六年
刃が顔面に迫り、青年はすばやく屈んで背を低くし、一歩前に踏み込んだ。
相手の剣の刃と自分の剣が上下で交差し、力で押し切られそうなところで剣から手を離し、剣が宙を舞ったその軌道を見極め、青年は剣を瞬間で逆に持ち直した。そのまま、右へ相手の腹部に剣を振ろうとした時、
「おっと!」
相手が青年の攻撃を避け、左足を浮かせ一歩ひこうとしたところを、青年は地面を思い切り踏み込んで、右足で素早く相手の左足を上に蹴り上げた。
「うおっ」
相手の体勢が崩れて後ろに倒れようとしたとき、右に振っていた剣を相手の頭上で振り切って、座り込んだ相手の左首に、一気に剣の刃先を突き立てた。
「……まいった」
相手は自身の剣を地面に置いた。
「え……?」
青年は汗がぼたぼたと次々に地面に滴り落ちるのを見て、自分がどれだけ長い間剣をふるっていたのかを知った。
青年の、絹のようななめらかな色白の肌は紅潮していた。
鼻筋は通り、きゅ、と引き締まった口元だった。
体は華奢だったが腕や足の肉付きは凛として美しい。
大きい漆黒の瞳は幼少期そのままであったが、そこには光が宿っていた。
全身は打身の痣だらけであったが、だいぶ古傷になっている。
手のひらも、何度もめくれ上がってできた強靭な皮に守られていた。
ハクタカは、この六年間一度も勝てなかったシバに、いつか、まいったと言わせる日を待ち望んでいた。
「まいった、って言った!?」
肩で息をつきながら、ハクタカは叫んだ。
「ああ、降参だ。しぶといやつめ」
シバはふう、と腕で汗を拭った。
「やった…!やったああ!」
「調子にのるな」
跳ね上がったハクタカを見てシバは剣を持ち直すと、ハクタカの剣に襲い掛かった。
剣で受け止めた衝撃がハクタカの肩の、そして全身の骨に響き、剣が地面に叩きつけられた。
「油断大敵ってことよ」
にや、とシバはハクタカの首に剣の逆刃をとんとん、と当てながら、思わず尻餅をついたハクタカを見上げていた。
「はは…」
叩きつけられた剣を、ハクタカは苦笑して項垂れて眺めた。
二人は庭の廊下に並んで座った。
「今日はハグム、遅いみてぇだな」
「そうだね、あ、汗拭いておかなきゃ」
ハクタカはそばに置いてあった手拭いの一枚を、慣れたようにシバに渡した。
嬉しそうに笑うハクタカの横で、汗を拭きながら、シバは
「もう、しめぇだな」
と独り言のようにつぶやいた。
「え?」
「ちょっと待ってろ」
そういうと、シバは隣の家に戻り、すぐ戻ってきた。
「これを、おまえに」
シバが持っていた荷物の中から渡されたのは、ハクタカが持っていた剣よりも長く、鞘も刃もすべて新品で、役人の武官が使用するような実践的な刀剣であった。
「これ…って…」
ハクタカは剣を指し、シバを見上げた。
「今のおまえのボロボロの剣は俺が預かる。今度からこれを持て。ちっとはマシな武人にみえるだろ」
「…いいの?」
ハクタカは嬉しさで頬が緩んだ。
「ああ、剣の稽古も、今日までだ」
シバはそう言うと、自身の剣を鞘に納めた。
「ええ?どうして!?俺なんか、まだまだ…」
ハクタカがシバに慌てて抗議した。
「ああ、まだまだだ。だから、俺様が叩き込んだ技術を、これから、己で磨いていけ」
「己で…」
ハクタカはシバから受け取った剣を眺めた。
立派な剣だ。
ハクタカの頭に、シバの大きな温かい手がぽん、と乗った。
「自分のことは自分で守れるように。ハグムと、この家を守れるように。おまえは十分強くなったさ」
シバの顔をみたハクタカの目から、じわりと、汗と同じしょっぱいものが流れそうになった。
シバが自分の六年前の言葉を覚えてくれていたことが、自分を認めてくれたことが、嬉しかった。
「うん、ありが」
「にしても、おまえ全然背が伸びねぇのな。六年経っても全然チビじゃねぇかよ」
途端に頭をべし、べしと強烈に叩かれ、シバにはお礼なんか言うものか、とハクタカは思った。
遠くから、馬の蹄の音がした。
「せ、先生だ!」
いつも使用していた剣を入れる木箱には、シバからもらった剣は大きすぎて入らず、ハクタカは慌てふためいてしまい、思わずシバに剣を突き返した。
「おまっ!ばかやろう!」
シバは時間がないことを悟り、庭の軒下に剣を隠した。
「ただいま」
馬車からハグムが降りて来た。
ハグムは相変わらず忙しい仕事で切る余裕もないのか、前髪が伸びており、髪で目が隠れていた。
眉目秀麗の顔に伸びた髪の毛が当たるとどこか中性的であったが、凛々しい顔はすでに立派な大人の男の顔になっていた。
ハグムがシバといくらか話をして、先に家に入っているよとハクタカに伝え、玄関へ向かったのを見送ると、シバはハクタカを睨みつけた。
「ふん、おまえは俺様がやった剣がいらねえらしい」
「ちがうよ!ごめんてば、シバ!」
ハクタカは慌ててシバが剣を隠した軒下の方へ向かうと、すっかり成犬になり大きくなったチボが、軽々とそれをくわえ振り回していた。
「あ、チボ、こら」
ハクタカはチボから剣を取り上げようとした。
「はっはっ。お似合いじゃねえか、チボ。誰かさんと違って」
「シバ!」
ハクタカはシバに向かって頬を膨らませた。
シバがすぐその頬を片手で両側からぎゅうっと押すと、ぶぶっ、と空気がハクタカの口から漏れた。
「いはい(いたい)」
と言ったハクタカを見てシバは大爆笑した。
「ガキ」
頬をさらにつっぱねて、シバは手をはなした。
「むう…」
ハクタカは眉を寄せてひりひりと痛む頬をさすった。
「ちょうどいい、それ、チボの小屋にでも置いとけばいい。こいつの世話は全部おまえがやっているからハグムも近寄らんだろう?」
「うん」
それじゃあ俺は帰るぜ、と庭から出て行こうとしたシバだったが、突如止まって振り向かないままハクタカに言った。
「ハクタカ。…剣は武器だが、俺がおまえに教えたのは暴力じゃあ、ねえ。守るべきものを守る時にだけ、それを使え。いいな」
いつになく真剣なシバの言葉に、ハクタカは背筋を伸ばした。
「はい」
ハクタカもそれに答えた。
「…よし」
シバは歩き出した。
「ありがとう、シバ!!」
ハクタカは、言わないと決めたはずたった言葉を、すでに口に出していた。
シバは何も言わず去ったが、ハクタカはシバが大きい背中のその先で、優しく笑ってくれた気がした。
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