第十五話

「律法体なんて特別なアカウントが正式サービスの開始後も同じように使えるとは思えないんだよね。だから新しく創り直すアカウントの名前を教えておけば、色んなコンテンツが集まる場所から正式サービス版のEDENを始めることができるって提案なんだけど」

「我に“お告げ”を行わせないことで、貴様は何を望んでいるというのだ」


 ムロトに向けた豆腐の問いに答えたのは、ようやく『知恵の実』の通話を繋ぎ直したニラヤマでした。全てのコンテンツが集まる場所を作り、気が合う者同士で固めた身内で独占しようとしている噂を豆腐に伝えたのです。


 そんなことを、と豆腐は愕然とします。

 確かに豆腐は『知恵の実』が横流しされているのを黙認しましたが、それがEDENにある全てのコンテンツの独占や選民に用いられていると、ミズナラは知っているのだろうかと考えます。


「貴様らの繋がりがカルト団体であるという噂が、方々で流れているらしいとニラヤマが言っている。そんな繋がりに入ったところで、今は楽しくとも後々に問題が出てくることは目に見えている」


 豆腐は反論しますが、それはニラヤマがムロトの案に賛成するのではないかという不安を押し殺すための強がりでした。

 そして豆腐の反論を、ムロトは軽く流します。


「ここに居ない人の話をしても仕方ないよ。だって“お告げ”を行わないとしたら彼らの繋がりが、正式サービス開始後に引き継がれることもないんだからさ」

「……何を言っている?」

「一番有効活用されて支持された『契約の箱』の持ち主が、EDENの範疇内で願いを叶えてもらえるんでしょ?ミズナラくんは既に『知恵の実』で作られた繋がりだけが、正式サービス開始後に引き継がれることを望むつもりだよ」


 今までのフレンド登録機能やEDENのコミュニティは『知恵の実』に比べて不完全なものだったとムロトは言います。

 素性も分からないうちから不用意にフレンド申請を承認して、付きまといや他のコミュニティに問題を持ち込まれることに悩まされたり、逆に最初に知ったコミュニティの外にフレンドを作れずにEDENの全てと思い込んでしまうこともあった。


 けれど『知恵の実』によって見ているものや情報を共有して、気が合うと分かっている人とだけフレンドになったり同じインスタンスに行けるようになるなら、今までの不完全なコミュニティを一掃した方が良い。

 元から不要であったり過剰なものを取り除いて、新しく優れたものを始めるための正式サービス開始なのですから。


 これまでもずっとEDENという場所はずっと『インスタンスの壁』によって成り立ってきたのだとムロトは言いました。

 持ち主の許可を得なければ入ってこられない自宅やホテルの一室のような招待限定だけでなく、気心の知れたフレンドと穏やかな時間を過ごすための友人限定、界隈に全く縁のない素性の知れない人間は入ってこない友人交流といった、負荷軽減のためだけでなく空間を区切るという機能こそがEDENという場所の一番大きな利点だと。


「それは……間違いだ」


 豆腐は今この状況においてもミズナラは『お砂糖』相手のムロトに絆されて、行動を共にしているだけだと思っていました。


「勘違いしてみたいだけど、君のことで先に悩みを相談してきたのはミズナラくんの方だよ。君が何もかもを自分が得意な創作という行為に引き込もうとして、ニラヤマくんと過ごすなんでもない時間を奪おうとするからってさ。俺はただ君を未来永劫ニラヤマくんの過ごす場所から追い出す方法を提案して、その手伝いをしてるだけさ」


 『知恵の実』を介して豆腐と視聴覚を共有していたニラヤマは、それを聞いて“腑に落ちた”と思いました。作りかけのワールドに誘った時に「頭の中の世界など存在しない」と言って、今も繋がった『知恵の実』から何も語ろうとしないミズナラ。

 これから豆腐のお告げが成功しようがしまいが、当分はお告げを広げるためインスタンスに釘付けになるでしょう。ミズナラはその間に自分を『知恵の実』の繋がりに入れて、色んなコミュニティに行って『邪魔の入らない』時間を過ごしたいのだと。


 そして豆腐こと等軸アキラは、ミズナラの幸せを願っていたことに違いはありませんでした。それがニラヤマと結ばれることでも、どんなに些細でも自分がその『幸せ』を構成する要素の一つになれたら良かったのです。

 けれどミズナラにとって幸せの条件が自らの不在であるという可能性に、豆腐は実際そう告げられる時まで考えを及ぼすことができませんでした。


 ミズナラが信じた幸せは、自分や自分が所属する価値観を否定する人間が居ない場所で暮らすことでした。その楽園を維持するためには、たった一つの簡単なことをすれば良いのです。さん、はい、『ふたりぐみつくって』と。


――わたしは選ばれない。


 不登校、就活面接、大学入試、パートナー関係かれしとかのじょ、選ばれなかった負け犬たちが逃げ出した先で、それでも見えない誰かを仲間外れにすることでしか居場所を作れない見苦しさ。


 大聖堂、教会とはよく言ったものだ。信仰とは、それを信じない者たちを排除した空間がなければ成立しない。

 有名大学や優良企業は学力信仰の大聖堂であり、学校からSNSまで同級生からの人気や生活リアルの充実度といった実態のない信仰に満ちていて、現実では職場や都会と田舎といった生活する場所の地理的、物理的、法律的な制約によって行われていることが、その制約から解き放たれた仮想現実でも行われているというだけのこと。

 それがVR-EDENという大きな枠であってさえ、そこに訪れている者がEDENを否定することは決してない。そしてVR-EDENの文化を否定するかEDENというVRSNSの解釈から外れた存在をも『無理解』だと否定する。

 自分たちは『現実で何かを持っている人が仮想現実こっちに来るな、別に仮想現実こっちじゃなくても良かったくせに』と余所者を拒絶するのに。


「ムロトなる者、お前の――貴様らの頭の中にある世界を、我は受け入れられない。我にとって近しいと感じる人々にとって、その世界が“当たり前”になっていくことも許せない」

「まさか豆腐くんの“お告げなら全てのユーザーに受け容れられるなんて考えてないよね?自分の“お告げ”が下手だと笑われるかもしれないし、豆腐くんという権限を与えられた存在が信じられなかったり嫉妬されて、不用意に敵を増やすかもしれない」


 ムロトにとってみれば、豆腐が“お告げ”を成功させることで『運営の使者』としてEDEN全体に認知され、この『知恵の実』による繋がりの中でも信仰対象となることだけが脅威なのです。

 豆腐がここで他のコミュニティを見捨ててムロトの提案に乗ろうが、お告げを強行することでコミュニティに参加できない特別な役職アンタッチャブルとなろうが目論見は達成されるのです。


「どうせ全ての人間を救うことなんてできないんだから、君を認めてくれると分かっている人、君のことが好きな人のためだけに技術や才能を使って何が悪い?」

「我は今ここで“お告げ”を行う。貴様の言った我へのフレンド申請とやらも、何もかも我が“お告げ”を行った後で、好きなようにすれば良い!」


 豆腐のここまで怒っている声は初めてだ、と『知恵の実』で一部始終を聞いていたニラヤマは思いました。


「やめときな豆腐、あんたはまだEDENのことを何も知らないんです。私がそっちのインスタンスに入るまで不用意に行動を起こさない。そういう契約だったでしょう」


 豆腐はニラヤマと音声を繋いだ『知恵の実』の接続を切ろうとします。そうなればニラヤマが本会場インスタンスに入るまでの間、豆腐を止めることはできません。


 ニラヤマの説得もむなしく『知恵の実』の接続が切られる直前、豆腐はふと冷静に戻ったような照れ笑いを混ぜながら、しかしメロスの短剣すら存在しない楽園EDENに不釣り合いな戦意をたぎらせて、ニラヤマに向けて言いました。


「ここに集まっている者たちは、彼らなりに救いを求めて祈ろうとしておるのだ。ならば神の使者である我は、彼らを正しき敬虔さに導いてやるのが筋であろう?

 そして貴様は遠慮も我慢もしなくて良いと言った、このムロトという男もそうしたようであるからな」



――ムロトが行動を起こすと決めたのは、ミズナラから “カナン”に行くことができれば、その破壊という願いを取り下げるというニラヤマの条件を聞いた時のことでした。

 ムロトの動機は、初めてニラヤマに接触した時から一度も変わっていません。

 最初からVRセックスを目的として集まる“ソドム”のようなコミュニティでは、ボイスチェンジャーに始まり身も心も異性のロールプレイに染まり切ってしまったり、最初から男に抱かれるために可愛らしい美少女の皮を被っているような筋金入りの“メス堕ち”のユーザーが多くなってくる宿命にあります。

 ムロトの欲しかった“性行為のできる同性の友達”にあるような同性間の気安さや、共通する趣味の話題で盛り上がれるオタクの性質から失われていきやすく、だからニラヤマのような人間がソドムへの案内を求めてきたのは格好の機会でした。


――だというのに、ましてや“カナン”に行きたいとは。


 EDENに訪れる人々は技術はあるが表現したいものがない人間と、表現したいものはあるが技術のない人間、そして何もしていないが交友関係の広い人間の三種類に分けられて、時には『何もしていない人』を中継地点に技術者と表現者が出会い、アバターやワールドを見せ合うことで好みや世界観を擦り合わせて共同制作を行うこともあります。

 中には商業作品のCG担当といった在野のプロや、そうでなくてもシステムエンジニアを本業とするのが当たり前の人々が集まり、好みの近しい人々で最大公約数的に創り上げた『自分たちの頭の中』の世界観を圧倒的な技術力と人海戦術で実現した、その大伽藍が“カナン”という場所です。


 それがEDENという場所でしか実現し得ない理想郷であると、創作をしている人間であるほど感じずにはいられないのでしょう。

 だから“カナン”に入会したいと言うユーザーは後を絶たず、インスタンスの上限まで会員数が膨れ上がった結果として書類選考や面接といった入会条件を設定したことで、意図してか意図せずか『選ばれし者だけが行ける理想郷』としての神秘性を更に高めていった経緯をムロトは知っています。


 ニラヤマもまたワールド製作によって“お告げ”を広めて運営の正式サービス開始を助けたという功績があれば、“カナン”に行くことは不可能ではないでしょう。

 ですが如何に優れた宗教であってもその信者が理想的とは限らないように、カナンに訪れた人間は往々にして創作をしなくなるのです。

 自分を認めてもらえない鬱憤から始まった創作も、多少なりとも一般的な作風に迎合して堪るかといった張り合いも、自分が遥か及ばない完成度の世界観の中で“カナン”を礼賛するうちに失って、あとは何をするわけでもない『カナンの住人』の出来上がりです。住人といっても食い扶持を得るために“カナン”の創作に携わることもなく、ただ皆がそうしているように住処である“カナン”の出し物を礼賛することだけ。

 週に一、二度開かれる“カナン”のイベントに行くとき以外はもっぱら“カナン”の製作者とは関係ない内輪の繋がりでダラダラと過ごし、以前ほど活動的でなくなった自分を肯定するために“カナンほどではない”という言い訳を、たまに足を運んだ別の界隈やワールドに向かって投げつける。


 そうやって投げかけた言葉は自分の作品にも返ってきて、好きなように世界を創っていくことができなくなる。だから、恐らくは――悪いのは“カナン”ではないのだと、ムロトも心の底では分かっていました。

 自分の世界観を保持しようとするよりも、出来合いの価値観に染まるという易きに流れていく、現実であろうがEDENであろうが変わらない人間の性質――


「時にムロトなる者。ミズナラに手を出そうとするのは、ニラヤマに当てつけておるのか?」


 ムロトの思考は、豆腐が話しかけてきたことで中断されます。祭壇までの階段を中腹まで登ったくらいの場所で、他のユーザーにはまだ存在を気付かれていないが“お告げ”が始めやすい場所でした。


「なに言ってるの?ニラヤマくんと僕は今も友達だよ」

「時には己の怒りや恥と向き合い、その存在を認めなければならん。自分では押し殺しているつもりだからこそ、その感情から生じた行動で他者や自分を傷つけていることを認め難くなるのだ」


ムロトの言葉に、豆腐はまるで説教のような言葉を返し、思わずムロトは鼻白みます。


「……よく言うよ、モデリングソフトも触ったことのない豆腐風情のくせに」


 ムロトが豆腐の提案を受け入れたのは、計画のための時間稼ぎでしかありませんでした。

 ミズナラは事前に言い含められていたように、今のやり取りのうちに『弾かれインスタンス』に居るニラヤマに会いに行っていました。豆腐の派手な騒音で“お告げ”のライブが始まれば、それを嫌がって何人かはインスタンスから離れるでしょうから、その間にニラヤマを連れてきてもらうという手筈です。


 そして豆腐とニラヤマの会話を聞く限りでは、残ったユーザー達にブロックさせれば豆腐のアカウントを凍結させることもできるだろうと、ムロトは考えていました。ムロトはがらにもない老婆心から、それを勉強代として豆腐には現実で生きて行くことを選んで欲しいと思います。こんな下層かそうではなく、と自嘲交じりに。

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