第三話

 全体公開パブリックインスタンスは治安が悪いという風評が、よくEDENでは囁かれています。

 それは紹介を受けずにEDENに訪れた全ての新ユーザーは最初に全体公開パブリックに流れ着き、初心者案内を趣味とする既存ユーザーに案内を受けて友人交流や友人限定で開かれるコミュニティに参加していき、居場所を見つけた後は滅多に全体公開インスタンスに訪れないというニラヤマの話にも起因していました。


 豆腐のように尖った性質を持つユーザーですら、ニラヤマという言葉の通じる既存ユーザーと出会い、招待限定という閉じたインスタンスで時間を過ごしたのですから、決して例外ではありません。

 一方で誰とも出会うことのできなかった新規ユーザーにとって、そこで見たものがEDENという世界の全てになってしまう可能性を、始めた直後の僅かな期間を除いて閉じたインスタンスで過ごし続ける既存のユーザーほど忘れていくのです。


「そうそう。さっきUDON毛刈りの全体公開インスタンスが面白いことになってるから、見てみたらってフレンドが言いに来たんだ。ニラヤマって子なんだけどさ」


 ムロトという名のユーザーは、暇そうにしていたフレンドを何人か誘ってUDON毛刈りに連れてきたのでした。

 それ以外にも「UDON毛刈りの羊から羊毛が生えなくなったのは、どうやら不具合ではなく悪質ユーザーによるハッキングらしい」というSNSやフレンドから拡散された話を聞いた、少なくない数のユーザーがUDON毛刈りに訪れていました。


「確かに、なんか凄いことにはなってるけど――」


 ムロトが見渡した景色の中に、拡散された注意喚起のような『羊毛が生えなくなった羊』の姿は存在しません。噂を聞いて訪れたユーザー達が見たのは、全ての羊が目に優しくない虹色1680万色の光を羊毛から放って歩き回る光景でした。

 そして、それはムロトの居るインスタンスに限った話ではなく、全ての全体公開インスタンスで同じ現象が起こっていたのです。一人が外部のSNSで写真を上げたことで、それが一つのインスタンスに限った現象ではないと知れ渡ります。


「自分はUDON毛刈りの作者とフレンドだけど、羊毛が虹色に生え変わるなんて更新はしていなかったはず」


 別の全体公開インスタンスに居たユーザーがSNSに書き込みます。実際に全体公開パブリックインスタンスに訪れていないユーザーの一人が「でも前にもSNSで虹色の羊毛を生やした羊を見たことがあるよ」とリプライを送ります。

 それに対して、別のユーザーが「ここで使われている羊の3Dモデルを持っている人が、改変して自分のアバターにしたんじゃないの?アバターを他の人にも複製可能にすれば沢山の虹色の羊が出てくる光景も説明がつく」と言いました。


 実際にインスタンスを訪れたユーザーしか異常な事態は伝わらず、そうなった経緯は豆腐がニラヤマに『お告げ』の真実を語った一時間と少し前に遡ります。


「――要はあんたの『お告げ』は人の集まる場所で、話題になるような方法で行われたら良いんでしょう?」

「しかし、我が全体公開で派手な姿に変身しようものなら、今度はアカウントが凍結されるほど追放投票のブロックを行われてしまうのだぞ」


 豆腐の懸念する声に、ニラヤマは虹色のマテリアルに変化した机を見ながら、あっさりと答えます。


「人が集まるような異常を起こすのは、あんたの仕事じゃないですよ。私に『契約の箱』が与えられたのも、そういう用途で使えってことなんじゃないですか?」


 マテリアルとはゲーム制作ソフトで設定された、3Dモデル表面の質感や模様について設定したデータです。

 それを四角形のオブジェクトに限定して刈り取って、後から“羊毛”として他の3Dデータに付与できるのが、豆腐と契約したことでニラヤマに与えられた権限――いわば『契約の箱』でした。それは豆腐にとって大したことのない権限に思えましたが、その特別性はEDENで長く過ごしたユーザーだけが気付けるのです。


 現実という世界では五体を通してしか世界に干渉することはできません。では仮想現実VR-EDENならば?という問いと願望を、豆腐も含めてVRの世界にこれから訪れる人間ほど当たり前に抱くものです。

 けれど誰でも干渉できる世界は暮らしていくには無秩序すぎるので、ゲーム制作ソフトを介したワールドやアバターという枠組みの中に制限されているのです。


 そして『契約の箱』とは、その枠組みの外でEDENという世界に干渉できる機能でした。


「私がUDON毛刈りのワールドに居る羊の羊毛を全て、あんたから刈り取って虹色の羊毛マテリアルに植え直す。そうすれば噂を聞いたり広めるのが好きなユーザー程、その真偽を確かめるために全体公開インスタンスに集まってくるでしょう?」


 ニラヤマの言う通り、豆腐が使命を失敗しても神への背信にならないのかもしれません。けれどアキラはかつて疎遠になってしまった現実世界の友人に、いつかVR-EDEN内のとあるコミュニティで再会しようと約束したことがありました。

 コミュニティの名は『カナン』と言って、豆腐はそこのイベントで撮られたらしい写真を幾度か目にしたことがありますが、他のSNSなどで検索しても該当する名前のコミュニティは一つも存在していません。そしてアキラは、その『カナン』について探るべくEDENを訪れた矢先に、使命を言い渡されたのでした。


 それは信仰や使命とは全く関係のない動機でしたが、もし今までのコミュニティが一掃されてしまえば、友人と再会することも難しくなってしまうのです。


「――分かった、それが神の信徒として相応しい方法でなかったとしても、このEDENという混沌に歩み寄ることで、我らが使命を完遂してみせようではないか」


 そしてニラヤマの言った通り、全体公開インスタンスを訪れずに外のSNSで不毛な議論を交わしていたユーザー達も含めて、十分な数のユーザーが実際その場に集った時に第二の異常が起きました。


《我はEDENの運営から遣わされた使者である!これらUDON毛刈りの異常は、この場に汝らを集め我が権能を示すためのものである!》


 虹色の羊毛の一つが回転しながら巨大化すると、一つの預言を行ったのです。


《運営の使者たる我はインスタンスに下っていき、運営が聞いたユーザーの声が真実であることを確かめた。既存のユーザー達はフレンド同士で集まり安穏と暮らしていながら、何の伝手もない新規ユーザーに参入の機会を与えなかった。これは恐ろしい罪である》

 それからの反応は訪れたユーザーによって様々でした。


 別のインスタンスに移動する人、悲鳴を上げて逃げ惑う人、豆腐を気にせず虹色の羊毛を刈ろうとしてみる人。

 それは魑魅魍魎の渦巻く全体公開パブリックで珍しいことではないのですが、声を出している虹色の立方体を指定してブロックしようとした一人のユーザーは、それがアバターではないということに気付きます。


 今回の巨大化した羊毛の正体は豆腐ではなく、時限式で拡大していく羊毛の『マテリアル』を豆腐から刈り取って、ニラヤマが一匹の羊に植え直したものです。豆腐の本体は小さくなって姿を隠し、声だけ周囲の一帯から響かせているのでした。


《非公開インスタンスという扉の外に善くないもの全てを隔て、自分たちだけがVR-EDNの祝福を独占しようとしている。そこで運営はEDENにアップロードされるデータの、共通言語であるSDKの互換性を正式サービスに際して撤去される》


 それは、ただの荒らしだと言うにはEDENという地に蔓延した不満を言い当てていて、賛同してしまう者も多いような預言の内容でした。

 まして噂で聞いた程度で壊れたUDON毛刈りのワールドに集まるのは、行きたいところに行けないか会いたい人に会えないといった理由で、時間を持て余しているユーザーばかりだから尚更です。


 翌朝に運営から『正式サービスの開始』という公式の告知が行われたことで、その信憑性は無視できないほどに増していきました。そして律法体の権限によって行われた“お告げ”の文面は、一介のEDENのユーザーとして不満や要望を持っているニラヤマの協力がなければ考えつけなかったものでした。


《しかし運営はユーザーと契約を結ぼう。これから我が幾度か行うお告げに従うことで、正式サービスの開始を乗り越えることができるのだ。もしも汝らが正しき心を持つ者や滅ぶべきでないと思う場所に出会えたのなら、彼らに我が存在を伝え広めよ》


 その場に居合わせたユーザーは、その後「ネームプレートが無かったんだって!セーフティ機能で他の人のアバターを強制非表示にしても虹色の箱は消えなかったし、あれはワールドが何か悪さをしてたんだよ」と自分のフレンドの友人限定フレオンで言って回ります。


「悪質なワールドとして通報した方がいいかな?自分もUDON毛刈りで虹色の羊毛が出るって嘘を信じて無駄な時間を使わされたし」

「もしかしたらワールドの内部数値にアクセスした不正なユーザーが居たのかも、でもそんなことやったら一発で通報モノだよ」


 様々な言説が飛び交いますが、それで非公開インスタンスに居たユーザー達が興味を持ったとしても、その『豆腐のお告げ』に立ち会うことはできないのです。


 今そこに居合わせた人以外には『インスタンスの壁』によって伝わらず、それを完全に記録する方法も存在しないVRという世界の中で泡沫のように消えていく一つの出来事でした。

 けれど、いつか再び『お告げ』を行うと預言して去った運営の使者の噂話は、かつて見たことがない存在との遭遇や新しい世界を求めてEDENに訪れた既存のユーザーが、面白半分にでも全体公開に足を運ぶ理由となっていくのでした。


 そして三者三様な混乱のインスタンスを渡り歩きながら、ニラヤマは「あっははは!!!」と笑い転げていました。もし、その様子を見てニラヤマの犯行を疑った人が居ても、むしろ調べれば調べるほどニラヤマはただの野次馬にしか見えません。


 それはニラヤマのアバターが機能面でも『何の変哲もない少女』であることだけが理由ではありませんでした。ニラヤマにUDON毛刈りのワールドの噂を聞いたのは他のフレンドを誘った各インスタンスの一人か二人だけで、その中の誰にとってもニラヤマは『会話で意気投合したことのあるワールド製作者』でしかないからです。


 些細なことでも楽しい経験を共有できた人のことを、悪く言ったり疑いを持ったりはしないものです。アパートの一室における豆腐との会話のように、相手や状況に応じて話題を選択することで気持ちに寄り添うことがニラヤマの話し方です。

 それは本人と会って話す以外で人物評を得る手段の少ないVRSNSにおいて、ニラヤマが誰にも警戒されず溶け込めていた一つの要因でした。それに人生や世界を左右されるほどでない付き合いにおいて、本性や主義主張などどうでもいいのです。


 人には様々な側面があると、ニラヤマは考えています。その中で相手ごとに似た模様の側面だけを強調できれば、誰とでも親しくなれる。相手との共通点を『自分の話』として振る知識と技術は、ニラヤマが現実世界から持ち込んだ財産でした。

 広く浅くの趣味と経験を積み重ね、風評世評ではなく自分の言葉でそれを語れる行動的なニラヤマ故の財産で、翻せば現実主義のニラヤマがVRSNSに訪れる理由とは『財産』である共感の手札を増やすためでしかないのです。


 そしてニラヤマの本性と呼べるものがあるとすれば、それは。


「虹色の羊って言ってたけど、別に大したことなかったな」と、お告げを終えてアパートの一室のワールドに戻ってきたニラヤマは、テーブルに植え付けられていた虹色のマテリアルを刈り取ってしまいます。


「……私は虹色の羊毛を見たかったわけじゃなくて、誰かが見たものを自分だけ見てないって事実が許せなかったんだろうな。なれなかった自分になることができて、生身の自分では行けなくなった場所に行くことができる、それだけがEDENを始める理由で良かったはずだったんですけどね」


 呟くニラヤマに、豆腐は一つの質問をします。


「何故、貴様は我から離れていこうとしないのだ?貴様と最初に会う前、普通の新規ユーザーのふりをして人混みに紛れたが誰にも話しかけられず、怪しまれないよう物腰を低くして話しかけても怪しい商売の勧誘と間違えて逃げられたのだ。もう沢山だと諦めるつもりで、最後のやけっぱちで貴様に偽りなく話しかけたのだぞ」


「自分では隠してる振りしてても気付かれてると思いますよ、その人間性というか……豆腐性?それに面倒な奴が追いかけてこないように、気付いてないふりして距離取るのは誰でも得意ですから」


 そうやって姿や演出を好きではないと言いつつも、どこの馬の骨ともつかない豆腐の話に付き合ってくれたニラヤマは数少ない例外でした。

 そして、ニラヤマは少し考え込んだ後に「豆腐ってさ、体育の時間に『ふたりぐみ作って』って言われたことあります?」と言いました。


「誰からもゲームに入れてもらえなかったら、誰も居ないバスケットコートインスタンスに一人ぼっちで居ることになる。かわいそうというかさ、自分がそういう仲間外れを作るのは、されて嫌だったことがあるからしたくないんですよね」

「ニラヤマ……話を聞いてみれば、貴様もたいがい面倒な奴だと思うぞ」


 ニラヤマがしんみりとした表情で語るのを見上げながら、地面に転がっていた豆腐は平坦なテンションで感想を言います。そしてニラヤマの中指トリガーで掴み上げられて、垂直上方にスナップを効かせた高速回転でぶん投げられました。


 ニラヤマは地面に墜落して「オッオ゛ェ……」と呻いている豆腐を容赦なくピックアップして、高速でシェイクしながら話しかけます。


「そうそう今のうちに、これからの関係を決めておかないとね。悪質なハッキングと間違われても困るし、当分は私のアクセサリーってことにしましょうか?」


 リアルタイムに色や模様を変化させるイヤリングみたいに、という要望によって豆腐はニラヤマの耳に位置を追従するようになりました。これなら他のユーザーが居るインスタンスでも、小声で喋ればニラヤマとだけ意思疎通できます。


「勝手に喋ったりとか、さっきみたいな目に優しくない演出したら奈落の外に放り捨てていきますからね」

「……仕方あるまい。貴様もたいがい変人だが、我にとって使い出がある変人だ」


 豆腐も今までの失敗から、ようやく学んできました。自分が運営の使者であると信じられていないなら、どれだけ派手なお告げをしても迷惑ユーザーとして通報されるか、良くても今回のように馬鹿騒ぎとして真に受けられないのが関の山です。

 なのでニラヤマ以外にも運営からの言葉を伝え広めることができるような、雄弁で交友関係の広いユーザーと契約していかなければなりません。まずはニラヤマの参加するインスタンスに取り入って、信徒の候補を見つける必要がありました。


「それで、私が言っていた『協力の条件』は覚えていますか?」

「運営ではなく我自身が今、貴様の言うことを一つだけ聞くという話だったな」


 ニラヤマは無条件で、豆腐の『最初のお告げ』を成し遂げるという使命に協力してくれたわけではありませんでした。


「我が能力で成し遂げられない願いを呑むことはできぬし、契約の際にどうしても叶えられない願いをされたなら、我の方から契約を取り下げることも可能だ。しかし願いを聞いた上で契約を続行するならば、我はその願いに従うしかないであろう」


「ええ。あんたがどちらを選ぼうと達成できる、私にとっては簡単なお願い事です」


 ニラヤマは豆腐を励ますように前置きをしてから、その願いの内容を言いました。


「私には、一つ滅ぼしたいコミュニティがあるんです。正式サービスの開始に備えられなくするのでも、私の『契約の箱』を使うのでも方法は問いませんけど、それを防がせないために許可したフレンド以外と契約しないことが私の“お願い”ですよ」

「正気か貴様!?そんな願い事を呑むとでも――」


 願いの意味を理解した豆腐は、思わず反論しようとします。


「今回みたいに荒らし同然の混乱を巻き起こす方法で知名度を上げたんだから、あんた一人で誰かと契約を結ぼうとしても、すぐにブロックされてアカウント凍結されるだけですよ」


 ニラヤマに言われて、豆腐は黙るしかありませんでした。最初からVR-EDENに詳しいニラヤマは、それを織り込み済みで『お告げ』の方法を立案していたのです。


「確かに、我とて貴様に呼び戻されなければ初心者としてEDENに馴染めず、使命を投げ出してこの世界を去っていたかもしれん。だからといって貴様がEDENのコミュニティを滅ぼしてしまえば、初心者たちが辿り着ける場所も減ってしまうのだぞ」


 豆腐の反論に、ニラヤマは「大丈夫ですよ。私が言っているのは初心者に行けるようなコミュニティじゃありません。その場所は、既存のユーザーの安住と引き換えに新規ユーザーを立ち入らせることのない、閉じた場所ですから」と言います。


「そこは、どんな場所であるというのだ?」


 ニラヤマは、豆腐が全く予想していなかった名前を答えます。


「その『カナン』という会員制のコミュニティは、本来なら存在すら口外してはいけない秘密主義で、とても現実らしいワールドの中に洗練されたアバターが集まる、きっと私にとって理想の景色を見せてくれる場所のはずだった。

 私はフレンドに教えられてそこに行こうとしたけど入会試験に落とされて、会員になれなかったから滅ぼすしかないんです」


 豆腐は絶望しました。

 ただ一人契約できた相手がニラヤマであった時点で、アキラが友人と約束した場所である『カナン』の滅びは避けられないものになっていたのです。


「それに私の『契約の箱』は、箱型のあんたを一時的にでも機能停止させられる。どちらを選ぼうと、私の認めたユーザー以外と契約を結ぶことは不可能だと思ってくださいね」

「そもそも何故、わざわざ貴様にとっての理想に近しい場所だけを滅ぼそうと言うのだ!貴様のエゴの、せめてもの罪悪感のつもりか?」


 食い下がる豆腐に、ニラヤマは「まさか!」と笑います。


「本当に正式サービスが開始されると知っている私たちは、古くから続いている“カナン”というコミュニティから散らばった技術を持った人たちを、自分たちの場所に取り込むために誰よりも早く動けますよね?

 彼らという資材アセットを使えば、私はもっと現実らしいワールドを作って沢山の人を呼べるようになるじゃないですか。それに一つのコミュニティが見せしめに滅ぼされたら、他の閉鎖的なコミュニティも考えを改めようとするでしょう?」


 豆腐はその言葉を聞いて、ニラヤマについて何を誤解していたのか悟ります。


 好みは違えどニラヤマもVR-EDENという場所が大切で、正式サービスに際して居場所が一掃されることを防ぐために豆腐を呼び戻したのだと思っていました。

 ですが見つけることができない虹色の羊毛を探し続けるくらいなら、他の人も見ることができないようにワールドごと滅ぼしてしまっても構わないような思考の持ち主がニラヤマでした。


「しかしお前が、その『カナン』の代わりを維持し続けられるとでもいうのか」

「長く運営するつもりはないですよ。私の魂に等しい景色を否定した『カナン』という集まりを再構築して、その価値体系が虹色の羊毛と同じように大したことがないものだと確かめられたら良い。その後なんて私の知ったことではないんです」


 ニラヤマが豆腐を呼び戻したのも“カナン”の滅びを協力の対価に願ったのも、一貫して自分の行くことができない場所にある楽しいこと、自分が見たことのないものを誰かが当たり前に見ているという疎外感、そして自分をある枠組みにおいて否定した集団に自分の方からは評価を下すことができない不均衡を憎んでいたからでした。


――豆腐が運営から託された使命は、実はもう一つありました。


 私利私欲のために害を為したり、将来的にEDENが滅ぼすような機能を持った『契約の箱』のことを運営は『災厄』と呼んで、それを起こしかねない持ち主を見つけて対策するようにと豆腐に告げていたのです。


 私利私欲のために『カナン』を破壊しようとするニラヤマを最初に見つけておけたのは幸運でしたが、一方でニラヤマの願いを他の契約したユーザーに明かして助けを求めることも難しくなっていました。


 下手にニラヤマ以外に助けを求めれば、与太話を吹っ掛ける迷惑ユーザーとして距離を取られた上で、ニラヤマに放り捨てられるという最悪の事態が待っています。

 あと数人のユーザーからブロックされるだけで、豆腐のアカウントは凍結されてしまうのですから。


「そうと決まれば、願いを叶えてもらうためにも正式サービスの告知を手伝わないといけませんね。カナン以外の場所まで一緒に滅んでしまっては、私の手でコミュニティを創り直すような余地がありませんから」


 そしてニラヤマは参加しているユーザーの誰かとフレンドであれば入ることができる友人交流フレプラのインスタンスに移動する楕円形のポータルを呼び出します。

 豆腐がそこに行くこともフレンドに参加するニラヤマと契約相手フレンドになったから可能なことで、この危険な願いの持ち主と安易に手を切ることができない理由の一つでした。


 いつになく元気そうなニラヤマに、豆腐は「……それで、これから行くのは何の集まりだ?お前がジョインを選んだのは、何をしているユーザーなのだ」と質問します。

 ニラヤマが契約通りEDENに起こる災厄を止めて、対価として“カナン”を滅びるがままにするにせよ、豆腐がそれ以外の相手と契約してニラヤマの願いを阻止するにせよ、最後の災厄が訪れてEDENの全てを一掃するまでに残された期間は一週間しかないのです。


「うーん、強いて言うなら『何もしてない人』かな?多分これから行くインスタンスも、何もしないで集まってるだけだと思うよ」


 ワールド移動の際のヴン!とそれっぽい感じのテレポート音の前に、ニラヤマは豆腐の問いかけに答えました。


 別に仮想現実に居るユーザーの誰もが、ワールドやアバターを創っているわけではありません。何かを創れるわけでも独自のアイデアを提供できるわけでなくとも、ユーザー同士で集まれることがVR-EDENのSNSとしての役割です。

 

 そしてニラヤマは、豆腐がちやほやされるようなインスタンスに行ってやる気など毛頭ありませんでした。


 ですが、ニラヤマの思惑を読み取った豆腐は不敵に笑ってみせます。


「案ずることは無い。預言者にとって祭司は欠かせぬ存在だ」


 ニラヤマもまた、忘れていることがありました。

 

 悲しかったり不快だった出来事を公に報告することが“お気持ち表明”と揶揄されるようになった時代で、しかし誰もがニラヤマのように歯に衣着せぬ物言いで、遠慮のない行動を取れるわけではありません。


 そして人が“奇跡”を信じるのは技術力の高さや見た目で圧倒されたからではなく、自らがどうすることもできない苦しみや悲しみの中で、救い出してくれる存在を心から求めているからなのです。

 ニラヤマの知らないアキラという人間はEDENに訪れる前から、そういった祈りと信仰について、ずっと考え続けてきた人間なのでした。

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