女とならず者たち

(冗談じゃないわよ!)


一人の女が街中を駆け回っていた。

人にぶつかりそうになりながらも、なんとかすれすれで避けて、店と店の合間の細い路地に駆け込み、息をひそめた。

数人の男たちが通り過ぎて行くのを見送り、ため息をつくと、先ほど身に起こった事を思い出し、憤慨していた。


「お父様の馬鹿!なにがお見合いよ、商人の息子なんて言語道断。使用人まで追って来させて!」


そぅっと表通りに出て、使用人の男たちがいないことを確認すると、女は反対の方の道を歩いて行くのだった。


「あーあ、どこかに私を包みこんでくれるような、逞しく、勇ましい男がいないかしら」


女が伸びをすると、右手が、横を通り過ぎたならず者の大男の肩にぶつかってしまった。


「ああん?」


大男は通り過ぎた女の右手を素早くつかみ、引き寄せた。


「お、良い女じゃん」


女は滑らかな肌にきりっと整った眉、大きな栗色の瞳を持ち、桃色の紅をさしていた。

柔らかい髪の毛はまっすぐ腰まで伸びており、横髪には煌びやかな簪がかけられていた。

細かい花柄の刺繍が散りばめられた薄黄色の華やかな布地に襟から羽衣のような半透明の羽織をまとっており、真珠のついた帯が締められた胸からは桃色の鮮やかなシルクの裾が扇状に広がっていた。

急に右手を強い力で引かれた女は、


「やめなさいよ!」


と右手をひこうとしたが、びくともしなかった。


「なあ、俺らと遊ぼうぜ」


その大男と、取り巻きの二人の男は薄笑いを浮かべながら、女に近づいた。


「ちょ、それ以上近づくとお父様に言い付けるわよ!」


大男の顔が目前にせまると、女は青ざめ、思わず目を瞑った。


(……あれ?)


右手が、痛くない。

しばらく経ってもなにも起こらなかったので、恐る恐る女が目を開けると、目の前に、同じ背丈の黒髪の男が、女の右手を掴んでいた大男の手を掴んでいた。


「このひと、嫌がっていますよ。離してあげてください」


「なんだあ?このチビ!」


ハクタカは、いつものようにアニクとチャトランガの一戦を交えた帰りであった。

また負けてしまい、悔しがっていたところ、嫌がる女性を無理やり連れて行こうとする大男を見つけて、咄嗟に自分の手が出ていたのであった。


「ぐっ」


大男は片腕のない、華奢な男が持つ自分の手がびくとも動かず、その男から手を振り解けないことに、苛立ちがつのった。


「てめえが離せよ!」


大男は空いている片方の手でハクタカに殴りかかった。

その拳を軽くよけたハクタカは男の手をぱっと離すと、大男は自分の勢いがあまって、前方に転びそうになった。

その様子も見ずに、まっすぐ女の方を向いて、


「大丈夫ですか?」


と言い、ハクタカは女の無事を確認した。


「え、ええ…」


女は頷いた。


「てん…め、ぶっ殺す!」


大男が再度ハクタカに殴りかかろうと振り返った。

女がハクタカの肩を叩き、叫んでいる。


「あ、あんた!後ろ!後ろ!!」


ハクタカは、背後から大男が殴りかかってくる前に、大男の懐に入り込み、みぞおちに左拳を突き立てた。


「ぐふっ」


大男は、お腹を抱え、顎から地べたに倒れた。


「あ、すみません!つい」


ハクタカは自分の武術の特訓の癖で、つい身体が動いてしまったことに気づき、大男に謝ったが、大男はすでに意識はなかった。


「おまえ!やりやがったな!!」


取り巻きの二人がハクタカに殴りかかってきた。

ハクタカは先に殴ってきた男が左利きであったため、相手の拳を避けながら、一歩踏み出し、自分の左足を相手の左足に引っ掛け、相手の足を前方引き出すと同時に、自分の左手を相手の肩に当て、思いっきり突き出した。

するとあっけなく相手の男は後ろに倒れてしまった。

さらにハクタカはもう一人の男の拳をかわすと同時に、相手の背後にすばやく回り込んで首に手刀を打ち込むと、その男も倒れてしまった。

成り行きをみていた見物人の街の人々も、驚嘆し、何人かはハクタカを賞賛した。


「…す、ごい」


女はごくり、と唾を飲むと、一目散にハクタカに駆け寄った。


「あんた、すごいわね!」


ハクタカはちらり、と周囲を見渡すと、女の手を引き、走った。


「ちょ、なにするのよ!」


女は走りながら、ハクタカに叫んだ。

ハクタカは女の手を引き、走って前を向きながら冷静に伝えた。


「目立ってたし…、あの人たちが起きたら面倒そうだったから、ちょっと離れよう」


「あ、ええ。そうね」







しばらく街中を走り、ハクタカは目立たない道の端で女の手を離した。


「ここまでくればいいかな」


ハクタカは辺りを見渡した。


「あ、あんた…足が速いわね」


女はぜえ、ぜえ、と肩で息をついた。

ハクタカは女と別れようと口を開いた時、背後から声が聞こえた。


「おお、ハクタカじゃあ、ねえか!」


ハクタカが街の大通りの方を振り向くと、日差し帽を深く被ったハグムと、手を挙げたシバが、一緒に並んでハクタカの方に歩いてきた。


「シバ!先生!」


ハクタカは、嬉しそうに二人に近づいた。


「どうしたんですか?二人そろって」


「ああ、仕事で街の視察に来ていてね、シバに同行して来てもらっていたんだ。ハクタカは、アニクのところか?」


「はい、そうです」


ハクタカは笑って答えたが、アニクに負けたことを思い出し、悔しさが少し込み上げた。

シバは、ハクタカの後ろで息をつく女の姿に気づき、ハクタカに耳打ちをし、手の小指を突き立てた。


「なんだ、ハクタカ、お前のこれか?見かけによらず、やるじゃあ、ねえか」


「ち、違うよ!」


ハクタカは、ハグムに聞こえないように、シバに小声で怒鳴った。


「ねえ!この人たち誰!?」


女が駆け寄ってきて、ずいっ、と顔をハクタカに近づけた。


「ん?ハクタカ、そちらのお嬢さんは?」


「あ、えっと…」


ハクタカは女とハグムの両方から同時に質問され、どう説明しようか、躊躇った。


「向こうで、このひとが変な人たちに絡まれてたから、少し手伝って…」


途中、ハグムは、ハクタカの隣で嬉々としてこちら側を見る女に、覚えがあった。


「あれ、ルドア殿の娘さんじゃないか?」


「え?」「え?」


ハクタカと女の声が重なった。


ハグムは日差し帽を取ると、女に一礼した。


「政府内政部副官のハグム・イ・ウィルだ。父君には大変世話になっている」


「あら!ハグム様!」


女は驚いた顔で、ハグムを見つめた。


「ユノ・ル・ケドルです。お久しぶりです」


今までの五月蝿いくらいの高い声色とはうってかわり、女は丁寧で物静かな口調で優雅に礼をした。


「この間はこんなに小さな、可愛いお嬢さんだったのに、見違えたな」


ハグムがユノと名乗った女に微笑んだ。


「六年前ですよ、ハグム様。そんな昔のことはお忘れくださいませ」


ちら、とユノはシバの方を見た。


「そちらの方は…?」


「ああ、同じく政府治安警察部に務めるシバ・ド・ハンギョルだ」


ハグムがシバを紹介するとシバがユノの方へどうも、と短く挨拶したが、ユノはその場で固まってしまった。

無理もない、とハクタカは思った。

シバが目の前に立つと、威圧感がとにかくすごいので、毎度小さな子供は泣き出し、女は萎縮して固まるか、一歩下がるのだ。

シバはユノをみつめていたが、ハグムにすぐ視線を戻し、帰ろうぜ、と促した。


「ハクタカ、君も帰りだろう?我々もこのまま直帰することになっているから、一緒に帰るか?」


「はい!」


ハクタカはぱっと顔を明るくした。


「ではユノ殿、また」


ハグムがユノにそう伝えるとユノは正気に戻ったような様子で、小さく、はい、と答えた。

ハクタカはハグムとシバの間で、ちらり、と女の方に目をみやると、ユノは見えなくなるまでずっとこちらを眺めていた。

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