ハグムとユノ

「は!は!は!」


昼下がり、庭で正拳突きの練習をしていたハクタカは、昨日のことを思い出していた。

三人の男がこちらに向かってきたが、自分一人だけの力で一人の女性を助けられた。

自分の修行は無駄ではなかったと、はっきり成果がみられたようで、ハクタカは嬉しかった。

剣と同時に、体を使う体術も修行のうちのひとつだった。

気分がのってきたハクタカは、突きの後、最後に思いっきり回し蹴りをした。


「うっ!?けほっ、げほっ」


いきなり胸が苦しくなって、ハクタカは思わず咳が出た。

意識が少し遠のいて、すぐ庭先の廊下に座り込んだ。

汗が顔から滴り落ち、顔も火照って、動悸がした。


(おかしいな、これくらいの暑さでもこんなにすぐには、ばてなかったのに)


廊下に座ったまま、ハクタカは汗を拭き、息をついた。

庭からチボがやってきたので、首を掻いてやると、チボは気持ちよさそうに首を伸ばした。

昨日の女性は街の多くの店の卸売業を務める大商人の娘さんで、その大商人の父はルドアと言い、人脈も広く、財務省と深く関わり、戦争時など国の財政難には援助してくれた大富豪らしい。

ルドアは内政部とも懇意にしていて、立派な人だ、とハグムが誉めていた。


「…口は少し悪かったけど。すごく、綺麗なひとだったな」


ぼそ、とハクタカはつぶやいた。

チボは耳をそば立て、少し顔を傾けた。

ハクタカは、自身の、土埃と汗まみれでところどころ擦り切れている褪せた茶色の麻の服を見つめた。

昔、ハグムが自分のためにと買ってくれた服を、ハクタカはハグムの前では努めて着せてみせたが、こうやって一人でいる時は、絶対に着なかった。

身長が伸びると、ハグムはまた新しく服を買ってくれたが、ハクタカは直感でなるべく安いものを選び、それだけ着るようにした。

自分に高価なものを身につける資格など、ない。

ハグムの優しさにいつも忘れそうになるけれど、一人になった時は、そう自分を戒めていた。


ワン!

チボが一声鳴くと、ハクタカは我に帰った。


「ああ、そうだ。先生、今日は早く帰ると言っていたね。夕食の支度をしようか」





西が赤く染まる頃、役所の門からハグムが出てきた。

門の前には数刻前よりいかにも良家のお嬢様であろう煌びやかな服を纏った女がいて、門の衛兵たちが鼻の下を伸ばしていた。


女は門から出てきたハグムを見るやいなや、ハグムの目の前に身を乗り出した。


「ハグム様!」


「?ああ、ユノ殿!どうされた」


「あ、あの。昨日一緒におられた男の方は?今日は一緒ではないのですか」


「ん?どちらだろう?シバか?ハクタカか?」


「シバ様です」


「ああ、シバはまだ仕事だと思うよ。だから、私も今日は馬車で帰ろうと思って」


「いつも一緒に帰られるんですか?」


「時間が合えば。今日は特別でね。帰りは普段私の方が遅いから、シバは先に帰るよ。朝は一緒に出勤するが」


「ご自宅が近いのですか?」


「ああ、隣同士だ」


「そうなんですね!あ、あの、昨日助けていただいたお礼に、一緒にいらしたもう一人の子に挨拶したいのですが、あの子の家も近いのでしょう?ハグム様のご自宅に伺ってもよろしいですか?」


「ハクタカか?ああ、構わないよ、ハクタカは私と一緒に住んでいる」


「そうですか、よかった!」


ユノは手を合わせて喜んだ。

ハグムは通りかかった馬車を呼び止め、二人はそれに乗り込んで役所を後にした。




馬車に乗っている間、ハグムはユノに尋ねた。


「昨日、ハクタカが君を助けたと言っていたが、何があったのだ?」


「あ、はい、昨日私が男と肩をぶつけてしまい、その男に乱暴に連れて行かれそうなところをあの子が助けてくれたのです」


「それは…、怖かったであろう。怪我はなかったのか?」


「ええ、あの子のおかげで。仲間を含め男が三人いたのですが、その男達を倒してくれて!びっくりしてしまいました」


「三人もいたのか」


「そうです。あの子はハグム様の用心棒か何かですか?」


「いや、そうではないが…」


「そうなんですか?本当にびっくりしたんですよ!あの小さな体で、大男を素手で倒したんですもの!それはもうあっという間に!」


「……」


ハグムは急に黙って顔をしかめた。


「ハグム様?」


ユノはハグムの顔を下から覗いた。


「いや、なんでもない。ああ、もうすぐ着くよ」


馬車がハグムの家に着くと、チボは激しく鳴いた。

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