咲いておりません。

 

 朝、起きて、顔を洗い、新たな制服を身に纏います。


 残冬の雪景色を、自転車で走り抜け、体育館特有の、どんよりとした寒さと、若干の緊張に身を震わせ、私一人、檀上の横の別室で、入学式を聞きます。


「それでは、新入生代表による、宣誓」


 事前の打ち合わせ通りに、アナウンスが流れ、私は、大量の人間の前に立ちました。


 これは、絶景。


 宣誓します。


 私も、人間になります。


「宣誓! 我々、新入生一同は————」


 ほとんど三年ぶりになる私の声は、彼ら、彼女ら、新入生にとっては、ありきたりな宣誓の儀として、流れたことでしょう。


 これから私は、しばらく、普通の人間を演じます。


 加藤が高校デビューした、と、皮肉のような、小馬鹿にするような感じで言った人がいました。


 私は、喋るようになっただけで、高校デビュー、と卑下されるようです。


 しかし、高校デビュー? なんでしょう。


 人間は、人間の成長を、馬鹿にすることがあるみたいです。(私の場合は「喋れないキャラ」から「普通の人間を演じる奴」に変えただけなので、成長とはいえませんが)


 そもそも、高校デビューって、なんでしょうか。

 何が気に食わないのでしょうか。

 小馬鹿にするということは、何か、気に食わないところがあるというのは、間違いないですよね。

 本当に分からないので、聞きたいです。

 やはり、明るくて、何らかの才があって、人気者! そういう人間は、レベルの高い人間だ、という共通認識があって、元々地味だったレベルの低い人間が、いきなり同じ土台にあがってくるのが……気に食わない?

 俺ら、ウチらの前ではあんなに弱かったのに、環境が変わってイキるとか、ダサい? つまり、あくまで俺ら、ウチらの方が強いんだぞ。ガオー?


 だとしたら、言わせてください。


 威嚇。自分を大きくみせたい。

 そんな動物は、黙ってください。


 他者の成長を認め、褒めるのが、常識では、ないのですか。

 自分は弱いと、謙遜するのが、常識では、ないのですか。


 何故、それでいて、常識に反していながら、常識を強要できるのですか。


 分かりません。


 あぁ、私は強欲なのかもしれない。


 しかしだ。もう分からなくてもいい。


 気に食わないことがあれば怒っていい。

 自己愛。威嚇。さらけだしていいのに、都合が悪いときは、常識という名目で、さらけだす人を責めていい。

 このナルシストめ! 気持ち悪いんだ! と、自己愛に浸りながら、言っていい。


 筋を通さなくていい。


 そんな人間に、私も、なります。


 なりますが、やはり、生まれ持った性というのは、中々どうして、変わらないもので、だからこそ、という表現になるわけです。


 結局、生涯の疑問の解決にはなっていないのです。

 (自分勝手な怒りと、優しさによる損)

 

 自分だって自分勝手に生きてやる。


 これは、一種のストレスの緩和として、役に立つ行いであることは間違いないと思いますが、延々と募る疑問は消えません。


 普通の人間を演じながら、私は、ゆっくりと、壊れていきます。

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