第十九話
「元から他のコミュニティを一掃するつもりなんて無かった。嘘で挑発して豆腐を『聖職者』に仕立て上げるのは、ムロトさんの発案ですね」
「ま、その通りだよ。よく分かったね」
ミズナラは、お告げが『運営の使者』を名乗る豆腐の変身機能によって行われると配信で知れ渡らせました。それによって豆腐の作ったワールドに、豆腐のライブを観に訪れる人が増えるのはニラヤマ達の本来の目的通りです。
けれど求められるのは、ワールドに仕込んだ演出ではなく豆腐本人の存在です。ユーザーが集まるのは豆腐のライブというコンテンツを鑑賞するためで、ある時ふと訪れようと思った誰かのために、豆腐はずっと同じ場所に居なければならないのです。
「そこに行けば皆が一つの側面を共有できる、同じ相手と会えるという場所を維持するために、その場の主だけは同じ側面を見せ続けなければならない。自分の場所を失わないためには、そこに居続けなければならない聖職者に、豆腐を仕立て上げた」
それがEDENという場でも珍しくない現象と知っていたから、ニラヤマは『自分のコミュニティ』を作ろうとしなかったのです。掲げたものに疑問を持てど呈することは許されず、表向きは肯定し続けるしかない『聖職者』にならないために。
「さっすがぁ、よく分かってるじゃん」
ニラヤマの分析に、ムロトはむしろ嬉しそうに言いました。
「この場所や周りに居る人間のことが嫌いで、嫌いな場所や人に対して遠慮してやる必要はない。それが私たちの共通点で、愚痴や悪口を言うことで繋がって、そんなクソ野郎同士だから一緒に居たんですよ」
ニラヤマは、ムロトの『知恵の実』に狙いを定めて『毛刈り棒』を付きつけます。
「でも、まだ逃がしません。何が嫌だったのか、ちゃんと言語化するべきです」
ニラヤマの毛刈り棒の詳細な効果をミズナラから聴いているかは分かりませんが、ひとまずムロトは抵抗や逃走の意思はないと言うように両手を挙げて歩みを止めます。
「言葉にして良いんですよ、これだけ大きな騒ぎと被害を引き起こしたんだから、その責務があるはずだ」
『お気持ち表明』の語義は、大きな決断に要る行為について宣言し、そこに至るまでの出来事や自分の感情の遷移を明かすこと。
正しくその定義を満たした時、それは物語の悪役の行動動機の種明かしであり、ただ『悪いことや邪魔をした者』として退場することを是としない者の自己肯定として、押し留める理由がないことをニラヤマは知っていました。
「疲れちゃったんだよ、ソドムだとかメス堕ちだとかに。人生をやり直したくて、今までの過去から自由になりたくて訪れたEDENで、またホモの有名人として積み上げた過去に縛られている。考えてみれば、もっと他にやりようはあったかもね」
「ほんと狡いですよねぇ。元からアカウント創り直して転生するつもりでしょ?」
ある意味で”ホモの巣窟たるVRSNS”という風評・信仰の『聖職者』であるムロトが、それに疲れて転生することをニラヤマは聞いていました。互いの秘密を知るとは、円滑なコミュニケーションの対価として、お互いに銃口を突き付け合うに等しい契約です。そして、いざとなれば互いへの情や倫理など置き去りにして、躊躇なく引き金を引くだろうという信頼が『悪友』たるニラヤマとムロトにはありました。
「でも、嫌いな何かが壊れていく様を観たくてEDENに来たわけじゃないはずです」
「それ豆腐くんの受け売り?嫌いな何かが消えてからの生活が今より良くなるなら、見たいかは別として積極的に壊していくべきじゃないかな」
VRSNSがSNSである限り、言葉を上手に使える者というのは、上手く創作を行うことができる者と同等以上に、その場の状況に対して働きかける力を持ちます。
「――そうやって行動を制限する者すべてを消し去った無人の宇宙で、翼を生やして何処までも飛んでいけるとしても、それは自由とは言えない」
「人倫や自由についての定義を説いてるの、この俺に?」
「いいえ、自身の利益のための話だ!私は……最初、もちろん豆腐が邪魔だった。私にとって唯一つの絶対に守るべき信仰は、私はどこにでも行くことができると、私自身に対して証明し続けることだ。その信仰を揺るがす“カナン”という場所には、なんとしても破壊されてもらう必要があった」
言葉を介して相手の思考や行動を変容させる『説得』とは洗脳に等しく、また自らの望みや在り様の醜さを言葉によって自覚し開き直ることで他者の指摘に予防線を張り巡らし、否定の言葉を吐くとしても敵を増やさないように何が嫌で何が憎いのかを自己分析して、逆手に取られないよう攻撃対象を絞り込む。
掲示板や外部SNSという開けた場で共有される文章投稿を言葉の『砲火』と呼ぶなら、インスタンスという閉じた場で交わされる肉声は言葉の『刃』であり、そこにあるのは異なる目的を持った者同士による言葉の白兵戦となり得るのです。
「じゃあ、どうして“カナン”の破壊を譲歩するようなこと言ったんだい?まして豆腐くんと二人で行けたらなんて条件付けて、二人して“カナン”の価値観に染まるようなさ。自分が“カナン”に行く段取り付けたら、閉じた輪の外側なんてどうでも良くなった?そもそも、どうしてニラヤマ君は『自由である』ことに執着してるわけ?」
ニラヤマの方が無言になる番でした。喋り過ぎそうになる自分を抑えて、まだ喋りたいことがありそうなムロトに手番を回したのです。誰かに何かを問いかける、それは自分が『あくまで返答』として、その何かについて語りたい時の定石であるから。
「……俺はさ、現実の世界で諦めたものが沢山ある」
「性行為させてくれる、美少女のオタク友達のことですか?」
「それだけじゃない、当たり前に人生の中で手に入るらしかった沢山のことさ。最初から持っている君みたいな人には、絶対に分からないことだ。何かを持ってないことで何を諦めることになるか、何に縛り付けられることになるかってのはさ」
あの時、そして今、お金を持っていれば――そんな後悔を、負い目を一生付きまとわせることになる。
お金によって全てが満たされるわけではないとお題目があれど、お金によって何が満たされて何が満たされないのか知ることができる、その知識という一番大きな要素がお金を持たなければ得ることができぬ、そして持たざる者を一番その欠落に縛り付けるものだとムロトは、それを持つ立場であるニラヤマに語ります。
お互いがお互いに伏せていた敵意、見せることが得策ではない側面。それが開陳されるのは
「何度でも言ってやる。人倫なんてクソ喰らえだ。私は小さい頃から父母に言うことを聞かなければ自殺すると脅されて、良い子であることを強制され続けた。だけど今こうして生きているのは父母から『言うことを聞かされた』からじゃない。私が善人であること――善い子なら父母を死に追いやるような我が儘をしてはいけない、善い学生ならば本分たる学問にのみ励み善い人間なら自らの犠牲を我慢して社会を利するべきという、全ての倫理を放棄した『悪人』として周りを利用し尽くしたからだ。友達の居ない学生生活でも良い大学に行けば、青春を満喫した末路がショボい大学ショボい職で敗戦処理の人生だと嘲笑うことができた。それが自由だと思っていた」
今度はムロトが、手段としてではなく言葉を失って押し黙ります。
同情も批難もできない。捻じれに捩じ暮れた人生とそれに由来する価値観と感情を、余すことなく自覚して言語化できること自体が、言葉を武器として扱う者にとって必須の通過儀礼であると互いに知ってはいました。
けれどそれ以上に、勝ち誇るような言葉を並べるニラヤマの声が、どうしようもなく苦しそうで――返り血に塗れた修辞の言葉に、当人の心から漏れ出す深く膿んだ傷痕の血を見て取ってしまったのです。
それはつまり、親の愛や同級生との友愛、全ての
そして、ニラヤマの予測された感情の爆発は訪れました。
「心が寂しいんだ!あんただって、そうなんだろ!?一人でワールド巡りしてれば良い?それならなんで他のSNSで批評や感想を発信しようとする!セックスできる美少女のオタク友達が欲しいだけ?なら、どうして私と“ソドム”や“カナン”にミズナラの居たコミュニティの愚痴や悪口を言い合った!?
悪人として倫理の壁に守ってもらえない覚悟さえすれば、ありとあらゆる狡い手を堂々と取ることができる。だけど誰かと共有できる価値観がどこにもないのは……寂しいんですよ。一人だけ、物理法則の違う別の宇宙で生きてるみたいに。同じ法則で、同じ価値観で生きている、仲間が居ないと苦しかったんです」
『――ずっと』。そう言葉に出さず、嗚咽も漏らさず、その二十数年の孤独を、締め括る最後の修飾をムロトは聞きました。そして違う諦めを持ち、得られなかったものへの幻想に縛られ、自由を求めて足掻き続けるという一点で共通する、鏡映しで見ればこそ滑稽で哀れな道化の悪役の姿を、ニラヤマに見たのでした。
もう敵として互いに立つことはできなくなっていたし、恐らくニラヤマは最初からそれを望んで訪れたのではないと、ムロトも分かり始めていました。
「会いたい人なんて誰一人として居ない
利用されないために倫理を捨て、複数の価値観を掛け持つことで洗脳されないようにして、この船が沈んでも別の舟に泳いで行くことができるって安心を確保しても、寂しさだけはどうしても治らなかった。最初は『欲しいもの全部を満たしてくれる世界』があって、自分が不当にそこから締め出されているせいだと思っていた」
けれど有りもしない理想郷に行こうと足掻いて、色んな場所を巡って色んな人に出会っていく中で、いつの間にか欲しいもの一つ一つが満たされていて、不自由を感じることが少なくなっていったのだと、ニラヤマは言いました。
「違った、違ったんですよ。私の知っている価値観、私の見ている法則の外で、一見分かり合えない人たちと共通点を見つけられた。混沌の坩堝たるEDENの世界、そこでミズナラや豆腐やムロトさんと会えたことで、寂しくはなくなった。
旅路の果てに
それを聞いたムロトが何かを言おうとした時に、異変が起こります。ニラヤマの『毛刈り棒』が、持ち主の言葉に応えるように振動していました。
「協力してもらえませんか、ムロトさん」
「アカウントは創り直すよ、何度でもね」
条件の交渉はむしろ、ニラヤマとムロトのような人間にとっては、お互いの妥協点に向けて話が収束し始めている証でした。
「交換条件は……そうだな、君が行くことのできる手広いコミュニティに、一介の新規ユーザーとして紹介してくれたら良いけど。まぁ約束を守ってくれない可能性も織り込み済みさ。その時はもう一回アカウント創り直して、君とは金輪際近付かないようにするよ」
「紹介は無理です、私もこれから信用をそこそこ失うので。でも友人交流でジョインしたら程々に仲良くしてあげますよ」
「……ねえ、一体何をするつもりだい?」
ムロトが振動する『毛刈り棒』にようやく気付きます。
「……インスタンスの壁って、なんだと思います?これはイメージというか、象徴の話なんですけど」
アバターの表情は変わりません。ですがムロトは、その悪友としての付き合いの中でニラヤマが『嗤った』ことを直感しました。
「私はこの空。裏地に空の画像を張り付けた、無限遠にある正六面体のスカイボックスだと思うんですよ。皆が同じ空の下で生きている現実世界との大きな違い、空さえ繋がっていれば歩いて会いに行けるのに、って」
ニラヤマが言ったことの、とてつもなさに流石のムロトも「空を砕くのか……」と言葉を失います。そして続く言葉の「あと、ちょっと噛ませ役を演じて欲しいんですけど」というスケール感の差に苦笑したのでした。
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