軍師狩り
その日、王宮と役所に駐在する兵達が、慌ただしく走り回っていた。
「なに、軍事部の副官が殺されただと?」
王の側近達の集会に、至急目通り願いたいと請うた王宮の護衛兵の一人が、悲報を伝えた。
「はい、今現場を治安警察部の者たちが調べております」
「…今月で二件目か。しかも副官とな…内密に調査を進めろ」
側近達をまとめる左大臣オンギョル・グ・シロンは、低い声で護衛兵に言った。
「はっ」
護衛兵は一礼し、静かに集会を去っていった。
「…こりゃひでぇ」
至急、兵を連れてこいと治安警察部長官から徴集されたシバは、周囲の街の民を払ったのち、思わず唸った。
早朝、街から離れた人気の少ない細道に、兵達は集まっていた。
馬車はひっくり返り、御者は首を切られ道の真ん中でうつ伏せになり、馬車の中の軍事部副官の男は、刃物で胸の心臓を突き抜かれた様子で、胸から血を流し椅子の上で仰向けの状態で倒れていた。
馬車の椅子は血まみれの状態であった。
シバは全体を鋭く目を光らせて見回った。
犯行をおこした人間の、血の付着した靴跡はどうやら、一つ。
(単独犯か…。これで軍事部の人間、二人目…。何が目的だ)
「おい、おまえはそっちを持て」
シバの部下達が馬車からおろした遺体を運ぼうと、担架を運んできた。
ちょうどその時、シバは、遺体にかかった布から、はみ出している遺体の手を見た。
「おい、おまえら。ちょっと待て」
シバが部下たちを呼び止めた。
「はい?」
部下達はシバの声に反応し、手を止めた。
(こりゃどういうことだ)
シバが遺体の手を見ると、副官の小指がすっぱり剣で切られた痕があった。
軍事部に所属する役人がたて続けに殺されたという情報は役所の一部に広まり、それは当然ハグムの耳に届くことになった。
役所の自室で、ハグムは立ちつくしていた。
(私怨…?いや、一人ならまだしも二人目だ…。軍事部…組織に手を出すなら国に喧嘩を売るようなもの。……しかし、エナン国の人間だとしたらあり得る)
九年前、一度終戦に終わったエナンとの戦争であったが、それが条件つきであったのは、政府の一部の人間は知っていた。
十年ー。
十年の間、我々はヨナ国に手を出さない、と九年前、エナン国は主張したのだった。
それまでの期間は刻一刻と近づきつつあった。
(たしか殺された二人は、九年前の対エナン戦で……まさか)
ハグムは自分がふと思い浮かんだ可能性に、悪寒を感じずにはいられなかった。
踵を返し、ハグムは治安警察部の部署に向かっていった。
ハクタカはハグムから、『街で重大な事件が起きて、シバも私も役所から帰れないから、戸締りをしっかりしておけ』、とだけ告げられていた。
ハグムがまた、家に帰らない日々が続いていた。
以前、ハグムに思いっきり泣いた姿を見られて恥ずかしかったハクタカは、ハグムに会わずにいることに少しほっとしていたが、さすがにこう何日も会わないでいると、不安になっていた。
(シバも呼ばれてるってことは、きっと、良くない事件だよね)
ハクタカは不安を振り切るように、寝床に入ろうとしていた。
近所が寝静まったころ、チボの鳴き声が耳に響いた。
「うわ、鳴くんじゃねえ、チボ」
シバの声が聞こえたのでハクタカは部屋の扉を開け、ぱっと、庭先に出た。
「おう、ハクタカ」
めずらしく小声で近寄ってきたシバに、ハクタカは違和感を覚えた。
「どうしたの、シバ。こんな夜更けに」
ハクタカは座敷にシバを招いた。
「おまえにしか頼めねぇことがあってきた」
「俺にしか?何?」
「ハグムからどこまで聞いている?」
「え?」
「ハグムが連日帰らない理由を聞いてるかってことだよ」
「え、街で大きな事件が起きたって」
「あ?たったそれだけか?」
「うん」
はあ、とシバは大きくため息をついた。
「相変わらず秘密主義かよ」
「どうしたの?なにか良くないこと…?」
「いいか。よく聞け。政府の軍事部の人間が二人、役所から家に帰るところを、たてつづけに何者かに殺された」
「え!?」
ハクタカが声をあげると、シッ、とシバがハクタカの口を抑えた。
「どうやらエナン国の人間が殺った可能性が高い」
「エナン国?前、戦争していた国だね」
ハクタカは小声でシバに応じた。
「ああ、今ヨナ国とあいつらとの情勢は悪くなっていてな。全面戦争になるのも時間の問題かもしれねぇ」
「そんな」
ハクタカの胸に、ますます不安が募った。
「この事件を知っている役人達は、エナン国の奴らが、戦をおっ始める前に、軍事部のやつらを暗殺して、ヨナ国の軍事体制を不安定にしようと企んでいる、と噂している」
「……!」
ハクタカは唾をごぐりと飲み干した。
「ハグムはその中でもこれは軍師狩りだと言っていた」
「軍師狩り?」
「殺された奴らは、九年前のエナンとの戦争で、軍師を担っていたやつらでな。エナンの奴らはここ数十年ヨナ国の軍略に痛い目を合わされていたから、次の戦に向けてそいつらを殺しておこうという算段だ。…この情報は役所の一部の人間だけしか聞かされていない。絶対に人に言うなよ」
「な、なんでそんな情報を俺に」
ハクタカは慌てふためいた。
「……ここからが本題だ。ハグムが危ねぇかもしれねえ」
「先生が?ど、どうして。先生は、内政部のお方でしょう?」
ハクタカは思考が追いつかず、口を震わせた。
「あいつは内政部に入る前は軍事部で軍師をしていた」
「え?軍師?…先生、軍師だったの?!」
「政府にも公にはなっていない。政府でそれを知っているのもほんのごく少数だ」
「は、初めて聞いた…」
ハクタカは頭が真っ白になった。
「あぁ、言わねえだろうな、ハグムの野郎は。……数十年間欠的に続いたエナンとの戦の軍師総帥はオムだったが、オムが病で現場指揮がとれなくなってからは直接兵の指揮を執っていたのは養子で弟子のハグムだ。政府の一部の人間は難癖つけたがあいつ以上に適任者はいなかったからな、黙認していたそうだ」
「…そう、だったんだ」
初めて聞く事実に、ハクタカはため息しか出なかった。
「終戦直前の戦の軍師は、殺された奴らと、ハグムだった。ほとんどの政府の人間さえあいつが軍師であったことを知らないが、エナンの奴らが、それを知ってしまった可能性がある。殺された元軍師たちの身体に脅された痕があったのを俺が見つけてハグムに言ったら、次の標的は自分だと断言していた。ハグムも警戒して身辺を厳重にしている。役所で寝泊まりしてな」
うん、うんとハクタカは怯えて声が出ず、ただただ頷いた。
「それらを全て知った上で、今日、ハグムの野郎が俺ら治安警察部になんて言ったと思う?」
「な、なんて言ったの?」
「『待つだけでは埒があかない。明日、私が囮になって、役所から家に帰るふりをしよう。もしそこで不届き者が現れたら、治安警察部が捕まえてくれ』、だとよ!」
「ええ!?先生が囮に!?」
「自分の命が狙われてるかもしれねぇっつうのに、ふざけんじゃねえって俺は言ったが、あいつ、『それを逆手に取れば良かろう』と涼しい顔で言いやがった」
「せ、先生…」
ハグムの度胸を称賛すべきなのか、無謀と嘆くべきなのか、ハクタカはどうしてよいか分からなかった。
「俺もこの事件の事後処理で、てんで家に帰れやしねぇし、その明日の囮作戦にも行けねぇんだ。今までの現場をみた感じだと、犯人は単独犯だ。治安警察部の人間を何人か動員させるが、ハグムの監視を、おまえ頼まれてくれねぇか?」
「もちろん!俺は具体的にどうすれば?」
「決行は明日夜十時頃、役所前だ。俺の部下がハグムの周囲に何人か配置される予定だが、むこうに気づかれるのもまずいからな、そんなに大人数は配置できねえだろう。役所周囲の家の屋根から身を伏せて見張っててくれ。ハグムを追って、何かあったら、狼煙を上げろ。俺もすぐ向かう」
「分かった」
ハクタカは真剣な面持ちでうなずいた。
「言っとくが、おまえは狼煙をあげたらすぐ逃げるんだぞ」
シバがすかさず言った。
「な、何言ってるんだ。俺も戦うよ!先生の監視の意味がないじゃないか」
「馬鹿野郎!危ないから俺が来るまで待て。俺の部下達も、単独犯にそう簡単にはやられんさ」
「でも……」
ハクタカはシバをおどおどと見上げた。
「分かったな!おまえに何かあったら、俺がハグムに殺される」
絶対逃げろよ、と釘を刺してそそくさと立ち去っていたシバを見送ると、座敷に正座していたハクタカは立ち上がった。
じぃん、と足が痺れていた。
同時に、ハクタカの心は、震えていた。
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