第十二話
「じゃあ
ニラヤマが言ったのは七時間経って、暫定版のワールドが完成した頃でした。
「うむ、ミズナラの感想も聞きたいところであるしな」と豆腐も賛成します。
そしてミズナラを呼びに行こうと移動しようとしたところで、ミズナラの滞在インスタンスが『プライベートワールド』表記であることに気付きます。
「私から見ても同じ表記ってことは、招待限定か私のフレンドじゃない人の友人限定に居るってことですね」
ソーシャル欄を開いていたニラヤマが言いました。相手が自分の滞在インスタンスを非公開に設定していたり、自分がジョインできないインスタンスに居る時は一様に居場所の分からない『プライベートインスタンス』の表記となります。
そうすることで例えば配信インスタンスを建てていたり製作ワールドのテストをしている時など、フレンドであっても不用意に会いに来られると困る場合には招待限定で開けば良いようになっているのです。
またフレンド同士のコミュニティが併合されていってしまったり、その人と親しくなった時以外の姿を知られることを避けるために、滞在インスタンスを非公開に設定することもできます。
一方で、様々な場所でフレンドを増やした古参ユーザーや何かのコンテンツを発信している有名人などの場合、いつ誰に会いに来られるか分からない負荷が少ない他のユーザーの友人限定や、滞在インスタンスを非公開にする設定で居る比率が高くなりがちでした。
「あーあ、こんなことならミズナラが配信者になるって言った時、止めておけば良かったな」
ニラヤマがそう言った時、意外に思った豆腐は聞き返します。
「何か困る事でもあるのか?ミズナラにとって貴様に見せたい姿でないのなら、無理に見に行く必要はないのではないか」
ニラヤマがミズナラを友達だと思っているとしても、バーチャル配信者やそのファンと親しくなりたいわけではないのだと分かっていたからです。
ニラヤマは即答します。
「あるに決まってますよ。私たちはお互いEDENの中で出会った姿しか知らないのに、あそこで使われてるのは
「む……」
豆腐はワールド製作をするニラヤマと、自分のファンに囲まれたミズナラが別の場所に居ても、一緒に過ごせる時間があれば良いと思っていました。
会いたくなればお互いのフレンドが来ない
そして豆腐自身もEDENで『運営の使者』という役割を演じる必要があるにせよ、ミズナラの近くに居られる今となっては“カナン”に行けずとも良いのではないかと思い始めていたのです。
「……思えばニラヤマよ、貴様はずっとそうだ。カナンを己の理想に近い場所だと言いながら、真逆のような価値観であるソドムの地にも向かおうとする。今あるもので楽しめているならば、まだ見ていないものに執着しなくとも良いのではないか?」
豆腐が思わず口に出してしまったのは、先程ミズナラのインスタンスに行った時のことを思い出したからです。
アイドルとしてのミズナラのファンに囲まれた中で、普段ニラヤマ達とだけ居る時のような距離感で話しかけたせいで、豆腐は不必要な注目を買ってしまったばかりでした。
「同じ場所で同じように会うだけでは見えない側面があるから。きっと確かに森とタタラ場のように、」
「もののけ姫か?」
「そう、お互いにとって暮らしやすい場所で棲み分けて、ただ会う時にだけ邪魔の入らない場所を用意する。それはお互いを傷つけ合わず共に生きていく一つの選択肢なのかもしれないけど、その人が『私の前だけで見せる姿』以外を知る機会というのが失われてしまう」
相手の同じ側面しか見ることができず、自分もまた同じ側面でしか他者と接することができなくなっていく。それが、ずっと同じ人と会い続けること、ずっと同じコミュニティで過ごし続けることの弊害だとニラヤマは言いました。
それが嫌だから新しい場所を探し続けるのだと語るニラヤマは、しかし相手の知らない側面や自分のまだ見せていない側面が、気付かれることが望ましくない場合というのを考慮していないように豆腐は思えました。
「あるかも分からない虹色の羊毛を探し続けて、徒に時間を消費していた時と何が違うと言うのだ?」
「何が必要で、何が必要じゃないかは私が決める!そのために、私の眼と耳でそれに触れなければならないんです。あんたと会うまで私は信仰なんて大したことないと思ってた。だけど他にも道があると知っていて、一つの価値を信じ続けるあんたの姿は悪くないと思った」
ニラヤマは言いました。場所によって受け容れてもらえる自分の側面と、受け容れられない自分の側面がある。受け容れられない側面を露わにしてもただ嘲笑され敬遠されるだけなので、受け入れてもらえる自分を選び取って演じることは嘘をつくことではないが本当を語っているわけでもない。だから私は本当の自分について、本当の他者について誰とも真に理解し合うことはできないと思っていた。
けれど所属するコミュニティによって肯定される人物像は違っていて、それぞれの場所で肯定される側面であれば本当の自分で居られると知ったのだと。
そうして行けるコミュニティの数だけ側面を増やせるのなら、行ける場所が多ければ多いほど本当の自分で居られるようになる。
それは他者との関係でも同じことで、もしかしたら今以上にお互いが親しくなれるかもしれない側面というのを、お互いだけの前では受け容れられるとは限らないので隠しているのかもしれない。
それを知る機会を与えてくれるのがEDENでは
「私もあんたもミズナラも全く違う生き物で、環境も趣味も考え方も違っていて、それでも知っていくうちに似ている部分がどこかにあったりして少しずつ理解できるようになっていった。何かを知らなくていいと思うのは、その機会を捨てるのと同じじゃないですか」
「しかし貴様、そこまで言うとは……意外と寂しがりなのではないか?」
虹色の羊毛が求めていたものかどうか分かるのだって、それを手に入れた後だけなんですよと語るニラヤマを見ながら、豆腐は平坦なテンションで感想を言います。けれど今度はニラヤマに掴み上げられて、ぶん投げられることはありませんでした。
「でも、あー、そうかもしれませんね。だから、知る機会を与えられないのは寂しいんだ」
「“カナン”を破壊してしまえば、知る機会は失われるぞ。貴様からも、そして彼らが貴様を知る機会をも」
豆腐がそう言ったのはニラヤマの態度が軟化の兆しを見せていたとはいえ駄目元のもので、だから「いいですよ。そんなに言うんなら、私とあなたが正式サービスの開始までに“カナン”に行くことができるようになれば、あの『お願いごと』は撤回してあげます」と即答されるとは思ってもいませんでした。
『お願いごと』とは無論“お告げ”に協力する対価として他のユーザーと契約を結ばせないこと、そしてニラヤマの『毛刈り棒』の機能が正式サービスに採用された場合に“カナン”を滅びを叶えることでした。
それが達成される直前になって撤回する条件を出してくるとは、ニラヤマはまた何か企んでいるのだろうかとまで考えてから、豆腐は言いました。
「正式サービスの開始までとは、もう三日しか残らされておらぬぞ」
正式サービスの開始後なら、告知を手伝った立役者としてミズナラに“カナン”に推薦してもらえるのではないかという豆腐の問いに、ニラヤマは「私と豆腐の両方が、というのが条件です」と譲りません。
一体どういう風の吹き回しだと聞いてみると少し何かを考え込んだような沈黙の後に「願いを決めるのは正式サービスが開始された時でしょう、もし“カナン”の破壊を願わなかった後にその方法で行くことができなかったらどうするんですか」と言ったので、多少の譲歩はあれどいつも通りのニラヤマだと豆腐はむしろ安心しました。
「かもしれませんね。それで乗るんですか乗らないんですか?」
「いいだろう、いずれ対処せねばいけなかったことだ」
確かにニラヤマ自身が思い留まってくれるのなら、他のユーザーや運営の力を借りてニラヤマを止めるよりも良いだろうと、豆腐も考えていたのでした。
しかし今から正式サービスが開始されるまでの三日間の内に、もしかしたら律法体の存在を知っているかもしれない“カナン”に、二人で行く方法が考え付かないからこそニラヤマはそんな提案をしてきたのです。
そして豆腐は少し考えた後、率直な解決方法を思い付きました。
ニラヤマがその存在をまだ知らない、ミズナラの『知恵の実』による繋がりを使えば良いのではないかと。
「確かに貴様と出会った頃であれば無理な条件だと諦めていたかもしれん。だが今はあらゆるコミュニティに伝手を伸ばしていて、フレンドよりも強い特別な繋がりを持った集団を知っている。彼らの中に“カナン”の会員が居れば、そこに行ける可能性もあるだろう」
「……何?なんで私が知らないことを、あんたが知ってるんですか」
問いに答える代わりに、豆腐は『知恵の実』を繋ぐようニラヤマに言いました。
「まずはワールドの
そして実を言うと、豆腐たちのやり取りは『知恵の実』を通してミズナラに丸聞こえでした。
持ち主であるミズナラは『知恵の実』のアクセサリーを介して、通話していない時でも音声と映像を一方的に受信できるのです。そのことを豆腐とニラヤマに明かさず盗み聞きをしていたのは、ミズナラが彼らにまだ隠し事をされていると感じていたからでした。
そしてミズナラは一番有効に活用された『契約の箱』の持ち主がEDEN内の願いを叶えられ、そこでニラヤマが“カナン”の破壊を願うつもりであったと知ってしまったのです。
「ちょっと前に、昔の知り合いがEDENのこと聞きたがってて、ほら僕……今は休職中だから家族以外だとEDENで知り合った人としか話す機会もないし、ここで再会できるのを楽しみにしてたんです」
ミズナラが話した相手は、これまたムロトでした。
悩み相談をしやすい人とは往々にして聞き上手であるだけではなく、自分の不安や愚痴を聞かせることに負い目を感じないで済む人で、そういう他人の悩み事を肴にして酒を飲めるような人にほど『プライベートな事情』が舞い込んでくるのです。
「ふぅんリアルでの知り合いか、僕だったら自分の
「僕の同級生なんです。ほとんど不登校だったんですけど、僕だけはプリントとか届けに行ってる時にお話しもしてて。それで、その人は今ではプロの漫画家になってるみたいです。だから僕は……」ミズナラは言いかけて、「関係あるか分からない人のこと喋り過ぎちゃいましたね、忘れてください」と笑いました。
ニラヤマの『契約の箱』にまつわる物騒な願いと、自分の願いが叶えられるならぼんやり旧友との再会を考えていることなど、まだムロトに話すわけにはいかないと考えたのです。
豆腐と二人きりの時に確認すれば済む話ではあるのですが、ミズナラは豆腐たちのワールド製作に参加することはできないのです。その事実にもどかしさを感じていたから、ムロトに相談したのかもしれません。
その時ポコンという音が鳴って、ミズナラの画面にニラヤマからの招待アイコンが表示されます。招待への承認許諾を決める前に、ミズナラの『知恵の実』に音声通話を繋いだニラヤマが要件を告げます。
「製作途中の“お告げ”用ワールドを見てもらいたくてさ。今取り込み中なら空いてる時で良いんだけど」
「ああ、ごめんなさいね。今ちょっと取り込み中で」
咄嗟にミズナラが言ったのはムロトと二人きりで話しているところを見られたくないからで「豆腐さん、そっちのワールド製作はどうですか?」と話す相手を変えたのは、長らくワールド製作にかかりっきりのニラヤマと配信に勤しんでいる自分では共通する話題がないからでした。
そして自分が居ないところで豆腐とどう過ごしているのか、また何時もと変わらない二人の口喧嘩を聞いて安心したいという気持ちもあったのです。だから豆腐が「ミズナラよ、貴様も“祭司”の使命を果たした後に自室用のワールド等を作ってみないか?そうすればニラヤマと過ごす時間も増やせるだろう」と勧誘してきたのは予想外のことでした。
「どうしても言葉や身振りを交わすだけでは、その人間の上辺より深くを知ることは難しい。けれどワールドなどの製作物として『頭の中の世界』を共有することで、我とニラヤマはお互いに新しい側面を知ることができた。ニラヤマよ、貴様もそう思わないか?」
なりたい姿になって好きなものを創り、世界中の人々と交流できるのがVR-EDENという世界だと公式のサービス概要には記されています。
例えば小説や絵や映画――そして漫画にも触れず現実の世界を生きて行くことは可能ですが、この
それは誰かがEDENを楽しむ過程の中で、自分の創作に触れてもらえる機会が必ずあるということです。その言葉は理屈としては間違っていないにせよ、豆腐は何故それをミズナラに話しているのか自覚していませんでした。
元同級生と関係をやり直すための“カナン”を守る使命を果たそうとして、その道中で会ったミズナラとは『神の使者』として接しなければなりません。
けれど創作を通して『VR-EDENのミズナラ』ではなく現実の元同級生としての、既に知っている姿を見ることができたらと思ってしまったのかもしれません。そしてワールド製作に関しては、ニラヤマも同じ考えだろうと思って話を振ったのでした。
「別にミズナラはワールド製作しなくても良いと思うよ。前にそう思ってた時はあったけど、今は豆腐も居るからさ」
ニラヤマは言いました。それは、まるでワールド製作をしている友達として豆腐が得られたから、もうミズナラは必要ないと聞こえるような言い回しでした。
「お……おいニラヤマよ」
豆腐が言うよりも早く、ミズナラの呟く声が『知恵の実』から聞こえてきます。
「……頭の中の世界、ですか」ミズナラは少しの間は黙って、やがていつも通りに笑って言いました。「ふふ、僕にはそんなものないですよ?」
「……そっか」
会話を中継していた豆腐は、ニラヤマの表情が蔭った気がしました。
この二人の会話で、想いを秘めたミズナラが唐変木なニラヤマの言葉に人知れず懸念したり沈むことはあっても、その反対があるのは珍しいなと思いましたが、わざわざ口にすることはありません。
そして『知恵の実』による通話が切られた後、ミズナラの「やっぱり同じことをしていないと、同じ場所に居ちゃいけないのかな」という呟きを聞く者は誰も居ません。
結局、ミズナラは
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