第六話

 ニラヤマは屋内のミラー前に集まっている人から死角になる、木造住宅の裏手で「ふぇ゛っくし!!」とくしゃみをします。

 それは少し時間をさかのぼって、ちょうどミズナラが豆腐に片想いを明かした時のことでした。「大丈夫、風邪でもひいた?」とニラヤマに尋ねた声の主は珍しく中性的なアバターで、それ以外のユーザーはニラヤマの周りに居ませんでした。


 大勢が集まるインスタンスで人目をはばかるのは、内緒話でなくとも全員には聞かれたくないような話をしたい時や、そのインスタンスに居るのを誰かに見られると不味い人など、そう種類は多くありません。

 ニラヤマは「あーごめんねムロトさん、マイク切るの間に合わなかった。ちょっとリアルの部屋が埃っぽくて」と答えます。


「そうそうニラヤマくんが作ってるワールドさ、他の人と行ってきたんだけど中々治安の悪そうな雰囲気で良かったよ。その時ちょうど“ソドム”の人たちのフレオンで集まってたから、ニラヤマくんと会った時のこと話して趣味が合う人なんだって紹介しておいたよ」


 ムロトはそう言いながら、ニラヤマの顔に手を沿えてきます。


「えー嬉しいけど、集まってるところ見たかったな」


 ニラヤマの方はムロトの顔をなおざりに触れ返しながらも、触れられている手から逃げようとはしませんでした。ムロトのコミュニティでは顔が触れるくらいの距離で、スキンシップを取りながら会話するのが普通なのだろうと思ったからです。

 ソドムこと『須藤’s room』は豆腐が言うところの“性行為の真似事”をする人たちが集まるコミュニティで、ニラヤマはそこの有名人であるムロトと個人的なフレンドなのでした。


「ニラヤマくんと全体公開インスタンスで初めて会った時、現実に存在するかもしれないものをEDENの中に探してるって話してたからさ。

 僕も“友達として好きな相手と寝る女”に現実では会えなかったけど、この場所なら自分がそれになれるって理由でEDENやってるからさ。その話でお互いすごく盛り上がったんだよね」

「いやー、あの日はついてましたね。偶然ジョインした先でムロトさんと会えるなんて」


 これは嘘でした。実のところを言えばニラヤマは “そういうコミュニティ”のユーザーを知らないかと共通の友人に聞き込みをして、実際に出会う前からムロトのことを知っていたのでした。

 そして他のSNS上でのムロトの呟きから互いに共感できそうな趣味や考え方がないか探して、いつEDENの中で出会ったとしても上手く話せるように準備していたのです。

 そして今日ニラヤマがこの場所をジョイン先に選んだのもミズナラだけでなく、自分のフレンドでないユーザーの友人限定から滅多に出てこないムロトを発見したからでした。


「でもさあ、なんでニラヤマくんはソドムうちに来たいの?」


 ニラヤマの眼を覗き込むようにして、ムロトが尋ねます。


「バーチャルだろうが同性だろうが、ヤってることに変わりはないしさ。ニラヤマくんが向こうで“そういうこと”した相手を好きになったり、一方的に好かれて付きまとわれたりしてメンタル病んじゃわないか心配だなぁ。そういう人もソドムだと割と多いから」

「あっ、それは大丈夫だと思いますよ」


 ニラヤマは何から話そうかと思案するように、ムロトに触れ返す手の動きを止めます。


「言っちゃなんですけど、そういうのは他に行ける場所がない人の話じゃないですか。色恋沙汰とかで会いづらい人ができて顔を出しづらくなったなら、コトが落ち着くまで別のコミュニティで遊んでいればいい。

 それができないのは一緒に楽しいことを探したり悩みを聞いてもらえるフレンドや、恋愛の相手を一つの場所でしか探そうとしなかったからでしょ。誰か一人に嫌われただけで今まで通りの生活ができなくなるから、嫌われないために我慢したり遠慮しないといけないことが増えていくんですよ。そういう意味では、あーまあ」


 ニラヤマは声が届く範囲に、他のユーザーが居ないことを確認してから続けました。


「ここに居る人たちだって似たようなもんですよ。同じワールドに同じユーザーで毎日毎日集まって何してるかって、皆で同じ場所に居続ける口実みたいな動画を流しているだけでさ。ワールドもアバターも見てないならVRの必要あります?」


 豆腐にはしたり顔で『人々の声』の実情について話してみせたニラヤマですが、豆腐の言ったような一線を越えた行為を実際に見たことはありませんでした。

 ニラヤマがEDENを始めて最初に訪れたのはミズナラのコミュニティで、その友達を辿っていっても毎日同じワールドに集まって、同じメンバーで過ごしていることがほとんどでした。


 だからムロトという今までのフレンドと接点の少ないユーザーが居るインスタンスは、いつもと違うEDENに訪れるようで新鮮でした。

 ですが本当に“そういうこと”が行われている場所に足を踏み入れて、何もせずに見学だけして帰ることが可能であるか考えたことはなかったのです。


「ふふ、やっぱニラヤマくんは面白いねー」

「えー?まあ楽しんでもらえるなら何よりですけど。だから……まあ、私は別にどんなコミュニティでも問題ないんですよ。ここ以外のどこかに行く先を増やせるなら」


 ムロトはおもむろに顔を近付けると、ヂュルっと音を立ててニラヤマの口の中を吸いました。ニラヤマは「ほああっ!」と叫びそうになって、辛うじてこらえます。


 なにせ自分の動きをトラッキングしたアバターに唇を重ねる美少女が居て、実際に舌を絡める音が耳元から聞こえてくるのなら、現実と比べて足りない口の中を吸われる感触くらいは想像力で補完できるものです。


「ニラヤマくん。ちょっと口をすぼめて唾を溜めてから、舌を突き出しながら吸うんだよ」


 どう反応すれば良いか分からず固まっているニラヤマに、顔を離したムロトが優しくVR越しのキスの仕方を教えます。

 ムロトの声と言葉に導かれるようにして、ニラヤマは再び顔を近付けられた時にヂュッと慣れないキスを返しました。


「うわ……初めてやったんですけど、これちょっと」


 戸惑いながらも何度かキスを重ねて、顔を離したニラヤマは口元を手で覆いました。


 アバター同士で撫で合ったりするスキンシップが気軽に行われるEDENですが、音を立てるキスはより親密な相手と閉じた場所でする“次”の行為です。

 コミュニティによっては実際に“そういうこと”をしない相手ともキスをすることはありますが、少なくとも“そういう目”で見ていない相手に対してキスはしないものです。


 ニラヤマは確かに女性アバターを使って、それが自分にとって一番好みの姿になるように改変を重ねてきましたが、誰かから自分のことを可愛いと思われたり、そういう対象として見られるとは思ってもいなかったのでした。


「ニラヤマくん、VRでエッチする方法も教えてあげようか?自分で言うのもなんだけど結構上手いと思うしさ、ソドムに行く前に覚えといた方が良いでしょ」

「いいですよそんな、ムロトさん他にも相手居るでしょ?向こうソドムのこと分かんないですけど、ちゃんとボイチェンで女の子みたいな声作ってフルトラで可愛い動きもできるような」

とまで言ったところで、ムロトがまた顔を近付けてきたのでニラヤマは口を閉じてしまいます。


「俺さぁ本当は、ニラヤマくんみたいな子が好みなんだよね。可愛い女の子のロールプレイすることなんて考えなくても、自分の好きなものに一生懸命なところとか可愛いと思うしさ。エッチなことなんてさ、一緒に遊んだり話したりの延長で気楽にすれば良いんだよ」


 それは一度きりの身体の関係を求めるナンパ男のような言い分でしたが、ニラヤマにとってムロトはどういう目的であろうと素のままの自分を求めてくれた初めての相手で、自分が知らない世界を教えてくれる非日常の住人でもあるのです。

 このままムロトの言う通りにしていればもっと“可愛い”と言ってもらえると思うと、ニラヤマは断り切れずにナンパ男に落とされてしまう異性の気持ちをなんとなく理解しました。


 そしてムロトが「大丈夫だよー?今日はここまでだからさ」と言って顔を離してくれた時、ニラヤマは思わず安心すると同時に少しがっかりしたのでした。


「友達のままで居ようってわけではないんですね、っていうか何人くらいに同じセリフ言ってるんですか?」


 ニラヤマの照れ隠しに、ムロトは「一週間で四、五人くらいかな」と答えます。


「えっ、一週間で?」


 聞き返すニラヤマに答えず、ムロトは「ニラヤマくんの好きって言っても、すぐにはオチないところも好きだよ」と悪びれもなく言いました。


「まあ……良かったですよ。さっき言ったけどムロトさんは私がいつも居るコミュニティと接点の少ない、貴重な話し相手ですから。他のことまで一緒にやろうとして、失敗した時に話し相手まで失っちゃうのは嫌なんですよね」


 そしてニラヤマの言葉に何かを思案していたムロトは、なにげない風に「あー、それならさ……」と一つの提案をしたのです。



「それで、ニラヤマよ。貴様の自室ワールドを友人交流フレプラインスタンスで開いて、そこに別のコミュニティの者たちを招待するだと?」


 家屋のミラー前で豆腐はミズナラの胸元から取り外されて、戻ってきたニラヤマに受け取られながら「で、録画機能とやらはどうだった?」と聞かれます。


「我が分体の視界を共有するというよりは、平板な写真を撮影していたようなものだな。あれでは隠しカメラのような臨場感しか得られぬ」


 無口になったミズナラを気にしながらも、豆腐はニラヤマにそう答えました。


「まあそれでさ、見てたんなら話は早いかな。これから別のインスタンスに移動するんだけど、ミズナラも一緒に来ない?」


 豆腐は、何かを言おうとして躊躇っているミズナラの方を見ていました。

 好きだとさえ言わなければ同性の友達のままで居られるのだと、想いを自分の中に呑み込んでさえいれば全て丸く収まるのだと、ミズナラは今まで自分に納得させていたのでしょう。

 ですが豆腐が『契約の箱』を使ってミズナラに見せてしまったのは、彼女――彼が諦めた場所に当たり前のように踏み入っていく人間の姿だったのです。


「僕は――」とミズナラが口を開いた時、ミラー前に集まっていたユーザーの一人が豆腐を指して「そのアクセサリー良いね、誰かからのプレゼント?」と言ったので、ミズナラは続きを言うことができませんでした。


 ニラヤマは物言わぬアクセサリーのふりをした豆腐の方を見て、一度頷いてから「このアクセサリーを持ってさ、ちょっと床に投げてくれない?」と話しかけてきたユーザーに豆腐を渡します。


「あれ、誰でも持てるってことはワールドのオブジェクト?」と言いながらユーザーが豆腐のアクセサリーを地面に置くと、それはUDON毛刈りの羊に変化してミラーの周りを歩き始めたのです。

「なんかアクセサリーが羊に変身した!?」

「誰かのアバター芸じゃないの」と、アクセサリーを見に来ていた数人のユーザーも羊を追いかけていきます。


 羊に変身している豆腐は「……仕方あるまい、後でニラヤマには我が“しるし”を崇めさせてやる」とマイクオフで呟いて、元の場所にはニラヤマとミズナラだけが残っていました。

「ねえニラヤマさん、今度行くのはどんな場所なんすか?」


と、先に口を開いたのはミズナラでした。


「ん?んー、行くところは私の自室ワールドなんだけどね。別のコミュニティの知り合いが、友人交流インスタンスで自分のフレンドを呼んでくれるんだって」


 ニラヤマが説明したムロトの提案とは、こういうものでした。

 たとえムロトに紹介してもらって“ソドム”のインスタンスに行けるようになったとしても、最初のコミュニティと繋がりを維持したまま新しいコミュニティに馴染んでいくことは簡単ではありません。

 コミュニティによって距離感やEDENの遊び方といった『当たり前』の部分が大きく違ったり、掛け持ちしているコミュニティが増えた分それぞれの場所での滞在時間は減っていきます。も

 しも現実と同じように一緒に過ごした時間でだけ仲が深まるとしたら、掛け持ちしている場所が広がるほどに相手との関係は浅くなっていくでしょう。


 しかしEDENで『何かを作っている人』なら、それぞれのコミュニティの人たちに自分の作品を使ってもらうことで、それぞれの場所で何もせずに過ごしている時よりも自分の名前や存在を覚えてもらいやすくなるのです。

 それが“自分たちの集まるワールド”の作者であるのならば尚更でした。


「それで向こうのコミュニティの人たちを招待する代わりに、こっちで私よりも後にEDENを始めた人を誘って欲しいって頼まれたんだけどさ。

 それならフレンドが少ない私が誘うよりもミズナラに来てもらえば、ミズナラの居るインスタンスに新規ユーザーも勝手に集まってくるでしょ。ちょうど豆腐のEDENを見定める“使命”とやらにも使えるし」


 実のところ、ニラヤマはムロトの魂胆を知っていました。


 最初からVRの性行為を目的として集まる“ソドム”のようなコミュニティでは、ボイスチェンジャーから始まり身も心も異性のロールプレイに染まり切ってしまったり、最初から男に抱かれるために可愛らしい美少女の皮を被っているような筋金入りの“メス堕ち”のユーザーが多くなってくる宿命にあります。

 だからムロトがVRに求める“性的に寝れる美少女のオタク友達”の中にある同性間の気安さや、共通する趣味の話題で盛り上がれるオタク友達の部分が失われないような繋がりを、この場所と“ソドム”の間に作りたい。

 そのために誰かの作った非公開ワールドに集まるという表向きの口実で、互いのフレンドを集めようとしているのだと。


 ニラヤマがその魂胆に気付いたのは、ムロトの「居るんじゃない?本当はそういうこと目当てでEDENを始めたのに、案内してくれた人のインスタンスはいつも鏡や動画プレイヤーを見てばかり。他のSNSやEDENの広告で出てたみたいな刺激的な体験は、一体どこに行ったら見れるんだって思ってる人もさ」という提案の言葉からでした。

 だから誰にとっても損のない話だとムロトが言っていることを信じたわけではなく、そもそもニラヤマがその提案に乗ったのは別に新規ユーザーのことを考えてではありませんでした。


「本当のところはさ、ミズナラと一緒にここ以外の場所を見て回りたいんだよ。ミズナラは話すのが上手くてリアクションも面白いから、ミズナラが居るインスタンスだって理由だけで色んな人が参加してきて、気付いたら溜まり場みたいになってることが多いでしょ?」


 例えるならVR機器というのはEDENという賑やかな街に連れて行ってくれる、交通機関のようなものだとニラヤマは豆腐に説明しました。

 別にやりたいことがない日でもHMDを被ってEDENに行けば、毎日どこかで面白そうなことをやっているのです。だから楽しいことを求めて大勢の人が集まって、時にはミズナラや豆腐のような珍妙なやつと出会うこともあります。

 ですが多くのユーザーは本当の街と同じように、知り合いが増えてくると気が合うかも分からない赤の他人とわざわざ会いに行くよりも、一緒に過ごしていて楽しい知り合いの場所に集まるようになっていくのです。


 なにせ現実みたいに友達と待ち合せたりしなくても、同じフレンドに『参加』するだけで普段のメンバーで集うことができるのですから。


「……じゃあ最近、僕の居るインスタンスに来てなかったのは、僕の周りに集まってる人だかりが苦手だったからで、そこ以外で会いたいから別のコミュニティに誘ってくれてるってことですか?」


 ミズナラの質問に、ニラヤマは「そうじゃなかったら豆腐に祭司とやらで紹介したりなんかしないよ」と当たり前のように答えます。


「私は何もしないでいるのが苦手だけどさ、ここに居る人たちのほとんどは何かをするためじゃなくて、顔馴染みのフレンドと一緒に過ごすためにEDENに来ているでしょ。だから誰かと一緒にしたいことがあったり行きたいワールドがある時でも、フレンドが皆このインスタンスに集まっている時だと自分だけ移動しても意味がない。

 そういう人たちが何もしないで集まってる場所に、後から入っていって何かしようって提案するのも気が引けるでしょ。だけどEDENの善悪を見定めたり豆腐の預言とやらを伝え広める祭司ってやつを手伝ってる間は、私とミズナラの二人で色んなところに行けるじゃん?」


「それじゃあ、ムロ……その人のことが本当に好きなわけじゃないんすね。良かったです」

「えー良かったか?良かったのかな、まあいいや。とりあえず私は豆腐を回収したら移動するけどさ、これからは嫌だったら無理に誘ったりはしないよ」


 ミラーのある家屋内に立っているミズナラの視点から、青空を背にしたニラヤマの服装は黒く浮かび上がっています。

 競泳水着のような白い衣装を着ていながら、縁側ではなく薄暗い室内に居るミズナラの姿は対照的で、ただミズナラの髪とニラヤマの瞳だけが同じ赤色に光っていました。


 ミズナラはひとしきりニラヤマの姿に見とれてから、最初から決めていた答えをニラヤマに言いました。

 そして物陰で待っていたら羊を追いかけてきたユーザーが来たので、ミラー前まで逃げてきたムロトもその言葉を聞いていました。


「僕が……呼ばれることはないと思います。ね、ムロトさん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る