第11話 群盲、象を評す
「おーい! 待ってくれディアドラ!」
早足で俺たちから遠ざかったディアドラに、俺は走って追い付いた。
どこか急ぐような足取りの彼女を止めたのは若干申し訳なく思う。確かに現状は彼女にとって、一刻を争う事態かもしれない。
だからこそ俺は、彼女を手助けしたい。俺のせいで仕事を増やしたようなもんなんだから、そうするのが礼儀だと考えた。
「え、始さん!? な、何ですか? まだなにか、私に用件でも?」
突然の再会に、ディアドラは困惑しつつも俺に問う。そんな彼女に、俺はなるたけ警戒させないように、出来るだけ明るい表情をして提案した。
「ああ。
「──────はい?」
俺の提案に対し、ディアドラは素っ頓狂な声を上げた。まるで、まったく予想だにしなかった言葉を投げかけられたかのようだ。
いや、確かに
「あのですねぇ。世界を滅ぼしかねない力の持ち主を、迂闊に巻き込めるとお思いですか!?」
「いや、能力を使う気なんて無い! ただちょっと情報収集とか、手伝えたらなって」
「結構です! 大人しくしていてください! 貴方が処分保留の身であるとお忘れなく!」
「で、でも! 君一人であんな奴らとまた戦うんだろ!? そんなの、辛いんじゃないか!?
だったら俺みたいな奴でも、なにか協力してちからになれたらって……っ!」
「もしやとは思いますが、私に同情でもしているのですか?」
空気が張り詰める圧が、ディアドラから放たれた。その言葉が彼女にとって地雷だったと、即座に悟れるほどに強力な威圧である。俺は彼女から膨れ上がる怒りを前に、一歩たじろぐしか出来なかった。
「貴方に同情されるほど、私は弱くありません! 私一人でも
「……ッ! ごめん。何もわからないのに、口を出して」
……そうだ。彼女の言う通り、俺は何も知らない。
彼女たちの事情も、俺自身の持つ力も、何もかも。
知らないのに、力になれるのではと独善的な思い込みで声をかけた。
それを"同情"と彼女は言った。
否定しようとしたが、言われてみれば確かに、心のどこかではそう考えていたのかもしれない。
1人で行動しようとする彼女に対して、俺は身勝手にも同情していたのか?
肺が圧迫され、息が上手く吸えない。自責の念がその胸中を覆い尽くす。ロゴスについて何も知らない俺に、何が出来るというのか。そう問われれば確かに、俺は沈黙するしか選択肢は無かった。
そんな俯く俺を見て、ディアドラは少し沈痛な面持ちで逡巡するような様子を見せた。何故そんな顔をするんだろう。なにも知らずに首を突っ込もうとしたのは俺なのだから、それを諫めるディアドラは間違いなく正しいはず。
なのに、どうしてそんな後悔するような、呵責に責められるような顔をしているんだ。
気まずい沈黙が奔る。それを最初に破ったのはディアドラだった。
「いえ、その。お気持ちは嬉しいのですが。ですが、私にも立場というものがありまして、ですね。
貴方が安易に戦いに混ざるのは、要らぬ心配を起こすとでも、言いますか。ええっと……」
「良いんだ、気を遣わなくても。ごめん、俺が間違っていた」
「そ、そんなことを言わないでくださいまし。間違っていただなんて、そこまでのことは」
ディアドラの表情から怒気が消え、穏やかな物へと戻っていく。
そのまま表情を曇らせるかのように少し眉を下げたと思うと、目を背けながら言葉を続けた。
どこか後悔するかのような、そんな感情が見え隠れする声色であった。
「と、とにかく。今日一日、美術館周辺には近寄らないことをおすすめ致します。
おかしな行動も取らないよう。それが私たちにとって、一番の協力行為になりますので」
「分かった。君がそう言うなら、そのとおりにするよ」
「ありがとうございます。それでは私はこれで、失礼します」
互いにぎくしゃくした様子で別れを告げる。彼女と別れた俺の中に満ちていたのは、強い罪悪感だった。
良心の呵責と、後悔。思いやる感情が、結果としてすれ違いを生み出してしまった。そんな責任の所在が掴めない、現実への罪悪感が俺の胸中を支配していた。
「何やってんだ、俺は。向こうの方が何倍もプロなのは、分かっていたはずなのに」
誰に言うでもなく、俺は吐き捨てるように呟いた。浅慮な自分に恥ずかしく思う。
俺は本来なら処分される立場なのに、どうして自分から関わろうとしたんだろうか。
ディアドラの鋭い口調が、脳内で響くようにリフレインする。
なんで俺は、あんな同情をしたのだろう。違うと否定しようとしたが、心のどこかではそう考えていたのかもしれない。一人で戦う彼女に対して、俺は身勝手にも同情していたのか? 何も知らないのに?
「俺は……馬鹿だな。大人しく逃げてりゃいいのに、どうしていつも首を突っ込むんだ」
何もできないなら、最初から何もしなければいい。そんな考えがよぎり、嫌な気持ちが湧き上がる。
力を得る事が出来たのに、誰も助けらない無力さ。独善的ともいえる同情をした事への自己嫌悪。そんなやり場のない感情たちが、緩やかに俺の胸を締め付ける。そのまま思考は答えの出ない堂々巡り。こうして後悔し過ぎるのも、俺の悪い癖だ。
自問自答のループから抜け出すためにも、せめて機関やディアドラの力になれればという思いが渦を巻く。だが何もできる事が思いつかないままに、俺は繁華街をうろついていた。
「(どうするかな。何もしないってのも気分悪いし。かと言って、俺に何ができるんだか)」
「おはよう始くん。今日はなんだか元気ないかい? ほれ、飴ちゃんあげるよ」
「あー竹中のおじさん。いや、別にそんなこたありませんよ。でも、ありがとうございます」
「そうかい、まぁーなんかあったら相談してくれなー」
そんな暗い俺の気持ちに反し、街の人たちの明るい挨拶が俺へと飛び交ってきた。
こうして心配してくれる人が多いというのは、正直こういう傷心モードの際には有難い話だ。
心の中で思う。こうやって皆に親しまれるのは、今まで大勢を助けてきたからなのかと。
「何故そこまで、他人を助けようとするのか?」かつてディアドラの投げかけた、そんな問いが脳裏によみがえる。そういえば、何でだったっけ。喫茶店から帰路につく間、俺はこの問いかけに対して、答えを出すべく思考を走らせた。
「思えばディアドラへの同情も、この人助け癖から来たみたいなもんだしな。
いい加減、なんでこんな事するのかって、自分でも説明できるようにしなくちゃな」
俺は他人に対し、同情し過ぎるきらいがある。さっきのディアドラに対してもそうだった。誰かが苦労していたら自分でも苦しく感じるし、誰かが悲しんでいたら俺も悲しく思う。
恐らく今回も、ディアドラが一人で戦おうとしているその姿に、思うところがあったのだろう。彼女の気持ちを勝手に考え、それが勝手に暴走し、独りよがりの同情に繋がったのだ。
「──────のめり込み過ぎ、かぁ。確かにそうかもなぁ」
そう考える中で自然と、一昨日の夜に姉から指摘された言葉が頭を掠めた。確かに俺は、助けようとした相手の立場や感情に、勝手にのめり込む悪癖がある。
馬鹿みたいな話かもしれないが、俺はとにかく他人が苦しんだり、痛がっている姿が嫌なのだ。誰かが悲しんでいる姿を見るだけで、俺自身も悲しくなる。俺はそういう人間だ。
俺はその、過度な同情癖の根幹を辿る。脳裏に浮かぶのは、幼少期のあの日だった。あれ以来俺は無力感を知り、人は簡単に死ぬと知った。だから俺は、皆を守りたいって──────。
「オイお前。昨日美術館にいたガキだな?」
「……っ! 嘘だろ!」
急に通りすがった男に肩を掴まれたと思うと、抵抗する隙も無く引きづられた。
下品にも映る、唇に刺さる三つの華美なピアスと、長めの金髪。それは見知った顔だった。昨夜に美術館で襲ってきた強盗達の、確かロゴス能力を使っていた奴の一人。操った不良たちに指示を出している姿も見たから、恐らくリーダー格に近い奴だろう。
迂闊だった。すぐ家に帰るべきだったと後悔しながら、俺は路地裏へと連れていかれた。
◆
「何故でしょう。人を遠ざけるという行為には、慣れているはずなのに。
どうして始さんに限って、こんなにも距離を隔てるのが、辛いのでしょうか……」
ディアドラは始と別れ、街を探索していた。そして同時に、胸の内側に巣食うもやもやとした感情に対して迷いを見せていた。
監視対象である始が、協力をしたいと提案してきた。そして彼女は、それを叱責して遠ざける。秩序を重んじる機関のエージェントとして、子の行動は正しいと言えるだろう。何故なら彼は、世界を滅ぼしかねない
しかし、彼女はその行動を選択すると同時に、胸の中に強い罪悪感を抱いていたのだ。
彼女自身、始の提案が善意から来るものだとは、よく理解している。理解しているからこそ、彼女はそれを容認できなかった。
何故ならば、始がロゴスの世界に関わるという事は、それだけ彼を危機に晒す事を意味しているからだ。
それにディアドラは耐えられなかった。何故なら彼女は、言ってしまえば始が
つまり始が
ありていに言えば、彼女は今の始に対して責任を感じているのだ。
だからこそ遠ざけた。今まで何度もそうしてきたように。関係のない無辜の民を遠ざけた。
嫌われる事には慣れている。恐れられる事にも慣れている。今まで何度も、彼女はそうしてきたのだから。
故に今回も同じように、情を捨て機関の為に行動しようとした。自分は機関の為に生きる人間だから。自分は始を守るべき責任があるから。2つの責任に従い、彼女は彼女の選ぶべき行動を取ったのだ。
けれどその行動の結果、彼女は初めて罪悪感と呵責を覚えたのだ。全く知らない感情に、彼女は戸惑いながらも意味を探る。その姿は何処か、怯えているかのようにも見えた、
「胸が、痛い……。
あの言葉は、彼のためを思っての行動なのに。機関の一員として、当たり前の行動なのに」
『俺にも何か手伝えること、ないかな?』
始の、打算や裏のない提案の言葉が反芻される。
その言葉を聞いて、仄かな嬉しさを覚えた。初めて経験するような、温かさも覚えた。
だが、彼女はそれを拒絶した。彼を危機に晒さないために。機関の一員としての使命を全うする為に。
そしてその代償に、彼女はまた1人となった。
「どうして私は、彼と距離を置くことに、こんな──────」
その胸の痛みの正体を探ろうとした、その時であった。彼女の通信端末が警報のようなアラームをけたたましく鳴り響かせた。
驚きながらもディアドラは通信端末を取り出し、その画面を見る。そこにはこう書かれていた。『
「まさか彼が──────!? いえ、違う。彼自身の能力行使だったらこんな表示は……。では、まさか!」
彼女はすぐに事実を悟り、反応のある地点へ向かって走り出した。
観察対象自身が能力を行使すれば、そう表示される。ならばこれはどういう意味か?
可能性があるとしたらそれは1つ。ロゴス能力を持つ人間が、長久始に対して何らかの危害を加えようとしている事に他ならない。
ならばそれは誰か? ディアドラはすぐにその候補に思い当たった。
「彼らの下劣さを考慮できなかった私の責任です……!
まさか、ターゲットとなる
──────死なないでください始さん!」
自らの愚かさを後悔しながらも、彼女は全力で走り反応のあった座標へと急行した。
ディアドラは唇を噛み締める。始をロゴスの世界から遠ざければ、自然と危機は去る。そんな浅慮をしていた過去の自分を殺したいとすら思った。
だがどれだけ後悔しても、過去は変わらない。故に今できるのは、始を守るために全霊を尽くす事のみだ。
彼女は風の如く駆ける。始を守るという責任を果たすために。
彼を
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