雇用人と使用人

「ふ!ふ!ふ!」


庭の真ん中で、ハクタカが剣の素振りをする様子を、シバは黙って庭の廊下で眺めていた。

ハクタカの吐く息は白く、闇の中に立ち昇っていった。

ハクタカはいくらか腕に筋肉もつき、素振り百回程度では体の軸がぶれることもなく、日々の鍛錬をきっちりこなすようになっていた。


(毎日、俺の言いつけを守ってきたんだろうが…)


シバは顔をしかめていた。



腕の太さを気にして始めた剣の稽古だったが、ハクタカは徐々に剣をふるうことが楽しくなった。

剣を持つことで、片腕がない自分が、何倍にも強くなった気がした。


「よおし、今日は俺様がじきじに特訓してやるか」


シバが廊下から腰を上げた。


「ほんと?」


「構えろ」


「うん!」


「実戦だと思って、俺に一撃当ててみろ」


「分かった」


二人は向かい合い、ハクタカは深呼吸した。


「やっ!!」


シバにまっすぐ向かって突進し、剣を振りかざした。

シバは上から下に振られた刃を避け、ハクタカの剣の鍔に自身の剣の柄を上から押し当てた。

それによってハクタカの手から剣が振り落とされたと同時に、シバは自身の剣の鞘をハクタカの右の首にぴたりと横につけた。

ハクタカは息を飲んだ。

自分が剣を振ったとほぼ同時に、シバの剣の鞘が自分の首にぴったり張り付いていた。

シバは自身の剣を左腰におさめ、落ちた剣をハクタカに渡した。


「まあ、初めてにしてはいいんじゃないか」


「え!…ほんと!?」


「なーんて、ハグムみたいな生優しいこと、この俺様が、言うと思ったかよ!」


シバはハクタカの目の前で下瞼を引き下げ、思い切り舌を突き出した。


「な…」


ハクタカは口をぱくぱくさせた。


「今のおまえの剣だと、実戦では即死っつうのが分かったか?」


「…うん」


「素振りだけで、できた気になるな、ガキ」


ハクタカはぎくり、とした。

少しまともに剣が振れるようになっていい気になっていたのを、シバは見抜いていたのだろうか。


「言うことは山ほどあるが、根本的なことだけ言う、耳くそかっぽじってよく聞きやがれ」


「は、はい!」


ハクタカは姿勢を正してシバに向きなおった。


「まっすぐ敵に向かう心意気は認めるが、おまえは右腕がない分、右ががら空きだ。格好の餌食だぜ。右に切り込まれない努力しろ」


「え…どうやって」


「馬鹿野郎、敵の左に踏み込むとか、やりようはいくらでもあるだろうが」


「あ、そうか」


「あと、お前の剣は軽い」


「え?この剣、結構重いよ」


「阿呆!そういう意味じゃねえ。圧倒的に足りねえんだよ、力が。お前が振った剣なんぞ、俺なら一発で粉々にできる」


「そ、そんなこと言ったってシバが俺より力が強いのは当たり前じゃ…」


「『おまえより当たり前に強い力の奴』が襲ってきたとしたも、おまえは実戦で、そいつに勝たなきゃいけねぇ」


「あ…」


ハクタカは青ざめた。


「力の差が明らかな相手にゃあ、おまえみたいな子供が勝つには速さで立ち向かうしかねえ」


「速さ?」


「ああ、それも、『圧倒的な速さ』だ。相手が剣を取る前に相手の懐にいるくらいの速さが必要だな。足のばねを鍛えろ。ただし、速さにおごるのは言語道断。他も全部、徹底的に、身体を鍛えろ」


「う…」


ハクタカはたじろいだ。

シバは構わず、続けて言った。


「相手の懐に入り込んだら、急所に切り込む。それも正確にだ。いいか…」


シバがハクタカ自身の体を使って人間の急所を教えている最中、二人の背後で、馬車が近づいてくる音がした。


「やべっ。ハクタカ!剣を片付けろ!!」


「は、はい!」


ハクタカは慌てて垣根の下に剣を隠し、シバの隣に並んだ。


「ただいま」


ハグムが馬車から降りてこちらに向かって歩いてきた。


「お。おかえりなさい、先生」


「は、はやかったな」


「?どうした、二人とも息が荒いようだが」


ハグムは暗闇で二人の顔をまともに見れなかったが、二人の息使いに違和感を覚えた。


「ああ!二人で薪割りしてたんだ、なあ、ハクタカ!」


「?こんな夜更けにか?」


ハグムは怪訝な顔をした。


シバが思わず、やべっという顔をしたのを見て、嘘が下手すぎる!とハクタカは冷や汗をかいた。


「先生、仕事でお疲れだろうし、今日は冷えるから湯船にでもゆっくり浸かってくれたらいいなって…!俺がシバにお願いしたんです」


シバは、よく言ってくれた!という顔をして、ハクタカに向かって頷いた。


「そうか、ありがとう二人とも」


「ハグムも帰ってきたことだし、お、俺はもう帰るかな、じゃあな、ハクタカ」


「うん、ありがとうシバ」


二人がなにやら目配せをしている雰囲気に、ハグムは気づいた。


「今、お湯沸かしますね、先生」


ハグムの顔を見たのち、ハクタカは玄関に入ろうとした。

ハグムは、玄関に入ろうとするハクタカの腕を、なんとなく掴んだ。


「な、どうしたんですか、先生?」


ハクタカはまた腕が細いと再確認されているのかとひやひやして、ハグムの方をまっすぐ見れずに返事をした。


「…いいや、別に。…あ、風呂、一緒に入るか?ハクタカ」


「あ、お、俺は後でいいです!」


首を激しく振って、風呂場の方へ走り去っていくハクタカを見て、ハグムは浮かない顔をした。






「私は嫌われているのだろうか」


役所に出勤する道中、ハグムがため息まじりに言葉を漏らし、この世の終わりだと言わんばかりの悲壮感が顔に滲み出ていたため、シバはどうした、とすぐ問いかけた。

ハクタカに一緒に風呂に入ろうと誘っても、毎回断られてしまうのだ、と真剣に悩みを打ち明けたハグムに対し、シバは爆笑した。


「あいつの場合、雇い主と一緒に風呂に入るなんて夢にも思わないだけだろう。子供の癖に、そこの境界はしっかり引きやがるからよ」


「そうかな」


「なんだ、そんなに人恋しいなら俺が一緒に入ってやろうか」


「やめろ、湯がなくなってしまう」


ハグムの言葉に、がはは、とシバは笑った。


「ハクタカは随分君にはなついているようだが。私には何か、一線ひいているというか、隠し事をしているというか」


「だ、だから、それはおまえが雇い主だからだろ。それに、何を隠すってんだ」


「そうだろうか」


勘が鋭いハグムに、あの秘密の特訓を悟られないよう、シバは必死であった。


「考えすぎだぜ。ハクタカが、おまえのことを嫌う理由がねえさ」


「…」


「まあ、おまえは仕事で夜いないことも多いからな。ハクタカは俺と飯を食うことも多いし、同じ釜の飯を食うのはなんとやら、だろ。要するに、単純に、休みの日とか夜とか、もっとあいつに構ってやればおまえもそんなこと気にしなくなるってもんよ」


こうやってひやひやしたり、どぎまぎしながらハクタカの特訓に付き合わなくていいしな、というのは心の内にとどめ、シバはハグムに助言をした。


「ふむ」


ハグムはしばらく何か考え込んでいるようであった。




雇用人と使用人というものは、世間では通常、金銭でつながった関係性だ。

雇用人の役目は使用人に金銭を渡し、使用人の役目は雇用人への絶対服従であった。

使用人が子供である場合、それは主に家の家事ではあったが、たとえ住み込みであったとしても、雇用人と同じ居住地内で生活を送ることは少なく、離れの住まいがあることが多かった。

使用人を雇う雇用人というのは、もっぱら貴族たちであった。

ヨナ国は王を筆頭に王宮や役所に勤める王の側近達や高官、そして財力のある商人などは貴族として崇められた。

そして大抵平民の中でも卑しい使用人に対して、多くの貴族たちは彼らを蔑んでいた。

ハグムはその関係性を良しとは考えていなかった。

身分など、ハグムはまったく気にしていなかったからだ。

彼ら貴族たちの地位はその子らに受け継がれていくが、類稀に平民から高官に成り上がる者もいた。

それは王や貴族の推薦で、よほどの逸材でないと叶わぬことであった。

ハグムもその類稀な者の一人であった。

もともと平民出身のハグムは、貴族が線引きする区別に、嫌気がさしていた。

衣食住の提供と家事・仕事代行という物々交換のような二人の関係は世間からみると雇用人と使用人の関係性に当てはまるかもしれないが、ハグムはハクタカとは家族のような存在でありたいと望んだ。

かしこまられることもなく、たまには一緒に風呂に入ることもできる、信頼でつながった兄弟のような関係性になれればいいと、ハグムは夢見ていたのだ。




とある休日、ハグムはやり残した仕事があると言い、日中、書斎にこもっていた。

夕暮れ時、ハグムの筆を走らせる音を聞きながら、廊下から庭へ出たハクタカは、チボを散歩させるために鎖縄の準備をしていた。


「散歩か?」


突然背後から、仕事を終えたハグムが庭の廊下からハクタカに呼びかけた。


「あ、先生。そうです。今から行ってきます」


チボは尻尾を振り回してハクタカの周りをぐるぐる回っていた。


「ふむ、では私も一緒に行こう」


ハグムは庭の廊下から庭に降りようとした。


「あ、いや。先生はお疲れだと思うので、家で休んでいてください!」


ハクタカは素早くチボに鎖縄をかけて、あっという間に庭から走り去ってしまった。


「え、おい、ハクタカ!」


庭から走り去ったハクタカの後ろ姿を細い目で追いながら、ハグムは呆然と立ち尽くしていた。


(…私は、そんなに疲れた顔をしているか?)


洗い場に張った盥の水を見ながら、ハグムは水面に映った自分の顔と睨めっこし、思わずついた鼻の上の水を布で拭うのであった。




(シバに言われたこと、実践しなきゃ。足のばね…まずはチボと毎日走り込みから!)

チボと競争しながら、ハクタカは村から外れた畦道を、息が続くまで全速力で走った。


ーあの時、シバの動きが見えなかった。

気がついたら首に剣の鞘が当たっていた。

シバは剣さえ抜いていなかったのに、自分の剣はいとも簡単に振り落とされてしまった。

そして、自分が剣を振り下ろしただけの動きで、シバは自分の弱点をあんなに多く言い当てていた。


「シバってやっぱり凄い」


自分の周りは、凄い人ばかりだ、と誇らしく感じる一方、より一層自分の不甲斐無さがひしひしと感じられた。

それを振り払うかのように、ハクタカは日没の中の畦道を、チボと思い切り走っていった。

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