第十三話

「……で、一般公開してから一日経つけど『お告げ』の演出はまだ決まってないんですか?一応ミズナラの予告した『お告げ』の予定日って今日なんですけど」

「とりあえず一通りは考えているが、託宣を与えるEDENの民がどんな演出を好むのかが分からないのだ。ニラヤマよ、貴様が以前作ったワールドも見ておきたい」


 当初の予定通り、ミズナラがワールドを配信で紹介している最中に偶然撮影されたものとして、インスタンスに居ないユーザーや配信記録アーカイブを後から見る人たちにも“お告げ”を伝え広める計画です。

 つまり、ここでの豆腐の一挙一動はEDEN全体のユーザーのみならず、その外に居るミズナラの配信視聴者たちにも観察されるということです。


 運営から告げられた内容をEDENのユーザーであるニラヤマに翻訳させて、演出と共に読み上げる台本は完成していましたが、その内容を信じさせるに足る演出であるかと、自分が挙動不審にならずお告げを完遂できるかが豆腐の不安要素でした。


 ミズナラは自分の友人交流で配信インスタンスを開くことを申し出たので、人が集まるまでの間に豆腐はニラヤマが作ったワールドを案内されていました。お告げが無事に終われば、その時ミズナラに“カナン”への案内を頼もうと考えながら。

 街中にある喫茶店や雑居ビルの飲み屋、建物の隙間の路地といったニラヤマの製作ワールドを案内された豆腐は、最後に学校の屋上前――摩擦の強いリノリウム調のマテリアルを敷き詰めた床に、屋上への扉の窓から差し込む日差しと、蛍光灯の光が反射している廊下の行き止まりに降り立ちます。


「この先の、屋上の景色は創らないのか?」


 鍵の閉ざされていた扉の向こうには夕暮れ時の空が広がるばかりで、その代わり廊下の行き止まりには古びた薬品棚や革張りのソファが並んでいました。豆腐の質問に、ニラヤマは答えます。


「作りませんよ。だって実際に行ったことも、覗き込んで見たこともないんだから。あの先には光だけが広がっていて、私は決してそこに行くことができない。そんな行き止まりでもなければ、人が来なくて落ち着ける場所になんてならなかったと思いますし」


差し込む日差しライトシャフトに照らされて浮かび上がる埃の粒子パーティクルを背に、ニラヤマは言います。


「そう、学校の休み時間はここに一人で居たんですよね」


 ニラヤマが自分の素性――現実のことを話すのは初めてで、それは高校時代に不登校であった豆腐にはあまり嬉しくないはずでした。豆腐はミズナラが懐かしむ『放課後』のような、誰かと共感し合うことのできる記憶は持ち合わせていないのです。


「……む。一人で、だと?」

「あー、スマホで音楽を聞いたりSNSを見たりしてただけなんですけど。興味のない授業とか会いたくない人ばかりの教室を、少しの時間だけでも忘れることができた。さながら現実の社会からの『避難所』ってとこですね」


 ニラヤマの言葉を聞いて、豆腐はようやくアパートの自室から感じていたニラヤマのワールドの共通点に気付きます。それは全てのワールドが現実に存在するような景色でありながら、どれも奇妙なまでに人間の気配を感じないということでした。

 インスタンスに人が訪れていないという意味では当然のことですが、そもそも大勢の人が集まるように作られていない場所だけを景色として制作しているようです。


 そして現実社会からの避難所、という言葉は豆腐がかつて足を運んでいた場所にも当てはまるように思えました。豆腐は初めて誰かの過去に共感できましたが、今に限って言えば手放しに嬉しいとは思えませんでした。


「ニラヤマ、お前は……」「うん?」


ミズナラの寂しげな笑顔を思い出しながら、豆腐は何気ない風に質問します。


「そこで、誰かと会ったりはしなかったのか?」


 ハッ、と一笑するのが、ニラヤマの答えでした。


「あの時の私は、誰も居ない場所でしか呼吸ができなかった。ここVRに来るような人間の多かれ少なかれ、そういう記憶はあるんじゃないですか?ただ場所だけが私に呼吸することを許してくれたから、今でも人間より景色の方を見ているのが好きなのかもしれません」


 人間の居ない景色。そこに居る他の人間にとって、自分の存在が背景以上の意味を持たない景色。

 ニラヤマが見ている世界がそういうものなら、ミズナラと心から分かり合うことは難しいのかもしれません。考え込んでいる豆腐の沈黙をどう受け取ったのか、ニラヤマは続けました。


「でもさ豆腐。最近のあんたやミズナラと居る時だけは、そうは思わなくなってきたんです」


 豆腐が「一体、それはどういう……」と問い返すよりも早く、ニラヤマに“お告げ”用ワールドのポータルに放り込まれます。


「そろそろミズナラの配信が始まる時間ですよ。友人交流フレプラのインスタンスで開かれるらしいので、私たちもエキストラとして混ざりに行きましょう」


 そして豆腐が居なくなった一人きりのインスタンスで、ニラヤマは独り言を呟きました。


「出会い方がアレだったから一度限りのつもりで『素のままの私』を出したけど、結局あんたとは今の今まで関係が続いてきた。相手の趣味とか好きなものに話を合わせたり、その場所で受け入れられやすい自分を演じなくても、離れていかない初めての相手でしたから」


 そして、その僅かな時間の差がニラヤマと豆腐をバラバラにしてしまうことなど、二人とも考えもしませんでした。

 結論から言えばミズナラの配信インスタンスに、訪れたユーザーの数は『ちょっと』では済まなかったのです。定員ギリギリの友人交流フレプラインスタンスに滑り込めたのは先に移動した豆腐だけでした。


 ニラヤマも豆腐も忘れていたのです。

 誰が『ワールドを創る』ことを方法として提案したのかと、その人物が以前からニラヤマに『複数のコミュニティから人が集まる友人交流』のためのワールドを創って欲しいと言っていたことを。


「――あれ?」


 豆腐の後を追ってテスト公開中のワールドに到着したニラヤマは、周りにミズナラも豆腐も居ないことに気付きます。とはいえ決して人数が少ないわけではなく、どのコミュニティや国から来たかも分からない十数人のユーザー達が、小さな輪を作って好き勝手に話したりワールドを歩き回ったりしています。

 豆腐がどこに行ったか調べようとソーシャル欄を開いたニラヤマは、ここ以外にもう一つ定員に達したインスタンスが開かれていることに気付きました。


「まさか、ここ『弾かれインスタンス』か!?」


 ニラヤマは違和感の正体に気付いて、思わずミュートにするのも忘れて叫びます。


 『弾かれインスタンス』とは、参加を選んだインスタンスが既に定員に達していた場合、同じワールドの全体公開に移動させられる機能の俗称です。

 ワールドを散策することが目的である場合は『弾かれインスタンス』でも問題ありませんが、そこで行われるイベントや集まるユーザーが目的である場合は本会場でないと意味がありません。


「豆腐!!!」


 咄嗟に連絡を取ることができたのはミズナラの『知恵の実』を経由したからで「ぬァアアア!ニラヤマよ、貴様はまだ来ないのか!」と、案の定『弾かれインスタンス』について知らない豆腐からの悲鳴交じりの怒号が帰ってきます。


「ニラヤマよ、これも貴様が仕組んだことなのか!?」

「なんだって?そっちはどうなってんの?」


 ニラヤマは『弾かれインスタンス』についてかいつまんで説明した後、公開したばかりのワールドにそれほどの人数が集まることが想定外であると言います。


「このインスタンスは友人交流だと言うのに、ほぼ全てのユーザーが箱型のアバターを使っておるぞ。これではワールド紹介の配信ではなく、ミズナラのために行われる何かのイベントのようだ」


 豆腐の不安げな声から、ニラヤマも何かただ事ではない事態が起こっているらしいと理解します。

 そして豆腐にとっては以前に訪れた時よりも多様な改変を施され、色や形状で個性を出した箱型の改変アバターの中では、また誰かに話しかけられるかもしれないという不安もありました。


 不用意に『神の使者』を名乗ってしまえば胡乱なユーザーとして自分をコミュニティに招いたミズナラ達にまで迷惑がかかるかもしれず、けれど手足のある色とりどりの箱たちに囲まれていては『豆腐』という姿すらも個性にはできないのです。


「我がいつも通りに暴れたら、迷惑がったユーザーが去って人数に空きができるだろう。貴様が何も企んでないなら、早くこちらのインスタンスに合流するのだ」


「馬鹿じゃないですか?あんたこれ以上ブロックされたら、アカウント凍結されるんですよ。インスタンス主ミズナラが居るはずだから何とか合流して、後のことは……」とまで言ったところで、ニラヤマは一つの疑問を抱きます。


 そもそもインスタンスの定員はワールドごとに設定されるのですが、そこまでの人数が集まるはずもないと“お告げ”のワールドは初期設定の最大人数のままでした。


 PCスペックの低いユーザーならアバターの数だけで処理落ちしてフリーズしかねない、そんな人数が理由もなく集まるはずもありません。

 ここまでの異常事態が起こっているならば、インスタンス主であるミズナラから『知恵の実』を介して連絡の一つがあっても良かったのではないか。

 その疑問をニラヤマが口にするよりも先に『知恵の実』を通して聞こえてきたのは、豆腐の背後に立って会話を聞いていたらしい一人のユーザーの声でした。


「……ねえ、敢えてニラヤマくんに向けて言うんだけどさ」


 向こうのインスタンスの喧騒越しに聞こえてきた声に、豆腐だけでなくニラヤマもぴたりと動きを止めます。

 異なるインスタンスから豆腐を介して自分に呼びかけているとすれば、それは『知恵の実』とそれを契約した豆腐の存在を知っているということでした。


「今この場所には色んなコミュニティの有名人や、ニラヤマくんが好きなワールドの製作者たちをミズナラくんが集めてくれているんだ。ミズナラくんの配信中の“お告げ”なんてしなくても、このワールドの製作者として豆腐くんを紹介してあげるよ。それでVisitorじゃなくなったら“いつも通り”にしても、アカウント凍結されたりしないでしょ?」


 その提案は豆腐の存在が明るみに出ることで恐れていた、豆腐をニラヤマに告発させるようなものとは真逆のものでした。

 しかし彼は何時だってEDENをよく知る者からの『アドバイス』の体で、他人を自分にとって有利になるよう行動させてきたのです。


 ニラヤマも豆腐も、ようやく思い出しました。誰が『ワールドを創る』ことを“お告げ”の方法として提案したのかと、その人物が以前からニラヤマに『複数のコミュニティから人が集まる友人交流』のワールドを創って欲しいと言っていたことを。

 そのユーザーは“ソドム”と呼ばれるコミュニティの有名人でミズナラとは旧知の間柄、誰にとっても悩みを相談しやすい性格から様々なプライベートの事情を知る、名をムロトと言いました。


 ムロトは全ての羊が虹色の羊毛になるって不具合が起こった時、ニラヤマに誘われて巨大化した豆腐が預言を行った場所に来ていたのです。

 ただの荒らしだと言うにはEDENという地に蔓延した不満を言い当てていて、しかも噂を聞いた程度で壊れたワールドに集まるのは、行きたいところに行けず時間を持て余しているユーザーがほとんどでした。


 インスタンスの壁に隔てられ、一度きりの“お告げ”には又聞きで“らしい”の尾ひれが付き続け、実際に見ることができなかったユーザーは再び何処かのインスタンスで“お告げ”が行われるのではないかと面白半分期待半分で噂するようになりました。

 そんな折にムロトはニラヤマが“毛刈り棒”を振り回し、豆腐と呼ばれる存在が第二のお告げを行った現場にも居合わせたのです。ムロトは彼らの相談に乗りながら、もう一つの噂を広めました。


「今週末にミズナラというユーザーの名義で開かれる、友人交流インスタンスで運営かみの使者が訪れる。そこで使者に認められたユーザーにのみ『知恵の実』というアイテムが与えられ、正式サービスが開始された後に今のEDENに存在する悪いもの全てを置き去りにして、楽しいものだけが集う約束の地エンドコンテンツに最初から行けることが約束されるだろう」


 現実の世界において使い古された終末思想は、小規模な終わりを繰り返し続ける『インターネット』という永遠とは程遠い世界で再び息を吹き返します。


 それは今の世界の終わりと同時にしがらみや積み重ねてきた失敗による負債が一掃されて、新しく創り直された場所では今ある問題の全てが解決されている。

 言わばEDEN“2”とでも言うべき世界に自分たちは行く権利があるという、ノアの方舟めいた思想でした。そして悪いものは新しい世界へと向かう方舟に乗せられることなく、そして自分がその“悪いもの”であるとは考えもしないのです。


 ワールドの製作者はニラヤマと豆腐でありながら、そのインスタンス内に渦巻く『ノアの方舟』思想とでも言うべき終末信仰の始祖はニラヤマでも豆腐でもありませんでした。

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