好きな人

ただいま、とハグムの声がしたので振り返ると、隣にユノがいた。

一瞬驚いたが、ハグムが机の上の夕食を一緒に食べようとユノを誘い、瞬く間にユノが座敷に座ったため、夕飯を三人分用意するのに、ハクタカは息をつく暇がなかった。


「ハクタカは、私と同い年だって聞いたわ。よろしくね」


「は、はあ…」


ハクタカは肩をすくめた。

夕飯を食べながら、ユノは昨日はありがとう、と軽くハクタカに礼を言い、その後ユノとハグムは昔話に花を咲かせていた。

夕食を食べ終わると、ハクタカは三人分の皿を片付け、盥に置き、井戸で汲んできた水を流し込んだ。


「それにしても、ハグム様」


「ん?なんだい」


「ハグム様であれば、この、なんというか、もっと広いお家に住めそうですのに、どうしてここに?」


座敷に座ったまま、周りを見渡し、ユノは不思議そうに聞いた。

ハクタカは一瞬、ぎくりとし、皿を洗うのを一旦止めた。

ここはハグムが育ての親オムと暮らした家である。

しかし、ハグムにとってその養父の話は禁句だ、とシバから聞かされていたので、それに関係の深い質問に、ハグムがどう返答するか、ハクタカは緊張しつつも、興味をもったのだった。


「ユノ殿のお宅とは比べ物にならぬが、居心地がよくてね。私には十分だよ」


養父の話を一切出さないハグムを見て、シバの話は本当だな、とハクタカは心の中で確信した。


「へえ、そういうものですか」


これ以上は二人の会話はなるべく聞かないようにしようと洗い物を始めたハクタカの後ろから、ユノは声をかけた。


「ねえ!ハクタカは毎日この家にいるの?」


「え、あ…はい、そうです」


「やだ!同い年なんだから敬語なんていらないわよ!」


ユノはけたけた笑った。


「……」


ハクタカは少し、いや、だいぶ不快だった。

今日は久しぶりにハグムとゆっくり二人で夕食が食べれるはずだったのに。

自分の知らない話を、嬉しそうに笑って話すハグムを見るのも嫌だった。

ユノには悪いが、早く帰ってほしい、とハクタカは思った。


「ね、私、暇ができたらここに遊びに来てもいい?ハクタカ」


「え…」


「ねえ、ハグム様も、いいでしょう?」


「ああ、ハクタカもこの家で毎日一人だから、同い年の友達ができれば楽しいだろうね。いいよ、いつでも来なさい」


「やったあ!」


ユノは顔を綻ばせた。

ハクタカは眉を顰めた。

ちょっと待ってほしい。

一人じゃない、チボもいる。

日中は剣の修行だってしている。

家事もあるのだから、私は暇ではない。

このひとが来たら、一日の予定が思い切り崩れてしまう。

ハクタカは強引に話を進めるユノと、それにのせられるハグムを恨めしく思ったが、楽しそうな二人の間に、自分が入り込む余地はなかった。

二人の談笑を背で受けながら、ハクタカはいつもより多い皿を洗い続けていた。





ハクタカは冷静になり、ユノがこの家に来たがる理由を考えた。

どんなに暇でも、たかだか使用人の一人にわざわざ街から会いにくる良家のお嬢様など、いないだろう。

もしかしたら、ユノはハグムに気があるのかもしれない。

きっとそうだ、とハクタカは思った。

街でハグムに会った時、ユノはとても嬉しそうだった。

なぜか胸がきゅう、と締め付けられる思いがした。

息がつまって、辛い。

自分に会うふりは、ハグムに会うための口実だと思うと、ハクタカはなおさらユノにこの家に来てほしくないと思った。



ワンワンワン!

チボが庭先で鳴いた。


「あ、シバが帰ってきたようだ」


とハグムがつぶやいた。


「シバ様が?!」


ユノは首を長くして、庭の方を見た。


「あ、もうこんな時間か、ユノ殿、父君も心配されるだろうから今日はこのへんで」


日の様子を見て、ハグムがユノに提案した。


「え、ええ、そうですね」


「そうだ、シバに馬車を呼んできてもらおうか」


「…え、いいのですか?」


ハグムの提案に、ユノは間をおいて、驚いた顔をしていた。


「ああ、大丈夫だよ。ハクタカ、シバを呼んできてくれないか?」


ハグムはハクタカに声をかけた。


「あ、いいですよ、俺が近くにいる馬車を呼んできます」


ハクタカは自分で馬車を呼んでくると提案した。


「そうか?では頼む。暗いからね、気をつけて」


ハグムは頷いた。


「はい。ユノさん、ちょっと待っていてください」


ハクタカはユノに声をかけ、庭から出ようとした。


「あ、はは…ありがとう、ハクタカ」


礼を言うユノを流し目で見て、ハクタカはシバに出会った頃を思い出した。

ハグムと出かける時、馬車に乗ろうと、慣れない踏み台にまごまごしていたら、シバに思いっきり尻を叩かれて馬車に乗せられた記憶があり、絶対シバには良家のお嬢様を馬車に乗せさせてはいけない、と咄嗟に判断したハクタカは、自ら名乗り出て馬車を呼びに行ったのだった。





それからユノは三日に一回は必ずやって来て、早朝ハグムとシバを見送っては家に居着くのであった。


日中、ユノは、ハクタカにいつからここにいるのか、ここでの暮らしはどうか、日常のあれこれ等、ハクタカにべったりつきまとって聞いてきた。

ハクタカは答えられるものはちゃんと答えたが、ハグムとの思い出話はユノに教えたくなかったので、言葉少なに答えた。

自分が使用人になった経緯も適当にはぐらかして、ユノに答えていた。


それでも繰り返される質問の嵐にうんざりしたハクタカは、座敷を掃除する手を止めて、立ち上がり、ついにユノを前にして、言った。


「ユノさん。先生のことが気になるのであれば、直接先生と話せばいいじゃないですか。どうしてずっとここにいて、俺のことなんか、聞くのです」


ハクタカがあまりにも真剣な顔つきで怒っているので、間をおいて、ユノは口を開けて笑った。


「な、なにがおかしいのですか」


ハクタカはたじろいだ。


「ばれた?ハクタカに取り入ろうとしたこと」


座敷に座っていたユノは、思わず出た笑い涙を指で拭き取り、ハクタカを見上げた。


「ば、ばればれです」


ハクタカは鼻を膨らませて、ふん、と息を吐いた。


「…でも惜しいな。ハグム様じゃないのよ」


「え?」


「ああ、おかしい。そうか、ハグム様ねぇ…」


急に立ち上がり、ぐい、とハクタカに顔を近づけたユノを見て、ハクタカは思わず寄り目になった。


「ハクタカ、他人にハグム様がとられるのがそんなに嫌なんだ?」


「っ!!違いますよ!」


「顔が赤くなった!はは、おっかしいー」


「違いますってば!」


ハクタカの顔はますます赤くなった。


「あはは、いいじゃない。ハグム様、素敵な人よね。男でも憧れだと思うわ」


「え?あ…はい」


憧れ、という言葉に、ハクタカは少し冷静さを取り戻した。


ユノは座敷に腰を下ろして膝を両手で囲んだ。


「…私が好きなのは、シバ様。ハグム様じゃないわ」


「…は?」


「だから、シバ様!」


ユノはハクタカから視線をずらし、頬を赤らめた。


「う、うそ。…シバって、あのシバ?隣の家のシバ?」


ハクタカは隣の家を指差した。


「他に誰がいるのよ!!ああ、あのお方にお近づきになりたいのに…ハクタカ!あなた、私が初めてここに来たとき、馬車を呼びに行ったでしょう!シバ様と二人きりでお話しする好機だったのに!あなた責任とってよね!!」


「ええ!?」


思いもしない成り行きに、ハクタカは唖然としてユノを見つめていた。


「……でもね」


ユノは続けた。


「シバ様になんとか振り向いてほしいとあなたとハグム様に近寄ったのも事実だけど、あなたを知りたいと思ったのも、事実なのよ」


「……え?」


「片腕のない…あ、気分を害したらごめんなさい。その、障害があるのに大男は倒しちゃうし、家事も、そつなくこなすし、なんなの、この人、と思ったわ。だって格好良いじゃない。さっき、なぜ俺のことなんか聞くんだ、とあなたは言ったけれど、当然じゃない。私は、あなたに興味をもってしまったんだもの。私は商人の父のおかげで何不自由なく暮らしてきたけど、それだけ。自分一人じゃあ、何もできないただのお嬢様。どこかの狡賢い商人のお嫁に行くのを待つだけの暮らし。私は、一人でなんでもやってのける、あなたが羨ましい」


真面目な顔をして笑ったユノを見て、ハクタカは穏やかな顔で笑い返した。

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