ユニティ□キューブ!
仮名仮名(カメイカリナ)
起
プロローグ
「はー、あんたがその大洪水の時にノアに方舟を創らせたり、ソドムとゴモラに現れて災厄を予告した神様とやら?で、その時みたいに人々が堕落してないか見定めて警告したりするから、あなたを手伝うって契約をして欲しいってわけですか」
「いや、だから我はその使徒といったもので……おい捨てるでないぞ、仮想空間のワールドとやらに入ってくるのは大層骨が折れたのだからな。
貴様らは寝るときまでヘッドディスプレイを被って寝ようとするから、現実世界から行いの善悪を見定めることができんのだ」
少女が面倒くさそうに話しかけているのは、手に持っている石板――というより箱でした。それもただの箱ではなく文字が浮かび上がっては消えていき、次々と模様を変える不思議な光が表面を走っている箱です。
正立方体として現れたのは、石板を模した平板では落とし物のスマートフォンと勘違いされるからでした。そして少女は、呆れた顔で言いました。
「“豆腐”じゃん、モデリング素人かよ」
少女と箱が居るのは仮想現実、具体的にはネットワークを通してVR空間で他人と会うことができる、今ではVRSNSと呼ばれているサービスの中でした。
そして“豆腐”とは、仮想現実で少しでも自分の好みに近いアバターや自分にとって居心地のよいワールドを作ろうとした者が、3Dモデリングソフトやゲーム製作ソフトで最初に目にして、最後まで悪戦苦闘することになるデフォルトの立方体の俗称でした。
――とりあえず、少女が箱を拾った時間までさかのぼってみましょう。
『UDON毛刈り』と呼ばれるワールド内で、少女ニラヤマは羊の毛刈りをしていました。
通信負荷軽減のために直方体パーツの組み合わせで作られた簡易な羊に、ワールド内に置かれた毛刈り機をピックアップして押し当てると、羊毛を表す白い直方体が飛び散った毛のパーティクルを散らしながら小さくなっていきます。
ニラヤマの手にも毛刈り機がバリバリと毛を刈っていく振動が、握っているコントローラーを介して伝わってきます。
「このワールドの羊ってさ、毛を刈り続けてると虹色の毛に生え変わることがあるんだよ」
とフレンドの一人が言ってから、ニラヤマは毛を刈り続けていました。
虹色の毛が生えたからといって何かが変わるわけではないですが、皆で毛を刈り続けながら雑談して、一つのワールドで時間を潰す理由にはなります。それだけの理由でこの場所は公開から一週間、最もユーザー滞在数の多いワールドであり続けました。
もっとも、十数分で飽きたフレンド達が別のワールドに移動しようと誘うのを「まだ虹色の毛を見てないから」と断って、一人きりで二時間も黙々と毛を刈り続けていたのはニラヤマくらいのものでしたが。
毛刈り機を置いて休憩していたニラヤマは、コントローラーが一瞬ブッ、と振動したことで手に何かを握らせられたことがわかりました。
それは箱でした。
ニラヤマは箱をしげしげと眺めた後、とりあえず中指トリガーを外して地面に置いて、それから再び持ち上げて人差し指トリガーで『使用』できないか試して、その後『手を放すとその場で止まる』のか『手を放すと与えられた勢いと重力に従って落下する』のかオブジェクトの設定を試すために、野球選手のように思いっきり振りかぶったところで声が聞こえました。
「ん我はァっ!神の使徒として汝らに警告を告げに来たものであるゥっ!」
「あっ」
急に聞こえてきた声に驚いたニラヤマが若干早く手を離したせいで、箱は垂直上方に向かってすっ飛んでいきました。
どうやら手を離すと重力と勢いに従って放物線を描くタイプのオブジェクトのようで、ニラヤマが「えっなになにワールドの隠し要素?ユーザー名表示されてないし、プレイヤーとかじゃないもんね」と驚いた声を出しているうちに立方体は落ちてきます。
現実なら落ちてきた“ただの箱”が喋ったなんて考える人は居ませんが、ニラヤマは少し考えてから箱の前にしゃがんで、
「……ああ、すいませんね。他ユーザーへのピックアップ判定とか、物理エンジン風の動きまでアバターに実装できるなんて知りませんでした。それにしても、ネームプレートが見えないようですけど、そういう表面処理のシェーダーでも自作してるんですか?」
と声をかけました。
仮想現実は“自由なアバターになれる”だけではありません。どんな姿をしてようが喋ることができるし、身体を動かすジェスチャーだって可能なのです。
他人のパンツを覗こうと木の根を伸ばす切り株だとか、携帯電話のガラパゴス化について赤熱しながら論じているオーブントースターだって居ます。
ニラヤマは落ちてきた箱が“メンガーのスポンジ”と呼ばれる、相似形を繰り返すフラクタル構造に変化していたのに気づいて、色んな角度から覗き込みながら「へー、作図できない形状を、表面処理の数式で描画するレイマーチングってやつかな」と言いました。
「オブジェクトでもユーザーでもない!ん我はァっ!神の使徒として汝らに預言をもたらしに来たものであるゥっ!」
箱はさっきと同じ調子で叫びました。
だいぶ回転をかけて投げられましたが、HMDを着けた人間ではないので3D酔いはしていないのでしょうか。「……ゔぉエッ」してました、でも石板はゲロを吐けませんし現実でゲロを吐いてもVR内までは汚染されないので大丈夫ですね。
妙なやつですがぶん投げてしまった手前その場を離れるわけにもいかないニラヤマに、箱はソドムとゴモラとかノアの大洪水とかの話をして“豆腐”と呼ばれたのです。
「何故だ!?この超常の構造をした立方体を目にしてすら、どうしてそこまで敬意を持たん!?」
「超自然ってさ、仮想現実なんだから自然にないものしか置いてないんですけど」
時代は――変わりました。
古代において超自然的な構造物として神聖視されていた“完全な立方体”は、全てが人工デザインの仮想世界では最も簡易でありふれた形となってしまったのでした。
仮想空間の住人にとって欠かせないアバターを映す鏡のスイッチも、製作中のワールドで間取りを決めるため本来のオブジェクトの代わりに置いておくのも、全てがデフォルトカラーの灰色をした“豆腐”なのです。
「何かのゲームキャラが元ネタなのかな、初めて見たけど面白い演出ですね。それとも自分で考えた設定のロールプレイ?」
「違う!!!」
豆腐は食い気味に叫びました。
現代に引き継がれている神聖な演出とは神の御業などではなく、それをモチーフにした映像作品やゲームの演出でしかないのです。そして今のVRSNSで様々なCG技術や3Dモデリングを学んでいるのは、主にそういう作品に触れながら育った世代の人たちなのです。
豆腐が見せたような超自然的な演出は、むしろ仮想現実では珍しくもない光景になっていました。
「貴様は根本的なところから間違いをしているぞ」
豆腐はニラヤマに向けて、ため息をつきました。
「我の姿はあらかじめゲーム開発ソフトで作られたアバターなどではない。強いて言うならば“この世界”を創り出した主によって、今この場所に向けて降らされた雷や硫黄の雨といった現象のようなものだ。我には人々の心から祈りや訴えかけを読み取って、主から許されている範囲で姿を変えることが許されているのだ」
豆腐はそう言うと『UDON毛刈り』のワールドに居る羊に変化してみせて、ニラヤマの置いていた毛刈りで羊毛の白い直方体を刈らせてみせました。
「しるしとは幻術や、見た目だけのまやかしではない」と豆腐が言った通り、ワールド内で独自に記述された『毛刈り』のギミックに干渉できるのは只者ではありません。
豆腐はVR-EDENの運営がユーザーからの問い合わせや要望を聞き届けて、不具合の修正や仕様変更を行うための調査係を自称しているようだと、ニラヤマは神の使者が云々を無視して納得したことにしました。
「確かに
「まったく、ようやく信じる気になったか?」
豆腐がそう言った直後、ニラヤマの視界でフレンド申請欄がピコンと音を立てて光ります。申請者のネーム欄は相変わらず何故か空白でしたが、そのアイコンは豆腐のアバターを表示していました。
「運営はβテスト中であるVR-EDENの正式サービスに際して、アバターやワールドといった製作物やフレンド登録など既存の繋がりを一部リセットすることにした。そしてEDENという場所で過ごした時間の長くない我が、何を引き継いで何を一掃すべきかを公平な立場で見定める役目を負わされたのだ」
豆腐の話したことは嘘ではありませんでしたが、大多数の神を信じていないユーザーにも伝わるように言い換えた、いわばカバーストーリーのようなものです。
その内容は、大多数のユーザーには本当のことを信じてもらえなくとも問題がないからと、運営から直々に伝えられていたものでした。
「しかし我のみでEDENという地における善悪、そして人々の不満点を見定めるのは難しい。もしも貴様が我と契約して使命を手伝うというならば、貴様の願いを叶えるべく我が“しるし”を行使してやろう」と、これも運営から言われた通りに豆腐は続けます。
どうやら“契約”とは豆腐からのフレンド申請を許可することのようだと、ニラヤマは考えました。
誰かにフレンド登録を申請して許可されると、その人が居る場所に一瞬で移動できるようになります。
一人で新規追加されたワールドや全体公開インスタンスを渡り歩くことも可能ですが、それだけではEDENの住人たちと会って内情を調査することができません。
そして運営の調査であろうが神の使いであろうが、フレンドでもない人間が正式な手続きを経ずに乱入してきたら、普段通りの様子を見せてはくれないでしょう。
そして郷に入っては郷に従え、ということで一般人のユーザーに協力を求めていて、今までに見せた不思議な力で願いを叶えてくれることが契約の対価であるようです。
「あーじゃあ質問なんだけど、あんたを消すか黙らすにはどうすればいいの?」
とニラヤマは答えました。
「私が仮想現実に何を望んでるかって言うとね、現実でなれなかった格好になったりだとか、行けなくなった場所を再現することなんですよ。だから何にでも変身できる豆腐だとかさ、現実に存在してないものは別に欲しいと思わないんですよね」
ニラヤマのアバターは市販アバターの眼や髪色を変えて、ダメージ加工のレザーパンツやシャツをゲーム制作ツールで着せ替えたものです。
後付けしているネックレスや指輪といったアクセサリも現実の見かけるようなファッションの範疇で、現実に存在しないフラクタル構造で“使者”を名乗って現れた豆腐とは何もかもが正反対でした。
けれどVR-EDENはニラヤマのようなユーザーにも門戸を開いているのです。
よく分からない技術として未来をイメージさせていた“
古いSF小説で描かれたような近未来の風景が実現できるとしても、誰もが最先端の技術を見るためにVRSNSをプレイしているわけではないのです。
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