隻腕のハクタカ
@Chovisky
出会い
「ったく、なーんでこの俺様がこんな夜明け前に仕事しなきゃいけないのかね」
まだ月明かりが残る星空の下で、二人の男を先頭に、松明を持った男たちが農村の住宅小屋が続く石畳の路地を静かに足速に駆け抜けていく。
男たちが去った後には松明の残り火が闇に散っていった。
「許せ、シバ。この時間なら証拠隠滅を図ることもできまい、手早く終わらせよう」
先頭に立つシバと呼ばれた男は屈強で、長身も高い、大男である。鼻を横切る古い刀傷が印象的だ。シバは大きな口であ・ふ、とあくびをしながら左腰の剣の柄の位置を整えていた。柄には、政府治安警察部の紋章が描かれている。
シバは全身灰色の外套を纏った隣の男に語りかけた。
「おい、ハグム。急におまえに叩き起こされたから詳しい事情は知らないけどよ。なんだって?ここの領主が近隣の農民から金を巻き上げてるって?」
頭まで被っていた外套からちらりとシバに目をやったハグムは、シッと口元に人差し指を当てた。
「あぁ、役所の出納帳が書き換えられていた。数ヶ月分どころではない。一年は彼の懐の中だ」
「ちぇっ、世の中すこーし平和になっちまうと、こういう輩が出てくるからいけねぇ」
大通りから一本外れた木造小屋が立ち並ぶ小さい路地を早々と駆けていく男たちの後には少量の砂が風で舞い上がる。
「今は奴も就寝中だろう。自宅に侵入して家宅捜査だ。君は領主とその家族を頼む。私はこの者たちと証拠集めだ」
ハグムは後ろの数人の男たちを指差した。
「俺の部下たちを軽く扱いやがる」
シバはふん、と鼻をならした。
「おい、ハグム。政府の内政部の人間ってのはこんな夜中まで仕事をしているのか?体力もたないぜ…付き合わされるこの俺が」
わざとらしく肩をバキバキ鳴らすシバがおかしくて、ハグムはふ、と静かに微笑んだ。
「悪いと思ってるよ。ただこの案件は放ってはおけない。私が配属される前の役人に賄賂を渡して悪事を働いていたようだ。ここ一帯の農民たちが不憫でならない。…それに三年前エナン国との戦争の前線で戦ったヨナ国将軍のシバ殿なら、素人の人間をひったてるのはわけないだろう?」
「あたぼうよ。今じゃ、なまぬるぅい治安警察部に配属されちまって、この逞しい二の腕がふやけちまう」
右手をぐいっと突き上げたシバに、ハグムは思わず前のめり、片膝をついてしまった。
「あぁ、わりわり」
シバはすぐ立ち止まって彼の右手にしがみついていたハグムの身体を支えた。
「おまえも不憫だな。その目は夜、どこまで見えてるんだ?昼より一層見えにくいだろう」
ハグムはすくっと立ち、外套の膝の部分の砂を振り払った。
「そうでもないさ。両の目とも弱視だが、物の輪郭くらいはわかるし、近づけばちゃんと見える」
「…それでよく内政部副官が務まるよな。幼馴染ながら尊敬するぜ。しかもこんな無茶振…いや、ひったて仕事、明らかに内政部の仕事の範疇じゃないだろ。危ねぇぞ」
「お褒めに預かり嬉しいが、早く歩みを進めてくれないか。そろそろ見えてくると思うが広場の先の家だ」
よろけた拍子に外套の頭巾がはずれたハグムは、涼しい顔で先の道を指差した。
「へぇへぇ、すまんすまん」
ぐいっと右手を前に突き出しずんずん突き進み出したシバの横で、ハグムは転ばないよう必死にしがみつくのであった。
開けた広場の先に、周囲の農村住宅の十倍はありそうな、整った木造建ての家の門前に着いた。月は雲により消え、あたりは暗く、静まり返っていた。
「ここだな」
シバは指をぱきぱき鳴らし、ハグムの顔をみやった。
ハグムは同時にうなずき、二人と数人の男たちは門を破って二手に別れた。
五分としないうちに、シバは門前に三人の人間を縄で縛り上げて戻ってきた。
「おーい、ハグム。こっちは終わったぞ!そっちはどうだー?」
シバは今までの小声とは一変、いつもの大声を張り上げた。
何がなんだか、この大男は一体何なんだ、と言わんばかりに、髭を貯えた恰幅の良い寝巻き姿の領主とその妻、あと息子だろうか、十五歳くらいの少年が呆然として地べたに這いつくばっていた。
「あぁ!どうやら庭の蔵にたっぷり物ブツがあるようだ!」
シバの部下にぴたりと寄り添いながら、ハグムはシバの方向に向かって叫んだ。
「数時間あれば調べはつきそうだ!領主らはシバ、君が治安警察部に連れて行っておいてくれ!」
暗闇から、ハグムのいつもの無茶振りが聞こえた。
「そうですかー。へいへーい」
手のひらを返し、シバは三人の縄を持ち門の外へ歩き出した。
どうやら政府の人間が自身の不正の取り調べにきたと、領主は徐々に理解し、青ざめた。
領主達を引きずる勢いで縄を引っ張っていくシバの後ろで、何を言っているかわからない三人の悲痛な叫びが、こだましてハグムの耳に聞こえた。
再び静かになった庭で、ハグムはシバの部下の男たちに向き合った。
「じゃあ取り掛かろう。君たちはどんどん蔵のものを外に出していってくれ。ものが何かを言ってくれさえすれば、私が選別する」
「わかりました、ハグム様」
男たちはハグムに一礼し、一気に散った。
ハグムたちがある程度証拠品を集めたころ、空は明るみ始めていた。
「うん。これで十分だ、引き上げよう。皆、ありがとう」
庭から撤退し、男たちが門から出ようとした時、ちょうど暗影で見えなかった庭の端の古い小屋から、カリカリカリ、と扉を何かが引っ掻くようなわずかな音をハグムは聞き逃さなかった。
ハグムは目が弱いかわりに、音に関しては敏感だった。
「あれは…、なんの小屋だ?」
小屋に近づき、ハグムはそろそろと入り口の扉を開けようとした。
扉はところどころ引っかかって開きにくい。
半分開けた途端、茶色の毛玉のようなものが小屋の奥に勢いよく飛び退いていく様子がハグムの目でもわかった。
「…?獣?」
馬小屋ではなさそうだったが、糞尿がそこらじゅうに散在し、ツンと鼻をつくようなひどい匂いがした。
小屋の奥に行くと、茶色の毛玉は、ワンワン、ウーーッと鳴いて尻尾を身体の内側に丸め、威嚇していた。
「犬…。…大きさと声からして小犬か?よし。ほら、おいで。怖くない」
子犬に手を差し向けようと屈んだ時、ハグムの左の視界に、なにか映った。
近くに一部欠けている黴びた皿が床に置いてあり、上に干からびた残飯らしきものがある。
皿を触ろうとした時、横から急になにかがハグムのぐっと腕をつかんだ。
「それ…あのこの…」
驚いたハグムは、目を凝らすためそのなにかに顔を近づけた。
そのなにかは、そのままぐったり地べたにうつ伏せになり、動かなくなった。
「ハグム様!どうかされましたか?」
帰ってこないハグムを心配し、男たちの一人が小屋に入ると、ハグムはなにかを抱え、男たちに向かって叫んだ。
「すぐ近くの医者に連れていってくれ!子供だ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます