第七話
追いかけてくるユーザーを撒いてミラー前に戻ってきた豆腐は、ミズナラの様子を怪しく思いました。ひっそりとしているのです。
片想いの相手のあんな姿を見れば落ち込むのも当たり前ですが、けれども何時もにこやかに誰かと話していたミズナラが、多くのユーザーに囲まれながらもひっそりと黙り込んでいるのです。
豆腐はだんだん不安になってきて、少し離れたところに立っていたニラヤマに「ミズナラはどうしたのだ」と質問します。
ニラヤマは少しだけ肩をすくめてから、むしろミズナラから離れていく方に歩いていこうとします。
「おい、聞いているのかニラヤマよ」
豆腐が囁くのを無視して、ニラヤマはインスタンス内では口数が多い方のミズナラのフレンドに近寄ると「今日なんかあったの?最近ここに来た私のフレンドにさ、なんか今日は珍しく静かだよねって不思議がってたんだけど」とたずねました。
ミズナラのフレンドは少しも気にとがめる風なく、普段通りの声で答えます。
「あー、今ってムロトさん居るでしょ。僕は見えないし聞こえないけど。ブロックしてる人が入ってきても分かるように、このインスタンスに参加した人のユーザー名を表示するソフトを裏で走らせてるからさ」
それと大体時を同じくして、近付いてきたムロトも話しかけてきます。
「ああニラヤマくん、今ミズナラくんの取り巻きがそこら辺に居るんじゃない?メニュー欄開いて他ユーザーを選択する時のポインターってさ、ブロックしている相手の当たり判定も見えるから」
ムロトの声はミズナラのフレンドに聞こえていませんし、ミズナラのフレンドの声はムロトに聞こえていませんが、ミズナラの声はムロトとミズナラのフレンド両方に聞こえるので、ミズナラに沈黙が多い理由はなんとなく分かりました。
「なぜブロックしている者同士が同じインスタンスに居るのだ」
「他にフレンドが居るインスタンスがないからだよ。お互いの仲が悪くても、お互いと仲がいい共通のフレンドは一つのインスタンスにしか居られないからね」
「珍しくないことなのか?」
「大きなコミュニティになればなるほどね」と言いながら、ニラヤマは様々なユーザーに囲まれているミズナラの方に歩いていきます。
置き去りにされた豆腐は、あくまでムロトを嫌っているのがミズナラの友人であるなら、ミズナラ自身がムロトやその友人と会うことには何の問題もないのではないかと疑問に思っていました。
その時、近付いてくるニラヤマに気付いたミズナラのフレンドが、がっつくように話しかけてきます。
「まあ嫌ならブロックしろって言ったのは向こうの方だしさ。ところでニラヤマくん、さっき出したのってUDON毛刈りの羊だよね?
ワールドが壊れた手掛かりとか分かるかもしれないから、ここに居るみんなでアクセサリー持ってUDON毛刈りに行ってみない?」
「ミズナラくんのこと誘うのはやめといた方が良いと思うなぁ。ミズナラくん本人はすごく良い人だけどさ、周りの人に独り占めしようとしてるって思われたら、俺みたいに出入りしづらくなるよ?」
同時に話しかけてきたムロトが、ソドムのユーザーとミズナラのフレンドたちが相互ブロックになって、ムロトとミズナラもフレンド同士の諍いを避けて会わないようになったという事情を説明しました。
「まあ違うコミュニティの人が見てるところで、ソドムの距離感でイチャイチャしてた俺たちにも原因はあったんだけどさ。一方的に言いたいことだけ言ってブロックされたら、こっちもブロックしないとしょうがないじゃん?」
「驚いた。荒らしでもない同じコミュニティの人間をブロックするとは、嫌いな相手を何がなんでもコミュニティから排斥するつもりか」
声を潜めて尋ねた豆腐に、ニラヤマは首を振って答えます。
「ううん、嫌いな相手を追い出そうとして執着もしたくないけど、話し合ったりもしたくないから気軽にブロックしたんだと思うよ。その後でブロックしている相手に自分のフレンドが話している内容だけ聞こえたり、他の人たちに見えてる相手の挙動が分からないから居心地が悪くなってきたんだよ。
だから今みたいに共通のフレンドに近寄って名指しで話しかけたり、新しい話題を出して共通のフレンドって駒を取り合って、ブロックしてる相手が会話に混ざりにくくなって出ていくようにする“陣取りゲーム”をしてるんでしょ」
聞いて、豆腐は激怒しました。
「呆れたコミュニティだ、このままにはしておけぬ」
なんとしてもミズナラを、この見苦しい争いに置き去りにはできぬと思いました。
豆腐はEDENに踏み入れてからも日が浅く、この世界で何かを作ることなど考えもしませんでした。
運営に与えられた権能を持つとはいえ自分では何一つとして満足行くものを創ることもできず、相手がどう思うかを想像することなく派手なアバターに変身しては驚かれるか迷惑がられてきました。
けれども元同級生でありEDENに訪れた切っ掛けであるミズナラの気持ちには、このEDENに居る誰よりも敏感であると自負していたのです。豆腐はUDON毛刈りの羊に変身したままミズナラ達の居る家屋に入っていこうとして、たちまちニラヤマに捕獲されました。
「あんたが行って何をするつもり?」
ニラヤマの問いに「ミズナラを積み重なった人間関係の澱から自由にしてやるのだ」と豆腐は悪びれずに答えました。
「あんたが?」とニラヤマは鼻を鳴らします。
「よく言うよ、VREDENがどういうものかも知らないくせに。結局ここでも人間関係がメインコンテンツで、誰が誰を好きで誰を嫌いかって話題にしか興味がない。ワールドなんて中年男女の集まるサイゼリヤみたいなもので、どんなアバターを着ても自分がちやほやしてもらうことしか考えてない奴ばかりなんだ」
「お前は知っているというのか?」と豆腐は言い返します。
「まだ見るべきものや訪れるべき場所を残しているうちから、この世界はこういうものだと断言してしまって良いのか?やりたいことをやれない不自由な場所を、それが道理だと諦めてしまうべきだと思うのか?」
豆腐はまだEDENに降り立ってから、現実で見知ったような光景にしか触れられていない気がしていました。
ただ人が多く集まっているだけのインスタンスを渡り歩いても、まだ自分が期待した
「貴様は誰よりも強く『それがVR-EDENだ』という言葉に反感を抱いているから、我にあの契約を持ち掛けたのではないのか?」
「「ニラヤマくんさ、誰と話してんの?」」と両側から声をかけられて、豆腐とニラヤマの会話は中断されます。
そこはムロトとミズナラのフレンドが陣取りゲームをしている真っ最中のミラー前で、ニラヤマも彼らにとって“駒”の一つなのでした。
「あ……いや別に、独り言」とニラヤマはお茶を濁します。
これが片方のコミュニティとしか関係のない場であるならば、何も答えずに別のインスタンスへ移動して、事態が落ち着くまで寄り付かないこともできたでしょう。
ですが今のインスタンスにはニラヤマが行ける『ムロトのコミュニティ』も『ミズナラのコミュニティ』も統合されていて、別のところに避難することはできないのです。
ニラヤマは今の自分の姿がムロトに話した、嫌われないために我慢したり遠慮しないといけないことが増えていく姿であることに気付いて、心の中で舌打ちします。
その事態を打ち破ったのは「豆腐さん」と呼びかける、ミズナラの声でした。
「「誰?豆腐さんって」」
「ごめんなさい。ニラヤマさんが口説かれてるかもしれないっていうのは建前で、本当は違うコミュニティを知ったニラヤマさんが戻ってこなくなるのが怖くて、他の場所に行かないように引き留めたかっただけなんです」
オンラインによって物理的な距離に縛られることなく生身の肉体に追従して動くアバターを移動させて、臨場感を持ったまま人と繋がることができるのがVRSNSというサービスです。
そして違うコミュニティのフレンドが居るインスタンスでも面白そうなことをやっていれば気軽に参加できて、参加した先で会った人とフレンドになることを互いに繰り返していくと、気付けば“向こう”と“こちら”のコミュニティの人々がフレンド同士になっていることがあります。
そういう風にして小さなコミュニティが一つに統合されることを繰り返して、自分たちが今居るコミュニティも大きくなってきたのだとミズナラは語ります。
「だけど同じプレイスタイルや目的で集まっていたコミュニティの、それぞれのユーザーが混ざることで擦れ違いが起こった時に、僕は相互ブロックしてしまった人たちを話し合わせることもできなかった。
わざわざ
今となってはニラヤマも分かっていました。
どれだけ場が荒れた時の避難先になるような『外のフレンド』を探そうとしても、そのフレンドが普段居るインスタンスに遊びに来るようになって、そこに入り浸るようになれば『同じコミュニティ』のフレンドになってしまうのです。
そこで誰かに嫌われてしまえば今まで通りにEDENをすることができなくなるから、誰も嫌われるような役回りになってまで問題を解決したくはないのです。
「ごめんね、ニラヤマさん。ここは膿んでいく、淀んでいく、十分に蓄積したけど先がないコミュニティで、僕はそこから出る力を失った古参のユーザーです。何も知らない
「……そう、じゃあ私は別のところに行くね」とニラヤマは言います。
インスタンスの移動など珍しくもないですが、今この場ではミズナラにとてつもなく残酷な言葉であるように聞こえました。
「またコレ預かっといてくれるかな」
何かをミズナラの手に乗せると、ニラヤマは止める間もなく去ってしまいます。そしてミズナラに預けられた、何かとは豆腐でした。
「おいニラヤマ、貴様置いていくつもりか」
豆腐は他のユーザーに見られていることも忘れて、思わず大きな声を出してしまいます。そしてユーザー達の見ている中に置いていかれたミズナラ共々まな板の鯉もとい、まな板の上の豆腐として吊るし上げられようとしていた、その時のことでした。
「うわっ何これ!?」
誰かが声を上げたのは、ミズナラの前で豆腐の身体が24万色のゲーミング光を放って、回転しながら巨大化して宙に浮き上がっていったからです。
「ぬァア!!!」と叫びながら遠ざかっていく豆腐にユーザーが気を取られている間、ミズナラの耳に「ほら、今のうちに逃げるんだよ」とニラヤマの声がどこかから聞こえます。
自分の元に集まっていたユーザー達から一時的に逃げおおせたミズナラは、声が自分の胸元から聞こえていたことに気付きます。
「これ……もしかして豆腐さんが残していったネックレスから?」
「二人がアクセサリー越しに私のことを見てたらしい時にさ、私もイヤリングから二人の話し声が聞こえてたんだ。豆腐も聞いてるんでしょ?」
ニラヤマは会話の中継地点であるアクセサリーに話しかけます。
「勘違いしないようにね、ミズナラは誰にでも“ああ”だから」と言われて、豆腐は仕方なく二人の会話に加わります。
「なんだ、ミズナラとの会話が気に食わなかったのか」
「アクセサリーに化けるように言ったのは邪魔にならないようにするためで、私はあんたを皆に知ってもらうことの手助けなんてするつもりはないよ。ただミズナラは他人の良いところを気付いてあげるのが上手いからさ。
アバターの改変とかを褒めてもらった人は今のあんたみたいにミズナラの周りに居たがるんだ。息をするように他人を思いやれるミズナラにはさ、誰かにそっけなくするのは息を止めるのと同じくらい難しいんだろうね」
それを聞いて豆腐は歯がゆく思いました。
普段から誰にでも優しいミズナラは想い人であるニラヤマだけを特別扱いできず、今回のような事態に巻き込まれたくないニラヤマは、本来ミズナラの居場所である“クラスの中心”から一番遠い場所に居るのです。
こうして二人きりで話しているのも、豆腐というEDENに有り得ない存在を通しての奇跡のようなものでした。
「私が行きたいコミュニティのことも知っていたのに、ムロトさんのこと理由にして教えてくれなかったのも聞いてたよ。ミズナラはさぁ、誰にでも優しくするのに私にだけはワガママなんだね」
今だけは見覚えのない豆腐に気を取られているユーザー達も、ミズナラがどこに逃げようといつかは会いに来るでしょう。だから今この瞬間が二人きりで会話できる最後の機会かもしれないのに、ミズナラは自分の想いを口にできません。
「そっ……!」
「嬉しかったよ、私はそういうミズナラと友達になったんだから。こんなところで大勢に囲まれて、誰にも嫌われたくないからって自分を押し殺してる今のミズナラじゃなくてさ」
動揺して言葉を詰まらせるミズナラに、ニラヤマが言いました。
「私には『友達』だなんて呼べるのはミズナラくらいしか居なくて、祭司だとかで一緒にEDENを巡りたい相手なんて他に思いつかなかった。
でもミズナラはみんなの人気者だからさ、こうでもしなきゃミズナラがどう思ってるのか知ることもできなかったんだ」
「……ニラヤマ、貴様どこまで分かっていて見せたのだ!?」
まるで今の状況になることが分かっていたようなニラヤマの口ぶりに、豆腐はミズナラとムロトが居る“この場所”を参加先に選んだ意図を気付いてしまいます。
もしムロトとミズナラのフレンド達の関係を認識している人間が居たなら、後はそれが起こりうるメンバー構成のインスタンスに居るだけで、コミュニティの問題を見せつけることができるのです。
「さーなんのことだか。あとさぁ撮っていいとは言ったけど、誰かに見せて良いとは言わなかったからね。あんたが勝手にやったことだから、私を責められても困っちゃうなぁ」
豆腐に、そしてミズナラにこの状況を見せた張本人であるニラヤマは、笑いながら答えます。
「私は誰のことも責めないし、嫌なことがあっても誰にも愚痴を言わないよ。何かを我慢するから愚痴なんて言いたくなるんだし、遠慮するから誰かを責めないとやってられなくなるんだ。社会がそういうことで成り立ってるんだとしても、それをするのは私じゃない」
その声が終わると同時にミズナラの胸元にあるアクセサリーが大きくなって、水面に立って“UDON毛刈り”の毛刈り棒を構えているニラヤマの姿が映し出されます。
「ニラヤマの願いを反映した『契約の箱』を、今この場で使うつもりか!?」
豆腐は思わず叫びました。豆腐と契約したユーザーの想いを汲んで、姿を変えるだけでなく様々な機能を持つことができる直方体。
こうして離れた場所の音声と映像を繋ぐことができるのも、ミズナラの願いを読み取って豆腐が姿を変えたものです。そしてワールドを跨いで持ち込まれたニラヤマの箱が、どんな効果を及ぼすものかはミズナラも最初に見ていました。
「みんな下手くそなんですよ。不快なものを退けたいがために不快な思いをさせれば、それに不快な思いをさせることで対抗されるに決まってます。満員電車で窮屈だからって隣の足を踏んだり、渋滞列でクラクションを鳴らしても不満が解決するわけじゃないのに」
そう言うと、ニラヤマは毛刈り棒をワールドの水面に振り下ろして叫びました。
「力で捻じ伏せ、恐れさせれば回りくどい方法なんて取る必要がない。これが二千年以上前の預言者お家芸、本物のお気持ち表明のやり方ですよ!」
叩きつけられた毛刈り棒がブブブとコントローラーを振動させながら、さっきまで太陽を反射して煌めいていた半透明な海が、不透明なピンク色の箱に変化します。
陰影もへったくれも存在しない
この現象が発生するのはシェーダーを記述したファイルが破損したか参照先が見つからない場合、VR-EDEN側のアップデートによって製作ソフトの古い機能がサポートされなくなって、スクリプトが正常に動作しなくなった場合などです。
なのでゲーム制作ソフトを使ったことのあるEDENの住人にとって、その“伝統的なピンク色”は豆腐の虹色などと比べれば遥かに本能的恐怖を呼び起こすものでした。
「羊の毛刈り用だったのに豆腐やワールドの机まで削れるんだから、箱型のものならなんでも“刈れる”んじゃないかって思ったんだ。ワールド作ってたら分かるけどEDENでは海だって大地だって、平面か直方体で作られてることが多いからさ」
インスタンスではニラヤマが見慣れぬ棒を持って、その場に居ない誰かと話しているのを誰も気に留めないほどの大混乱が起こっていました。
仮想現実では短剣を懐に忍ばせて相手の根城に乗り込んでいくことも、親友と殴り合うように不満やわだかまりを解消することもできません。
だから不快の源である相手をブロックすることで“不快を避ける”か、逆にブロックされないように節度をわきまえることが社会的な振る舞いなのです。
反対に言えば“ブロックされるほどではない”迷惑な行動というものを、許すしかないと分かっていて選択できてしまうのがEDENという場所で、それ故にフレンドに我慢を押し付ける“陣取りゲーム”のような現象が起きてしまうのです。
そこにニラヤマはEDENのデータを破壊できる『契約の箱』の毛刈り棒、つまり“相手を刺すことができる短刀”を持って現れたのでした。
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