第十話

 一つのコミュニティの中で、アイドル的な扱いを受けるユーザーというものは珍しくありません。

 人を惹きつけるような仕草や声音、人格とそれを創り上げてきた多様な経験、そういった“アイドル”たる素質を持つ人間がある界隈に居るとすれば、それは界隈内のファンにとって毎日が時間制限無しの握手会、動画ではなく3Dの存在が生放送されているようなものです。

 EDENをプレイしている四六時中の間、言葉を交わしたり身体の仕草が見て取れるだけでなく、相手の方から自分の身体アバターに働きかけてくれることもあるのですから。


 とある界隈ではフレグランス握手・ハグ会なるものが存在すると言われています。

 それは抱き枕や布団といった現実の家具に、その相手――バーチャルの人格が使っているとされるシャンプーや香水などで香りをつけて、握手やハグに添い寝といったVR上での行為と併せて枕を抱きしめたりすることで触覚と嗅覚さえも再現するというものです。

 それでなくとも実際に、相手の方もその香りを放ちながらVRで自分と握手をしてくれているのですから、その凄まじい臨場感と双方向性を知れば後戻りできない気持ちも分かるというものです。


 豆腐はその話を聞いてから、声を低めてニラヤマにこんな質問をしました。


「……ニラヤマよ、貴様は香水か何か使ってるのか」

「え、なんで私?たまに使いますけど」


 ミズナラが「ん゛っ」と小さく奇妙な鳴き声を上げます。豆腐が「それは、どの銘柄の……」と言いかけたところで「今回は、こちらのワールド遊びに来ています!」と元気に叫ぶ、ミズナラの声に遮られます。

 それは今ニラヤマ達の横で座っているミズナラ本人ではなく、彼らが眺めている先の動画プレイヤーから聞こえてきました。画面の中のミズナラはどこか見覚えのある、薄暗くて雑然としたアパートの一室に立っています。


「まさかミズナラくんがバーチャル配信者になるとはねぇ」


 少し離れたところで見ていたムロトが面白そうに言いました。


「そう?前から向いてるとは思ってましたよ」


 ニラヤマが言っているうちに、画面の中のミズナラは部屋の扉を開けてアパートの階段を降りて行きます。


「アパートの一室から外を創ったのだな」

「前から作ってはいたんだけど、調整中だったからEDENには上げてなかったんですよ」


 車が辛うじて一台通れるくらいの細い路地に出たミズナラが、等間隔で並ぶ街灯が照らしている黒々とした夜の雲を見上げる横顔がアップになります。

 両脇では何の変哲もないコンクリート製の建物がブロック塀を隔てて立ち並んでいて、街の光に照らされた地平線に黒くて四角いシルエットを浮かび上がらせているのが見えます。

 ミズナラは前にもワールドに来たことがあるらしい素振りで路地を進んでいくと、さっきまでいたアパートの方へと振り返ります。


「ちゃんとアパートの部屋から、外を見ることができるようになってるんすね」


 そう言うと同時に、アパートの室内から、路地に立ってこちらを指さしているミズナラを写す構図に切り替わります。

 抜群のカメラワークで撮っているのはワールドの方々に置かれた透明な豆腐、もといミズナラの『知恵の実』による豆腐の分体でした。


「僕は大きなイベントや皆の居るインスタンスで過ごした後、ふと寂しさを味わいたくなった時ここに来たいですね」

「目の付け所がいい、ちゃんとVR-EDENをやり込んでいるとコメントされておるぞ」


 コメント欄を読み上げる豆腐に「読み上げなくてもいいよ」とニラヤマは気のない返事をします。


「コメントしてる人たちは皆で見ているものを良いと言ったり、起こった出来事を文字にして実況することでしか、他の視聴者やミズナラたちと繋がることができませんからね」


 ともすれば火種になりかねないことを言ったニラヤマに被せるようにして、ミズナラは「ワールドを製作したニラヤマさん達から頑張ったところを聞いてるんだから、目の付け所が良いのは当たり前なんですけどね」と慌てたように言います。

 

 というのも周囲にはミズナラと出会ったコミュニティの、ニラヤマと面識のある住人も少なからず居たからです。

 バーチャル配信者となったミズナラの存在を独占したり、そのために陣取りゲームが行われることは無くなったのなら、彼らとの繋がりを意図して断ち切る必要はないのでしょう。

 けれどニラヤマも彼らと当たり前に場を同じくしていることは、豆腐にとって少し意外でした。豆腐がそのことについて尋ねると、ニラヤマはこう答えます。


「ミズナラがここに腰を落ち着けるつもりなら、行ける場所として残しておく必要があるってだけです。

 例えばミズナラが配信者として振る舞うことに疲れた時、有名になる前の自分を知っていて当たり前に接してくれる場所は、こういう最初から居たコミュニティの知り合いだけでしょう?だから正式サービスに際して、消えてもらっては困るんです」


 ミズナラのような配信者業に限った話ではなく、アバターやその衣装・ワールドの製作といった視聴覚的なデータの創作者まで、その産物が3Dモデルの市場や新作ワールドといった形で現れようと、一体どこに居るのか見当もつかない有名人は往々にして出入りを閉ざした『隠れ里』に引きこもっているのだとニラヤマは説明します。


 そこには彼らを古くから知っている古参ユーザーだけが居て、コンテンツの製作者は作った遊び場を彼らに提供することで、その度に他の住人は知り合いである彼らの元へと遊びに戻ることで、相互に利益を提供しながら『隠れ里』は成り立っているのだと。

 それは皆がミズナラの配信を動画プレイヤーで並んで観ている、今のインスタンスの様相でもありました。


 ニラヤマが閉鎖的なコミュニティの存在意義を語るのは意外でしたが、案の定そこで話は終わりませんでした。


「だからこそ彼らが、居心地の良いその『隠れ里』を出ようとしなくなった時が問題なんです」


 ニラヤマは続けます。古参ユーザーと言えば聞こえは良くとも、既に知らない場所や相手と出会う時間や気力を失った仮想世界の老人で、だからこそ新規ユーザーは彼らと出会うことができず隠れ里は『限界集落』になっていく。

 その結果として、豆腐がEDENを訪れたばかりの時に聞いたような、新規ユーザーが行きたいところにいけない現状が発生している。誰が悪いというわけではなく、ただ自己完結できてしまう程に既存の繋がりが増えてしまったことが原因なのだと。


「だからこそ『限界集落』の中に安住しようとしている、強いコンテンツ性とEDENの滞在時間を持つ者を、新規ユーザーの目に触れる場所へと引き摺り出すために、今回の正式サービスが予定されているんでしょう?

 このコミュニティは私たちが引き起こした混乱と、中心人物であるミズナラが配信者となったことで、完全に閉鎖的な場所ではなくなった」


 ミズナラの配信でファンになった者が居たとしても、既に形成された繋がりの中に飛び込んでくるほどの度胸を持つ者は多くないでしょう。

 けれど一方で、ミズナラ個人だけでなく元から居るユーザー達とも親しむ意思さえあれば、決して出入り不可能な『限界集落』ではないというのが今ミズナラの居るコミュニティの現状でした。

 そういう場所にすることで、正式サービスに際した滅びを防がせようとしているのだと。


「驚いたな。てっきり貴様は全てのコミュニティを更地にした上で、自らの気に入った要素だけを資材とやらにして私物化するつもりかと思っていたが」


 豆腐が思わず言うと、ニラヤマは「まあ、風通しを良くするだけなら別にそれで良いんでしょうけど」と答えます。


「私が欲しいのは、どんな場所にでも行くことができる選択の自由です。それを阻害する壁を破壊するのが目的であって、選択肢となる行き先まで失ってしまったら本末転倒ですよ」


 豆腐の偽りのお告げはEDEN全体に噂として響き渡り、それを心から信じていなくとも一応の備えとして自分たちの活動を公開したり、ミズナラのような外からの配信者を受け容れたりするコミュニティが増えていました。

 そして偽りのお告げが噂としてさえ届かないほど閉鎖的であったり、その噂を聞いても自らで発信したり門戸を開くつもりも無いほど非活動的なコミュニティだけは、仕様上の不可避なものとして正式サービスで毛刈りされるのです。


 推測された運営の意志について全てを認めてはいませんでしたが、豆腐はニラヤマが思ったほど破滅的な思考だけで動いていないのかもしれないと思います。そうしているうちにミズナラの配信が終わりに近づき、ニラヤマ達は会話を中断します。


「次の配信は金曜で、友人交流インスタンスで行う予定なので視聴者の皆さんも遊びに来てくださいね」


 画面の中のミズナラがカメラに向けて笑顔で手を振ってから、チャンネル登録のお願いといったお決まりの映像に移り変わります。

 それまでの配信の間に、運営の使者だとか正式サービスの開始だとかの文言は、配信の中では一言も出てきませんでした。それはミズナラを『運営の使者』の正式な祭司としない代わりに、次の配信が行われるワールドを豆腐が作っていたからでした。


 今となっては、それもミズナラを過剰に特別な存在にしてしまうことで、ただのEDENユーザーとして過ごすことのできる『隠れ里』を失わせないための提案だったのかもしれないと、豆腐はそうなるに至った経緯を思い出していました。



「何故だニラヤマよ!ミズナラを運営われ公認の祭司とすれば、例え“カナン”のようなコミュニティであろうと、向こうから門戸を開いて招いてくれるではないか!」


 豆腐はアパートの一室でニラヤマを問い詰めていました。

 ミズナラを『運営の使者』である豆腐公認の祭司として名乗らせることに、ニラヤマが反対したのです。ニラヤマ達が知らないEDENに向かうことに、ミズナラが“祭司”として協力すると言ってくれた直後のことです。


 そして豆腐に対してニラヤマは気後れする素振りもなく、こう答えました。


「んーあのさ、豆腐みたいなやつって他にも居るんじゃないんですか?」

「なんだと?」


 豆腐が言葉の意味を理解する前に、ニラヤマは続きを言います。


「だからさ私たち……少なくとも私やミズナラは、一つのコミュニティか全体公開パブリックに居ることがほとんどだった。それ以外の場所でどんな出来事が起こってるのか、他のSNSに貼られた写真とかでしか知る方法はなかった。

 他の豆腐みたいなやつが居たとして、迂闊に全体公開インスタンスに現れて、自分の存在を誇示するようなやつとも限らないでしょう」

「前に貴様が言っていた“インスタンスの壁”とやらの話か」


 豆腐は不満げながらも話を聞きます。


 VR-EDENというサービスは最低限の機能とUI、データをアップロードする共通規格であるSDKを提供するだけで、利用者はそれぞれが独自に作ったり改変したアバターで誰かの創ったワールドに訪れるのです。

 アバターやワールドに追加機能として組み込まれた技術の類いも、そういうものが存在するといった知識でさえも、互いに行き来する手段がないコミュニティの間では隔てられているのでした。


「少なくとも、例えば“カナン”って場所はインスタンスが満員になって、新しい募集に推薦やら試験が必要になるくらいの人数が居るんでしょう?

 その中にもし豆腐みたいなやつが居ることを知っている人が居て、ミズナラが何度も真実と異なる“お告げ”を繰り返している黒幕だと思われたら厄介だと思ってさ。

 あくまで“噂”程度に留めておいて、ミズナラはそれと無関係に配信者を始めたという形にした方がリスクは少ないんじゃないですか?」


 そこまで論理立てて言われてしまっては、豆腐も納得するしかありませんでした。なにせVR-EDENという場所について、豆腐はまだ知らないことの方が遥かに多いのですから。


「しかし、今更そんなことを言われても我には運営の意志としての、正しいお告げを伝え広める使命もあるのだぞ。そのための祭司としてミズナラを見い出したというのに、何か代案があるのかニラヤマよ」


 豆腐の質問に、ニラヤマは「静かにしておいてね、そのために今のインスタンスに人を招待してる途中だから」と答えました。


「なるほど、そういう理由でなるべく燃えないように、バズって広く拡散されたいんだね」


 薄汚れたアパートで豆腐が自らの伝えるべき運営の言葉をミズナラに明かした後に、同じインスタンスに招待されたムロトは言いました。

 ニラヤマが招待していたEDENについて、より広い界隈を知っている人というのはムロトのことでした。


「う、うん……」

「それならさ、ニラヤマくんが協力してあげれば良いんじゃない?」


 かつてムロトとミズナラは、互いのフレンド同士で争いが起こるのを避けるために、あまり同じインスタンスには居ないよう取り決めていたのでした。

 そうして二人が会えない状況を豆腐とニラヤマが強引に解決したとはいえ、二人のわだかまりまでが解決したわけではありません。


 そんな緊張感もアパートの一室に招かれたムロトが、ミズナラを見るなり「ほら、仲直りのキス~」と迫ってきたところで四散してしまいました。


 ミズナラが「う、ぇっと好きな人が居るのでキスはちょっと……」と言い淀みながら、恐る恐るでムロトの反応を見ます。それに対して一拍の後ムロトは「めっちゃ反応初々しいじゃん、可愛いねー!」とか「えっ誰誰片想い?」などと、予想外のハイテンションで色々と質問してきます。


「あの、すいませんなんか」と恐縮しているミズナラに代わって、ニラヤマが「あのームロトさん、それで用件の方ですけど」と割って入ったのでした。


「私が協力するってどういう意味ですか?」

「一人のユーザーとして全ての界隈の人と会うことは難しいけど、ワールドとして公開すれば色んな界隈がインスタンスを建てて来てくれるでしょ。何かEDENの人々にメッセージを送りたいなら、一人のユーザーとして有名になるんじゃなくて、誰もが訪れるワールドの中にそれを仕込むのはどうかなってこと。

 ほら“UDON毛刈り”で羊が虹色の羊毛に生え変わった時とか、色んな人が見に来てたじゃん?」


 ムロトの言葉に、ニラヤマは微妙そうな反応を見せます。


「でも自分のワールドに沢山の人を集めることも、そこを想定通りの用途で使わせることも簡単じゃないですよ?」


 ですが直接ユーザーに伝えるのではなくワールドの一部として“お告げ”を見せることができれば、自身の存在を露呈することもなく会ったことがないユーザーに伝えることができるので、豆腐は理想的な方法かもしれないと考えました。

 二人の会話を聞きながら考え込んでいたミズナラが、そこで全く予想していなかったことを提案したのでした。


「じゃあ、僕が動画配信とかでワールドを紹介したり、その想定通りの“使い方”を実演してみせれば良いんじゃないですか?」

「……えっ、なんて?」


 ムロトの前では物言わぬアクセサリーに扮したままで居る豆腐も、思わず口を開きそうになりますが先にミズナラが続けます。


「ニラヤマさん達がワールドを創ったり、その伝えたいメッセージを準備している間も、僕は配信しているわけじゃないですか。ワールドだけじゃなくてEDENの外にある動画サイト経由なら、どのコミュニティでも見ることができますから」

「おっ、いいね~!俺も他のコミュニティで、皆がだらだらしてる時とかミズナラくんの動画をプレイヤーで流しちゃおっかな。ニラヤマくんのワールドも楽しみにしてるからね」


 会話をとんとん拍子で進めていくと、ムロトは「知り合いから招待インバイト来たから移動するね」と別インスタンスに移動しようとします。


「あの、ちょっとだけ良いですか」とムロトを引き留めて、ニラヤマは「正直、ここまで相談に乗ってくれるとは思いませんでした」と言います。


 ムロトが「あっは、誰かのお悩み相談や色恋話は、この世で一番の酒の肴なんだよ!ミズナラくんの話も、また飲み会する時に聴かせてよね?」と言い残して、インスタンスを移動していきます。

 確かにムロトのような人間は、誰が誰を好きか嫌いかといった人間関係に嘴を突っ込んで事態をややこしくしがちです。その反面、誰かの悩み相談や愚痴についても同じく興味の対象や話題の種として楽しんで、それを聴くことや助言することにギブアンドテイクが成り立っている人種なのかもしれないと、豆腐は思いました。


「……さて、そうなるとミズナラが配信で紹介しやすいように、“お告げ”よりも先にワールドを公開した方が良さそうだね。正式サービスが開始する今週の金曜、つまり六日後までに“お告げ”が行き渡ってないと駄目なんだけど」


 ムロトが去った後の部屋でニラヤマが口を開きます。


「ミズナラの配信でワールドが話題になるまでに最低三日はかかるとして、今から三日でワールドを仕上げないといけないのか」


 豆腐は初めて問題に気付きます。


「え!?ニラヤマさんのワールドとか、色んな人のワールド使わせてもらうから大丈夫っすよ!」

「創るのは私じゃないよ、技術やアセットは貸したげますけどね」

「えっ、僕すか!?」


 ミズナラが驚いた言葉を上げます。ニラヤマは更に驚くようなことを言いました。


「違いますよ、ミズナラは配信があるんだから。豆腐が居るでしょう」


 ニラヤマの『現実指向』なワールドでは、バーチャルの世界を求めて訪れた大多数のEDENユーザーとは相性が良くない、というような考えがあったことを後から聞きました。そしてニラヤマの考えは、予想を超えて豆腐という存在の潜在能力を引き出すことになるのです。

 ですが今の時点では「……良いだろう、神は天地を七日で創造したと言われている。既に製作ソフトを与えられ資材も豊富にあるとなれば、三日で創り切ることなど造作もないであろう」と虚勢を張る豆腐も、続くニラヤマの一言に軽く絶望することになりました。


「あんたはなんで一々そう自信満々なんですか、あとテストワールドに人を呼んで負荷や同期のテストをしたり、バグを修正したりで色々やる事はあるし、とりあえず七時間で暫定版を完成させるんですからね」

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