囮作戦
決行の日が来た。
ハグムは役所の中の門の前で、シバの四人の部下たちを前に小声で話し込んでいた。
こうなった場合はこう、そうなってしまった場合はこう、と入念に犯人を捕まえる作戦を立てていたのだ。
夜十時、時間になると部下たちはさっと自身の持ち場につき、ハグムはゆっくり役所の門を開けた。
大通りの左右を見てみるが、人は誰もいなかった。
(あ、先生だ!)
役所から家の方向に向かう通りの、とある家の屋根の上で、ハクタカは暗闇の中伏せて役所の門を眺めていた。
左手には狼煙の準備を整えており、右の腰にはシバからもらった剣を携えている。
(念のため、持ってきたけど)
剣を差して歩いたことがなかったため、ハクタカはなんだかこそばゆい気がした。
(先生に、何も、起こりませんように)
祈りながらハクタカは身をできる限り伏せて、左手を握りしめた。
ハグムが役所から歩き、四半リン<=約二十分>ほど経った。
大通りから小道の角に差し掛かり、ハグムが角を曲がろうとした瞬間、
(あ…)
直感だった。
ハクタカはすぐに狼煙の火をあげ、小道にかかる大通りに投げると、小道の通りの家の屋根に飛び移った。
ハグムが、一人の黒ずくめの男に、刃を向けられている。
たちまち、四人の部下はあらゆる方向から集結しハグムを囲い、そのうちの一人が黒ずくめの男に立ち向かった。
しかし、五、六回剣を交えたところで、シバの部下の一人は倒れてしまった。
(ああ!)
思わず声を出しそうになった口を押さえて、ハクタカは事の成り行きを見守った。
また一人、シバの部下が歩み出て、黒ずくめの男に飛びかかった。
黒ずくめの男は、一歩引いたが、素早い剣裁きでシバの部下と打ち合っている。
見かねた部下の一人が助太刀しようと、黒ずくめの男に二人がかりで剣を交えていく。
黒ずくめの男の剣裁きを見て、ハクタカは心の裡で冷静に判断した。
(相当強い)
残った部下の一人はハグムの前で剣を構え、ハグムとともに、じりじりと大通りの方へ退去していた。
そこへー
ハクタカとは逆の家の屋根の上から、ハグムと一緒にいた部下の一人に向かって、素早く吹き矢が放たれた。
すると、瞬く間に部下は倒れてしまった。
ハグムは素早く屈んだ。
吹き矢の攻撃ができないと悟ったのであろう、同じような黒ずくめの男が一人、屋根から小道に飛び降り、ハグムの前で大通りの入り口を塞いだ。
(もう一人、いたんだ!)
シバは単独犯だと言っていたのに…!
シバの部下達は黒ずくめの男と二人がかりで必死に剣を打ち合っていて、ハグムが一人になったことに気づいていない。
(だめ!)
ハクタカは考える前に、飛び出していた。
屋根から飛び降りてきた黒ずくめの男に気づき、ハグムはさっと懐から護身用の刀を取り出した。
(まさかここまでの手練れとは)
ハグムに、万事休す、という言葉が脳裏に浮かんだ。
だが、護身術は軍師の時に嫌と言うほど身に付けさせられた。
運良く今宵は満月だ。
いつもより視界はいい。
ただでは殺られぬ、とハグムが冷静に覚悟を決めた矢先だった。
ハグムと黒ずくめの男の間に、刹那の瞬間、また男が出現した。
新たな敵か、と目を細めたハグムは自身の目を疑った。
剣を抜き、黒ずくめの男と対峙するその後ろ姿は、いつも家でみる人物であった。
ハグムの方を振り返らず、黒ずくめの男から目を離さないようにして、ハクタカはハグムに静かに言った。
「先生、怪我はないですか」
「あ、ああ、ハクタカ、どうし…」
よかった、そう言うと同時に、ハクタカは黒ずくめの男が振り翳した剣と火花を散らして剣を交差させた。
もの凄く強い力だった。
力で押されることを確信したハクタカは、すぐさま剣を男の力の方向へ流し、その反動で疾風のごとく男の脇腹に剣を突き立てた。
しかし、ハクタカの剣は、黒づくめの男の腹の服に差し掛かったところで、ぴたりと止まった。
今まで、剣を人間に刺したことがなかった。
シバには思いっきり剣を向けられたが、それはシバなら自分の攻撃をいなして自分を死なない程度に攻撃できると確信していたからだ。
今、目の前にいる人間に、自分の剣をこの力のまま振り切れば、確実にただの怪我ではすまない。
でも目の前にいるのは、先生を殺そうとしている敵だ。
やっつけるべき敵なのだ。
(自分は、今、何をしている?)
ハクタカの一瞬のとまどいの隙に、黒づくめの男はハクタカの肩を思い切り蹴った。
「ぐっ」
ハクタカは後ろに吹き飛び、背中がハグムの足に当たった。
「ハクタカ!大丈夫か!!」
ハグムの声が上から聞こえた。
じり、じり、と黒ずくめの男がこちらに近づいている。
(何をしているんだ、私は)
ハクタカの上の方から、こくり、と唾を飲む声がした。
ハグムが、刀を自身の前で身構えている。
ハクタカは、必死に自分の心に叫んだ。
(動け)
(動け!)
黒ずくめの男が、立ちつくすハグムに向かって、剣をまっすぐ突き刺してきた。
その剣先の軌道を見切り、地べたに座ったままのハクタカは自分の剣を突き上げ、男の剣を上に払うと、すぐさま男の顎に剣を突き立て、刺し、よろめいた男の首めがけて剣を振った。男の首からは生温かい血飛沫が飛び、ハクタカの顔にかかった。
男は両膝をつき、がくりと項垂れ、そのまま倒れた。
ハクタカは、自身の足に項垂れた男の頭をどけて、ゆっくり立ち上がった。
「ハクタ…」
黒ずくめの男の姿を眺めるハクタカの横顔を見た瞬間、ハグムは血まみれの頬に、月明かりで光るものを見た。
「ハグム!大丈夫か!!」
狼煙を見て急いで駆けつけたシバと兵たちが到着した瞬間、シバの部下二人と対峙していた黒ずくめの男は、その隙を狙って部下の二人に対して煙幕を張って逃げようとした。
ハクタカは黒づくめの男を刺してから、急に自分の周りが静かになったのを感じていた。
ただ、そこにあるのは自分の呼吸の音だけであった。
ハクタカの研ぎ澄まされた感覚は、もう一人の黒ずくめの男の逃げようとする行為を見逃さなかった。
シバがハグムの隣に来た瞬間を見届けてすぐ、ハクタカは黒ずくめの男を追おうとした。
「ハクタカ!」
声を張り上げたハグムに一瞬驚き、ハクタカはハグムの方に目線をやったが、体は反射的に黒ずくめの男を追っていた。
「おい、ハグム、どういうこった!?」
シバは目の前に倒れている黒ずくめの男と、ハグムを交互に見た。
ハグムはハクタカが消えていった方を眺め、震える口を開けたまま、頭を振った。
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